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認知症の人が置かれている"今"を教えてください

2013年03月18日(月)

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精神科病院に入院する認知症高齢者の中には、スタッフ以外誰にも話しかけられずじっと過ごす方もいらっしゃいました。

ハートネットTVでは、来年3月以降
認知症に関する番組をシリーズで放送する予定です。
今回は、シリーズを立ち上げるにいたったきっかけを
お伝えしたいと思います。

私たちの番組ではこれまでも認知症に関する様々な動きを
伝えてきました。先進的な取り組みを紹介し、
どうすれば認知症の人が安心して暮らせる地域ができるのか
長年に渡って問い続けてきました。

そんななか、私は去年ある精神科病院を取材で訪れました。
人里離れた山奥にある、その病院で出会ったのは、
ベッドに拘束された認知症の高齢者の姿でした。
両手は、自傷の恐れがあるからと袋状の布で覆われ、
顔は青白く、生気が抜けきっていました。
その方は家族が自宅で介護を続けていたものの、
いつからか激しい言動が目立つようになったそうです。
介護サービスを使ってはみたものの、家族を支えきることができず入院。
すでに2年以上経つといいます。
くぼんだほお骨の奥にある目はまばたきひとつせず、
天井のどこか一点をじっと見つめ続けていました。

とにかくショックでした。
これまで紹介してきた先進的な地域がある一方で、
今も横たわる厳しい現実。

認知症の人や家族の間に一体何が起きているのか、
もう一度見つめ直すべきなのではないかー
こうした経験から、今回のシリーズが立ち上がりました。

私たちの番組の拠り所。
それは認知症のご本人や家族のみなさんの思いです。
どんな思いを抱いて暮らしているのか。
どんなことに喜び、悲しんでいるのか。
そして、どのような支援やサポートがあれば、その人らしく暮らしていけるのか。
体験に基づいた現場の声を聞かせていただくことで、
認知症の人が置かれている環境を多面的に見つめ、
これからのシリーズにつなげていきたいと考えています。

 

コメント

今、私も母1人子1人なのですが母がアルツハイマー型の認知症と診断されました。介護認定も脳外科に入院中に申請していただきましたが、病院の中で徘徊をしてしまい、精神病院に転院させられてしまいました。転院の時もこれから入る部屋も見せてもらえず、規制も厳しく毎日どう過ごしているか心配です。母は父親はもう亡くなっているのですが父親と私のご飯を作らないといけないから帰ると言っているそうです。在宅介護してあげたいけど私もこれから生きていかないといけないし仕事辞める訳にもいかず、毎日罪悪感で一杯の生活を送っています。ちなみに、母親は国民年金で亡くなった父親も国民年金でお金ありません。今、いろんなこと知りたいです

投稿:カール 2017年05月22日(月曜日) 09時45分

医療の進歩とともに、増える問題点!確かにハートネットTVの主旨も良く分かりますが、作られた偽善感が否めません。認知症の透析患者を持つ家族や医療スタッフの苦悩は、良く分かりますが本音が垣間見えません!認知症の家族がいて綺麗事でない話しが聞きたいです。法律改正で尊厳死等も考えるべきかと。実際透析医療の裏では利益主導主義があり、その欲の部分を隠す為に綺麗事。認知症や透析を必要とする患者が生きられるのは健康な現役世代や子供達です。その現役世代や子供達にこそ手厚い保護が必要であると考えます。
私自身透析患者ですが、患者は我儘で自己中が非常に多く病院で働くスタッフに感謝もなく、嫌なら透析しなければ良いのにとさえ思う時が。透析患者や認知症患者が死んで悲しむ人より喜ぶ人のがはるかに多いのですから。

投稿:しげ爺 2016年04月19日(火曜日) 05時58分

精神科病院に関しては、地域差がかなりある。
収容して拘束して弱らせるだけといったところもあれば、
もっとまともな対応をするところもある。

精神科病院のベッド数を見ても、地方ごとに大きな差がある。
NHKは、遅れた地方へも目を向けていただきたい。

投稿:ts 2016年02月27日(土曜日) 11時51分

この映像探しました。
(医療、介護の悪い印象が強い。 と 強いクレーム圧かかったのかな、心配)
やっとたどり着きました。
(削除されてなくてよかった)

