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ブレイクスルー File.35 「ユニークフェイスの戦い」

この放送回の番組まるごとテキストを掲載しています

  • 2015年7月13日(月曜)再放送2015年7月20日(月曜)

出演者
ナレーション:風間 俊介さん(俳優)
オープニング・エンディング音楽:若旦那さん(歌手)

ブレイクスルー File.35 「ユニークフェイスの戦い」 の番組概要を見る

視線のとまどい

(VTR)

彼らに見つめられると、心の中に言葉にならない感情が生まれる。
まっすぐに見つめ返すと、傷つけてしまうのではないか。
かといって、急に目をそらすのも失礼だ。
視線をどこに向けたらよいのか分からない戸惑いと葛藤。
病気やケガによって、普通とは異なる顔を持った人たちがいる。
でも普通って何だろう?
普通の顔と普通でない顔の違いはどこにあるのだろう?
そして彼らの視線は、私たちに何を問いかけているのだろう。

あるNPOの解散

今年の春、あるNPOが解散すると聞いて、愛知県豊橋市を訪ねた。
NPO「ユニークフェイス」の代表を務める、石井政之さん。
「ユニークフェイス」はアザや傷など、顔に見た目の障害がある人々の自助組織だ。
石井さんの手元には、まだ白紙の解散申請書が用意されていた。
これに記入して届ければ、16年間続いた「ユニークフェイス」の活動に幕が下りる。

「ユニークフェイス」は1999年に、石井さんが発起人となって創設。
顔に見た目の障害がある人々のための初めての組織だった。
会が出来ると瞬く間に300人を超える会員が全国から集まった。
「ユニークフェイス」が掲げる目的は2つ。
一つは会員同士が互いに悩みを共有する事で、それぞれが抱える生きづらさを和らげる事。
もう一つは積極的にテレビや新聞などを通じて、自分たちに向けられる偏見や差別の苦しみを社会に対して訴える事。

VTR石井:我々の場合は外見が一般と非常に異なっているという事で、コミュニケーション上の障害が必ずと言っていいほど生じてる訳ですね。

こうした「ユニークフェイス」の活動は、石井さんの強い思いに支えられていた。
フリーのライターだった石井さんは、顔にアザや傷のある人々を長年取材し、数多くの本を執筆してきた。

取材者:これ単純に僕の個人的な受け取りなんですけど、何か石井さんのこの目が鋭いというか。 
何かこう、見つめ返されてる感じがしたんですね。 
強く言うと、にらみ返してるみたいにも見えたんですけど。

石井:それはですね、要するに僕はいつも一人っきりだったんですよ。
この顔で生きているという事において…。
周りにいませんから。

生まれつき単純性血管腫、いわゆる赤アザがある石井さんは、子どもの頃からいじめと戦ってきた。
同じ境遇の人と出会う事もなく、いつも孤独だった。
いつしか顔にアザがある人々を取材し、一冊の本にまとめたいと思うようになっていた。
13年もの間、自費で取材を続け、自身の体験も織り交ぜて「顔面漂流記」を執筆。
出版と同時に「ユニークフェイス」を立ち上げた。

彼らは訴えた。
「自分たちを特別な目で見ないでほしい。アザや傷は一つの個性にすぎない」と。
しかし、2006年を過ぎる頃から次第に活動は停滞していく。
解散に至った要因は一体何だったのか。

石井:顔にアザとか傷がある人たちを応援する組織ではあるんですけども、同時に僕はその彼ら彼女たちが人を支えるぐらいの人間になってほしいと思っていたんですけども、そこまでいかないですね。
自分の気持ちがもう行き詰まっていて、助けてほしいとサポートを求める人ばかりで、余裕を持って人にサポートを与えるところまでいく人が集まってこなかったと。
私の力不足は間違いないと思いますね。
…で、それが一番だと思いますし。
一つは僕が急ぎ過ぎたんですよね。

取材者:急ぎ過ぎた?

