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山田賢治のメンタルヘルス入門 #2視線の恐怖

この放送回の番組まるごとテキストを掲載しています

  • 2016年2月3日(水曜)再放送2016年2月10日(水曜)

出演者
清水 栄司さん(千葉大学大学院医学研究院・認知行動生理学教授)
山田 賢治アナウンサー

山田賢治のメンタルヘルス入門 #2視線の恐怖 の番組概要を見る

(VTR)

私たちが普段、あまり意識することのない、“視線”。
しかし、そんな人の視線が、怖くてたまらない。
“視線の恐怖”に苦しむ人たちの声が、次々と寄せられています。

“意識しても、視線が動くのを止められない。
前、横、斜め・・・視界に映るすべての人間が怖いです。”

“外に出ても、人の目ばかりが気になって、気が狂いそうになります。
歩くのも下を向いてしまうし、人の目もまともに見れなくなりました。
こんな自分が本当に嫌で、何度も死のうと思いました。”

山田:アナウンサーの仕事の時は、スイッチがONになるんですかね、じっと見たり、カメラの向こう側の人たちの視線も意識しながらふるまうこともできるんですけど、普段はあんまり見られたくない。
自分の心の中まで見透かされるんじゃないかって言う不安・・・。

人が人を見つめる、“視線”。
なぜそんなに恐怖を感じるようになるのでしょうか。
今回訪ねたのは、清水栄司さん。
「人の不安」について、長年研究や臨床に携わってきた専門家です。

山田:あの、視線恐怖っていうと、なんでしょうね、その、日本って、もの言わなくてもわかるでしょうって中で、結構アイコンタクトとか。
視線ってのものすごくコミュニケーションツールの中で、大事な部分を占めているのかなっていう。
やっぱり日本の文化とかそういうの関係あるんですかね?

清水:ええ、やっぱりあの、そのー、視線って非常に、おっしゃっていただいたように、非常にこうアイコンタクトっていうか、ま、目は口程に物を言うじゃありませんけど、やっぱり視線を送ることだけでだいぶいろんなことが伝わりますよね。
で、やはりその、まあこの、視線恐怖の方々が恐いと思ってらっしゃるのもその通りで、お辞儀の文化が日本の文化ですから、そうなんですね。
見られたら目を伏せるってのが、ま、礼儀だと。
まあ、欧米だとこう、握手をしに、目を向かい合わ合わせますけど、日本人はついこうなっちゃいますので。
やっぱりこの、視線を向けると、ま、あのー、ま、自分も苦しくなる、相手も、相手にも失礼じゃないかっていうふうに、ま、視線恐怖の方が考えてしまうのはやむを得ないのかなあと思いますですねえ。

山田:確かに何かそれで相手を不快にさせているかもしれないって思うときは。
いや、別に意識したわけじゃないんですけれど、こうやって話をしてて、こう、見た先に時計があったりすると、「あっ、何か早く帰りたがってる」と思われるんじゃないかな、っていうふうに思ってしまったり。

清水:だから本当にその、まあ視線を送るっていうメッセージを、まあすごく深く読んじゃうと、やっぱりいろんな恐怖につながるっていうことだと思うんですよね。

山田:ああ。
深読みしてしまうという傾向があるんですね。

番組では「視線の恐怖」についてカキコミを募集。
100件を越える体験談が寄せられました。

“電車の中などで、自分の視界の端に入っている人の顔がこっちを向いているだけで怖く感じ、その人を見ることができません。
何か小さいことをするだけでも怖いし逐一他人の目を意識して行動してしまうので、とても神経をすり減らし、疲れます。”

“見る気は全くないのに、人の目を横目で見てしまい、その相手に不快な思いをさせてしまっているのではないか、と罪悪感にさいなまれます。
会話に集中できなくなり、うつむいてしまって周りの空気が悪くなる。いっそのこと、目が潰れればいいのに・・・この恐怖症が災いするのも一理由としてあって、休学状態です。
このまま社会に出るとなると、怖くて仕方ありません。”