こういう現状への思いに触れたくてまた訪れました。
医療、介護施設への不安、私の不安をこの映像が代弁してくれているようで...
ここに理解者がいるようで...
(勝手によりどころにさせていただいてます)

この記事の上段記事のタイトル【10年前と変わっていない現実】
10年たっても変わらないと感じるのは...
私の受け入れ、力の無さなのか
できることなら誰しも避けたい認知症
逃げたい気持ちもわかります。(私にもあります)
言ってしまっていいのかな (言わせてください)
私たちは捨て置かれている?(ごめんなさい、反発も怖い)

10年変わらないと感じてきた事実、そして今も変わらない現実
わかってくれる人がいる
だから 変わってほしい 変わりたい 変わる

6月24日、25日放送 [Our Voices 原発被災者からの手紙] にも すごく共感を感じます
「絆という言葉が嫌いです」
「国が守ってくれるとか、そんな事を考えないでね」
「守ってくれることに期待してはいけません」
「...事実を変えたい」「でも、変えられない現実」

人が気付いてくれるのを待つ時間もありません
「限り」 には 「限りなく」
【変わる】ことの難しさ
一人で一人を支える事の難しさ、不安

この「不安」が原動となってほしい
そうするために この映像を忘れないようにしたいです。
(ありがとうございます)

投稿:recovery 2013年06月29日(土曜日) 13時11分

今日、祖母の身体拘束に関しての説明書類にサインして祖母が暮らす老人保健施設へ返送したところです。
「両手は、自傷の恐れがあるからと袋状の布で覆われ」は眠る際の祖母の姿です。

施設の祖母が暮らすフロアは認知症の方ばかりが集まっています。
認知症の方々の会話は独特です。
確かに認知症の方ばかりが集まる空間は非日常に近いものもあります。
ですが、自分が面会している間の様子しか見ていないのでそう思う部分もあります。
音楽療法の時間に覗いたら祖母があまりにも元気に流暢に昔の歌を歌っていて驚いたこともあります。
忘れているといっても体で覚えていることはできるんだな~と思いました。他の方々も懐かしい様子で歌っていらっしゃって普段の様子との違いに驚いたことを覚えています。
小さい子供を連れて行くととても興味を持ってくださるようで面会している周辺に他の入所者の方々がやってきたりします。
子供の方もびっくりするようですが、大人よりすぐ受け入れている様子でした。

祖母はよくおしゃべりをしますが、こちらに話を合わせたりいろいろな言葉が別の言葉と入れ替わってしまうので会話はあまり成り立ちません。
家族のことはほぼ思い出すことはありません。

足を骨折してから認知症が進み、今も車椅子です。
思うように動き回れないことや出歩けないことが不満のようなことをたまに言ったりします。

とはいえ毎回楽しくおしゃべりして笑って帰ってきます。
元々とてもしっかり者の祖母でしたが、認知症でいろいろ開放されてすこし娘時代にもどったようなおおらかな祖母になりました。
とってもいい笑顔で元気がもらえます。


離れて暮らしているので会いにいけるのは1~2ヶ月に1回。
定期的に面会にいけるのは親戚の中では私だけです。

近くの親戚は難病や障害を持っていたり生活苦でそんな余裕はない、
あるいは会っても会話ができない祖母の所へ顔を出しても間が持たないといった理由で私が行く際に誘うことがなければほとんど行くことはない状態です。
施設に入る前に介護していた母は他界しました。
そして私は面会にはなんとか行きますがうつで療養生活をしています。

この現状で家族での介護はとても難しく、多少の身体拘束をしても(祖母はベットに固定されるところまではされていません)日々の暮らしを看護師さん、ヘルパーさんに支えていただき、毎月イベントやリクレーション、リハビリ等を取り入れて支えていただけることは本当に感謝としか言い様がありません。