石井:急ぎ過ぎた。
メンタルのダメージを受けてる人がすぐに自分の足で立ち上がって、自分の考えを発言するというのはやっぱり時間かかるんですよね。

確かに顔にアザや傷のある人が顔と名前を出して、社会に訴える事は簡単ではないだろう。
それでも、そうした壁を乗り越えた会員が何人かはいた。

「ユニークフェイス」で前向き

私たちは、かつてメディアに登場した経験を持つ会員を訪ねる事にした。
彼らにとって「ユニークフェイス」とはどんな意味を持っていたのだろうか。

赤荻:どうも、どうも。こんにちは。

赤荻さんは「ユニークフェイス」の一員として、テレビの取材を数多く受けてきた。
赤荻さんの病気は、レックリングハウゼン病。
顔や全身の神経に腫瘍が出来る難病だ。
子どもの頃から周囲からの視線の暴力に傷ついてきたという。

取材者:上地さんの何かポスターとかありますね。
上地さん、お好きなんですね。

赤荻:そうです。フフフ。
やっぱり道を歩いてると罵倒も浴びせますし、凝視もされましたし、指さされもしましたし…とかあったんで。

取材者:罵倒とかあるんですか?

赤荻:結構…ありましたね。

取材者:それは見ず知らずの人?

赤荻:見ず知らずです。そうですね。

取材者:どんな事を言われる?

赤荻:ああ、それは…。
改札口だったんですけど、擦れ違いざまに「てめえみたいな顔のやつがいるから、この世の中悪くなんだよ」って言われたんですね。
一瞬「えっ、誰の事?」と思ったんですけど、でも私しかいないと思って…。
どんな人か分からないから。
擦れ違いざまに行っちゃったんで。

取材者:「ユニークフェイス」に入る前と入ったあとで、一番大きく赤荻さんの中で変わったなっていうの何ですか?

赤荻:昔は本当引っ込み思案で人見知りで、初対面の人、絶対話せなかったんですけど、それが入って訓練させられたというか。
人見知りもなくなって社交的になったし、明るくなれたし。
月1回定例会があるんですけど、そこで一応自己紹介をして自分の考えを発言すると。
4回目ぐらいから「あれ?ドキドキ感がなくなってる」って思って。
これは少し変わったのかなとか思って。

会員にとって、最も大切だったのがこの定例会。
一人一人が自分の体験や悩みを話し、ほかの人の発言にも耳を傾ける。
生きづらさを克服する第一歩となっていた。

VTR赤荻:「レックリングハウゼンです」って言っても絶対分かってくれないし。
言っても分かってもらえないんだったら、細かい説明しても自分のストレスたまっちゃうので、言わなくなってるという事ですね。

「ユニークフェイス」に参加して、自分でも驚くほど積極的になれたという赤荻さん。
今、上地雄輔さんのファン同士の交流が、生きがいになっている。

取材者:すごいたくさんあって。

赤荻:いやいや、これ少ない方です。
もっとある人、もっとあるんで。

取材者:コンサートとかは行かれたりするんですか?

赤荻:行きますね。行ってますね。
去年は11回行ったんですけど、今年はちょっとまだ4、5回。やっと5回。あと、チケット取れなくて。
ブログから友達、友達で。またその友達と知り合って、メール交換とかプレゼント交換とかやってますね。

取材者:一緒にコンサート行かれたりとかするんですか?

赤荻:行ってますね。一緒にチケット取るんですけど、お互い「取れなかった!」とか。

赤荻さん、私たちの視線はあなたを傷つけていませんか?
あなたを優しい目で見る事ができているでしょうか?

社会に文句を言っていい

「ユニークフェイス」で最も若い会員の矢吹さんは、メラニン色素を作れない先天性の疾患がある。
これまで周りの人から、奇異な目で見られる事も少なくなかった。

矢吹:「ユニークフェイス」に出会う以前というのは 、僕はだから何かこう日々ムカツク事が、例えばありますよね。
何かムカツク事があってもこれはしかたがないとか、我慢するとかそれで済んでたんですけど、「ユニークフェイス」に出会った事でこれは文句を言っていいんだとか。
僕が我慢するんじゃなくて、社会が変わるんだ…変わった方がいいんだっていうか。
そういう考え方の違い、考え方が変わったというところですかね、一番大きかったのは。
まあ、世の中に文句をつけていいんだっていう事ですよ。
実際に文句をつけてる人たちの集団でしたから。
まあ、みんながみんながそうではないですけど。
特に石井さんとか、代表的なよくメディアに出ていく人たちというのはそうでしたよね。

取材者:「ユニークフェイス」が解散するという事を矢吹さん、お聞きになってその率直な実感というか、何かお思いになった事ってありますか?

