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わざと話さないわけじゃない。専門家に聞く、場面緘黙(かんもく)について知っておきたいこと

2015年05月28日(木)

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場面緘黙について、「かんもくネット」代表の角田圭子さんにインタビューしました。「かんもくネット」は、場面緘黙の当事者や経験者、保護者、支援者の情報交換ネットワーク団体です。また角田さんは、臨床心理士として場面緘黙の子どもたちの支援の現場にも関わっています。
イラスト:ウエタケヨーコ

 

1.場面緘黙とは、一般的にどのようなものですか。人によって症状に違いはあるのでしょうか。

 

 

●場面緘黙とは、家などではごく普通に話すことができるのに、例えば幼稚園や保育園、学校のような「特定の状況」では、一ヶ月以上声を出して話すことができないことが続く状態をいいます。

 

●アメリカでは、「話せない症状」に注目した診断基準が用いられています(DSM-5)。典型的には、「家ではおしゃべりで、家族とのコミュニケーションは全く問題ないのに、家族以外や学校で全く話せないことが続く」状態です。

 

●子どもが自分の意思で「わざと話さない」と誤解されることがありますが、そういう状態とは全く異なります。

 

●近年、「不安症や恐怖症の一種」と捉えられるようになってきました。
発話だけでなく、表情や動作での意思表示、動作表現も抑制される場合もあります。
私は「不安や緊張のために、本当の力を人前で発揮することができにくい状態」と説明します。

 

●人によって症状(話せない場面・程度)にかなり差異がありますが、話せない場面のパターンはその人ごとに一定しています。

 

●家庭では誰とでも自然な会話ができるのに、学校の校門を入った途端に先生とも友達とも話せなくなる子どもがいます。園や学校で、友達とは少し話せるけれども、先生がいる場面では全く話せない子どももいます。体が思うように動かせない緘動(かんどう)という状態になる子どももいます。診断基準にこだわらず、支援が必要かどうかを考えることが大切です。

 

 

 

2.どうしてこのような症状を発症するのでしょうか。

 

 

●私はこの症状を説明する時、
「いろんなところに気をつかっちゃう、繊細なタイプがおおい」
「本当の力を人前で発揮することを避ける『くせ』がついちゃってる状態」と説明します。

 

●近年、場面緘黙は、「不安症や恐怖症の一種」と捉えられるようになってきました。
「話すのが怖い」のではなく「自分が話すのを人から聞かれたり見られたりすることに怖れを感じる」ととらえて支援を行なう考えが主流となっています。

 

●原因や発症メカニズムはまだ研究段階です。
発症要因(原因)は、『不安になりやすい気質』などの生物学的要因がベースとしてあり、そこに心理学的要因、社会/文化的要因など複合的な要因が影響しているのではないかと考えられています。(子どもによって発症要因や症状に影響する要因が異なることがわかってきました)。
多くの子どもが、脳が新しい刺激に敏感に反応する「行動抑制的な気質(注1)」を元々もつという仮説が現在は有力です。不安が高まりやすく、行動が慎重となるため、環境に慣れるのに時間がかかります。

●入園や入学、転居や転校時などの環境の変化により、不安が高まって発症することが多いようです。クラスでの先生からの叱責やいじめがきっかけとなることもあります。

 

一旦話せないことが続くと、「自分が話し出すとみんながなんていうだろう」など、注目されるような気がして勇気が要ります。話さないでいる方が不安レベルが下がるため、この症状が定着するのではないかと考えられています。話さないでいると、人との交流の機会が減り、より話しだす機会が減ってしまいます。そのため、子どもをとりまく周囲の理解と環境が大切です。

 

(注1)ケイガン(Kagan 1989)は、乳児の気質に関する研究の中で、見知らぬ人や慣れない状況に適応するのに時間がかかる乳児を”行動抑制的”としています。全体の10~15%の子どもがこの気質を持つグループに属しており、近年の研究結果によれば、”その傾向は生涯続く”ということが示されています。

 

 

3.場面緘黙には主にどのような類型があるのか教えてください。

 

 

イギリスの場面緘黙支援の第1人者マギー・ジョンソンさんは、場面緘黙の症状がある子どもを5つのグループに分類しています。

 

① 場面緘黙傾向
② 純粋な場面緘黙
③ ことばに苦手がある場面緘黙
④ 複合的場面緘黙(発達的問題や心理的問題の合併)
⑤ 遅発発症の場面緘黙(学校での孤立やいじめによる発症が多い)
5つのグループの分類は、支援のために分けられた分類です。日本ではまだ研究段階で、文化差があるかもしれませんが、私はこの分類は、周囲が理解・支援するときに有効だと思います。
 

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4.遺伝や、親のしつけなどは関係あるのでしょうか。

 

 

●場面緘黙を「家庭環境のせい」と考えるのは誤解です。
過去の海外研究でも「虐待」や「トラウマ」に関連付けられてきましたたが、ほとんどの子どもに関連しないことがわかり、海外メディアでも啓発が盛んにおこなわれています。

 

●発症には複数の要因が関わっており、子どもによってその要因がそれぞれ異なることがわかっています。
現在は、不安になりやすい気質、発達的問題(感覚統合・ことばの苦手・知的発達など)や、
環境要因(入園入学、転校、バイリンガル環境等)、など複合的に関係しているといわれています。

 

●先生は「親の過保護のせい」と考えがちです。
子どもが人前で話せなければ親が心配そうにするのは当たり前です。
親も不安になりやすい繊細な気質をもつ場合が多いです。
周囲から親が「過保護」「心配し過ぎ」と言われて傷つき、親も孤立しがちです。
子どもの一番の理解者になれるのは親と先生です。親と先生が協力しあうことで、子どもへの必要な支援が始められます。
「必要な支援」を行ったうえで「子どもの成長の伸びしろへの手出し(過保護)」も控えることが大切と思います。

症状改善や2次的問題予防には、親や先生、友達など、周りの人たちの「場面緘黙への理解」が大きく影響します。

 

 

5.ただの人見知りや恥ずかしがりとは、どう違うのでしょうか。

 

 

●人見知りや恥ずかしがりとの違いは、
「そこで話せない症状が何カ月、何年と長く続くこと」
「リラックスできる場面でも話せないことが続くこと」です。
この症状のために、本来持っている様々な能力を、人前で十分に発揮することができにくくなります。

 

■場面緘黙の見分け方、チェックシート
判断の基準は下記の2つ(A・B)です。しかし、基準には必ずグレーゾーンが生じて線引について悩むこともあります。場面緘黙の基準に当てはまらず、少し話せる子どもや小声でなら話せる子どもに対しても「場面緘黙への支援が有効か・支援が必要か」という視点が大切と思います。少し話せる場合、かえって支援が受けにくく症状が悪化することもあるからです。

 

A
①「園や学校で、1カ月以上先生と話せないこと」または
②「園や学校で、1カ月以上友達と話せないこと」または
③「園や学校で、1カ月以上、複数の人の前で音読や発表やスピーチが全くできないこと」

B「家庭でごく自然に話せていること」←このアセスメントがかなりむずかしいです。

 

●補足
Bについて1:基準について、場面緘黙と区別が必要な状態は下記です。
・家庭を含むすべての生活場面で話せなくなる状態を全緘黙といいます。ショックな出来事の後に急激に全緘黙となった場合は、「トラウマ性緘黙」といって急性のストレス障害であり、場面緘黙とは異なります。
・「失声症」は、ある日突然声が出なくなる症状ですが、思春期や更年期の女性に発症が多く、場面緘黙とは異なります。
・「けいれん性発声障害」は、声帯の過緊張と声門の過剰閉鎖のために、声がとぎれとぎれとなる発声障害で、場面緘黙とは異なります。
・うつ症状のために全般的に会話意欲が失われている場合は、場面緘黙とは異なる対応が必要です。
・家庭で身体的虐待や精神的虐待がある場合、場面緘黙や場面緘黙に似た状態を示すことがあります。この場合は、家庭への福祉的支援等が必要です。
・場面緘黙への対応や支援が十分でなく、緘黙の範囲が広がって全緘黙の状態となることがまれにあります。

