本文へジャンプ

生き抜くという旗印 ―詩人・岩崎 航の日々―

この放送回の番組まるごとテキストを掲載しています

  • 2015年9月8日(火曜)再放送2015年9月15日(火曜)

出演者
岩崎 航さん(詩人)

生き抜くという旗印 ―詩人・岩崎 航の日々― の番組概要を見る

(VTR)

その人の呼吸の音だけが響いている。
闇の中、命の炎が燃えている。
歌が生まれる。

 ロッククライマーの
 力をください
 この断崖も
 登ると
 決めたのだ

詩人、岩崎航。
全身の筋力が衰えていく進行性の筋ジストロフィーを患っている。
僅かに動く指先で書く。
五行でつづる自由律詩、五行歌。
生きていく覚悟が刻まれている。

岩崎:自分に呼びかけてるわけなんですよね。
というのは、私は人の助けを借りないと、一日も一瞬も生きられない人間なので。
けど、そこからしか歌は歌えない。

詩人谷川俊太郎もその魂の叫びに心を揺さぶられた。
生きるとは。
なぜ歌うのか。

 点滴ポールに
 経管食(けいかんしよく)
 生き抜くと
 いう
 旗印(はたじるし)

私たちが岩崎さんの家を訪ねたのは、ある夏の日の事でした。
岩崎さんは体を動かす事が、自分の力ではほとんどできません。
食事、排せつ、入浴、全てヘルパーの介助が必要です。
薬や食事はおなかにチューブをさして入れる、胃ろうでとります。
一日中ベッドの上で過ごす生活になって、もう15年。

ヘルパー:胃ろうを始めたのは何年前からでしたっけ?

岩崎:そうですね、29歳だかそこぐらいな気がする。
いや、もっとですかね、30いくつだったかな。
もう既にうろ覚えという。

病気が進行し、呼吸する力が衰えたため
17年前から、人工呼吸器をつけている。

岩崎:こないだ呼吸器のトラブルがあって、アンビュー(手動の人工呼吸器)で、こう一時的にしのいだことがあったんですけど。

この暮らしの中から岩崎さんの詩は生まれます。

 たたかいだ
 これで
 何回目かの
 救急車に
 乗る

 失禁したあとの
 言葉無き優しさ
 屈辱と
 申し訳なさとを
 そっと包む

 眼(まなこ)だけ
 動かして
 観る
 窓は
 晴れやか

岩崎さんに詩を書く自由をくれたのが、パソコンです。
岩崎さんがこれまでにつづった詩は3,000以上。
今、作っている詩を見せてくれました。

取材者:すごくたくさんありますね。

岩崎:もっとあるんですけど。
今手を入れようとしてる。
最近これ書いたんですね。
4歳、6歳、8歳のことをちょっと、こんな感じで出してみようかと思ってるんですけど、まだ。

取材者:下書きの段階?

岩崎:そう。4歳の時に、確かジャムの瓶を落としたんです。母と買い物に行ってる時に。地面にバリーンと割れてしまって、それで大泣きしたことがあったんですけど。
6歳の時には、父からもらった綺麗なミニカーがあったんですけど、遊んでるうちにぶっ壊してしまいまして、どっかに隠したんですよね。確か壁の間の隙間みたいなところに。
それで証拠隠滅したという。
たぶん今でも同じところにあると思いますね。
でもあれから30年も経ってるんですけど・・・。

少年時代。3人兄弟の末っ子として生まれた。
幼稚園。わんぱく盛りの子どもだった。
小学校。友達と遊ぶのが大好きだった。
少しずつ歩きづらくなっていった。
中学3年生。立ち上がれなくなった。
高校は通信制へ。
家から一歩も出ない生活が始まると、次第に人と関わる事が怖いと感じるようになっていきました。

岩崎:孤立感があったんだと思う、疎外感というんですかねぇ。
他の同級生の友達とか、テレビで一般的に映っているような普通の私の同世代の人たちの姿をいろんなことで見たり知ったりしていくと、自分と比べてしまうんですね。
まぁ、表面的なことで比べてしまう。
どっか社会から取り残されているような感じですよね。孤絶感というか。
自由に人と関わっていけないような状況で、そういうふうに感じていたんだと思う。
この自分のままで生きてても、うん。
未来がないというか将来がない、そういう悲観的な気持ちにすっかり覆われていたので。

17歳のある日。
岩崎さんは死ぬ事を決意します。
しかし、その時…。

岩崎:同時に、死のうと思ってた心に同時に、このままで死にたくないと。
こんな涙をこぼしたり悲しんだりとか苦しんだりするためにだけ生きてきたわけじゃないだろうと。
せっかくこの世に生まれてきたわけだから、このままで死んでたまるかというような気持ちですよね。
死にものぐるいでもういっぺん最後に死にものぐるいで生きてみようと。

