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【出演者インタビュー】桂 あやめさん「場面緘黙。周りが特別な目で見るから抜け出せないというのはあると思いますね」

2015年06月23日(火)

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5月28日放送(6月4日再放送)
WEB連動企画“チエノバ”
―話したいのに、話せない…“場面緘黙”を知っていますか?―
ご出演の桂 あやめさんにメッセージをいただきました。


《桂 あやめさんプロフィール》
落語家


――小学生のころに場面緘黙で苦しんだという桂さんですが、収録を通してどのようなことを考えましたか。

場面緘黙の子どもは200人に1人くらいの割合でいて、学年に1人や2人はいるという話を聞いて、そんなに多いんだと驚きましたね。当時、そんな子は私だけで、世の中のほかの子はみんな普通に遊んだりしゃべったりしていると思っていましたから。でも、そんなにたくさんの人が悩んでいるんだったら、もう解決法ができていそうな気がするのに、まだ理解も広がっていなくて、未だにつらい思いをしている子がいる。そう考えると、私が当時の経験をしゃべることで、何かのヒントになったらいいなと思いますね。


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――桂さんはどのようなきっかけで話せるようになったのですか。

学校に転校生が来たんです。その子は私がしゃべれないというのを知らないから、普通に「ねえねえ、これ教えて」とか話しかけてくれて、それがきっかけだったんですよ。ほかのクラスの友達は、「なあ、しゃべってみて」とか、返事ができないでいると「もうええわ」とか、「返事せえや」と言ってきて、それがしゃべれない原因にもなってしまっていたんです。当たり前に当たり前のことをしゃべる機会がなくなっていたんですね。クラスだと周りから特別な目で見られるから抜け出せなくなるというのはあると思いますね。

――声に出せないだけで普通にいろんなことを考えたり、見たりしてるということですね。

ええ。だから、マグマのようなものは自分の中にものすごくたまっていました。私はたまたま絵を描いたり歌を作ったり表現することが好きで、今の落語もその頃にぶわーっと考えていたこと、妄想していたことの延長線上だったりもするんですよ。だから、しゃべらないからこそものすごくいろんなものを見ていたりもすると思いますね。

――今は人前で話をする落語という仕事をしていますが、そこに至るにはどのような経緯があったのですか。

小学校3年生の時にしゃべりだして、4年生くらいになったら目立つ感じになって、5、6年生になると人と違うことをするのが好きになって、という感じです。小学校の同窓会で集まったらみんな活発な私しか覚えていないんですよ。しゃべらない私にいじわるを言っていた子まで、おとなしい私をぜんぜん覚えてなくて、落語家になりそうな感じの子だったよねと言われるんです。
ただ、小学校の低学年の時の先生はあの時の私を覚えていて、今でもお付き合いがあるんです。地元・神戸で初舞台を踏んだときには見に来てくれて、今でも応援してもらっています。きっと私が悩みの種のひとつでもあったんじゃないかな。この子を何とかしよう、みたいな。幼稚園の先生が私にしゃべらせようとお遊戯会で言葉の多い役を与えたように、その先生は先生なりにきっといろんな努力をしたと思います。でも、「あなたのためなのよ」というというのは私すごく苦手で、普通が一番いいんですよ。「なあ消しゴム貸して」みたいなね。

――苦しんでいる当事者には、どのような言葉を伝えたいですか。

「無理せんでええよ」ということ。そして、自分の好きなことをすればいい。このことならワクワクできるというものを一生懸命していれば、無理やりコミュニケーションをとる必要もないし、そうしていると同じ思いを持った仲間ができるはずです。だから、自分のペースで自分の好きなことをすればいいと思いますね。しゃべれるようになるきっかけはホンマに今日やってくるかもわからないから、あせらなくていいと思います。



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