矢吹:ある種、自然な流れっていう言い方もできるかなと僕は思うんですけどね。
一番初めに問題提起をする人たちというのは 何と言うか…。
だから僕はそこが好きなんで…「ユニークフェイス」のそこが好きなところではあったんですけど。
初期の本当に始まったばかりの「ユニークフェイス」って何て言うか、戦う集団みたいな感じな訳ですよね。
なんだけど、ずっと戦っていられねえので。

取材者:それだけでずっと…。

矢吹:ずっとはなかなか難しいんだろうな、というふうには思いますね。
多分疲れちゃいますしね。

社会に声を上げて問題提起する事は必要だ。
そこからしか何も始まらない。
でも、社会がすぐに変わらないのも現実だ。
もしかしたら「ユニークフェイス」は、時代の中で一つの役割を終えたのかもしれない。

自分との戦い

もう一人、顔と名前を出してメディアの取材を積極的に受けていた女性がいた。
名古屋市に住む、奥中さゆりさん
生まれつき顔と体に赤アザがある。

取材者:「ユニークフェイス」というのは、どういう意味合いがあるものだったでしょうか?

奥中:私にとっては広がる世界。
自分たちの本を作りましょう。テレビに出ましょう。映画を作りましょうっていう形で、どんどんどんどん新しい事に参加していくようになりました。
だから会の中でも私の世界はどんどん広がって。

今から12年前の番組に、奥中さんの姿があった。
顔と名前が出せる、数少ない女性会員だった。
当時、奥中さんは「ユニークフェイス」の影響でNPOアドバイザーを始めていた。
初めて人と対面する仕事に生き生きと取り組む、奥中さん。

VTR奥中:とても楽しいです。講座が来ると、何 すぐにやりたがる私ですね。
楽しさを知ってしまったというところがあります。

当時、テレビ出演にあたっては「ユニークフェイス」の仲間が常に守ってくれているという安心感があったという。

しかしその後、奥中さんは事情があって会を離れる事になった。
今回の取材は個人として引き受ける、初めてのテレビ出演となる。

奥中:私の背中には「ユニークフェイス」っていうものが会はやめていてもずっと残っていて、一人じゃないんだっていう部分はあったと思いますけれども、本当にこれで一人になったんだなという気はしますね。
集団の力でやっていく事って、確かにメディアに出るとか。
メディア戦略に強い代表がいたから、これはできた。
いいグループだったと思うんですけれども、いろいろと啓発活動を打ってこれたので、それはとても大きな事だったと思います。
個人ではとてもできる事ではない。

取材者:奥中さんにとってそういうメディアとか、特にテレビの取材を受けるというのはどういう経験だったんでしょう?

奥中:あの…とんちんかんな答えしかできないと思うんですけど、「私、何でこう出たがりなんだろう?」って思ったのですね。
…で、ず~っとず~っとそれを今回の取材の話が来た時から考えていて、今日もずっと考えていて。
実はですね、ここに本があって…。

奥中さんが取り出した1冊の本。
そこには顔にアザや傷のある人が、テレビの中でどのような人間として描かれているのかを調べた記述があった。

奥中:「人々は異形の者は異形の者らしく『邪悪』な性格で『悲惨』な生活を送っており『ひきこもりがち』であるということを期待していることになる」っていうこのフレーズが、とても私にとっては大きいなと思っていて、いやいや…と思う訳です。違うでしょって思う訳なんです。
もうない団体を宣伝するために出てもいいのだろうかとか、いろいろ思ってはいましたね。
思ってはいたんですけど、やはり自分で出よう、出たいと思ったのは、私はまだ戦う事ができる…。すいません。これで泣いちゃうんですよね。

取材者:まだ戦えるというのは、それは世間に対してですか?