生きていくという覚悟。
しかし、それは治る事のない病と向き合う葛藤の日々の始まりでした。
20代半ば。岩崎さんは詩を書き始めます。

 病と向き合い
 堂々生きる
 そこから始まる
 地平線に
 太陽が 昇る

岩崎:自分に呼びかけているわけなんですよね。
自分の決心のようなものですよね。
この病を含めたままの自分で、堂々と生きていこうというような気持ちに。
ほんとに自分の心から自分自身で思えるようになった時がもう、そこがスタートラインで、それから私のいろんなことが始まっていくと思うんですね。

お父さんは震災のがれきの中で芽を出したという、ひまわりの種を植えました。
ぐんぐん成長していく姿を毎日楽しみにしています。

父:一本、一本こうやって、おはようってことで挨拶をしていくんですけどね。
やっぱりね、植物も気持ちが通ずるんじゃないですかね・・・。

お母さんが作っているのは、子どもの健康と長寿を願うつるし飾り。

 父と母が
 受けきった
 かなしみ
 そのままになんか
 しはしない

ありのままの自分を受け入れると決めた、岩崎さん。
しかし病が容赦なく進行していく中で、その覚悟が揺らぐ時もあります。

岩崎:私は人の助けを借りないと一日も一瞬も生きられない人間なので。
だからこういうふうに人の手を借りることに時に疲れてしまうというか。
一生だけどこれはつきまとう、私がこういう体である限りは、そうやって生きていくしかないわけだけど。
けど、そこからしか歌は歌えない。だと思うんですね。
そこからしか歌いようがないわけですね。

夜9時すぎ。
寝る準備をするため、呼び出しブザーで父を呼ぶ。

父:はい。寝るの?
これ1枚ではちょっと夜寒いぞ。

岩崎:既に暑いんだけど。まぁいいや。はい。

父:寒いようだったら言ってちょうだい。
じゃ、消すよ。

岩崎:はいよ。

父:じゃあ、おやすみ。

岩崎:おやすみなさい。

一人、暗闇と対じする夜。
惑い、揺らめく思い。
震える指先が紡ぎだす。

 どうしようもなく
 孤独の時間に
 こみ上げた思いひそかに研ぎ澄ます
 それを
 凱歌(がいか)として突き貫くのだ

月に1度、岩崎さんが楽しみにしている外出の日。
この日は会いたい人がいました。
7つ上の兄、健一さん。
同じ筋ジストロフィーを患い、入院生活を送っています。

岩崎:久しぶり。この前いつ会ったんだっけ。

健一:半年くらい。どう体調?

岩崎:体調?ちょっと調子悪かったんだけどね、けどようやく戻ってきた。

先に病気を発症し、闘ってきた兄、健一さん。
一緒に暮らしていなくても誰よりも気持ちが通じ合える、大切な存在です。

健一:食事がさ、飲み込みにくくなってきた。

岩崎:飲み込みにくいの?
やっぱりおかゆなんだよね?

健一:そう、おかゆなんだけど。

岩崎:まぁ、だけど食べられるからいいよね。

健一:お風呂とかどうしてるの?

岩崎:風呂は水曜日に入ってるんだけど。
ベッドの上でね。浴槽に入ってるの?

健一:浴槽には、シャワーだけ。

岩崎:入ると疲れるよね。

健一:そう、気持ちいいんだけどね。

岩崎:風呂入った感はあるんだけど。
気持ちはいいんだけどちょっと疲れちゃうよね。

健一:ホームページちょくちょく見てるけどさ。
結構、いい歌というか、感じることが書いてある。

岩崎:そう。見てくれてるんだ。

健一:ときどき。何でも続けてくってことが大事だよね。

岩崎:だんだん自分にもあれになってくるよね。
自然にというか。

健一:稔の五行歌もそうでしょ。続けること。

岩崎:お互い歳とったよね、やっぱり。

健一:老眼だしさ。近く見えない。

父:しかし稔と健一に歳とったなんていわれると、お父さんどうしたらいいんだい。

岩崎:もっと歳とったってこと。

父:こないだお兄がね、「還暦まで頑張る」っていうからさ。

岩崎:おお、すごいじゃん。

父:還暦まで頑張るっていうと、あと14年、だよな。
そうするとお父さんなんかざっと数えたって、なんぼだ?
今、72だから、86、87?

