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【専門家インタビュー】吉川かおりさん「障害のある人の"きょうだい"が抱える悩みについて」

2015年02月04日(水)

1月29日放送(2月5日再放送)
WEB連動企画“チエノバ”―障害者の家族(1)誰にも言えなかった苦しみ―
の取材の一環で、「障害のある人の“きょうだい”が抱える悩み」について吉川かおりさん(明星大学人文学部福祉実践学科教授)にお話を伺いました。


20150205_chienoba001.jpg《吉川かおりさんプロフィール》

明星大学人文学部福祉実践学科 教授。社会福祉学・博士
主に「障害のある人のきょうだい」について調査、研究を行っている


■数多く、カキコミやメールが寄せられていることについて
読んでいて、心が痛くなりました。
「障害のある人」が生きていてよかったと思えることは大事だけれど、そればかりが強調されて「障害のある人の家族」が生きていてよかったと思えないというのは、何か皮肉な現象だなと思いました。

 


■”きょうだい“ならではの「つらさ」とは
◎支援する側の要員にカウントされてしまう

やはり、「大人」か「子ども」かで、受けとめる大変さが異なります。
“きょうだい”は、小さい時から支援する側の要員としてカウントされてしまう傾向があります。動ける人がいると、周りはその人を支援者扱いしてしまい、その人自身が持っているニーズが見なくなってしまうんです。
一人の子どもとして生きていく時のニーズは無視されて、大人としての役割を果たさなくてはならなくなる、というのは子どもにとっては非常に大きな負担です。そのような負担を感じながら生きている人が世の中にはけっこういるということを私たちはまず知っていって、さらに「この子なんか辛くないかな?」と、学校の人でも良いし、保育園の人でも良いので、周りの人にも気付いてほしいです。そのようにして、社会が手を差し伸べて解決していかなくてはならないと思います。


◎人格形成に及ぼす影響
小さい頃から「家族に障害のある人がいる」ことについて、誰にも話せずにきた人は、その部分だけブラックホールの様にポカッっとあいたままで、大人になってもそれが解消されないようです。
「障害のある家族、きょうだいがいる」という部分は、“きょうだい”の生活の全部ではないけれど、自分を作っていく上で、置き去りにはできない部分の一つです。そこを組み込んで自分という全体像を作り、アイデンティティを確立していくことになります。ですが、誰にも話せずにいると、それがなかなか難しくなるのです。特に、子どもとしてのニーズを無視されて生きていかなければならなかった場合には、「自分とは何者か・何のために生きているのか」が不安定になり人格形成にも影響を及ぼすという点を重視して、ケアを考えていかなければなりせん。



■家族の多くは「情報不足」。福祉サービスをうまく使うべき
“きょうだい”たち、全体的に言えることが、「情報不足」ということ。
多くの“きょうだい”は、世の中にどんな福祉サービスがあるのかを知らず、どのように使ったらよいかも分からない。障害のある人の日常生活を親が中心になってケアしている場合は特に、“親が亡くなったら、それをそのまま自分がやらなきゃいけないんじゃないか?とイメージ化されてしまい、感じなくてよい不安やストレスにさらされていくんです。
しかし、「家族が責任を負わなきゃいけない」という考えは、閉塞状況を生むと思います。家族の数が大規模だった時代には、家族みんなでみていくということもあったけれど、家族の数が少なくなっている今、それをやったら、上手くいかなくなるのは目に見えています。だからこそ、障害者福祉の分野で言われている「支援を受けながらの自立」という考え方に家族も変わっていく必要があると思います。
きょうだいは、過剰に責任を負わなくていい。「面倒を見る」か「見ないか」、「入所施設」か「在宅」か、という二極状況になりすぎないことが大事です。
きょうだいたちには、「情報を得よう」「“きょうだい”同士で語ろう!」と伝えたいです。グループホームや、ホームヘルプサービス、外出時のガイドヘルパー、成年後見など、障害のある人を支える制度は、さまざまにあるのです。