 

Bについて2:基準について、場面緘黙の症状の子どもがあわせもつことが多い状態は下記です。
診断の有無にかかわらず、苦手なことへの支援や対応が望まれます。
・吃音や言葉の理解、言語表現について、ことばに苦手がある場合は、言語面への支援が必要です。
・ASD やLD、ADHDをあわせ持つ場合は、それらへの理解や支援が必要です。
・子ども自身が、自分と周囲の違いに気づく時期から、うつや社交不安症などの不安症のリスクが高まります。家庭と学校など周囲の理解が必要です。

 

 

6.場面緘黙は、お医者さんや学校の先生から「大人になったら自然と治る」と言われてしまうことが多いそうですが、どうなのでしょうか。

 

 

●場面緘黙は、早期発見と対応が大切です。
場面緘黙の子どもは、おとなしい子どもが多く、
園や学校で先生が困るようなめだつ問題行動がないため、支援が受けにくく、そして、見過ごされがちです。

 

●場面緘黙は、子どもによって症状や症状の背景にある問題は様々です。
しかし、先生は自分の経験や自分の見聞きした改善例に基づいて、
「場面緘黙は自然に治るから大丈夫」と言われることが多いようです。
自然に改善したように見える事例でも、しっかり検証すると、偶然、環境が治療的に設定でき、本人のものすごい努力でスモールステップにチャレンジしてきたケースが多いと思います。

 

●場面緘黙への支援を受けずに成長すると、症状改善が遅れるだけでなく、うつや他の不安症状、不登校や人間不信などの二次的な問題が生じやすくなります。

 

場面緘黙の子どもは、自分でも自分がなぜ話せなくなるのかわかりません。
それなのに、人から「なぜ話さないのか?」と問われます。
周囲の理解やサポートがない幼稚園や学校生活は、緊張の連続です。
腹痛や頭痛などの身体への影響、誤解や理不尽な扱いに、悲しみ、無力感、自責感、孤立感、自分への怒りが生じます。
先生のサポートがなければ、いじめを受けるリスクも高くなります。
話せないことから、社交スキルやコミュニケーション力の練習機会も狭まります。
そのため、うつや他の不安症状、不登校や人間不信などの二次的な問題が生じやすくなります。

 

●10歳を過ぎて中学卒業までの時期は、症状の改善が困難な時期と言われています。この時期の小さな症状改善は、本人の勇気あるチャレンジによるものです。10歳以降は症状改善のためのスモールステップは、本人に相談しながら、本人主導で行うことが大切です。学習への支援、発話できる範囲の維持、楽しめる場所や活動の確保を心がけ、症状改善よりも、二次的な問題への予防に焦点を置く方がよいことも多いです。

 

●場面緘黙の改善には、長期間の支援が望まれます。学校で声が出るようになった後も、社交スキルや会話力をゆっくりと獲得していくプロセスで必要なことが多いからです。
 

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7.「もしかして…」となった時、どんな機関に相談するのが良いのでしょうか。また、どのような治療法が有効なのでしょうか。

 

 

●相談機関
・子どもの場合はまず、園や学校の先生、それからスクールカウンセラーに相談しましょう。
その際に、かんもくネットのリーフレット等をもっていっていただくと、話しやすいかとおもいます。親は学校に協力を求める時に苦労が多いと思います。かんもくネットの書籍をご参照ください。

・それから不安症や発達障害に詳しい医師や心理士、言語聴覚士がいる発達センターや教育センター、クリニックにも相談するとよいと思います。

・場面緘黙は専門家の間でもあまり知られていないので、うまくいかないこともあるかもしれません。
でも親は一人ずつ、場面緘黙や子どもの状態の理解者を周りに増やしていきましょう。

・大人の場面緘黙の治療や支援はまだ行われていないのが現状です。「社交不安症」に詳しい医師や心理士に相談すると、場面緘黙の理解がある人に会える可能性があります。緊張のために人と話せない症状は、「社交不安症(社交不安障害)」の症状の一つでもあります。社交不安症も日本ではあまり知られていませんが、セルフヘルプグループの動きもあるようです。また、場面緘黙当事者団体も出来てきました。

・就労については、診断を受けて福祉就労枠での就職をする人もきくようになってきました。就労支援センターやハローワークで相談してみましょう。

・親の会や親子の交流会、当事者の会で情報交換したり、交流したりする動きがここ数年で活発になってきました。そんな親子と当事者や経験者とのつながりはお互いの力や成長になると感じています。

 

●有効な治療法
「専門家だけで治せる症状」ではありません。
家庭と学校が協力して、まず「安心できる環境」を調整することが最も大切です。 
研究では、不安が低い場面からスモールステップでチャレンジを進め、活動参加、動作、発話ができる場面を増やしていく行動療法的アップローチが最も効果的とされています。「家庭での会話」を「学校での会話」へと段階的に広げていく取り組みです。
人との楽しい交流体験や、何かができるようになった経験をたくさん積んで、自信をつけていくことが大切です。

 

この方法は、「自転車の練習」に例えられます。自転車に乗るのを避けていては、自転車はうまくなりません。逆に、いきなりロードレースに参加しても怖い思いをするだけです。補助輪をつけたり、人に支えてもらったりしながら、少しずつ怖くなくなるようにチャレンジします。周囲ができることは、周りの環境を整えること、その子が楽しんでチャレンジできる練習方法を提案してあげることと思います。

●米国では、極微量のSSRI(抗うつ薬)で不安をさげて、このようなスモールステップとくみあわせる方法がももっとも有効と言われています。

 

 

8.家族や身近な人に場面緘黙の人がいたら、私たちはどうやって接したりコミュニケーションをとったり、支えてあげることができるでしょうか。

 

 

●話さないことを責めないでください。特に、不安が高すぎる場面で発話を強要しないでください。
答がかえってこなくても、暖かく話しかけてあげてください。さりげなく仲間に入れてあげて下さい。返事は返せなくても、とてもうれしいと感じているはずです。
言葉を用いなくてもできる、いろんな遊びをいっしょにしましょう。筆談が出来る場合は、書くコミュニケーションを促してあげて下さい。最初は「イエス・ノー・わからない」や単語で答えられるような事柄がよいかもしれません。

 

●小学校のクラスでは、「なっちゃんの声」という絵本を用いて、場面緘黙の理解の広げるための活動が行われています。

 

●子どもの場合は、家庭と学校が密に情報交換することが必要です。特に行事は、前もって絵や写真、映像をしめして説明してあげたり、実際に足を運んでおいたり、スケジュールや対処法を家庭と打ち合わせしておきましょう。子どもと先生の交換日記やメール交換もお勧めです。信頼感がまして先生との筆談へと発展さらせられることもあります。

 

●場面緘黙の子どもには、目立たない支援が大切です。
カードによる支援やホワイトボードは、めだつためにうまく活用できない場合が多いようです。他の子どもにも同じようにすると、上手くいくことが多いようです。たとえば出欠時は返事するとき手を挙げる、紙に書かせてから発表する(場面緘黙の子は友達と一緒に読む)、全員が黒板に貼りにいく、伝達事項を付箋に書いてわたすなどの方法が有効なこともあります。
自分から動作するよりも、応答する方がやりやすい場合が多いです。
モデルを示したり、スタートを促してあげたりすると、うまく動作できることもあります。

 

●不安が高すぎて発話にチャレンジできそうにない場面では、筆談や指さしによる選択、交換日記やメール交換などのコミュニケーションを練習してみましょう。書くことであってもとっさには困難だったり、時間が必要なこともあり、前もって打ち合わせが必要なこともあります。
●大学や高校入学にあたっての支援も保護者個人からの相談に限定されてるのが現状です。今後、啓発が進み、筆記や指さしを用いた発表、メールやWebを利用したコミュニケーションなど、支援方法が発展していくことを望みます。このような方法を用いて、当事者を交えての講義・研究が行われてる大学があります。