寄せられたカキコミから、視線の恐怖には、様々な種類があることが分かってきました。
人に見られているという、「他者視線恐怖」。
自分が人を見る視線が相手を不快にしているのではないかという、「自己視線恐怖」。
その中で目立つのが、正面が見られず、代わりに周りをチラチラ見てしまうという、「脇見恐怖」です。
大学生のティガーさんも、その一人。
高校に入ってまもなく、自分が脇見をしてしまっていることに気づき、悩み始めました。

ティガー:私としては、気づいたら、人とかを見ちゃったりしてて。
高校のときにクラスの子たちに、あいつ、また見ていたなって言われて。
陰口たたかれるようになってきて。
まっすぐが私の時は見れなくて、常に周りというか、横とか斜め後ろとかを気にしてしまうんで、相手と会話するときも、真正面を見ることがつらくて。
こう、あからさまに人にこう横を見ているなって分かるふうな見方ではなくて。

取材者:横目で見るからにらんでるように見える?

ティガー:そうです。にらんでる。
だからこそ、何かこう変に気持ち悪がられちゃったっていうか。
電車の中とかも、窓の外見ようと思っても、人が気になっちゃって全然見れなくて。
結構実際に、「ん?」みたいな気になる顔をされた時とかはどうしようって。
でも必死に、耐えてはいるんですけど、ほんとにつらいなって思った時は一回降りちゃうこととかもあって。
でもその人たちはこう自分がこうしなければ嫌な思いをしなくて済んだんだなって思うと、やっぱりこう申し訳ないなという気持ちもあって、何かこう罪悪感みたいなのもありました。

結局、誰にも相談できないまま、ティガーさんは高校3年間を終えてしまいました。

ティガー:こうなっている自分がまず恥ずかしいという考えしかなかったんで。
そこで、ほんと少しでも何か変な嫌悪感みたいなのを出されたら、もう死んでしまいたいと思うぐらいだったんで。

山田:そっかぁ、全然知らなかったですね。
こういう形でたくさんの恐怖があるんですね。

清水:そうですね。
まあおっしゃる通り、まあこういった不安がまああるっていうのは、皆さんわかっていただいてるんですけど、でもそのために、何で学校休むまでになっちゃうのっていうところについてはまだ理解が得られてないかもしれないですね。

山田:今回、番組ではですねえ、視線の恐怖ということでたくさんカキコミが来て、わたしも驚いたんですけども、実際視線恐怖症という名前はあるんですか?

清水:正式名称は、社交不安症とか。

山田:社交不安症?

清水:英語で言うとですね、ま、ソーシャルアングザイーティーディスオーダー(Social Anxiety Disorder)と。

精神疾患の国際的な診断基準である、「DSM-5」。
このうち、不安に関する項目の中に、「社交不安症」が記されています。

山田:対人恐怖っていう言葉もありますけど、それとは違うんですか。

清水:え、まあ、そういう意味ではあのー、ちょっとややこしいんですけど、ま、「対人恐怖症」っていう言葉自体が、実は、あのー、日本には昔からあって。
森田先生っていう方が。
ま、初めて対人恐怖症って言葉で、あの、世界に発信するというようなこともありまして。
ローマ字で対人恐怖症っていうふうに書いても、世界の、研究者はですね、あ、これは社交不安症のことだと、いうふうに、まあ、わかると。

山田:そうなんですね。
対人恐怖というのが、なんていいますか、国際的なスタンダードっていうか。

清水:ええ。

実は、日本では100年以上前から、「対人恐怖」の研究が進められていました。文化や社会と関係の深い、日本特有のものだと考えられていたのですが、海外にも似たような症状があることがわかり、国際的な診断基準ができたんだそうです。
社交不安には、視線の恐怖以外にも、様々な症状があります。食べているところを人に見られるのが怖い「会食恐怖」。
人前で字を書こうとすると手が震えてしまう「書痙(しょけい)」など。
すべて人と接する場面での不安です。