これは日常を支えてくれる方々がいるからこそ感じる想いです。
つまり適度に面会して笑顔で一緒に過ごせるという部分が大きいのです。

家族として私ができることは引きこもりがちで体調が不安定でも
なんとか祖母の所に顔を見せること、施設の方から近況を聞くこと。
続けた結果、私が誰かは忘れていますが、なんとなく時々来る人として認識してくれているようでもあります。


「認知症の人たちを取り巻く環境が少しでも改善できるよう
努力していきたい」とおっしゃるのはどんな理想をイメージされていらっしゃるのでしょうか。

認知症になった家族本人を中心として病院や介護の関係者の他に、家族との関係性や家庭内での教育や家族の経済的な状況や病気、年齢といった様々な条件が複雑に絡み合って認知症のご本人の状況もそれぞれ変わります。

しかも本人が望むことをどう判断するか、となればなにが基準になるんでしょうか。
医師の診断でしょうか。圧倒的に不足している成年後見人の判断でしょうか。家族の判断でしょうか。科学的な方法で数値化された本人の意志でしょうか。

医療介護関係者には最新の情報を取り入れる時間が無いのかも知れません。
それぞれ個人の自主性の問題ではなく、システム化されていないこと、時間を捻出できない労働状況ということもありえます。

ネットには情報が溢れているのかもしれませんが、認知症の症状に万能の対応策があるとハッキリしているのでしょうか。
それを国中の人が知識として取り入れたら解決するでしょうか。

認知症の家族について私達が真剣に取り組む時間的経済的体力的余裕を作る方法は誰がどこで教えてくれるのでしょうか。

包括的に指導教育を個人単位で受けられる場所があるのでしょうか。


少々語気が強い文章になってしまいましたが
取材という形で目の当たりにしたことを表面的に見てほしくないのです。

テレビ番組は時間の制限がある中で作られるものかもしれませんが、
認知症も他の病気や障害をもつ方々もいつまで続くかわからない、もしくは一生付き合わなければならないからこその複雑な問題になっていて悲しい現実に見えた現状は難しい決断の上にある可能性もあります。

手に付けられるミトン一つだって家族の動きをコントロール出来るとするなら当然したくはない。

でも施設内に複数の人が居てすべての人をコントロールできない状況で体をかきむしったりして皮膚に傷ができ、体力がない高齢者が発病に繋がることになったり、施設内に感染が起こってしまったり、あるいは人を傷つけたりすることになれば
別の大きな問題として社会に提示されることでしょう。

生きている限り介護するということに不安を感じている家族。

実際の運用をしている家族ではない医療関係者。

介護される認知症の本人の気持ち。

そういう家族が居ながらその姿を直視できない家族。

取材する第三者の立場で見ていただくことも大切ですが、
自分の家族が、あるいは自分自身がその立場だったならという目線でも考えていただきたいのです。

できれば介護の作業の大変さも、身体拘束しなければならない人の状況ももっと体感してほしい。

どのように取り上げられるのか、どのような「改善の努力」の形を描いてくださるのか期待しています。

大変長文になり申し訳ありません。

投稿:コノハ 2013年01月26日(土曜日) 01時32分

私は現在認知症対応型共同施設、グループホーム、で働く30代の女性スタッフです。以前は違う仕事をしていたので、まだ経験としては4年目と浅く、まだ未熟であると感じていますが、それでも今の施設では古株として責任ある仕事を任されてると思いますが、もちろん、長く勤められる方もいるでしょうが、この仕事は定着率が悪い事を実感しています。もちろん大事な仕事ですし、責任をもって頑張ろう、と仕事をしていますが、その奥で、「報われない、辛い、しんどい。」このことばが頭から離れることはありません。
色々なところで、「ケアは利用者本意であるべき」という言葉を耳にします。そんなことはわかっています。誰が介護者優先である施設に自分の大事な両親、家族を入れたいでしょうか。

利用者本意であるべき、ということば現場の人間なら誰だってもっている
そうしたいのにそうできない私たちのジレンマを、誰が受け取ってくれるのでしょうか、そして結果的に、その割りを食う(言葉が悪いですが…)のは誰あろう利用者様たちなんです。人件費削減の為に人手を減らした施設でこれ以上何をしろというのだと憤りと、私たちにはなにもできない、という無力さを感じながら、心がすりきれるような毎日です。