 

●成人の場面緘黙の方もおられます。場面緘黙という「症状」を知らず、「自分の性格」と考えて、話せない自分を責めているケースもあるのではないかと思います。場面緘黙が改善した後、コミュニケーションの苦手や不安の高さを抱えている人もいます。(ある海外研究では、なんらかの支援を受けた子どものうち、症状が完全に改善した者は約4割でした。全体の約7割の者がかなり症状改善しましたが、改善後も知らない状況や初対面の人との会話、電話での会話への恐怖等なんらかのコミュニケーション上の問題が残る人が多くいました。今後、インターネットや書籍、マスコミ報道によって、少しでも啓発や理解が進むことが望まれます。
●「状況によって声が出づらいです」というカードを携帯しておくと、緊急時に使えることもあります。
http://kanmoku.org/news/News201200519.html

 

■上記の項目に書き切れなかったことで、これは伝えたいということがあれば、ぜひこちらにお書きください。
国際化、情報化、産業構造の変化から、教育や就労においても、話して伝える「コミュニケーション力」が重視されています。コミュニケーションはもちろん大切です。でも、明言せず相手を察する文化の中で生きてきたのが日本人。一昔前は、黙々と勤勉に働くことが美徳とされていましたよね? 急速な環境変化にあわせることが苦手な子どもや人もいる。そんなことを認められる、優しい社会になることを願っています。

 


参考資料・文献:かんもくネットHP:http://kanmoku.org/
かんもくネット(著)角田圭子(編)『場面緘黙Q&A―幼稚園や学校でおしゃべりできない子どもたち』2008
はやし みこ (著), 金原 洋治 (著), かんもくネット (編)『なっちゃんの声ー学校で話せない子どもたちの理解のために』2011
はやし みこ (著), 金原 洋治 (監修), かんもくネット (編)『どうして声が出ないの? : マンガでわかる場面緘黙』2013
らせん ゆむ (著), かんもくネット『私はかんもくガール: しゃべりたいのにしゃべれない場面緘黙症のなんかおかしな日常 』2015
ローズマリー セージ,アリス スルーキン(著)かんもくネット(訳)『場面緘黙へのアプローチ(DVD付)』2009
Angela E. McHolm ,Melanie K. Vanier,Charles E. Cunningham (著), 河井英子・吉原桂子(訳)& 1『場面緘黙児への支援―学校で話せない子を助けるために』2007



【関連情報】場面緘黙について
「こころの支えになったこと」「言われて嫌だったことば」~場面緘黙(かんもく)、当事者・家族の"声"から~
”場面緘黙(かんもく)の悩み、ありますか?ーーハートネットTV・カキコミ板
・場面緘黙についての様々な情報はこちら (当事者・保護者・支援者向けの情報交換サイト)
  “かんもくネット” (外部リンク・NHKを離れます)
  “かんもくの会”  (外部リンク・NHKを離れます)
 

コメント

私は緘黙と軽い発達の遅れの娘を持つ母親です。見た目は普通、少し話しかけて、あれって思うくらいでしょうか。娘は現在29歳です。2歳ごろから少し発語が遅いな、と思い就学前に公的相談に行きましたが特にこちらの言っていることも理解しているので問題ないでしょうとことでした。幼稚園から帰っても感想もなく、独り言を言っているおとなしい子でしたが一人っ子でしたのでなるべく大勢の中で過ごせるよう、水泳やガールスカウト、テニス、合気道、その他さまざまなお稽古に行きました。小さい頃はみんなといることだけで楽しそうな顔をしていました。結局水泳だけは続けて現在に至っています。小学2年生ごろから療育関係で見てもらいましたが、そのうち、そのうち、とか、年齢が上がればいやでもしゃべるとか、IQが多少低い、という診断で支援もありませんでした。親心ではありませんが、緘黙で話せない、返事ができないということが余計IQが低いということになったようでした。今から25年前でしたがパソコンでいろいろ調べました。今のように緘黙と入力してもヒットすることはほとんどなく、たどり着いたのは「教育現場における緘黙者の支援」といった内容の本でした。私にはとても参考になりましたが教育現場の先生にはほとんど相手にされませんでした。先生に娘の日記を見てもらうお願いをしても、いろいろな子がいるから特別扱いはしませんとか、声がけをしてください、背中を押すように勇気を持たせてください、とお願いしても、「しません」という返事がっ帰ってきたときには驚きましたが、きっと先生は緘黙とわ知らず緘黙当人が自ら話せるのを待つためだったのでしょうか?  学齢が上がるごとに親子も深刻になってきました・
結局支援の場は全くありませんで、通信制の高校を何とか卒業しました。
しかし、困難なのはこの後でした。 就労に至っても支援機関に発達障害に分類されている緘黙の主な症状のコピーを持参してみていただき理解していただいてから始まりましたが、なかなか緘黙の知識は福祉、支援者にはほとんど無いのが実態でした。時には診断書がないと実習できないから、診断書を用意するようにということもありましたが、小さいときから精神科にかかっていたわけではないので、近くの精神科に問い合わせても緘黙はよくわからないという返事でした。結局就労にあたっては実習は住んでいる自治体によって違うので、させてもらえませんでした。 
人との関わり、話すことが苦手なので、娘と一緒にボランティアをしたりしてなるべく娘と一緒に人とかかわる行動をとったこともありました。 人によっては母子分離などといわれましたが。 緘黙は人によって違いがあります、これが処方などということはありませんが、話したくても声が出ないことを理解してもらうのは難しく、時には興味本位で顔を見られることがありますがそれはいたたまれないことです。娘は今TVバリバラで緘黙症の映像を自分に重ねて、冷静に観ています。 小学校の時にはなぜしゃべらないのかといって、いじめを受け、また支援機関に行っても興味本位でみられ、療育手帳を取る時にも、判定問題に答えられずに深刻な知的障害とみなされました。 就労期間では面接に同席していただいた支援機関の担当者に緘黙と言ってはいけない。言い訳だから言わないようにとくぎを刺されたというのです。 私は娘には強弱を交えて社会に適応するよう緘黙と向かい合ってきました。 日常の些細なことから少しづつ話せるような環境を作り時間をかけて時には一緒に、時には突き放して一人で最小限の会話ができるような環境を与えたりしてきました。  長々と話しましたが今回角田さんがインタビューされた方々ほとんどのことを経験してきましたが今のような支援や、友の会の輪はなく時間がかかりました。 そして今年やっと本人の希望する一般の会社に障碍者枠で入社でき、今やっと社会人としてスタートしています。 就労先の担当の方がとても良い方で達成感があるようで一生懸命やっているようです。
就労、支援、福祉関係の方々の緘黙への知識、理解そして少しでも声がけして緘黙者と人間関係の構築ができるようになることを本当に願っています。 話したくても話せないという心の声を聞き取ってあげてください。決して興味本位でなく。 自信をもたせてあげてください。一番の難関は社会に出ることです。 長い道のりでしたが、娘もまだこれからいろいろあると思います。緘黙が治ったことではありませんが、とりあえず就労できたことで今はこれからのことを考えます。

投稿:Riko 2018年02月20日(火曜日) 15時04分

【場面緘黙症、でしょうか?】

就職活動を控えた都内の大学3年です。

就職活動に向けて面接の練習を始めたところ、緊張のあまり「適切に話さなくては」「早くスピークアウトしなくては」と焦り、言葉が出ませんでした。そして自分の人生を振り返ると、言葉が出ないことが今まで多くあったことに気が付き、慄然としています。

言葉がのどまで来ているのに、なぜか口から出てこない、まさにその感触です。
幼少期から「意欲の不足」「認識の甘さ」「自分の弱点」を指摘される、詰問する口調を聞くことになる、という恐れを感じると、全く思考が出来なくなり、話せなくなります。その時のことを思い出そうとすると「あ、あ、あ」しか話せません。

