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Road to Tokyo「東京パラに向け、層を厚く! ~パラ卓球~」

2016年12月27日(火)

心新たに!!
リオパラリンピックが終わって初めてのパラ卓球の国内大会が、11月大阪で開かれました。
これが初めての大会という“新顔”、次は自分だ!と東京パラを視野に入れた“若手選手”、そして“リオパラリンピック出場選手”などなど…。選手たちはそれぞれの思いで大会に臨んでいました。その中で、私が注目した選手を紹介します。

写真・舞洲障がい者スポーツセンター大阪市此花区にある舞洲障がい者スポーツセンターで行われた「第8回国際クラス別パラ卓球選手権大会」。第1回からこの会場で行われていて、パラ卓球の拠点と言える場所です。

※パラリンピック 卓球競技
ルールは一般の卓球とラケットや球、台の大きさやネットの高さは同じ。1ゲーム11点。3ゲーム先取した方が勝ち。一般の卓球では台に手をつくと失点になるが、この車いす卓球では態勢を整えるために打った後に手をつく事は認められている。クラス分けは11。車いすのクラス(1~5)と立位のクラス(6~10)がそれぞれ5段階。それに知的障害のクラスがある。数字が小さいほど、障害の程度は重い。

 

 吉田 信一選手(クラス3)


写真・吉田信一選手吉田信一選手(クラス3)


50歳で迎えたパラリンピック初出場。リオでは決勝トーナメントに進めませんでしたが、「出場したからこそわかったことがたくさんあった」と振り返っています。「パラリンピック出場が決まった1月から本番まで十分に準備をしていたつもりだったが、もっと海外勢は練習していた」と、大舞台に向けた海外選手のレベルアップに力が及ばなかったと話しています。
フレックス勤務の仕事と両立しながら、再びパラリンピックを目指してスタートした吉田選手。シングルスで優勝を果たしました。
「2年後、4年後と、自分はどうなっていたいかをイメージして、それには何が必要なのかを考えていく。2年後の世界選手権では、リオのメダルのレベルに達し、東京パラのときはさらにレベルアップしたい。」


 細谷 直生選手(クラス2)


写真・細谷直生選手(クラス2)細谷直生選手(クラス2)


今回、車いす卓球で新たな選手が頭角を現しました。初出場の細谷直生選手、30歳。卓球を始めたのは中学校。その後大学まで続けていましたが、3年生のときに交通事故に遭い、車いす生活となりました。「車いすでもスポーツをやりたかった。車いす卓球はネットで見て知っていて、今まで卓球をやってきたので挑戦してみよう。」と、始めて2年目。腹筋や背筋は効かず、身体が前に崩れると、戻すことが難しいと言います。握力は一けた台で、ラケットを手にくくりつけてプレーします。
その細谷選手。何と決勝まで進み、ベテラン皆見信博選手と対戦します。


写真・卓球の試合 左:皆見選手 右:細谷選手

左:皆見選手 右:細谷選手

結果はストレート負けでした。試合巧者、皆見選手を前に、ミスが多かった細谷選手。試合後、「試合にならないな」と独り言。長年、日本の車いす卓球界を引っ張ってきた一人である皆見選手からこんなアドバイスが。
「きれいな卓球じゃ、車いす卓球は勝てない。そんな卓球はいらない。返すことに徹し、その中でチャンスボールを決めるという卓球が必要」

写真・試合後の二人

試合を振り返る2人

 

細谷選手は、そのあたりは認識していながらも、長年プレーしてきた一般の卓球のイメージが今も頭の中にあります。「立っているときよりも、いろんなことに頭を使う。全然違う。一般の卓球は、自分の力でどう主導権を握るか。でも車いす卓球は相手の力を利用する、いなす。下半身の踏ん張りが利かないので、相手に打たせてペースをつかんでいく。自分から攻める、ではないから、消極的でストレスがたまることもある(笑)。でも、車いすならではの“ネット際に落とすボール”とか打てたら楽しい。」。

細谷選手の活躍を期待している皆見選手からは、「自分の経験を伝えて、日本の車いす卓球界全体の底上げに貢献したい。そして自分も競技を続けて、他の選手の壁になりたい。それが日本を強くすると思っている」という言葉。胸が熱くなりました。


 竹内 望選手(クラス10)


写真・竹内望選手(クラス10)竹内望選手(クラス10)

 

クラス10で連覇を果たした竹内選手。実業団の選手も所属する柏市の卓球クラブに所属し、高いレベルで刺激を受けながら練習に励んでいます。

竹内さんは分娩時に首の神経が圧迫され、右腕が麻痺しています。右ひじは十分に伸びず、手のひらも開くのが難しい状況です。右の握力は8kgほどしかありません。

プレーは大変力強く、様々な回転で相手を崩すサーブが持ち味です。一方で障害ゆえに難しいのは、体の裁き方です。サウスポーの竹内選手がスマッシュする際、一旦、右半身をいったん後ろに引いた反動で左も大きく重心を移すことができ、球に威力が出るのですが、「右のまひのために十分に後ろに引けず、ボールにスピードが乗らない」と課題を挙げていました。
まずは「アジアでトップに立って、東京パラリンピックに出たい」と、ロードマップを描く竹内選手。世界の強豪と戦う姿を、ぜひ見てみたいです。


 別所 キミヱ選手(クラス5)


写真・別所キミヱ選手(クラス5)別所キミヱ選手(クラス5)