清水:高校生700人ぐらいにですね、この不安な症状についてお聞きしたんですが、だいたい30パーセントぐらいの高校生がですね。

山田:30パーセント、結構高いですね。

清水:そうですね。
ま、僕らも非常に驚きましたが、やはりそのぐらいの方が、あの、なんらかこの社交不安の症状を持っているということがわかってきました。

山田:でもこれってー、誰しもあるような気がするんですよ。

清水:やっぱり基本的には不安とか恐怖っていう感情は、ま、非常に人間が生きていくことに大事な感情なんですよね。
非常に程度がひどい、重い状態、この恐怖感とか、不安感がすごく大きくなりすぎると、やっぱり病気というような症状ということになってくると思います。

山田:何歳ぐらいがこの社交不安症ですか、発症しやすいんですか?

清水:まあ、あのー、一番多いのは、あのー、中高生だと思いますが、小学校高学年ぐらいから、やはり人前での、ま、発表とかに不安を感じるというお子さんは始まってきてますですねえ。
やっぱり自我が目覚めるようなって、ま、あまりやな言い方ですけどー、ま、人間社会にはこう、ヒエラルキーみたいなものがあって、あの、自分が、どのへんの順位なのかと、ま、あんまりいい言葉ではありませんけど、ま、最近、スクールカーストみたいな言い方があって、あのー、クラスの中のね、そういう序列みたいなことが、ま、気になっちゃうっていうお子さんの社会があるんだと思います。

山田:あー。結構、わたし振り返ると、周りの目が気になりだしたのも、だいたい中学生ぐらいかなあっていう。野球部だったんでー、髪も短かったんですけどもーでも、なんか自分のにおい臭くないかなとか、ちょっと気に…。
周りの反応が気になりだしたのも、思い返すとそのぐらいの時期かなあって。

清水:僕も小学6年のころに、やっぱり非常にこう、たくさんの生徒さんの前で喋んなきゃいけない時に、ま、非常にこう、スピーチ恐怖を感じて、あの、辛かった覚えがありますんで、自分自身も、まあ、今自分自身がこういうことに取り組んでるのも、ま、自分の過去の経験が非常にありますですねえ。

山田:そうなんですねぇ。
実際にその不安に感じてるときっていうのは、脳はどういう状態なんでしょう?

清水:脳には、まあ新しい大脳皮質という部分と、その奥のほうに、まあ大脳辺縁系という非常に古い脳の部分がありまして、そこに「扁桃体(へんとうたい)」っていうですね。

不安や恐怖を感じるとき、「扁桃体」と呼ばれる脳の中枢が活発に動いています。
不安に敏感な人は、この扁桃体への刺激がちょっとしたことで伝わりやすくなり、次のような“不安の悪循環”に陥ります。
人と接する場面で、ネガティブな体験をする。
「また同じようなことが起きるのではないか」と悪い予想をしてしまい、不安が大きくなる。
人を避けていくうちに、ますます不安になってしまう。
こうして、不安の悪循環から抜け出せなくなってしまうのです。
カキコミをくれた、さくらさん視線があわないよう、車の座席にならんで、インタビューにこたえてくれました。
中学時代には部活のリーダーをしていたさくらさん。
人と話すのも人前に立つのも大好きでした。
しかし、あるできごとをきっかけに視線が怖くなり、不安の悪循環から抜け出せなくなってしまいました。

さくら:高校の2年生のころだったと思うんですけど、修学旅行で外国に行ったときに、「目線が怖いよ」っていうふうに言われた。
たぶんその子も何気なく言った一言だとは思うんですけど、そこからどんどん自分の中で崩れていったところなのかなというふうに思っています。

取材者:けっこう素直に受け入れるというか、「あ、自分の目線怖いんだ」ってこう、思っちゃった感じ?