利用者様の思いはそれぞれ一つ一つ違うと思います。ただ穏やかに過ごしたい。いつも笑っていたい。そっとしておいてほしい、好きな事をさせてもらいたい。そんな一つ一つの気持ちに心から寄り添えるケアがしたい。本当はそんな風に考えていますが、そんなことはきっとできないだろうと諦めの思いもあります。自分の気持ちが前向きになるよう自身も努力していきたいと思いますが、そんな思いを抱えたたくさんのスタッフたちの

投稿:わん 2013年01月25日(金曜日) 22時22分

私の母は約3年半前認知症であることがわかりました。      両親ともに毎年脳ドッグを受けておりましたが、検診を受けていても防ぎようはありません。
父は医師から母がアルツハイマ―とは、告げられておらず、認知症には二つの型があると知ったのは、私が母に飲んでる薬を効き調べて父に母がアルツハイマーと告げてからです。
父は母がアルツハイマーということをなかなか認められず少し認められるまでに2年近くかかりました。
私にとって、とてもワンマンでがんこで怖い父でした。
元小学校長で理解力のある父ですが、母が脳の病気であることをなかなか理解できません。
要介護申請するよう叔母が何度勧めても聞き入れず、去年の夏私が電話で「お母さんはお父さんの妻だけど、私の大事なお母さんだからお願いじゃけえ要介護申請して下さい」と私が涙声で頼んでやっと要介護申請しました。
10月に要介護1と認定され、デイサービスに行き始めましたが、男性職員にお風呂に入れられ嫌だったとのことで3回で止めてしまいました。
私の両親は山間の過疎の村に住んでおり、街とは違い選択肢がありません。
お店もなく、病院に行くのも半日仕事。私も他県に住んでおり、行ける時行きできるだけの家事をする以外なす術がありません。
父は田舎は街と違いすることはいっぱいある(農作業)と言いますが、母はいいケアが受けられずどんどん進行しています。
私は介護福祉士で、以前アルツハイマーご夫婦のお宅にヘルパーとして訪問したり、デイケアで認知症の方とも係っていたので母のこれからが想像できてしまいいたたまれません。
私は、4年前飼い犬の介護をしていて大けがをし、29日連続受診し30日目に大病院で骨髄炎の緊急手術、その後左示指1本がCRPSという難病になり闘病が一生続くことになありましたが、それも今は母はもちろんのこと父にも話すことはできません。
母の声を聞きたくて電話しても、母は自分が何かしている時中断されると機嫌が悪くなるとのこと。田舎なので世間体もあるのか、父はヘルパーも絶対頼まないと言っており、母は要介護1の認定がおりてもなんの介護サービスも受けることなくどんどん進行しており、私は毎日ネットでいろいろ調べる以外何もできない。
父も同じこと何度も言い、父が何回同じこと言ってもすぐ忘れる母のことを大分理解しながらも疲れ切っている様子。
私は、ネットで毎日アルツハイマーについて調べる。
調べても何も母の為に役立てることができない。
65歳以上の10人に一人が認知症という。
またアルツハイマーは、アミロイドβというたんぱく質が10年~20年脳にたまってから発症するという。
国が何か手立てをたてなけれえば近い将来大変なことになるのは目にみえている。
介護のなかで1番大変なのが認知症の方の介護なのです。
なりたくなくても誰がなるかわかりません。
毎日がアルツハイマーの動画を観ると母と同じぐらいの進行度の方が要介護度3の認定がでたとのこと。
母は短期記憶が5分も保持できないが、自分は認知症でも何でもなく元気なものだと電話ではいう。
話を合わすが電話を切ったあといつも哀しくてたまらない。
いつも人の為だけに生きてきたお母さん、大好きです。いつか私や子供たちのことわからなくなってもお母さんはお母さんだからね。

