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【出演者感想】「シリーズ 多様な"性"と生きている」小島慶子さん「『性』は『生』でもあると思う」

2013年06月27日(木)

6月27日放送(7月4日再放送)
シリーズ 多様な“性”と生きている「第5回 WEBの声にこたえて
にご出演の小島慶子さんに感想を聞きました。



20130627_kojima.jpgのサムネイル画像――今回は特に“子どもたちのセクシュアルマイノリティー”を中心に、Twitterやカキコミを紹介しました。どのような印象を受けましたか。

ただでさえ多感な思春期の子どもたちが、「体と気持ちがずれている」とか、
「同性が好きなんだけど、それって何かおかしいんだろうか」と悩んで、どんどん追いつめられて、自分なんていなくなってしまえばいいっていうところまで思いつめてしまうことがある。


それは、性同一性障害や同性愛など、
多様な性があるってことに先生たちも詳しくなかったり、
実際そういう生徒がいた時にどう対応すればいいのかが
あいまいだったりするからなんですよね。
本当に、全国どこに行っても同じ知識を持った人が
しっかり対応できる仕組みをつくっていかなきゃいけないと思います。
対応の遅れにびっくりしました。
 


――どういった方々にこの番組を見て欲しいですか。

まずはやはり当事者の方や、
「自分はそうなのかな」と感じている人たちに見て欲しいですね。
いろいろな活動をしている人がいることも知れるし、
番組が出会いのきっかけになるかもしれないですから。

しかし同時に、そんなこと今までまったく考えたこともない、
「自分は関係ない」と思っている人にもぜひ見て欲しいです。
だって、セクシュアルマイノリティーの方は20人に1人ですからね。
関係ないはずがないんですよ。
今までそんな人はいなかったと言っても、これから出会うだろうし、
あるいは、もう出会っているのに
その人が自分を押し殺しているだけかもしれないわけですから。
番組を見たら他人事じゃないということも、
遠い話じゃないんだっていうこともわかるはずです。
そして、何が普通であるかということをひとつに求めるのではなく、
世の中にはいろいろなものが同時に存在して、
自分もその中のひとつなんだっていう考え方ができれば、
もしかしたら今あなたが感じている何かしらの息苦しさとか、
後ろめたさもちょっと楽になるのではないかと思います。


――今回の番組を通じて、小島さん自身も自分の性について、いろいろ考えるところはありましたか。

そうですね。
私は自分のセクシュアリティーやジェンダーに
違和感を持ったことはなかったですが、
ただ、何が女らしさか、
自分が考えている“女”というのが普通なのかなって突きつめ始めると、
何が正しいかはわからなくなります。
やっぱり私は私の人生しかわからないし、
他の人の人生の実感もその人にしかわからないわけだから、
結局はみんなバラバラなのかもしれません。

でも、バラバラだけど
何となく人と気持ちが通じ合ったと思える瞬間を信じることができたおかげで
孤独を乗り越えられたことが、私自身これまでの人生でありました。
だから、「いろいろな性があっていい」というのは、
つまるところ「性」だけでなくて、「生」ということでもあると思います。

もし仮にそれが、あるべきかたちと巷で言われるものと違ったとしても、
またときに自分がこうありたいって思うものと違っていたとしても、
それでも「気がついたらここにいた自分」っていうのは
最初からそこにいていいんだって、
どんな人でも思える世の中に私は生きていたいです。
今回の番組はそういうメッセージでもあったんじゃないかなって感じて、
私もとても励まされました。


《小島慶子さんプロフィール》
タレント、エッセイスト。テレビなどへの出演だけでなく、
各誌でエッセイを執筆するなど、多彩な活躍を見せている。
近著に『女たちの武装解除』。
昨年、1年間に渡ってお伝えしたシリーズ企画
「カキコミ!深層リサーチ」に出演。

コメント

昨日の放送を拝見し、やはり間違っていると感じ書き込ませて、いただいてます。

「セクシャルマイノリティ」を理解しましょうということ。
「多様な性を理解しましょう」ということ。
このことについて、
LGBTを支援している方々も、メディアの方々も、
そして、番組で紹介されて教育現場の方々にも
共通している...
ある、間違いがあると思うのです。

人は、何故自分が存在するのかということです。
その事実は「多様な性」ではありません。

男(雄)と女(雌)この関係だけは普遍です。
でなければ、私達は存在しないのです。

小島慶子さん「『性』は『生』でもあると思う」
このように発言されていますが、「性と生」は同一化していると思います。
言い換えれば「それぞれの人生」だと思います。

当事者自信も、教育者も、啓発活動家も、メディアも。
間違っていると思う。
現状のような啓発方法をしていたのでは、社会に受け入れられません。

何故か?
普遍的な「性」があることの事実をグレーにしてはダメだということです。
言い換えれば「多様な性」と「人が生まれる性」を混同したような
啓発や教育をしてもダメだということです。
「多様な性」に「人が生まれる性」を含むべきではないと思います。

マジョリティの多くの方は、セクシャリティ・イコール、セックスを連想します。
それは間違いではないのです、「愛とSEX」は自然とイコールになります。
日本人の倫理観として、「セクシャルマイノリティ」を理解しようと考えたとき、
セックスを連想しやすいと思います。 そうなってしまうと理解されません。

マイノリティもマジョリティも「普遍的な性」を尊重するべきだと思うのです。
そのうえで、「多様な性」について認めることだと思う。

現在私は、パートナーとその家族と共に生活しています。
MTF/GIDにカテゴライズされる当事者ですが、
幸せだと思える生活をしています。

当事者の方や活動家の方に伝えたいことは、
自分らしくとか、自分を受け入れるとかの真意の根源は、
「普遍的な性」の上に、自分たちの性があるという事実を受けいることだと思う。

昨日の放送の中で、小学校で行われている、教育現場を紹介されていましたが。
小学校低学年の子どもさんたちへ、
「タンタン・タンゴはパパふたり」を例に。。。

パパふたり、ママふたり そんな家族もあっても良いのです。
このようなかたちで、生徒に教えていましたが、

さて、あの年齢の子供さんが「人が生まれる」というメカニズムとか
性について、どれほど理解しているのでしょうか?
あの、ロイとシロが抱いた卵はどうやってできたのでしょうか?

抱いた卵の話を抜きに「多様な性」の意味は伝えられません。
小学2年生の授業だったと思いますが、私はその年齢のときには
すでに、十分マイノリティな自分を自覚していました。

私は「普遍的な性」を尊重し、自分の性を受け入れるように努力しました。
それが出来て自分の人生が見えてきました。
「多様な性と生」だけを、いくら語っても何も解決しないと思います。

多様とは、答えは無いということだと思います。
解ってもらえなくても良いけれど、こんな人間もいるってことを
知っておいてほしい。

そうじゃないと思うのです、「普遍的な性」と「多様な性」を
混同しない、その前提で啓発や教育をすれば、理解されると思うのです。

少なくとも私はそんな生き方をしています。
相手に解って! ではダメだと思います。

ながながと失礼いたしました。

投稿:ポルタ キッズ 2013年06月28日(金曜日) 15時06分