さくら:でもその友達もけっこう、その修学旅行に行く前までは信頼をしていたので、信頼してる相手から言われると、ほんとに素直に受け入れてしまったっていうのが現実でした。
その出来事から180度変わってしまったような感じで。
だんだん自分の視線が相手に不快感を与えているんじゃないかって。
そういう考えに支配されていくというか・・・。

やがてさくらさんは、自分を見ている「人の視線」も怖いと感じるようになっていきました。

さくら:周りの人の視線が気になって、でも気になっている人を見返すのもこわ、目が、目線があるっていうのが怖くて。
周りを見れないんですけど、またそれをその人が「なんかおかしいんじゃないかな」っていうふうに思ってるように思えて。
クラスメートだったり、あとは先生の視線、講義をしてる先生の視線が気になって。
板書も書けないので。
ICレコーダーというか、そういう機械を持って全部録音をして、大事なところを家に帰ってから書き取るとか。

取材者:あまりこう周りを見ないようにして暮らしている?

さくら:そうですね、目線が合うこと自体が怖いので。
メガネをして視線、視界を狭くしたり。
マスクをして表情があまり相手に分からないようにしたり。
真夏はサングラスかけたり。
その場に合わせた工夫をして、少しでもほかの人からの視線を減らすというか、自分自身の気になることを減らすっていう。
そういう工夫は常にしていて、その工夫だけでもけっこう疲れてしまう。

卒業して、中学生の頃からの夢だった
福祉関係の仕事に就いたさくらさん。
視線が怖くても、人が嫌いなわけではありません。

さくら:たぶん人と接するのが嫌いだったら、そういうところには行かないで、たぶん事務仕事というか、人とかかわらないで済む仕事を選んでる。
でもそうではないので。
人は好きだし。
でもなかなかそういう視線の恐怖があるので・・・そこがもどかしいというか。
その高校の修学旅行からやり直したいなっていうのは思いますね。

山田:さくらさんの最後の言葉がとても私は印象的で、人と関わるのは本当は好きなんだけれども、それがなかなかできないっていうのは……。
つらいなぁって。

清水:そういう意味では、本当、感受性が豊かな方ほど、やはりこの、不安についても非常にこう敏感になってしまうと。「不安に対する感受性」っていう言い方をしますけど。
やっぱりそれが高い方が、なかなかこういう悪いパターンになっちゃうと、もうどんどんこう、不安が大きくなっていってしまうっていうことがあると思うんですよね。

山田:ちいさんっていう方、書き込みで来たんです。
社会人になってから視線恐怖症になったっていう方で。
「母親に相談しても『そんなに気にしてないと思うよ』と言われる」と。
「頭では理解している。そんなに気にしていないはずとわかっていても、本能がそれをあり得ないの一点張り」と。
「誰かにに相談できるわけでもなく、相談しても『気のせいだ』『気持ちの持ちようだ』と言われて、誰も理解してくれないと。
しようともしてくれない。
孤独感にさいなまれます」と。

清水:やっぱりその、不安になってるときとか、気持ちがこう落ち込んでる、いわゆるネガティブな感情に支配されてるときって、考え方もネガティブになってしまいますので。
そういう不安が強いときこそ、精神科医ですとか、まあ心療内科医といったところが、あのー、まあ一番相談しやすいと思いますし、まあ学校でしたらね、あの、スクールカウンセラーの方とか、相談してもらうといいと思います。

山田:はい。
実際に、では医療機関に行った場合というのは、どんな治療があるんでしょうか?

清水:そうですね。
まああの、私たちがおすすめするのは、この認知行動療法という、あの、お話しをするセラピーなんですけど。

認知行動療法は、専門家と対話をしながら、症状を改善していく治療法。
ネガティブに偏っている「ものの見方」や「行動」のくせに気づかせ、バランス良く治していきます。
社交不安症だけでなく、うつ病などの治療に効果があると注目されています。

清水:まあそういう意味では、今までの悪いくせをよいくせに直すためにはどうしたらいいのかって、まあその実際の理論を知ってもらう感じですかね。

山田:ああ。
でも結構、自分と向き合うって、これ大変な作業なんではないかなと思うんですよね。

清水:まあおっしゃる通りですよね。
ただまあやっぱり、あの、そういう自分の、まあ病気なので、やっぱり自分が一番、まあ詳しくなってもらいたいっていうのはありますよね。
もちろん僕らは専門家なので、あのー、病気についてはよく知ってますけど、ただやっぱりその人、その人によって、やっぱり少しずつこうくせが違いますから。
先ほどの自己視線だったり、脇見だったり、他者の視線だったり、まあいろんなパターンがありますから、まあやっぱりその、アレンジしていくのは自分というところがありますね。
例えばあの、天井を見てもらってもいいですか?
で、天井はどんな模様ですかね 。

