障がいは個性であるとかねがね思っています。ただ、個性と受けとめるだけの賢さと包容力が社会のほうに十分成熟していないので、「障がいは理解と支援を必要とする個性」という表現が今は適切なのかもしれません。
今回初めてさまざまな方々のすばらしい詩に接し、心躍る時間をもつことができました。それぞれに与えられたそうした個性をどのように受けとめるのか、そのことによって人生をどれだけ深く見つめるのか、またそれが感性をどれだけ豊かに磨き育てていくのか・・・
私は障がいと健常の間に必要以上に線を引くべきではないとも思っています。詩は心の歌です。その歌が直接私の心を揺さぶった後に、その歌を歌われた方の年齢とか障がいといったものが背景の一つとして伝わってくるのです。こんな体験をさせていただいたことに心から感謝します。
どんなに苦しいときでも、笑うことができたら、それだけで人は元気になる。笑うことで人は生きる。生き延びられる。
不思議なことだ。
けれども、むつかしいのは笑いを詩にすることだ。不思議さを詩にすることだ。怒っていることを詩にするのは簡単。
メッセージ・ソングを作ることも簡単。と、ここでは言っておこう。思わず吐き出す言葉が、感情を一つに縛ってしまうと、とたんに退屈になる。詩の面白さはそこにはない。
詩はいつでも、この世への問いかけだ。問いから生まれ、言葉にすることでその問いを育て、思いがけない大きな問いかけで終わる。
人間は誰もがプライドを持っている。そのプライドの高さを保ったままで、ちょっと横にずらすこと。すると、そこに笑いが生まれる。そこに言葉の生命が生まれる。生命のあるものは笑う。笑うことは不思議。不思議なものがこの世にはいっぱいある。
5459編の詩は私には重かった。
障害を持つ人が道を切り拓こうともがいている。自分の中で、何とかして現実と折り合いをつけて前向きに生きていこう、という思いが十分過ぎるくらいに伝わってくる。
同じ歩みを経験している者として、一つ一つの言葉はどんどん体の中に溜まっていった。
西澤美紀さんの「こころ」『こころのいしを/じぶんで/とんかちでわりました。』
自らの決意と、その勇気にエールを送りたい。
佐々木祐司さんの「食事介助」手が動かないために、開けたご自分の口へお母さんの箸が運んでくれる食事。
それが悲しみを乗り越えて「至福の時」に変わっていく様に、母子の、ゆっくりと流れる暖かな時間を感じた。
障害ゆえに日々起きている逆境を受け入れ、それを「喜び」に変えていこうとする人間の強さ。私は教えられた気がします。幸せは自分の中に見つけるものだ、ということを。
きれいに晴れた秋の日、学会の仲間と「ねむの木村」を散策した。浜松からバスで「ねむの木こども美術館〈どんぐり〉」着。画集『ねむの木の詩』などで知られる作品に見入った後、同館〈ねむの木緑の中〉まで山道をのぼり、そこから、関連施設が陸続と建ち並ぶ坂道をしっかり歩いて、学園へと下る。坂道を歩きながら、銀色に光る「踊る鉄塔」(中谷茂樹)を思いだしていた。詩の冒頭は「風が吹いたら送電線が/揺れる /すると鉄塔が踊りだす」。肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」が開園したのは1968年。ほどなく、「ねむの木美術教室」が開かれている。それらは周知だが、一帯が村と呼ばれるほどに育っていることを知らなかった不明を恥じた。ねむの木の立つ運動場への石段を降りながら響いてきた詩句は、「こころのいしを/じぶんで/とんかちでわりました」(西澤美紀「こころ」)。
こころの石を割り、時にはこころに石を育てる。書くこと、描くことは、それに近いかもしれない。
上野一彦先生と鈴木ひとみさんが、奥深く、少しお身体を、前に、・・・・・・ いや先に、・・・・・・だされて、つくられる、選考会の空気は濃かった。・・・・・・。その濃さに、ながく、ハート展をささえられた、スタッフの細心の眼差しが交叉をして、・・・・・・さらに、“未来からのかすかなひかり”も、差し込んで来て、名舞台をみるようでした。
もちろん、主役は、みなさんの“掌(たなごころ)の詩の心(こころ)”、それが、次第次第に、深くなってきている。こんなにも、速い、いそがしい、変化と交替のわたくしたちの時代に、・・・・・・もしかしたら、ハート展にむかって差しだされようとする、心の働きこそが、わたくしたちの未来の天空(ソラ)だと、ふと、つぶやくところにまで、ハート展は歩いて来ていたのかも知れなかった。NHKの“H”はハートだよな・・・・・・・と、口(くち)には、決してしなかったのだが、予感と未来への、・・・・・・閃光を、わたくしは感じていた・・・・・・。
詩とアートが響きあうハート展。選考にあたっては、自分もアートを描くつもりで、その詩からどんな映像イメージが浮かび上がってくるか、想像力をかきたてる作品に注目しました。
優れた作品は、字数は少なくても、知ったかぶりの理解を小気味よく裏切って、イマジネーションをどんどん広い世界に誘ってくれます。「ぼくがニョキッと出ました」という少年(鈴木礼央)は、自らがつくしになって地面すれすれの世界に遊びます。「すぎの先生」の復帰を喜び勇んで伝える少女(田中彩)。シスターもいる「わたしたちの『家』」とは? 子どもの匂いをくんくん嗅ぐ女性(新保いずみ)は、「食べたいくらい大すきなんだもん」。ときにミステリアスでさえあるこうした物語性に、ぐいぐい引き込まれていった選考でした。
独自の詩の世界はアートと共鳴し、いっそう奥深い世界に生まれ変わることでしょう。さらに、NHK教育テレビの「福祉ネットワーク」では、毎年、何人かの詩の作者の日常も取材して紹介しています。詩の中に秘められていた物語も明らかになるはず。どうぞテレビでもお楽しみください。