投稿:kuuchan 2013年01月12日(土曜日) 21時53分

現在二世帯住宅の在宅で、実父81歳(レビー小体認知症・要介護3)実母82歳(血管性認知症・要介護3)の介護をしている40代の主婦です。
介護も大変でいろいろ思う事がありますが、一番感じていることは、認知症という病気に対する医師の知識不足です。父はレビー小体認知症で、薬物過敏があります。日々幻覚妄想に悩まされ騒ぎ家族も大変です。幻覚をとるために抗精神薬を処方され、体が動かなくなりました。怖くてすぐに止めましたが体の傾斜が残りました。
幻覚妄想で騒ぎ抗精神薬を長期投与→体が動かなくなる→寝たきり→嚥下障害→誤嚥性肺炎→死亡。このことが今もたくさん行われています。
認知症は最近やっといろいろなことが分かり出した病気です。医師も勉強しなければ患者は救えません。私のようなただの主婦がネットや本で勉強できる時代です。プロが意欲をもって臨んでくれればたくさんの方を救えるのに。いくら私が訴えても聞き入れてくれない、知識がないので黙り込む医師もいます。
私自身、介護の為に仕事を辞めました。子どもが2人いるのでお金がかかります。お金の問題もありますが、自分の時間は両親がデイサービスに行っている間だけです。それも休めば私の予定はキャンセルです。子育ては幼稚園、学校に入学するまでと先が見えていますが、介護は先が見えず本当に真っ暗闇です。介護者の雇用問題も取り上げてほしいです。
私は両親が40歳の時に産まれた子です。私は20代で出産したので、子供は高校生ですが、今高齢出産があたりまえの時代、これから親の介護と子育てが同時進行(親のおむつと子のおむつ購入)の人が増えると確信しております。
たくさんの声を取り上げていただき、多くの方に知ってもらいたいと切望しております。

投稿:うめのはは 2012年12月22日(土曜日) 14時18分

はじめてコメントさせていただきます。

わたしは認知症がこわさじゃない社会をめざして、研修・執筆などを行う者です。

いま、認知症介護の現場で起きていることは、介護者が困る事柄に対処することが主流であり、本人の困りごとが置き去りにされているとみています。

「手についた便で壁やカーテンを汚す」という状況。
確かに、介護者としてはとても困る事態でありますから、なんとしても避けたい事態です。そのため、その対処に知恵を絞ることが、「ケアの王道」に“なってしまっている”と思います。

しかし、介護は本人支援が基本のはずです。

「手についた便で壁やカーテンを汚す」という結果にいたるまでのプロセスで、本人が抱えている困難を発見し、そこを支援することが認知症ケアの王道ではないのでしょうか?
例えば、「便が手についてしまったのだけど、この汚れた手をどうすればいいのかわからなくて困っているんです」ということが、本人が抱えている困難として考えられます。そうだとすると、手を洗う必要性は感じているわけですから、手洗いの場所がわかるようにするにはどうすればいいか、手洗いの場所がわからなくてもSOSが出せるようにするにはどうすればいいか、など知恵を絞るポイントが見えてくるはずです。

この本人目線を失うと、ただただ便をさわらせないようにする=行動を抑制するというケアから逃れられないと思うのです。

大切なのは、介護者の困りごと、本人の抱える困難、どちらの視点ももつということだと思います。いまのケアは、後者があまりにも「容易に」欠落しているし、欠落していることにも気づいていないと思われます。

わたしは、本人の抱える困難をとらえることを、これからも研修・執筆を通して届けていきます。NHKの番組でも、そのことを是非届けてもらえたらと思います。「認知症に一番悩まされ、混乱しているのは本人である。その混乱の結果、介護者も悩まされる」という構図を忘れてはいけないと思います。

投稿:ぺ ホス@認知症介護コーチ 2012年12月22日(土曜日) 08時22分

私は人工透析患者であり、医療機関に勤務している者です。
私の職場である透析室(人工透析を行なう施設)にも何人かの
認知症の方々がおられます。
今、現在、日本国内には30万人以上の人工透析を必要とする
慢性腎不全の患者さんがおられ、その内の多くは高齢者であり
認知症を患った患者さんも増えているのが現状です。
人工透析は週3回で一回に付き4~5時間がかかりますが
認知症の患者さんはその時間を我慢できません。
と言うよりもなぜ、自分が人工透析を行なうのかかが理解できず、
大きな声で不満を叫んだり医療スタッフに噛み付いたり、引っ掻
いたり、あげくは透析のために刺している針を自分で抜いてしま
うという事故も全国で多発しています。