奥中:そうかもしれないですし、自分の思い込みかもしれないですし。
世間の人はそう思ってなくても、自分の中でやっぱり違うと思ってるのかもしれない。
誰に対して戦ってるのか、ちょっとまだ分かってないんですけれども。
それにしても会がなくなってしまっても、やっぱりまだ…。
ごめんなさい。泣きたくないんですけど。ちょっと、ここはカットですね。元気なところがいいんですけど。はい、あの…。
そうですね…やっぱり、やらなきゃいけない。

奥中さんにとってテレビに出る事は戦いだった。
もし人前に出る事を恐れたら、世間の偏見にも弱い自分にも 負ける事になる。

でも、奥中さん。今回もあなたは負けていませんでした。
きぜんとした、まっすぐな姿勢でカメラの前に立っていました。

「見た目」依存社会への問題提起

なぜアザのある顔は普通ではないのか。
普通の顔とは一体どんな顔なのか。
石井さんは著作の中で、この答えのない問いを繰り返し、私たちに突きつける。
そして私たちがどれほど深く、見た目の価値観に支配されているかを暴き出す。

「<普通>と異なる体を持った人は、永遠に蔑視という他者からの<まなざし>を受けつづけなければならないのだろうか」

「目をそらさずに、わたしを凝視すれば、わたしのボディイメージに巻き込むことができる。『お前の美意識は何だ?』と顔で問う。明確に答えられる人間はいない」

「普通でない顔、普通でない体。あなたの顔と体は普通なのか?逸脱しているのか?だとすればどこが?どのように?その根拠は?いったいいつから、わたしたちはそのようなボディイメージの奴隷になってしまったのだろうか」

「見た目」依存社会の中で生きる

見た目が重視される社会で、顔にアザや傷のある人々が生きる事は決して楽ではない。
久保さんは長い間、就職できない事に苦しんできた。

今年4月。就労困難な人々を支援する制度を利用して働き始めた。
業務を通してスキルを磨き、ゆくゆくは一般就労を目指している。

久保:こういう所でその、オフィスで働くっていうのは初めてと言ってもいいくらいでしょうか。
毎日が緊張の連続ですね。
頼まれた仕事で聞く事とか、そういうのがありますからね。
機械やら何か道具とかを利用するという時になりますと、譲り合ったりしますしね。

大学を卒業して以来、これまで50社近い面接を受けた。
どこも不採用だった。
その理由を知らされた事はなかった。
見た目が影響しているのではないかと、落ち込む事も多かった。

久保さんは都内の実家で暮らしている。
地下鉄で40分かかる通勤も初めての経験だ。
顔に赤アザを持って生まれた、久保さん。
20年前に父を亡くしてから、母と2人で支え合って生きてきた。

母親:目がね、パッチリ。
この時はまだ目のね、緑内障の手術してなかったから、とにかく目がパッチリしてたんですよ、この人ね。
だからかわいかったの。
のぞき込んで「あっ、赤い顔」とかすごいあの…この人はもう顔を背けてしまいますけど、そういうのって母親にしてみたらどうしたらいいんだろうって思ってましたけど。
耐えてるんですよね、一人で。

取材者:「ユニークフェイス」の活動を全体的に、お母様はどういうふうにご覧になってました?

母親:まあ、仲間作りだなっていうふうに見てましたね。
本人がそれで少しでも楽になるのなら、それでいいや。
障害として認めてくれるとか何かならいいんだけど、その当時なかったのよね?そういうのはね。
だから、どうにもならない。
じゃ、どうにもならない所に出ても、ただただ傷のなめ合いは嫌だなって、私は思ったんで。
本人が行って楽ならそこへ行けばっていう感じで。

久保:より多くの人たちに、こんな人間もいるんだっていう事を知ってもらう機会になるんじゃないかなとは思いました。
まあ、生まれてからこの姿でもって特に障害でもない。
けれども、伴う症状でハンディもあるんですけど。
なかなか認められないっていうつらさが長い間続いていたんですけれども、やはりそれは周囲の無知がある訳ですから、その無知をなくすためにはまず自分たちから発して知ってもらうっていう事が第一だっていうふうに思いました。

「ユニークフェイス」から学んだ事。
それは周囲の無理解を嘆くより、自分を知ってもらうために自ら声を上げる事。
久保さんにとって、それは今につながる大きな一歩だった。

撤退か?前進か?