他人とたわいもない話をするのは問題ないですが、頼み事をする時に「他人の手を煩わせる(→詰問される)」という恐怖を感じ、頼むのにとてもエネルギーを使います。

上記のように自分で分かるということは、改善の余地はあると思いますが、その方法が分かりません。今日「場面緘黙」という言葉自体初めて知りました。自尊感情がことごとくなくなりそうですが、自分の状態を知ることが出来る場所に相談して、解決させます。

特集、ありがとうございました。

投稿:19卒就活生 2017年12月08日(金曜日) 19時48分

何もわかってねえ。
普通の人は喋るという行為が出来る上で喋らないと思って居るのだろうがそれは違う。
そうではなくて喋るという行為そのものが出来ない。
何故なら喋れる位置にピントがあってないから。
そういう人に対して喋ることを強要すればするほど喋れなくなりますよ。

投稿:ぽん 2017年10月28日(土曜日) 11時59分

私の周囲にも、うまく話せないお子さんが居ます。
今、思い返せば、中学三年の時の同級生もそうだったのではないか、と思い当たる方もおられます。
私は現在44歳で、小さな時は泣いてばかりいる子供でした。
挙手による発言なども確かに嫌でした。
でも、そうばかり言っていては始まらない、自分をなんとか変えたい一心で今の社交的な自分を手に入れました。
本やアニメの主人公を心に思い描いて、好感度の高い人をイメージトレーニングしてました。
今はすっかりおしゃべりおばさんです(笑)
話すことがツライ人の気持ちもわかるので、こちらから話しかけたり、話題の提供も出来るようになりました。
ただ、話かける方も勇気を持って話しかけていることを知ってください。
強気で、明るく、社交的な人だからと言っても、相手から返事がないことが続くと、傷つきますし、力になりたいと思っていても、私は必要ないんだな・・・と感じます。
話せないことを伝えるか、話そうと努力している最中なんだということをなんとか伝えてほしいです。
会話は上手・下手ではなく、伝えようとする気持ちなので、声が小さくても、文章になっていなくても、単語だけでも、全く問題ありません。
お互いにどうすれば気持ちの交換ができるのか、模索しあいたい、と思う今日この頃です。
何とか、身近に練習させてくれそうな人を見つけて、チャンスをみつけては話しかけて見てください、率直に練習させてください、って言えばいいです。(まあ、それが言えたら苦労はない・・・)
でも、やっぱり、絶対に話せる方がいいです、誤解されたままの人生なんて損です!

投稿:まきこ 2017年07月28日(金曜日) 22時43分

私は12歳です。この間までしゃべらなかったんですが、勇気を出したら、しゃべれました。

 私は小2から話せなくなりました。それは、発表するときに緊張してしまい、うまく話せませんでした。それからなんとなく話せなくなってきました。

 でも5年生の時、ある男の子が「普通にしゃべってみたらいいじゃん」と言ってきました。それから私の友達に相談してみました。
でもどのタイミングでしゃべったらいいのかな…と思いました。

 6年生になった時、たまたま日直が当たったのでこれはチャンスだ!!と思い、何回も心の中で自分で言うと練習しました。

 そしたらちゃんと「自分で言う」と言えました。それから友達もできました。私はしゃべったらこんなに得するんだと思いました。しゃべって本当に良かったと思います。

投稿:ぽんちゃん 2017年07月06日(木曜日) 19時14分

初めまして。
私も小、中学と学校でまったく話すことが出来ず、不登校でした。
高校になり、少しずつ克服して、アルバイトしたり、友達、恋人もできました。
自分でも今まで理由がわからず、何で話せなかったんだろうって疑問に思っていたら、こちらのサイトを見つけました。
私も、話すことが怖いというより、周りに話している内容や表情を見られるのが怖かったです。
まだ今でも大人数で話すのは苦手で、一対一で話すほうが好きです。
一対一だと、第三者から話している表情などを見られることがないから楽なんだと思います。
でも、ただの自意識過剰だと片付けられていたので、病気だなんて思ってもいませんでした。
小、中学では喋りたいのに喋れなくて、周りからも「喋らない人」というレッテルを貼られ、時々勇気を振り絞ってかすかに喋ると、男子などが「うわ!?喋ったー!!??すげぇー!」などと珍しがられ、本当に辛かったです。
今から思えば、何でだろう?って思えても、その時は自分でも理由がわからないので本当に辛かったです。素直に自分の気持ちを言い合える友達が欲しかったです。
でも同じような人が居るってことですごく勇気が持てますし、私自身これからも克服に向けて頑張っていこうと思います。
自分を否定するのではなく、まずはそんな自分を自分自身が理解することが大切だと思います。

投稿:しそ 2017年06月14日(水曜日) 21時06分

六年生の息子の事です。家でも学校でも自分の興味のある事、楽しく思える時は物凄く大きな声でテンション高く楽しく過ごす事が出来ますが、挨拶や普段の会話、人に話しかけられたり、自分の考えを求められた時は、すぐに対話できず、2、3度同じ事を言われてやっとうなずくか小さな声で回答するしかできません。挨拶は大きな声で、返事は大きな声でと度々言われると更に小声になり、ポロポロと涙を流し放心状態です。忘れ物や勉強も、日常生活もすべてに声かけし、フォローしないと駄目です。毎日こんな状態なのでガミガミ怒ってしまうばかりで、本人はかなりのストレスがあると思いますし、私自身も本当は叱りたくない気持ちで滅入ってしまいます。同じ様な悩みをお持ちの方いますか…

投稿:ムーン 2017年06月02日(金曜日) 22時34分

小学一年で一度の遅刻を理由に担任から叱責を受けた事が原因で学校で話せなくなりました。
不登校続きでしたがその後運良く緘黙に理解ある教師に出会い、クラスメイトの支えもあったため中学では普通の生徒のように振る舞えたと思います。ですがやはり新学期や部活など新たな場所で緊張してしまい緘黙の症状が現れ始め、やっぱり学校生活は無理だと思い退学しました。
自分の性格的な弱さのせいだと思うためにどうやって生きていけばいいのかわかりません。
自分に対する認識が不確かで人前に出ると自信を失い恐怖を覚えます。
自分は病気でこうなっているのか、母の言うように根性が足りないのかわかりません。
仮に心的ストレスが原因だとしても寛解という形で一生付き合っていかなければならないでしょうか。

投稿:梨沙 2017年03月19日(日曜日) 20時52分

私も、幼稚園から小学校まで家族や幼なじみ以外の人とは全く喋れませんでした。幼稚園は辛くて毎日泣いていた事を今でも覚えています。小学校に入ってからは授業中の発言が一切できず、音楽の歌のテストも歌えず、先生からはため息をつかれ、ますます辛い状況になり不登校も経験しました。
クラスメイトからも変わり者と見られ、先生からも、喋らない困った子として不当な扱いをされた事を忘れられません。
今、私は40歳です。最近まで場面かんもくという言葉も知りませんでした。いまだにコミュニケーションは苦手で、発言しなければならない様々な場面に不安を感じる事が多いです。
電話に出なければならない仕事も、できません。
でも、公の場では一切話せなかった幼い頃に比べたら、「人見知りな少し変わり者」ぐらいに改善されていると思います。

投稿:ひーこ 2017年03月02日(木曜日) 22時58分

自分は中学1年からの症状だと思います。もともとは軽度の人見知りで、何日か過ごしたら打ち解けられる子供でした。小学6年生の集合写真では真ん中に写るほど明るかったです。ですが、中学入学の時に人見知りで数人しか友達を作る事が出来ず、ある日体育の時間に数人のグループの中心的な子の顔面にボールぶつけてしまい、何回か謝り、大丈夫だよ。と笑顔で言われ安心しましたが、次の日から誰に話しかけてもなぜか無視や逃げられたり、される状態が続き結局一年間一人になりました。その時人に話しかけるのが恐くなりました。2年生からは同じ部活の友達と過ごしていましたが、その友達が風邪で休んだりすると、誰とも喋れませんでした。今、自分は高校生です、今、自分は喋る事が出来ないので教室に友達が一人も居ません。大好きだった体育の授業もペアを組んでくれる人がいないので、鬱です。壁とやって、馬鹿にされてます。移動教室などで一人で歩いていると馬鹿にされます。自分が近くにいると霊が移る!とか意味不明な事を言われます。自分は何故自分が喋れないのだか分かりませんでした。ですが、今、分かってよかったです。もっと周りも理解してくれればいいと思います。自分と同じような症状に悩んでいる人が居ることを知り、自分だけじゃないと分かりました。一緒に頑張りましょう!