山田:どんな模様。
これはどう、えー、白い天井の中に、たくさんの穴が。

清水:そうですよね。

山田:ええ。でこぼこしてますね。
穴開いてますね。

清水:さすがアナウンサーさん。

山田:いやいや(笑)、全然細かく描写してないですけれども。

清水:上手な中継。
はい。いえ、大丈夫です。
これを描写するのはすごい難しいと思います。
これ、まあ天井に注意を向けてもらってる状態ですね。

山田:はい。

清水:で、今度、僕のほうを見てもらっていいですかね。

山田:はい。

清水:この、どんな僕はネクタイをしてますかね?

山田:ああ、ピンクのネクタイで、えー、小さい水玉模様、ストライプの斜めのストライプが入っていて。

清水:はい。ありがとうございます。

山田:とてもおしゃれなネクタイですね。

清水:ありがとうございます。で、今のやってもらったのが、「外に注意を向ける」っていう状態ですよね。
(注意を)自分の内側から外側にシフトして。
まあでも確かにだれでもこう、自分が見られてると思うと、自分のほうに注意は向いちゃいますから、それはまた、まあそれはそれで、まあ受け止めることは大事で、自分に注意を全く向かないようにするのは難しいですから。
で、またそんな自分に注意が向いてるなと思ったら、また外に向けるっていうような感じで、まあ上手にこう、(注意を)移動させることができるようになると、まあすごく楽になってきますよね。
やっぱりまあ現代人はこう頭の中でいろいろ考えなきゃいけないことがありますから、目を開けてるんだけど、外の世界は見えてないっていうことは多いかもしれません。

高校時代、脇見恐怖に悩んでいたティガーさん。
去年、大学に進学し、少し変化が現れてきました。

ティガー:大学って、その席が決まってないじゃないですか。
時間ごとに席も変わって、で、広い教室にみんなが隣り合って座るということも全くなくて。
自分であまりこう気を張らないところと言うか、その自分が行きたいなと思った席に座って普通に授業を受けていれば、あんまり気付いたら気にならなくなっていたんで。

環境が変わったことで、自分の内側に向いていた注意を、外側へそらすことができたのです。
少し症状が改善したことをきっかけに、ティガーさんは大学で出会った友達に、悩みを打ち明ける決心をしました。

ティガー:また就職すると、そうはいかなくなると思うんですけど。
最後のチャンスじゃないんですけど、そういう機会かなと思って。
多分、調べれば出てくると思うんだけど、脇見恐怖症っていうのがあって、それが、こう今、私は、今、それになっちゃっていて。こうそれも病気って認定されているわけじゃないけど。
高校のときにこうだったんだよというふうにずっと説明して。
で、そのー、今、こうやって説明をしたけど、みんながどう思っていても私は構わないから、ただ、そういう人間も周りにいるんだよというふうに知っててほしいですっていうふうに伝えて。
「言ってくれて、ありがとう」と言われて。
それが全然思ってもなかったので。
それがもうすごいびっくりして。
あとは、改善に協力するねって言ってくれたり。
一緒にこれからも部活頑張ろうって言ってくれたのもあって。
ここで治していけるならこれで治していって、自分の中でもこう成長できればいいなって。
そうさせてくれたのは、こう自分が脇見恐怖症になってしまった原因でもある、人とか環境だったんで。矛盾ちゃ矛盾なんですけど、でもそれで変わっちゃうから結構なんか。
自分も人間で変わるんだなって思ってて。
だからこそ、目の動きがどうこうではなく心の持ちようなんだなっていうふうに思います。

人が人を見つめる、視線。
その不安の渦に飲み込まれてしまった人を救い出すのもまた、誰かの温かいまなざしです。

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