かつて「ユニークフェイス」の最前線で戦い続けた、代表の石井さん。
7年前に結婚したのを機に、その生活は一変した。

現在、妻と2人の子どもの4人暮らし。
安定した収入を得るためライターをやめて、一般企業に就職。
「ユニークフェイス」の活動からもほとんど退いている。

取材者:石井さんが今、一番大事にしているものって何ですか?

石井:家族、家族。完全に今、家族ですよ。家族のために働いてますから。
特に子ども生まれてから変わりましたよね。
子どもはやっぱり大きいですよね。
子ども生まれたら当然人生観も変わるし、子どものために頑張ろうかなってなりましたけどね。

取材者:石井さんがお好きなものって何かあるんですか?

奥さん:まさにギョーザですね。
明日作ろうかなと思ってて、材料は買ってたんですけど…そうそう。

取材者:ギョーザ、お好きなんですね。

奥さん:好きですね。麺類全般、好きですね。
まあ、両親が反対しました。大反対でした。

取材者:結婚をですか?

奥さん:はいはい。大反対。
そう…やっぱ、つきあってた時はサラリーマンじゃなかったので、生活の面ですごく苦労するんじゃないかと。
顔の事は言わなかったけど、私が将来苦労するんじゃないかみたいな事はチラッと言いました。
例えば親族とかにどうやって紹介するんだみたいな。
どうやってってそのままじゃんって、私は思ったんですけど。
「どうやってって、どうやって?何が?」みたいな。はてながいっぱい飛ぶぐらい。
でも、親はそういうふうに思うんだって思って。

子どもの世話をしたり一緒に遊んだり。
家庭で見せる石井さんの表情は、社会を鋭くにらみ返していたかつてのものとは違っていた。
それは穏やかな夫としての顔であり、優しい父としての顔だった。

取材者:奥さんはつきあってる頃だから、その変化っていうのはよく分かんない?

奥さん:いや、分かってます、分かってます。

取材者:変わりましたか?

奥さん:すごく変わりました。

取材者:それは結婚して?

奥さん:うんと…つきあってからですね。
最初、第一印象がすごく悪くて。
もう、とても忘れられないです(笑)。
とても第一印象が悪くて。

取材者:どんなふうに悪かったんですか?

奥さん:人を寄せつけない雰囲気がすごかったので。
笑顔で挨拶しても返ってこないみたいな感じが「何だ?これは」みたいな。

かつて「ユニークフェイス」の問題を社会に問い続けた、石井さん。
家庭を持つ事で、その戦いから撤退してしまったのだろうか?

石井:若い時みたいに、独身の時みたいに最前線で戦うぞみたいなのはないですよ。
もしも今からタイムスリップして子どもの時にですね、こういう風景の映像があれば非常に よかったと思いますね。
見た事がないから。
そういう意味では、こういうふうに取材協力する事も誰かの…次の世代の人たちが見て感じるんじゃないんですかね。

取材者:見た事がないというのは、顔にアザがある方が家庭を持って幸せそうに普通に暮らしてる映像を見た事がないっていう?

石井:全くないですね。

石井さんは戦いをやめていなかった。
顔にアザがあっても、幸せで温かい家庭を作る事ができる。
そう世の中に示す事が石井さんの新しい戦いだ。
同じ境遇で苦しんでいる若い世代を応援するために。

「ブレイクスルー」すべきは

「ユニークフェイス」の人々は勇気を持って声を上げた。
自分たちを特別な目で見ないでほしいと。
それは彼らから私たちに歩み寄った、大きな一歩だった。
私たちは、彼らに歩み寄る事ができたのだろうか。

今でも顔にアザや傷があるために学校ではいじめがあり、就職できない若者がいる。
「ユニークフェイス」の人々は、今もそれぞれの戦いを続けている。
今、ブレイクスルーすべきなのは私たちだ。

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