岩崎:超高齢者。

健一:すごくここまで元気でいられるとは思わなかった。なんかすごい感謝してます。

いとおしむように限りある時間を楽しむ兄、健一さんと弟、航さん。

父:ずいぶん稔と話が弾みましたね。

健一:稔としゃべると、ストレス発散できる。

父:ストレス発散か。はは。

健一:いつもしゃべってないからね。

岩崎:じゃあ、もっと頻繁に来ないといけないね。

健一:あんまり無理しないで。

岩崎:そうだね、みなさんに言われてる。

健一:そんなこといっても、責任感からね。

岩崎:大丈夫だ。

健一:よかった。

父:じゃあね。

岩崎:じゃあ、また来るからね。

健一:今日話せてよかった。

岩崎:そうだね、ありがとね。どうも。
じゃあ、またね。また来るからね。

 「お兄ちゃん」と
 昔から呼んでいた
 兄が
 「兄貴」になって
 ぼくを励ます

2年前、岩崎さんに転機が訪れました。
ホームページなどに掲載していた作品が反響を呼び、本を出す事になったのです。
初めての詩集「点滴ポール」。
詩集としては異例の1万部を売り上げました。

 弱い自分を
 奮い立たし
 奮い立たし
 格闘の
 人生歌

 日付の大きい
 カレンダーにする
 一日、一日が
 よく見えるように
 大切にできるように

岩崎さんのもとには読者からたくさんのメッセージが寄せられました。
岩崎さんの言葉に生きる力をもらったという声の数々です。

「感動しました」

「人生の伴走者になってくださいました」

「一日一日を大切に生きていこうと思いました」

岩崎さんの言葉に生きる力をもらったという声の数々です。

「私の戦い方があるんだとうれしくなりました」

岩崎:私は自分自身に向けて書いているっていうところがあるっていうのもあるんですけど、それが結果的に読んでくださった人の心に届く、力となって届くのであれば、それは嬉しいし、幸せなことだと思っているんですけど。
本当に、だから、あのとき死なないで良かったと思うんですね。
これすぐ人に言うんですけど。

かつて自ら人を遠ざけ関わりを断ってきた、岩崎さん。
今、岩崎さんは詩を書く事で人とつながる喜びを感じています。

 人人の真っ只中へ
 飛び込んでゆく
 それこそが
 ほんとうの人生の
 旅の始まり

岩崎さんは今、2冊目の本の執筆に取り組んでいます。
読者から「岩崎さんの事をもっと知りたい」という声が寄せられ、この秋にエッセー集を出す事になったのです。

担当編集:一番ポイントとして直していかなきゃいけないのが、この発作的にナイフがあって自分の命を絶とうと。
その時に同時に生きようと反転する気持ちがわき上がってきたというのが。
ここがやっぱり心の動きが、ちょっと読み手にはやはり、そうなったんだということでしかわからない。

エッセー集の核となるのが、病をどのように受け入れてきたのか。
その葛藤を描く部分。
揺れ動く心をもっと深く掘り下げなければ、読者に届かない。
編集者はそう指摘しました。

担当編集:五行歌がやっぱり、岩崎さんの闘病の記録だったら、僕はそこまで感じ入らなかった、会いにいかなかったなって。

岩崎:うーん。

担当編集:結局みんなここから、自分の人生や生活、いろんなこと、記憶とかを見ていきながら、いろんな力を得ていくというものだと思います。
自分の書きたいことはあると思うけど、それは何のために書くのか。厳しい作家の目で見て。
そこをぜひ乗り越えていって頂きたい。
信頼してお待ちしてます。

岩崎:や、ドキドキしますね。

担当編集:はは。大変な山ではありますが。

岩崎:そうですね、登りたいと思います。

自分自身に呼びかけてきた言葉。
その言葉を届ける事が岩崎さんにとって、生きていく力になっていました。

岩崎:もし何かで自分の人生というのか、色々なことで諦めてしまってもうダメだと思って、自分の命を投げだそうと思っている人もいるかと思うんですけど、そういう人たちに向けても、僕は、何ていうんでしょう、呼びかけたいというんですか。
私は今もいろんな惑いもありますし、生きている中で苦しいこともどうしていいかわからないこともたくさんある、わけなんですけど、そういうそのままの自分、そのままの生きている現在進行形の、生き続けていくという姿をそのまま、文章にしていく、詩にしていく、それが私の生きることじゃないかなって思うんですね。

 待っていて
 くれる
 その人のために
 たたかいの
 うたを うたう

岩崎:あっそろそろいいですか?ちょっと疲れてきちゃったんで。
ずっと撮られてると、疲れますよね。かっかっかっ。

カレンダーにもどる