■「つらさを抱える“きょうだい”」と「つらさを抱えない“きょうだい”」の違い
障害のある人の“きょうだい”でも、辛いという人とそうでない人がいるのはなぜか、という問いですね。敢えて言えば、この違いは、「どういう環境で育ったか」によると思います。
これは、私の勝手な分類ですが、もともと「子育てが上手な親」と「上手じゃない親」がいて、そこに「育てやすさ」と「育てにくさ」というパターンがあるとします。
この「子育てがあんまり上手じゃない親」の所に、「育てにくさ」という要素が加わったとき、家の中はとても大変になる。そこに“きょうだい”がいたら、それに巻き込まれる大変さは、格別に大きなものになるでしょう。また、学校や地域の環境も関係してきます。
子育てが上手な親とはつまり、子ども一人一人のニーズに合った対応ができるということですが、学校や地域の環境を含めて、“きょうだい”にとって、ちょうど良い環境があった場合には、辛さが軽減されたり、辛さを感じなかったりということがあるのでしょう。


■注意すべきこと「家庭内に一貫したルールがない」
子どものニーズに応じた対応ができる家庭を「家族の機能が健全である」と言えるのですが、そうではない場合、何が起きているか?
その一つが、「家族の中に一貫したルールがない」ということ。
ある子どもには非常に厳しくてある子どもは過度に甘やかす、もしくは、同じことをしても激しく怒られる時とそうでない時がある、そのようなことがあると子どもは混乱すると言われています。
「障害のある子ども」と、「障害のない子ども」がいる場合、正にそういう問題が生じやすいのです。「障害がある」ということをちょうど良く見るというのは、簡単なことではないので、無理のない部分もありますが、親は自身の言動が子どもに与える影響を考えた上で接していってほしいと思います。カキコミにあった「親の態度に不公平だと感じる」という気持ちは、その通りだと思います。


■‘いい子すぎる’荷をおろそう
“きょうだい”の中には、強迫的に“善人”になろうとする傾向をもつ人がいます。つまり、「いい子」に「ならなければいけない」と思い込んでいる人が結構いますね。カキコミに、「きょうだいのことは好きなのに、時に嫌だという気持ちをもつことに罪悪感を感じる」とありましたが、「人間は、完全な善人であるなんて無理なんだよ。」「どんなに好きでも嫌だなと思う時はあるよ」と言ってあげたいです。
時には、「疲れた」と思ったり、「離れたい」と思うことがあるのは当たり前なのに、そのような気持ちをもつ自分が許せず、知らぬ間に親からの期待に答えようと、周囲の顔をうかがい、空気を読んで、自分が大変でも平気なフリしてしまう・・・、これは、まさしく環境によるものだと、私は思います。
親もいろんな意味で子供に期待はします。しかし、一人は「障害がある子ども」で一人は「障害のない子ども」の場合、その期待が分散化されず、いろんな意味で強くなり偏りが出てしまうのだと思います。


■改善の一歩は、「他人を大事にするより、まず自分を大事にすること」
きょうだいは支援者にならなくていい。
「親を楽にさせてあげたい」「障害のある人をみてあげたい」と思う気持ちは、尊いし、素敵なことだけど、自分を大事にする力を身につける前に他人を大事にする力を発揮してしまうと、土台が固まっていない場所に家を建てたのと同じで、何か困難があったときにつぶれてしまうんです。それは、「人生を壊す大きな素」になります。
だから、「とてもいい人で他人からの評価は高いけど、自分の価値を自分では感じられずに生きていくのが苦しい」といったタイプは、思春期とか、それ以降でつまずく場合が多いようです。うつ等の精神疾患を発症したり・・・。実際の数は把握していませんが、“きょうだい”支援をやっている関係者と話していても、多いよね、と感じています。
もう一つ、気をつけてほしいのは、「共依存」。日本はとても多いんですが、他人の世話をすることで自分の存在価値を見出したり、他人をコントロールすることを愛だと、誤解しているところがあります。これもまた、自分とは何者か・何のために生きているのかを、適切に見出すことができないでいる姿であり、生きていくのが苦しくなります。

