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話したくても話せない、「場面緘黙(かんもく)」を知っていますか?

2015年04月17日(金)

場面緘黙(ばめんかんもく)とは、小児期に多い不安障害の症状の一つ。
言葉を話したり理解する能力はほぼ正常であるにもかかわらず、家庭などでは普通に話せるものの、学校や職場など特定の場面では、不安や緊張から話せなくなってしまうという症状です。
早期に発見・対処ができれば改善の可能性が高いとされますが、日本ではまだ認知度が低く支援が遅れています。そのため、いじめや不登校、うつ的症状など二次障害で苦しむ人も多いといいます。

ハートネットTVにはこれまで、カキコミやメールなどを通じて、場面緘黙についての体験談やご意見が寄せられてきました。


◆ゆーやさん/静岡県/20代(2012年7月)
まったく話せないわけではない。

けど、声を出してコミュニケーションすることがとてつもなく辛くなる場面が多い。

伝えようとは思う。
けど、かすかに音が聞こえるだけ。

(病院など、)どうしても伝えることが必要な場面。
紙やノートに書いて行っても、それ自体、出すことができない。手に持っていても渡せない。。。


こうして言葉に表せるようになるまで、「場面緘黙」という言葉に出会うまで、人と時間を過ごす時の戸惑い、集団の中にいる辛さ、何を言われても自分の思いは伝えられずにいる辛さ、(よりによって接客のアルバイトについてしまったため、接客時の)自分の声の小ささ、すべて、自分の努力や頑張りが足りないからだと自分を責め続け、半ば脅迫的に、”(口で)しゃべらなければ!!!”と言葉を発しなければならない度に自分を奮い立たせた。

 

「場面緘黙」という言葉を知って、ムリヤリしゃべる必要はないのだ、と少しほっとした反面、やっぱり、病院に行くため、電話をするためなど、前日、前々日、一週間前から念入りにメモを書いたり、イメトレしたり、それでも、時間が迫ってくると、心臓バクバクで、結局、伝えられないことも...

最近は唯一の社会とのつながりーバイトですら、声を出すのが怖くてしょうがない。
”たかが”こんなことのためになぜこんなにエネルギーを使っているんだろう。なんで自分はこんなにもしゃべれないんだろう。なぜ周りの人はいとも簡単に話すんだろう。



◆ゆいさん/滋賀県/10代/子ども(2013年7月)
広汎性発達障害と診断されている18歳です。
私は幼少期から小学校を卒業するまで場面緘黙症でした。
中学は環境が変われば話せるかもと思い私立の中学を受験しましたがもともと勉強が苦手なのにレベルが高く授業内容について行けずに不登校気味になり、友達もいないので毎日辛い思いをしていました。
高校でも友達がほとんどおらず、いつも一人でした。
今年3月なんとか卒業できましたが卒業後の進路を全く考えずに卒業してしまい今は家にいることが多いです。
でも本当は人と話したいという気持ちが強く、段々家にいるのも苦痛になりアルバイトの面接を数件受けましたがどれも不採用でした。
学生時代ほとんど人と関わってこなかった私が仕事出来るのかという不安もあります。
どうすれば自分に合う仕事が見つかるでしょうか?



場面緘黙とは、いったいどんな症状なのか。
本人や家族は、どんな思いでいるのか。また、周りはどんなふうにサポートしていけばいいのか。
声にはならない悩みや苦しみを、みんなで共有し、知恵に変えていければと考えています。


WEB連動企画”チエノバ” ―話したいのに、話せない…“場面緘黙”を知っていますか?―
2015年5月28日(木)夜8時(生放送)
当日はTwitterでご意見を募集します。ツイートの末尾にハッシュタグ「#nhk_heart」をつけ、50文字程度でつぶやきを。

2015年6月4日(木)午後1時5分(再放送)