投稿:円堂 2017年02月22日(水曜日) 23時20分

現在中学2年生の女子です。

私も皆さんと同じように場面緘黙症で、小学生の頃から全く喋ることができませんでした。
初めは自分がなんで喋らないのかとか、とくに考えていませんでした。まわりからは毎日のように「なんで喋らないの?恥ずかしいの?」と、おそらく人見知りか何かと勘違いされて聞かれていましたが、自分ではかんがえていませんでした。

小学1~2年生のあいだ、私はとある男子から嫌がらせを受けていました。そして最悪なことに、私はその男子と2人でとある使われていない教室を一緒にや掃除することになってしまいました。もちろんその男子は、掃除の時間に私の顔をつねってきたり、蹴ってきたり、少しだけですが性的な方面の嫌がらせを面白がってやってきました。あるときには、私は無実なのに罪を被せられたりしました。否定しようにも場面緘黙症なので事実を伝えることはできず、最終的に私のせいとなって先生に怒られました。その日から先生からの信用もなくなったような気がし、誰にも打ち明けられなくてただひたすらに辛かったです。ですが3年生になったとき、その男子は奇跡的に転校することになったのです。さらにその時、私に唯一優しくしてくれる子が現れ、その子が友達になってくれました。

そんなこんなで生活をしていて、6年生になったある日、私は友達に言われて初めて、何故自分が喋れないのかが自分でもわからないということに気がつきました。その友達は3年生の頃に仲良くなった子ではありませんが、親友と言えるほど仲もよく、私はある程度ですが、まわりともコミュニケーションを取れるようになっていました。そして気になって調べたところ、「場面緘黙症」だということを知りました。私は友達にそのことを打ち明けましたが、友達は説明しても「病気」ということをわかってくれませんでした。というよりは、それが例え病気でも、頑張って直せよ…という感じでした。

今も結局同じ状態です。その子は私の気持ちを何一つわかっていませんでした。もちろん、それは仕方ないことだと思います。多分その子は私のためを思って言ってくれているんだと思うのですが、私的には結局わかっていないのと同じだと思います。

私は今年、受験があります。高校に入るための進路相談や、面接の練習もあります。おそらく場面緘黙症の私にとって厳しい一年になるかもしれませんが、頑張ろうと思います。言葉には簡単に出来ても、実行するのが大変なのは場面緘黙症の私にはわかり切っています。それでも頑張りたいので、みなさんもできるところまででも頑張ってください。お互い頑張りましょう。

投稿:うみうし 2017年01月03日(火曜日) 17時33分

家の父親が
口数少なくなり
おしゃべりが
すごくきらいで
もう仕事も
やりたがらず
家にひきこもりで
テレビお見る回数が多くなつています
笑顔もなくいつもこわいかおお
します!やつパリ緘黙症でしょうか?治療法お 教えて下さい。

投稿:芳恵 2016年12月25日(日曜日) 15時51分

自身も幼稚園から中学を卒業するまで家族以外の人と話す事ができませんでした。人前で発表とかは普通にできたんですけどね。そのせいか周りから気持ち悪がられ小学校六年生の一年間は酷いイジメを受けていました。それで高校は同級生が誰も行かない所に入ってまるで別人のように明るく振る舞い友達も沢山できクラスのムードメーカー的存在にまでなったのですが、無理がたたったのかうつ病を発症し一年半で学校を辞めてしまいました。この病気の事をもっと早く知っていればと今は悔やんでいます。

投稿:ユウ 2016年12月08日(木曜日) 17時13分

私は幼稚園から小学校6年生くらいまで場面緘黙症だったと思います。(診断を受けたわけではないので定かではないですが)
場面緘黙という言葉を知ったのは、24くらいの時です。就いた仕事をことごとく辞めてしまい、逃げぐせがついてついていました。
次の仕事を見つけるまでにすごく月日がかかってしまい引きこもりのような時期もありました。
それが自分を見つめ直し、場面緘黙を知るきっかけにもなったので今となっては無駄じゃなかったと思っています。
自分を見つめ直すにあたって、やはり気になっていたのは幼い頃の話せなかった時のことです。
大人になっても人前で話すのが怖く、いつも涙声になって、注目を浴びることが怖く挙動不審でした。それもあって面接が怖くて、求人に応募することすら躊躇っていました。
また初対面の、特に年配の方と話すときは緊張からか泣きながら喋ってしまい、恥ずかしい思いもしました。
どうしてこうなってしまうのか、それを知りたくてネットで調べて現れたのが場面緘黙です。
書かれていたことを読んで昔の自分と、今の自分の状態にカッチリはまった時涙が止まらなかったです。それは悲しみでもあり、安堵からでもありました。
少なからず救われた気がしたのです。
でも知ったからといって誰かに話すことは出来ませんでした。
親はもしかしたら自分たちを攻めるかもしれない。それはいや。
友人にも言い出せず、今はSNSで場面緘黙を知ってもらいたいと投稿をしています。
大人になっても、不安感と戦っています。
でもこうして自分以外にもたくさんの辛い経験をしてきた人たちの文章を読んで一人じゃないと思えることができました。
多くの方にこの場面緘黙を知ってもらい、気付きのきっかけになればと願っています。
駄文失礼しました。

投稿:さとみどん 2016年12月03日(土曜日) 23時50分

自分は場面緘黙症と社交不安障害と診断され、治療して約5年ほどたちます。
昔から話さない子供だったらしく、親とも話すのが怖いです。

親は症状を知っているのにも関わらずちゃんとしろと言い、ばあちゃんは俺の症状など知ろうともしないで、勝手なことばかり言います。嫌になります。

前は、障害者雇用で社員になったんですが、うつも発症してしまい会社辞めて、今はB型で仕事しています。後々にはA型に行きたいと思い毎日頑張って行ってます。

行ってるとこの職員の人を好きになってしまい、話しかけられないので見てるだけなので辛いです。(´・_・`)

投稿:りょう 2016年12月01日(木曜日) 00時30分

私もものごころついた時から場面寡黙症でした。
小学生の時は6年間、3人以上での場では声を出せず、しかし5年生の途中で親友と呼べるような友達がやっと出来、その子と中学3年間一緒に過ごしました。しかしクラスではやはり気が合いそうな物静かな子以外とは会話出来ず、でも発表や合唱コンクールなどでは声の出せる子供でした。
中学2年生の時、静かすぎるあまりクラスの気の強い男子に悪口を言われていたのを覚えています。辛い経験はみんなの知らない場所で沢山経験してきて、黙って耐えるのに慣れてしまう、そんな子供時代でした。

そんな私が3人以上でも話せるようになったのは高校に入ってからでした。
普通科ではなく、専門の勉強ができるキャラの濃いクラスメイトが集まった科に入りました。みんながみんな個性豊かで、常識的な人が少なかったため私が発言しても変な空気にならない、この病気を治すのに丁度いい環境に入れたと思いました。

今は地元から東京に上京し、大学に通っています。1年次は女子寮に入りました。
そこは北海道から九州まで、幅広く様々な人たちがいました。
そこでまたリハビリのように場面寡黙を緩和させていきました。

今は退寮して一人暮らしです。未だに集団での会話には苦手意識をもつことが多いです。でも明らかに、幼少期とは比べものにならないくらい、今は場面寡黙症が治ってきています。
今場面寡黙症で悩んでいる人たちにも、この病気は環境の変化によって治るということを伝えたいです。