◎“透明な鎖”に縛られる、きょうだい
歪んだ家族システムの中にいる人は、その歪んだ家族システムを維持している一人でもあるわけだから、自分が抜けたらこの家族は壊れるんじゃないかという不安におびえているんです。でも本当は、そう簡単には壊れないんですよ。家族は、生きていくために何とかしようとするので、それが支援を使うチャンスになり、システム改善につながることもあるのです。
しかし、きょうだいは「私がいなくなったらどうなるんだろう」と思い、自分を縛ってしまう。以前「ハートをつなごう」で“見えない鎖”という言葉がでてきたけれど、まさにそれ。どういう意味かというと、身体的にはフリーなのに、精神的なしばりをかけられて出ていけないという状況。もしくは、実家から離れていても常に心の中に実家や障害のある人のことがかなりの割合で存在していて、それ抜きでは物事を考えられない。
自分らしい人生を歩むことは不可能ではないのに、「こんなことしたらこんな風になるに違いない」というマイナスの思考が循環し、結局、現状から一歩も動けない。こうした状況が「透明な鎖」なんです。

親は、「子供は自分の持ち物じゃない」ということを認めていかなきゃいけないと思います。親自身が、子どもの成長に応じて子どもとの関わり方を変えていけるよう、成長していく必要があるんです。しかし、それが出来ていない場合が結構多くて、子どもの人格に、親の人格が入り込みすぎていて分離出来ない状況がおきている。
親は、そうした負担を子どもに向けるから、「自分は結婚は出来ない」とか「一生家にいなきゃ」と思うきょうだいが増えるんです。
子どもは十分すぎるほど「親が大変だ」ということは分かっている。だから、親自身の大変さを補ってもらう対象を、子ども(きょうだい)ではなく、もっと社会に向かって言うことが大事だと思います。

つまり、「家族を資源だと思うのはやめよう」ということなんです。何でもかんでも家族だけで担うのは無理です。介護保険が導入された時もそのようなことがあったと記憶していますが、家の中に他人の手を入れるなんてとんでもないという価値観は、そのまま障害分野にも同じ事が言えて、家の中の相談を外にするなんて…という雰囲気が、今も漂っている気がします。また、障害のある子どもや大人に関わる福祉や教育の専門職も、家族を資源だと思う傾向があります。そうではないということ、つまり家族も一人の人として、自分の人生を生きている人であり、その人生には価値があるのだと言うことを、いろいろな立場の人がわかっていくことが大事です。



■最後に、カキコミを寄せてくれた“きょうだい”へのメッセージ
カキコミがたくさん集まったということは、まだまだ一人で抱えている人が多いということです。あなたは「一人じゃないよ」ということと、そして、「自分にとっての価値ある人生を歩んでね」と言いたいです。
我慢を積み重ねていることで、精神的に自分を追い込んで、自分にとって何が価値のあるものなのかさえも見えなくなっている人がいるはずだから、人とのつながりの中でそれを改善していくことが大事だと思います。
例えば、同じような立場の人と出会って話して、そこで、いろんな人の経験を聞きながら今後、自分がどんなステップを踏んだら良いか、イメージ化していくといいと思います。
「こんなところで上手くいったよ」とか、「こんな経験したよ」という、同じ立場の人からの話は、きょうだいにとって、安心をもたらし、自分の家族とは違う新しい世界が広がるきっかけになる可能性があるので、次の選択肢がきっと見えてくることでしょう。
抱えている悩みを打ち明ける場としてのカウンセリングも、「心のエステ」だと思って行ってみたら良いんじゃないかと思います。
つまり、この世の中には支援を全く受けないで暮らしている人などいないのですから、情報や支援を得ることをためらわず、一歩を踏み出してもらえたらと思うのです。

今、きょうだい支援に関心を持つ人は増えてきています。きょうだい支援の場も全国的に広まってきているので、「きょうだい支援を広める会」というHPを見て、身近な会があればアクセスしてみたらどうでしょうか。

 

家族の中の誰かに障害がある…、と言う方の「悩み」「思い」を現在募集中です。

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