コメント

私は、物心ついたころから緘黙症に悩まされ、小学校5年生まで話ができない子というレッテルを貼られ、ひとことも話さないことから、友人もおらず、いじめられ、とても辛い幼少期を過ごしてきました。「変わりたい。話ができるようになれば、人生が楽しくなるはずなのに」と考えていました。転校が切っ掛けで、新しい小学校に移り、話をする自分になれるチャンスだと考え、言葉を発しました。はじめて言葉を発するときは非常に緊張したのを覚えていますが、いままで外で話せなかった分、精神的に楽になりました。ただ、うまく言葉をあやつることができず、面白いことも言えず、友人はなかなかできませんでしたが、大きな一歩でした。中学に進むと、あまり話せない私に仲良くしてくれる友人(今の親友)が一人できたことで人生が変わりました。その子には冗談も話せる仲になり、自分に少し自信がつきました。英語のスピーチコンテストに学校代表で県大会に出場することにもなり、両親など周囲には明るくなったといわれました。そういわれるのはとてもうれしかったです。それ以降は、高校、大学と普通に話せるようになり、人間関係も広がりました。ただ、今でも思いますが、人よりも言葉を操るのはあまり得意でないことは確かです。荒療治ですが、新しい環境で、「話せる自分」を演じてみることが、はじめの一歩だと思います。頑張って。

投稿:カプチーノ 2017年03月02日(木曜日) 22時31分

私は、保育園に入園してから、
場面緘黙になりました・・。
ずっと、保育園~社会人になっても
場面緘面は治りませんでした・・。

私も、自宅では明るく元気で活発な子でした・・。
ハートネットの放送を見て
すごく気持ちが分かります。

投稿:クルンちゃん 2016年09月29日(木曜日) 13時12分

まわりにいますが、この症状といっていいのかわかりませんが、TVでしり、これじゃないかと思いました。
私は親で特定の団体の仲間ですが、どういうふうに話しかけていいのか?
話しかけられること自体も苦痛なのか?わかりにくく。
そっとしとくのがいいのか?でもそれだと話せる人だけでしゃべることになり、孤独感にさいなまれないのか?返事がなくても、話しかけていこうと思っております。それでいいのかな?みんな専門家じゃないから、一番はどうしたら、その人にとって苦痛じゃなく、触れ合えるかということが一番しりたいのかなと思いました。

投稿:こまめ 2016年04月08日(金曜日) 09時59分

私は話せない自分が嫌いです。家にいる自分と、外に出た自分とでは性格が全然違います。どっちが本当の自分なのか分かりません。学校では教師からひどいことを言われなんども自殺しようと思いました。学校には私以外にも同じことで悩んでいる子がいます。その子はいじめられていて私よりもとても悩んでいると思います。だから、その子を助けたいとずっと思っているのに声がなくて見逃すことしかできない自分がいやです。
声がないことでいろんな人から差別されます。親戚にも、声を少し出すだけで友達作れるのに。と、馬鹿にしたように言われます。だから人に会うのがこわくなりました。

投稿:001 2015年06月01日(月曜日) 18時47分

子供が、場面緘黙です。広汎発達障害(アスぺルガー)で中々友達が出来ません。

投稿:ばんばん 2015年05月30日(土曜日) 00時12分

元々、視線を感じる場での発言は不自然な息苦しさを感じたりしていたのですが、20歳のころ、留学して留学生寮に入った日から、明らかに悪化しました。
同じ学校から一緒に行った人以外とは、かろうじて挨拶できる程度、ほとんど話せなくなりました。初対面の人とは会釈とか無言の反応しかできなくて、年上の方には、かなり無礼者と思われていたと思います。
当時は緘黙なんて知らずに、ホームシックか、環境変化によって鬱っぽい病みにでも成ったかと思っていました。
ここ数年、アスペルガー・自閉症スペクトラムとか、それっぽい概念がいろいろ出てきましたが、自分なりに調べてみて、どれも違う。生まれつき明白・重篤な「症状」があったわけではありませんし。
最近、困ったのは面接です。自分の長所短所とか自分の事を説明する質問に答えることがすごく苦手で、ひどいと窒息みたいな喉詰まりを感じます。少しずつ症状は緩和?していますがショップの店員など不特定多数の方との対面接客は、うまくできないと思います。
最近、何かで「場面緘黙」という言葉を知り、調べてみたら、今まで調べた症名の中で一番しっくりきました。