投稿:くろ 2016年11月30日(水曜日) 16時28分

私は中1で場面緘黙です。
小1から、人前で喋れなくなり、今も喋れません。
中学校の入学式に喋ろうと思ったんですけど、やっぱり喋れませんでした。
それから9月ぐらいまで、何も思わなかったんですけど、最近から何で喋れないんだろう?と思うようになりました。
いままで仲良しだった友達にも「何で喋らないの」などを言われて、すごくショックでした。
私は具合が悪く、学校を休んでいたんですけど、体調が治り、学校に行き、休み時間になったとき、いつもなら仲良しの友達が「遊ぼう」など、言ってくるのに、誰も来ませんでした。
学校が終わり、いつもは友達と帰りますが、休み時間に私に話しかけてくれなかったので、一人で帰ろうとしたのですが、なぜか、話しかけてくれました。理由を聞きたかったのに、話せないので、すごく悔しかったです。
帰り道では、友達に、「00ちゃんが優羽の悪口を言ってたよ」と言われました。その悪口は、喋らないからウザい、と言ってたそうです。
それをきっかけに、私は学校に行けなくなり今も不登校です。
私は喋りたい気持ちでいっぱいなんですが、なぜか声が出ません。
私は小3の時に引っ越しました。新しい学校なら喋れると思ったんですがやっぱり無理でした。
また、小5で引っ越し今度は喋ると思いましたが無理でした。
でも、今までは自己紹介や発表などもできなかったんですが、その学校では、自己紹介、発表などができるようになりました。すごく嬉しかったです。
さっきも言ったとうり、友達に悪口を言われ、不登校中です。
人の気持ちもわかってないくせに悪口なんか言うんじゃねーっていいたいです。私は学校には行きたいので、心の病気をもった子が行く学校に通おうと思います。書いたらスッキリしました。頑張ります!
長文失礼しました。

投稿:優羽 2016年11月16日(水曜日) 13時18分

場面緘黙症の子供を持つ母親です。
このような症状があることを知らず、内気なだけと思っていました。
実際、家庭や近所の友達とは大きな声で話、会話もしっかりしていました。ただ、幼稚園や学校ではほとんど会話をしていませんでした。
この症状がわかったのが、あと数カ月で卒業となった時、卒業生の送る言葉が全く言えず(今までの学芸発表会は数人と一緒に声を出すため、声を出さなくていいように先生が配慮してくれていました。しかし、このままに卒業は本人にもよくないと考えられたのか、今回は、厳しく指導しますと前もって連絡があり、私も了解して指導が始まりましたが、まったく声が出せず、その時に担任以外の先生から、場面緘黙症では、と指摘を受けその時始めてこの言葉を知りました。
先生から6年間声を出さないできた子が卒業式の、知らない父兄や在校生の前で発言は難しいだろうと判断していただき、二人で一緒に発表するように配慮していただきました。
この時期に、このことがわかったことで、中学に上がるさい、小学校からの申し送りで入学時は配慮していただき、また、高校進学時も申し送りがあり、高校でも配慮していただきました。
また、現在大学生ですが、大学進学時も障害やそのようにな事のある場合連携することもでき、入学時は私と学校で話をさせていただき、どのような状況かを話す機会を設けてもらいまいした。
今現在も大学ではほとんど話をしてません。
でも、バイトには行っています。バイト先は緘黙症のことは知りません。
どのように仕事をしているかは、あまり話さないのでわかりませんが。
私の子供は、わかったのが10歳超えていたのでなかなか改善が難しく、本人に自覚させ、本人が頑張るしかない状況ですが、10歳以下でそうかもと思われたら、専門の方に相談して改善は出来ると思います。
実際、小学校3年生のときに理解のある先生が担任で、少し改善出来そうでしたが、先生が一年間で転勤になり、もとに戻ってしまいました。
私の子供は廻りに大変助けてもらいました。
特に、学校では大変めぐまれ、どこもとても配慮していただきました。
そのおかげで、いじめや不登校にならず、学校生活を送ることができました。

投稿:緘黙症の母 2016年11月06日(日曜日) 20時08分

僕は、今小学生6年生です。4歳くらいの頃から全く家族以外には話さず相談場に1年程通いましたが、相談場の人にも、話せず目も合わせずに早くおわんないかなと思いながら通っていました。小学生に入学して、知ってる人が一人もいなかったのでもう話せると思ったのですがやはり緊張してしまい、全く話すことができませんでした。そして4歳頃から今まで幼稚園や小学校の友達にはほぼ全く喋っていません。現在も症状は残っていて全く喋っていません。けど先生や家族に支えられて毎日楽しく生きています。
場面緘黙症の方々一緒に一度きりの人生を楽しく過ごしましょう。
毎日楽しく過ごせるように一緒に頑張りましょう。

投稿:お魚 2016年10月26日(水曜日) 15時09分

僕も話したくても、話せない症状があります。話したいけど、皆の視線が来て、集中、出来なくて、ドキドキして話せないです。学校では劇の台本を読まないと、怒られますので、無理にしゃべり、しゃべりすぎで声が出なくなりました。つらかったです。

投稿:けいき 2016年10月19日(水曜日) 03時28分

兵庫労働局で働いていた場面緘黙症の非常勤女性の対応の件について取り上げてください

投稿:水無月 2016年10月14日(金曜日) 18時49分

最近、場面緘黙という言葉を知りました。幼稚園、小学校のあの時の自分は何だったのだろうと思い、ネットで調べました。おそらく小学校5年、6年生のときの出来事がなければ、今は気にしていなかったかもしれません。小学校5年生のときの担任は大学を出て、2年目の若い女の先生でした。おそらく私が人前でしゃべれない、手をあげて発言できないため、計画をたてたのでしょう。発言ボードなるものを作りました。その日発言しなかった児童は帰りの会の時間に、何か一言をいう、というものでした。手を上げて発言ができなかった私は、ほぼ毎日帰りの会に何か一言いいました。手をあげて発言はできなくても、その一言はいえたのです。そのうち、クラスの男の子たちが私が普通では無いということに気づき始めて、今でも思い出すと怒りがこみ上げてくるほど嫌なことを言い出しました。先生はどうしても私に発言してもらいたいらしく、次は発言表なるものを作りました。毎日1回発言すると、自分の名前のところにシールを1つ貼るのです。誰が発言していないか一目瞭然です。クラスでシールが1個も貼れてないのは私だけだったので、ますます男の子たちの嫌がらせはエスカレートします。
 今でも思う。先生があんなことをして場面緘黙の私を目立たせなければ、私は一生引きづるほど嫌な思いをしなかったのに。発言したくてもできなかった私の気持ちをどうしてわかってくれなかったのだろう。