それでも透析をやめれば、その患者さんは腎不全により重篤な
症状が出たり、下手をすれば命にも関わります。これが日本に
おける人工透析医療の偽ざる現実の一つなのです。

投稿:アス比 2012年12月19日(水曜日) 21時20分

いつも同じようなコメント送らせてもらい申し訳ありません。
現在、両親共に「要介護1」の認定をいただいています。
介護している私は身体障害者2級の認定をいただいています。
正直、自分自身の生活にも努力が必要です。

一時期、両親共に入院させていただいていたので助かっていましたが、
今年始め、まずは母が先に退院しました。
母は帰宅願望が強かったのもあり、
生活が厳しくなるのがわかっていましたが、まずは介護から始めました。
母の介護は想像していた以上に厳しくて辛い日々でした。
そこへ父の退院が迫ってきました。
父も帰宅願望は強かったんですが、病院側の指導もあり、
当時のケアマネージャーに相談をし、
入所の待機が出来る施設を探してもらいました。
当時のケアマネージャーと施設の方々には、
いくら感謝しても感謝しきれないぐらいです。


しかし、ゆっくりとですが両親とも認知症が進んでいます。
現段階でも両親の年金でギリギリで介護(生活)している状態です。
これは、特別養護老人ホームに入所できたとしても同じ状態だ思います。
しかし、特別養護老人ホームからは「何百人と待機してもらっている。」「要介護1は軽い。」「介護人が障害者でも関係ない。」と言われました。
行政や障害者相談会にSOSを出しに行っても「権限が無い。」
「今ある制度でしか」と言われるだけです。
精神科に入院の相談に行っても「介護施設ではない。」と言われます。
これから介護度も上がれば、
介護に必要なお金も上がっていくかと思うと毎日が不安です。

この事を話したら、
ある方から「お前は両親を入所させる事しか考えていないのか!」と
叱られた事があります。
育ててくれた両親です。今まで一緒に暮らしてきた両親です。
入所させる事は介護を放棄する事という罪悪感があります。
また入所させる事で認知症が進んでしまうのではないか?
という思いがあります。
それをひた隠しにして動いていますが...
正直、あの言葉はこたえました。

「なんとかなるさ!」
「入所が出来たらバリバラの皆さんのように自分の人生を楽しむぞ!」と
事あるごとに自分に言い聞かせてはいますが...
上記のような不安と罪悪感が襲ってきます。

余談ですが、
番組で紹介された「ペコロスの母に会いに行く』を手に入れました。
何度も読み返し、両親の笑顔が重なってしまい、
泣かさせていただいています。
お見苦しい長文を書かせていただきましたが、どうかお許しください。

投稿:チンク 2012年12月18日(火曜日) 12時09分

認知症を取り上げるのは悪い事ではないと思います。
ただ、その取り上げ方の中で、精神科病院が悪い…という印象を与えるような作り方だけはやめて欲しいです。
表では自分たちの医療がとても良いというように言っている人達が、影で放り出した方達がいるという現実。
自分たちの手に負えなくなったら精神科に丸投げして、あたかも精神科が認知症医療を悪くしているというような言い方をする人達がいるということもきちんと見て欲しいです。
精神科が、綺麗事だけではない認知症医療を支えているということも理解するべきではないかと思います。
精神科=拘束という図式はもう古いですし、一般科よりも拘束に対しては法的に厳しくなっているということも理解した上で番組を作って下さい!
精神科以外の病院で問題があった人達でも、精神科に入院すると全く問題とならない方も多いのですから…。
対応の問題というのも、おおいにあるんですよ。
そういうこともきちんと取材して下さい!

投稿:かのん 2012年12月18日(火曜日) 05時35分