投稿:link 2015年05月29日(金曜日) 12時41分

場面緘黙という言葉、初めて知りました。私はそれなのかもしれません。子供の時から人と話すのが苦手。小3の時には大きないじめにあったことがあります。だからかはわかりませんが、人と話すのが苦痛だったりします。わが子の遊んでいた友達のお母さんとでも話せなくて、でも挨拶くらいはと思うのですが、相手が避けてそうだと思うと至近距離でも挨拶できません。だからいつも挨拶できなかったこと後悔します。相手の反応が気になりできないのかもしれません。学校公開日に参加するとすごく疲れます。息子が不登校ぎみでもっと担任の先生とうまくコミュニケーションをしたいのですがなかなかできません。子供にもいいアドバイスができずくやしい思いをしています。大人になれば改善されると思っていました。私は本当は変わりたい!この性格とつきあって45年。どうにかしたい!

投稿:きき 2015年05月18日(月曜日) 02時49分

大学生の子供の保護者です。幼小中と、保護者としても、教師から、学校内で、声を聞いた事がないと、責められてきました。家では、明るくおしゃべりな子供で、何が原因か、理解に苦しみ、本人を激しく責めたり、学校でも、変人扱いされ、不登校になりかけた時、暴力で、登校させたりしました。高校の先生との出会いで、かんもくを知り、私たちは、普通の生活を取り戻しました。大学でも、友人一人もなく、おそらく、一人きりで学食、休み時間をすごしつつ、やがて訪れる、就職の壁に親子共々、不安でいっぱいです。文部省も、かんもくを、教師に知らせて、また、どうしたら症状が改善するのか、また社会は、どう受け入れるのか、考えてもらいたいです。テレビ放送楽しみにしています。

投稿:おひさま 2015年05月17日(日曜日) 20時04分

ずっと緘黙に苦しんできました。
24歳になった今でも自分が話すことへの不安や恐怖を抱えています。
正直言ってまともに話せている自信がありません。
自然と人と話すことを避けている自分がいます。
小さなころから周りの大人たちに話せないことを責められたり指摘されても自分では解決方法が分からずどうしようもなく辛かったです。
緘黙にとって話せないことも辛いのですが自分意思を伝えることができないというのも辛いです。個人差はあると思うのですがうなずくや首を振るという動作も緘黙にとっては勇気のいるものです。理解してほしいわけではないのですが同じ緘黙で苦しむ人の声が聞き共感できるのを楽しみにしています。

投稿:スメタナ 2015年05月14日(木曜日) 13時25分

高1になったばかりです。小学校の頃から緘黙で悩んでいます。
小さい頃より大きくなるにつれてひどくなっています。
緘動も時と場合によるけど、どちらかといえばひどくなっています。
中3のころは、緘黙からいじめのような感じになり、保健室登校気味
でした。
今はふつうの全日制高校に通っていて、親に無理やり学校行かされています。今の方が中学の頃よりもいじめられていますが、親には言えないし、友だちもいると思われているのでやめたいとも言えません…
正直やめて、通信制に変わりたいです…どうすればいいのでしょう

投稿:ayu♪♯ 2015年05月06日(水曜日) 21時25分

緘黙症という病気があることを知りませんでした。
幼少期に「引っ込みがちの子」「おとなしい子」として扱われ、保育園、幼稚園、小学校と進むにつれ外界とのつながりで他者からの指摘がないとわかりづらいという点が非常に問題であると感じています。
集団生活の中で話せないというのは辛すぎます。
教育者である先生方の力で早期の発見から療育へとつなげることが出来たら、緘黙症と言う事を知らずに苦しんでいる本人や家族を少しでも救うことが出来るのではないでしょうか。
誰でも良い、寄り添ってくれる人がそばにいるだけで安心感が生まれます。
一番良い解決方法は社会の認識を広めることなのかなと思ってなりません。