投稿:美穂 2016年10月13日(木曜日) 19時15分

私も場面緘黙症です。

家では普通に楽しく話せるのに、外に出ると
不安で息苦しくなり声が喉で塞がってしまう感じがします。

小学校1年生の頃から中学、高校と一言も喋れませんでした。
運動も体が動かしにくくて苦手でした。

頷くか、首を振るかで、なんとか意思は伝えられました。

小学校では喋れないことが理由で
いじめに遭い保健室が唯一の居場所でした。
中学には特別学級に入学しましたが、
いじめは続き、中学2年生で不登校になりました。

高校は通信制の高校に入学しましたが、
喋ることができず先生に伝えたいことが伝えられず
長くは続かず、中退してしまいました。

車の免許だけでも取ろうと、教習所にも通いましたが
そこでも場面緘黙で話ができず、免許を取るのも断念しました。

病院では場面緘黙症と社会不安障害と診断されました。
家族の理解はあるので、今は家の家事手伝いをしています。

今は自分ができることをやって、
少しずつできることを増やしていければいいなと思っています。

投稿:フユキ 2016年09月21日(水曜日) 12時12分

私は今22歳です。普通ならもう働いていてもおかしくありません。双子の姉は高校卒業してすぐ就職しました。私は家事手伝いをして毎日これでいいのか?と自問自答の日々。場面緘黙を知ったのもつい最近です。症状も当てはまることばかりです。自分は場面緘黙なのかもしれないとそれから思うようになりましたが、ここ最近やっぱり違うのかも、自分は単なるわがままであまちゃんなだけなんだと思ったりします。結局どっちなのかわかりません。病院の先生からはもしかしたら生まれつきそういった症状があり、うつ病だったのかもと言われています。私も幼い頃から集団行動も苦手で友達を作るのも出来ませんでした。家と外との自分のギャップが激しすぎて辛いです。自分が変わるために中学からは人が変わったようにノリに乗ったりしましたが、色んなことがあり人との距離感がわからなくなってしまいました。高校2年、2月過度なダイエットがばれ、病院に連れていかれる。心療内科でうつ病と診断され、高3の9月まで自宅療法。そこから卒業まで生徒に見つからない場所で一人自習。学校に行くのは辛かったですが、なんとか卒業したかったので、学校側と何度も話し合い、私が行きやすいようにしてくれました。学校に行きたかったのは中退という肩書きを持ちたくなかったからもありますが、母子家庭、双子と生活の厳しい中私達二人を高校に行かせてくれた。中退という考えは私の中にはなく、当時の自分に出来る唯一の親孝行はまず卒業することだと思ったからです。姉が居てくれたことも大きいです。無事卒業して約6年、自分の性格は変わらず、社会に出ることが怖くて仕方ありません。どうして皆と同じように出来ないのか、何がきっかけなのか。ただ学生時代そこにいるだけの空気みたいな存在、男子にはよくからかわれたこと、給食は残す度に先生に怒られたこと、呆れたような感じで見られたこと。いまだに身体に染み着いたみたいに忘れられません。これも場面緘黙と言えるのでしょうか?それともやっぱりただの甘えなんでしょうか?そ

投稿:あーちゃん 2016年09月16日(金曜日) 22時18分

さきさんの答えになればと思って投稿します。私には緘黙症のことを親含め誰にも話したことがないので息子さんが、羨ましいです。1番してほしいことは、周りの環境が変わるときに、人と仲良くなれるアドバイスをしてほしいです。例えば、小学校入学やクラス替えなどのときに「あの人なら優しそうだから話せるんじゃない?」とか「話しかけ」てくれる人のそばに居たら」とか息子さんができそうな方法を提案してくれればいいと思います。あとは他人がいるときはうなずいたり、首振りでわかるように話しかけてほしいです。絶対してほしくないことは「なんで喋らないの?」と聞くこと。緘黙症の人はわかると思うけど、すごく胸に突き刺ささります。話たくなくて話さないんじゃなくて、自分でもよく分からないと思うけど(多分)話しかけられると、なんて答えるかすごく迷って考えているうちに話を進められて喋れなかったみたいなかんじだと思います。なのでそういうときは~~なの?って聞いてあげればうなずいたりすると思います。
息子さんの将来を考えるとたくさん「不安」なことがあると思います。だけど緘黙症の私でも少しずつ少しずつ話せていっています♪( ´▽`)聞きたいことがあったらまた書いてください。私なりに書いてみました。

投稿:真由 2016年08月08日(月曜日) 00時02分

はじめまして。今年四歳になる息子が場面緘黙症です。
もともと発語が遅かった為、二歳半頃から保健師や、言語聴覚士に相談していましたが、3歳になり、急にたくさん喋り出したので安堵し、相談終了しました。
現在は保育園に通っていますが、yes、noをうなずいたり、手を挙げたりして意思を伝えるのみ。1日の大半をしゃべれないで過ごしているため、お喋りの練習もできていません。主に、鼻にかかった発声なので、それも関連して、場面緘黙になっているのかもしれません。家族などの身内以外は、目が合うのも嫌がります。
ただの、恥ずかしがりだと思ってたので、場面緘黙症という症状を知って、子供に当てはまることばかりで……と、当初は色々とショックが大きかったし、子供に何をしてあげられるか、どう接するべきかを今も手さぐり状態です。なかなか周囲に知られていないし、情報も少なくて、これから先の小学校入学を考えたとき、親としてサポートできることの限度があるので不安で不安で仕方がないです。
この私の不安が子供にも伝染しているのだろうと思うとやりきれない気持ちでいっぱいですが、シングルマザーなので、私がどっしり構えなくては!と言い聞かせて過ごしています。
情報や経験談などあれば是非ご紹介いただければ嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
緘黙症のご本人のかたが、親にしてほしい、してほしかったことなども伺えたらと思います。

投稿:さき 2016年07月12日(火曜日) 23時31分

私も、幼稚園から今の中3までずっと場面緘黙です。中3となると受験で面接があります。だから面接で話せないと高校に行けません。話すか、話さないかは自分次第ですが、話すと私のことを知っている同級生や先生などから、ひどい言葉を言われそうで勇気が出ません。高校は、知っている人がいないことを前提に決めている最中です。場面緘黙で、後悔をしている人はたくさんいるとおもいます。なんで話さないの、と家族との関係が崩れたり、人から嫌われて自信を無くしている人もたくさんいると思います。だから、場面緘黙のことがもっと世間に広まってくれることを祈っています。まだ、こんな自分の解決方法が見当たらない私ですが、同じことで悩んでいる皆さん、一緒に頑張りましょう。

投稿:nanana 2016年06月28日(火曜日) 19時02分

わたしは今中3です。私も場面緘黙症です。気になり始めたのは小4ぐらいのときです。
私は、学校でいつも静かというか喋りませんでした。喋りたくなくて静かにしていたわけじゃなく、なんとなくいつも静かにしていました。私は小さい頃から、おとなしいねとか、
まゆちゃんは人見知りする子などよく言われていたので、最初はそんなに気になりませんでした。小5のときにテレビを見ていたら、私とまったく同じ症状の人が再現されていました。そのときから私は病気なのかずっと考えるようになりました。小6のときに学校に行かなくなりました。そのときは学校に行っても楽しいことがなかったというかつまらなかったから行きませんでした。今も相談室登校で緘黙の事は誰にも話せていません。教室に行くと自分が喋りいことが話せないし、話ても声が小さくてきこえません。なので学校では話すだけでとてもドキドキします。今は、去年までいた先生や先輩が居なくなり学校で話していてドキドキしない人が少なくなりました。今も緘黙症という症状に悩んでいます。高校に行って少しでも、しゃべれればと思っています。

投稿:真由 2016年05月31日(火曜日) 18時28分

私は、今小学生六年生ですこのネットをみていてわかると思うんですけど私も場面緘黙です私は今日学校帰り道で思いました勇気を出そうなんども思いましたけど喋る勇気が出ませんでしたそれでなぜ私が場面緘黙になったのかとゆうと二年生の終わり頃髪の毛をきるといつもは、お母さんに切ってもらってるんですけどその時は、お父さんに切ってもらうことになりましたそれでお父さんがバリカンで切りましたでもお父さんがきったのは形が変だとお父さんがきったんでしょうもっといっぱいきってしまい私は、冬の間ズート学校でも遊びに行くときもいえであそぶときも帽子をかぶっていました
冬の終わり頃友達と学校のなかを歩いている時友達が誰にも言わないから喋ってとゆいました勇気を出して喋りました教室に着くとその友達がゆいちゃんがしゃべったーとみんなの前でいいましたそのときからもっと場面緘黙が悪化して家族でも友達がでも目が合わせられなくなりましたそのあともう一人の友達と遊びました海に行きましたそれでその友達は、日焼けをしたんですが私はしませでした何でかとゆうと私は、ハーフなので顔が最初からみんなとは、ちがういろだから自分の肌を気にしてましただけどその友達は、君は、最初からそうゆういろだからねと言われましたすごいショックでしたあともうひとつは、その友達の髪の毛をサラサラしててきもちいといいましたそしたらその友達はは、いいました、君はそうゆうアフロみたいな髪の毛だからねってゆいました自分もこんなかみのこいやなのにもっとショックなことを言われましたずっとまえもお母さんと場面緘黙を治してくれる病院に行きましたですが先生にこの形を作ってと言われましたつくろう出したんですがいきなりでが手が動かなくなったんです動かそうとしても手がゆうことをききませんでしたいつの間にか目が覚め涙でなんにも見えなくなり涙が止まりませんでした場面緘黙を治すには、どうしたらいうでしょうか?