リオで4大会連続のパラリンピック出場だった別所選手。前回と同じベスト8まで進みました。しかし、「韓国や中国との力の差がどんどん開いているように感じた。予選で中国の選手、決勝トーナメントで韓国の選手と対戦したが、相手が強いのはミスをしないから。こちらが先にミスをしてしまった」と厳しい表情でリオを振り返りました。一方で、「ブラジルの会場の盛り上がりがうれしかった。段差などバリアフリーで不便なことはあったけど、それを打ち消すくらいの喜びがあった」と、普段経験しない会場の盛り上がりに、気持ちの高まりがあったようです。今後に向けては、「東京パラは?と聞かれるけれど、今をどう頑張るかしか考えていない。注目されるようになって驚いているけれども、自分自身はこれまでと変わらない」と、揺るぎない気持ちを感じました。1日1日の積み重ねが、東京パラリンピックにつながっていくのではないでしょうか。


 友野 有理選手(クラス8)


写真・友野有理選手ラケットに乗せたボールを上げてサーブを打つ友野選手


地元の卓球クラブで練習を重ね、メキメキと実力をつけている神戸市の高校1年生。クラス8のシングルスで優勝しました。右半身がまひしているため、左のラケットに乗せたボールを上げてサーブを打ちます。そのサーブで崩し、バックハンドで試合を作っていくプレースタイルです。右足は内反していて、装具をつけています。重心は左足に乗せることで安定するため、右足に体重が乗せられるように攻められると、不利になるとのこと。前後左右に振られないようなプレーが求められます。

友野さんは幼稚園から卓球を始めました。しかし、兵庫県代表として出場した小学5年生のときの国内大会で、急に倒れ、病院に搬送されました。診断は脳梗塞。およそ1年の入院を余儀なくされます。最初は声も出せないほどの重症。その後、右半身まひが残りました。その友野さんを救ったのが、卓球でした。所属していた卓球クラブの仲間から「またやろう」と声がかかったのです。
友野さんのお父さんは「二度と卓球はやりたくないかなと思っていたが、自分から「やりたい」と言い出したんです。やっぱり卓球が好きなんでしょう。本当に卓球と仲間に救われた」と、感謝の気持ちを話していました。



写真・友野選手 チャンスボールを打ち込む。チャンスボールを打ち込む。右足にはなかなか重心を乗せにくい


そして、友野さんをパラ卓球の世界に導くきっかけを作ったのが、別所キミヱ選手です。別所さんは、毎年5月、兵庫で無料の卓球交流会を開いています。まだ試合には出られるレベルには至っていない人たちに、「ピラミッドの底辺から頂点を目指しましょう」と呼びかけ、毎回100人ほどが集まるそうです。その交流会に友野さんが参加しました。「友野さんの活躍は本当にうれしい。最近のパラリンピアンの発掘イベントには、いつも呼んでいるんですよ」と、別所さんは笑顔で話してくれました。
友野選手は、国際大会ではこれまでジュニアの部に出場しましたが、来年からは一般の部で戦います。「まずはアジアチャンピオンになりたい!」と意気込む友野選手。これからの活躍が楽しみです。


 岩渕 幸洋選手(クラス9)


写真・岩渕幸洋選手(クラス9)岩渕幸洋選手(クラス9)

早稲田大学4年。来年春には社会人になる岩渕選手。リオで初めてパラリンピックに出場しました。決勝トーナメントには進めず、反省として「対戦相手はイメージできていたが、自分のミスが先に出てしまった。」と振り返っています。また、教訓として、「緊張した場面でどう戦うか。緊張した状態をいかに作れるか。4年積んできた練習の結果を出す力が求められると感じた。ここ1本が欲しいときに、自分の絶対的な展開に持ち込めるか。そのためには基礎実力を上げて、そこから、相手を研究した成果を出せるようにしたい」と、しっかりと自己分析をしていました。


 舟山 真弘選手(クラス9)


写真・岩渕選手と対戦する舟山選手岩渕選手と対戦する舟山選手


その岩渕選手に憧れている選手がいます。
今大会初出場の小学6年生、舟山真弘選手。岩渕選手と予選リーグで対戦し、ストレートで敗れたものの、パラリンピアンに対して11-4,11-6、11-7と善戦しました。「1点でも多く取りたかった」と舟山選手。物おじしない堂々の戦いでしたが、卓球を本格的に始めたのは、何と去年5月だそうです。

小学2年生のときに家族で出かけた熱海の温泉で初めて出会った卓球。知らない年配の男性に「君、うまいね」と言われたことが自信になったそうです。
「卓球だったらやれるのではないか。ラケットは軽いし、強い力が必要ない。」
舟山さんは、4歳で右上腕骨に骨肉腫が見つかり、肩の関節と上腕部を切除する手術を受けました。そして、足の骨の一部を移植して、右ひじから先をいかしています。

対戦を終えたあとの舟山選手は「岩渕選手はサーブがうまかった。スピンが下向きかな、と思ったら上向きで、伸びてきたびっくりした。パラリンピックに出たいです!」とハキハキと答えてくれました。この試合が今後に向けての大きなステップになれば、と思います。一方、岩渕選手は「決めにいった球で2、3球返された。フォアがうまいという印象。まだ小学生でとても楽しみな選手で、海外に目を向けてぜひ頑張ってほしい。」とエールを送っていました。





リオのパラリンピアンが、若い選手たちにも影響を与えていることを感じました。すそ野が広がることで、競技自体のレベルアップにもつながっていく。そうした意味でも、東京パラリンピックでの選手の活躍が、その後の日本のパラスポーツを盛り上げていくことにつながっていくのだと感じました。


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 Road to Rio vol.51 「一球入魂! ~パラ卓球選手権大会~」(2015年11月27日更新) 

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