投稿:ままこ 2015年05月03日(日曜日) 14時33分

親の話によると学校に上がる前は片言しか話せなかったそうです。
学校では集団の中になかなか入っていくことができませんでした。
人と話そうとしても何にも思い浮かばないし声も出ないって感じでした。
でも家だと自由に話せるから不思議です。
家と学校が近かったので、本当は話せるのに話さないといじめられたりもしました。
それが高校まで続いて、人と自分の間にはどうしようもない大きな壁があると感じました。
高校から自分でも努力して話そうとするのですが、頭の中で組み立ててから人と話すのですごく疲れました。

投稿:ポパイ 2015年04月30日(木曜日) 12時41分

現在、中学1年生です。バリバリの緘黙症状に苦しんでいます。
でも、新しい環境で努力しつつあります。
担任は平成生まれの若い男の先生です。

先日、次のことがありました。
自転車置場で友達を待っていたら、他の小学校出身のクラスメイトが、「あのな、しゃべりやすい人と徐々にしゃべれるようになればいいからな。」そして、横にいた同じ小学校出身のぼくの仲良しに「お前、色々とサポートしてやれよ。」と言ってくれました。
なんとかこの状況でいい方向に向かいたいです。

今まで、エレベーター症状を繰り返しています。
小学校時代は、権力のある優等生と友達だったので、緘黙に関して
チャチャは入れられましたが、いじめは受けていません。休み時間に
はみんなと話せます。緘動はありません。

小学校1年生の時の先生には、のろまな根性なしと言われ、4年生の時の先生には、給料以上の対処はできないと言われました。

でも、学校へ行くことはうれしかったし、登校拒否はしたことがありません。

ポジティブな人がうらやましいけれど、踏み出せません。
長いトンネルを抜けたら、朝が来るのでしょうか?雨は止むのでしょうか?と思いつつ、ゲームに走っています。

投稿:三十四 2015年04月20日(月曜日) 11時15分

私は小学校3年生まで、場面緘黙症でした。
私にとって保育園や小学校はまるで、戦時中の言葉も文化も違う「異国の牢獄」であり、私は「捕虜」としてそこにいる状態でした。
人の考えていることや感じていることがうまく感じ取れず、自分もどのようにリアクションを取るのが適切なのかもわかりませんでした。
それも30年前なので、ただの「引っ込み思案なおとなしい子」くらいにしか思われていなかったかもしれません。
今はブログを使ってその時の体験や感覚を発信していますが、思い出しながら整理して書いているときにその時の感覚がリアルに思い出されてきます。たとえるなら、無機質な色の冷たい空気でぎゅうぎゅうと周りから体を締めつけてられているような感覚です。
緘黙症状が治まっても不安障害は変わりません。何より私が大事だと思うのは、本人がその性質を持った自分自身を受け入れることだと思います。時間を要しますが、出来ると思います。それにはきっと周りのサポートも必要です。
また、見守る側の親御さんが、お子様を心配するがあまり不安になってしまうことが緘黙児(不安障害児)にとっては非常によくないので、親御さんのケアも同時に重要視されると思います。

投稿:キキ 2015年04月18日(土曜日) 09時02分

私は、18歳まで緘黙に苦しんでいました。
本人は好きで話さないわけではないのに、理解がされにくい部分があり、「まあ話さないだけだから」と、問題自体も軽視されがちだと思います。

話せないこと自体は克服した今でも、後遺症に悩まされ、現在は大学生ですが、グループ活動や発表などで大きな支障を感じます。

人前で話すことのできない子供たちは多くいると思いますが、ただ話さないだけに見えても、本人は見た目以上に苦しさを感じているはずです。
周囲の無理解からの心無い言動からも、守ってあげる必要があると思います。

投稿:ヨウヘイ 2015年04月17日(金曜日) 21時54分