投稿:ゆい 2016年05月09日(月曜日) 14時15分

場面緘黙という言葉を初めて知りましたが、自分にも当てはまるのでは?と思いコメントすることにしました。私は約10年間、双極性障害・適応障害を患っております。幸い現在は寛解し、職場にも通い、趣味の合う人と気軽に話できるまで回復しました。が、職場では仕事を多くしたいのですが、上司や同じデスクの人に「次は何をすればいいのですか?」「今日の仕事ありますか?」という単純な言葉(?)が出ないのです。仕事はしたい。けど、言葉でない。それが職場にいるのが息苦しくなっております。朝の挨拶や帰宅時の挨拶だけはしていますが、それを言うのも辛い時があります。仕事している以上、当然今の職場に馴染みたいですが、何か居場所ないような気分にもなり…。正直辛くなることがあります。言葉に出すのってこんなに難しいのでしょうか?

投稿:えあっち 2015年06月05日(金曜日) 18時16分

私も小学校の頃はそうでした。かんもくという名前がついていたこともしらなくてそんな括りがあるのにびっくりです。

確かに心無い発言「お口ないの?」は言われたことがありました。
小学校入学前からの幼馴染みにそのことを話題にされると恥ずかしくてすごく嫌だったです。
自分でもどうにかしてこの状況を打破しなくてはいけないと思ってたし、それが当時の一番の悩みだったかもしれません。
さらに給食が食べられないことも苦痛でした。給食だけではなく外食は食べられなかったので世の中は苦行だらけでした。
今思えばかなり過敏な子だったのかもしれません。

発言ができないと友達もできないので遠足で必ず1人になります。だから遠足も苦痛でした。先生がグループにいれてあげるように誰かに指示してくれますが、その状況も苦痛。
幼いながらこのまま生きててもしょうがないんじゃないかとよく考えてました。

小4の終わりに転校生がきて、独り同士なせいかすぐ受け入れあうことができて少し改善できました。当時の私の小さな世界ではその女の子が私の全てだったと思います。小5になってその子と離れて、新しいクラスになり、私は覚悟を決めて近くの女の子に初の第一声を出しました。バンジージャンプくらいの勇気だったと思います。必死でした。

以降もしばらくは必死にその女の子集団にしがみついてました。
しがみついてるのもある種の苦痛でした。
自分とは違うキャラクターをその状況にあわせて表現している感じです。その手法は就職してもなお続きます。そうするしかないですから。

そこから何十年かたった今は、しがみついていないです^^;
ネットの普及で本来の自分を出せることができるからでしょうか、
友達はいなくても問題がない。ガールズトークができなくても問題ない。理論的に話ができるから問題なしです。社食もスマホと過ごす独りの時間。落ち着いた日々です。

投稿:hatta 2015年06月04日(木曜日) 14時10分


連投すいません。

私は幼稚園に入園した頃から症状が出始め、物心ついた頃からずっと精神的に辛かったのですが、悪化したのには複合的な要素があったと思います。
しかし、緘黙児にとっては大体の全ての事が不安に直結していると思うので挙げたらキリがありません。

なので、個人的に辛かった事で改善出来るであろう案件や、大切な事を挙げてみます。

1、出席番号システム・・・私は出席番号が幼稚園から中学3年まで女子の中ではずっと1番っだったのですが、これは緘黙児には辛すぎました。
出席番号が1番であると身体測定やスポーツテスト、歌などの発表など常に毎回嫌がおうでも周囲の注目を集めます。ただでさえ注目を浴びるのが怖いのに、1番の重圧は気がどうかなりそうでした。
出席番号制でなければ少しは悪化しないで済んだように思います。

2、学校が全てではない・・・自分の時代は不登校がまだは珍しく、学校に行かないと人生がそこで終わりのような感じでしたが、現在は保健室登校やフリースクール、通信制高校の選択などがあります。
幼少期や学童期には本人の自信を育む事に着目した方が良いと思います。

3、喋る事にとらわれない・・・喋るかどうかに着目しがちだと思いますが、喋れたらゴールという訳ではないと私は思います。
場面緘黙の根本的な苦しみや問題はもっと根深いものだと思います。それが何なのかと問われたら今も説明はとても難しいです。

緘黙だと毎日毎日何気ない事がとても大変で、生きる事はとてもきつかったです。でも、大人になって、それなりに克服して思うのは人は皆、多かれ少なかれ生きる事は難しいんだなって。

緘黙者の強みはささやかな喜びで大きな幸せを感じられる事だったりすると思います。これって、結構生きていく上では大きいですよ(^^)

投稿:みこ 2015年05月30日(土曜日) 01時20分


元場面緘黙&緘動当事者です(二次障害と後遺症有り)。

私の場合は「自分が話すのを人から聞かれたり見られたりすることに怖れを感じる」というか、もう少し正確に言うと「自分の思っている事や考えている事、自分の感情を知られるという事に恐れや不安を感じる」という感じでした。

なので、喋れない事だけじゃなく感情の表出(喜怒哀楽)も困難でした。
”怖い”と思っても声にも表情にも出せなかったし、どんなに”辛く”ても”嫌”でも泣けなかったし、笑うのも難しかったです。
正直、学校で泣けたという場面緘黙の人が私には羨ましいです。

「○○ちゃんは、そう思ってるんだね。」みたいな普通の人には当たり前の事が恥ずかしいし怖かったです。(極度の自意識過剰)。
作文や絵のような自分の何かを表現・創作する事も、私は恥ずかしくて怖かったです。体育のバスケでのスリーオンスリーなどは身体表現を伴うので動けなかったし苦痛でした。
ただ、国語の音読は役に入るスイッチで、いつもと違い大きな声で感情豊かに読む事が出来、それに対して評価された事はとても嬉しかったです。
(書道と硬筆を習っていた為、字を褒めてもらったのも心の支えになりました。)

何にしてもですが、能動的・主体的な事はとても恥ずかしく怖かったですが、みんなと同じ事を同じ様にしたり、役目を与えられるような受動的な事であれば内容によってはする事が出来ました。
(複数で共同でやる事や一人だけ目立つ事は難しかったです。しかし、心のどこかでは褒めてもらいたい等の承認欲求があるから辛い。大きな自己矛盾。)

学校生活において重要視され掲げられる『共同作業』というものは緘黙の人間にとっては困難過ぎると痛感しています。
ただ誤解してほしくないのは、『協調』はちゃんと出来るという事です。似て非なるものです。

周囲の目や空気に対して、幼少期にいち早く過敏に過剰に不安を感じてしまう。
個人的な感覚としては、緘黙はやはり生まれ持っての気質が大きく影響しているように思います。
防ぐ事は難しい症状のように思います。

緘黙が社会で認知される事は良いと思う反面、世の風潮として「緘黙=悪」と捉えず、正しい理解と認知を願います。
どうか当事者を追い込まないであげてほしいです。

程度の差はあれ一生付き合っていく可能性もあると思うので、ある種の個性と捉えて、その上で、そのコにあった方法で自己肯定感を育ててあげてほしいなと経験者としては思います。

私を含め大人になってからの当事者は就労等で正直苦労する場面は多いと思います。しかし、現代社会において一般的にも就労につく事は困難なので、仕方ないとも思いますし、同時に絶望もします。現在ボランティア活動で自信をつけながらゆっくり進んでいますが、現実問題としては常に重たくのしかかっています。

だけど、このような自分に生まれて色々考えて何とか生きてきたのも、今ではアイデンティティです。

投稿:みこ 2015年05月29日(金曜日) 18時38分