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最期の日まで ―宮崎・ホームホスピスの日々―

この放送回の番組まるごとテキストを掲載しています

  • 2013年6月6日(木曜)再放送2013年6月13日(木曜)

出演者
市原 美穂さん (NPO法人 ホームホスピス宮崎 理事長)
石川 智信さん (宮崎県医師会 常任理事)
かあさんの家の入居者、家族、介護スタッフ、視察者
ナレーション
奥貫 薫さん (女優)

最期の日まで ―宮崎・ホームホスピスの日々― の番組概要を見る

自宅の雰囲気に近いホームホスピス 「かあさんの家」

宮崎県宮崎市。その住宅街にある、一見ごく普通の民家。今、この家に全国の介護や医療の関係者が続々と視察に訪れています。 その数は年間300人以上に達します。

視察者1:東京で同じような施設を立ち上げたくて。

視察者2:探していたものがここにあるとわかって、すごく良かったと思う。

ここは、がんなどで終末期を迎えたお年寄りたちが暮らす「かあさんの家」です。

どんな病状の人でも受け入れ、穏やかに死を迎えられるようサポートする。「ホームホスピス」と呼ばれ、新しい看取りの場所として注目されています。

ここでどう暮らし、どんな最期を迎えるかは、入居者の希望を最大限生かすことになっています。

入居者:ここはいいよ、みんな和気あいあいで。

(市原美穂さん NPO法人 ホームホスピス宮崎 理事長)

市原:死を考えることはどう生きていくかということですから。看取りとか人が死ぬということを隠さないで、地域の中に死を取り戻していく文化があれば、もうちょっと豊かな社会になると私は思っているんです。

入居者やその家族を支え、穏やかな最期を過ごしてもらうために。

ホームホスピスの日々を見つめました。

最期を支える ホームホスピス

ホームホスピス「かあさんの家」は、現在宮崎市内の4か所に作られています。そのうちのひとつ、市の中心部に近いこの家では80代から90代の5人が暮らしています。

高齢者世帯や一人暮らしで、介護する家族がいない人。
病状が進んだため、病院でも施設でも受け入れを断られた人。
そうした5人の生活を、5人の介護スタッフが、24時間、交代で支えています。

女性入居者:みんながいい人。だから死ぬまでここにおるつもり。

男性入居者:そうか、死ぬまでここにおるか、いいねえ。

女性入居者:古川さんが。

男性入居者:一緒におろうねえ。

女性入居者:一緒におるわね。

男性入居者:それがいい。

スタッフ:握手でもするね。

一同:(笑)

やってきたのは、近所で開業するお医者さん。この日は2週に1度の往診の日でした。容体が急変した時も、24時間いつでも駆けつけてくれます。

古川季男(すえお)さん。ここに来た当時は、末期の肺がんと認知症で、寝たきりの状態でした。

入居直後の古川さんです。それまでいた病院では、余命数週間と宣告されていました。話すことも食べることもできなくなっていたのです。しかし、入居から1か月後には、自分でご飯を食べるまでに元気を取り戻していました。

こうした変化は、なぜ起きたのか? 病院と「かあさんの家」との環境の違いが、大きな要因のひとつだと考えられています。

石川:結局、24時間縛られて点滴で拘束された状態の人が、自宅に近い雰囲気のかあさんの家で手足を自由に動かせるという環境になると、まず心が落ち着くんだろうと思います。心が落ち着くと元気が出ますね。

介護体制、こだわりは生活感。
介護スタッフに支えられての古川さんの生活……。
何より楽しみにしているのは、スタッフ手作りの食事です。

一同:いただきましょうか、いただきます。

古川:こっち? 右右! 寝床は? これだ! そうそうそう!

古川さんは認知症のため、毎日ベッドの場所を忘れてしまいます。

古川:苦しい。

スタッフ:肺に水が溜まっているから、ちょっとは苦しいかもしれんよ。

そして夜中に、度々目が覚めてしまうことも。

古川:1時間くらい起きるよ、後はまた眠る。すぐ眠る方やから。

スタッフ:まあ、これの繰り返しやもんね。

ここでは夜中に何度起きても、嫌な顔をされることはありません。当直のスタッフが、一晩中でも付き合ってくれるのです。

古川:何か食べたい。

スタッフ:冷たいけど、プリンでいい?

古川:うーん、うまい。

「生活の場であることを忘れない」かあさんの家が大切にしてきた思いです。

市原美穂さん(NPO法人 ホームホスピス宮崎 理事長)

市原:みんな最期まで生活をするんですよ。朝起きて「おはよう」って言ってごはん食べて、「おやすみ」って寝るまで。その生活をするのが最後は一番大切で、本当に普通の生活をしながら、最期まで穏やかに暮らせる場所が、自分自身が行きたい場所ということで、私たちも始めました。

看取りの場を探して

古川さんには、毎晩欠かさず会いに来てくれる人がいます。長女の鎌田洋子さんです。

洋子:歯磨きしなくていい? じいちゃん、歯磨き。

父親が入居後、見る見る元気を取り戻したことで、洋子さん自身も救われました。

洋子:これで最後というのはつらいなと思っていたら、また父が元気になって話すことができて良かった。まだ私たちは父と手術したこととか、いろんな今までのこととか、お礼とかお詫びとか、別れていく気持ちとか、話す時間を与えてもらったんだと思って嬉しかったですよね。

古川さんは、中学校の理科の先生でした。ユニークな授業でいつも生徒を楽しませていました。そして、家族を思いやる優しいお父さんでもありました。毎朝、お弁当をつくってくれていたそうです。

作業服の販売店を経営する洋子さん。仕事と介護が両立できないため、余命宣告を受けたときは、父を病院で看取ろうと考えていました。

しかし、余命宣告から20日後。突然、退院を求められたのです。医療制度改革の影響で入院期間が長引くと、病院の収入が減るようになっていたからです。

洋子:「うちは手術するところであって、入院をさせるところではないので、出てください」と言われてしまって、本当にどうしたらいいのかわからない状態でした。

洋子さんは、急遽、別の病院や介護施設を探しましたが、受け入れてくれるところはありませんでした。

古川さんは、認知症と末期のがんを抱えていたため、病院からは認知症を理由に敬遠され、介護施設からもがんの医療的なケアができないと拒否されたのです。

洋子:私がどう対処していいかわからない。私の未熟さも気になる。

そんなとき、知人の紹介で自宅のすぐ側に、「かあさんの家」があることを知りました。洋子さんはようやく看取りの場所を見つけることができました。

最期の日々 家族の苦悩

元気になった古川さんは、時にいら立ちを見せるようになりました。

古川:おーい、おーい、誰か。

「娘に会いたい」。繰り返し訴えます。認知症による記憶障害のため、洋子さんが毎日来ていることも、すぐに忘れてしまうのです。

古川:もういっぺん電話してみて。

スタッフ:出らんかったやろ、さっき電話したけど、車の中やから運転中やから出れんかったとよ、もう来る。

古川:来んて、おれが保証する。誰か来た?

洋子:娘だよ~。

古川:待っとったちょよ、誰も来んから。

洋子:毎日来てるから大丈夫よ。

古川:本当一人は寂しい。誰もおらんって、ここに人がおったわね、昼間はね。看護人もおらんって。

洋子:私は仕事じゃわ。

「もっと家族と一緒にいたい」父のその言葉を聞く度に、洋子さんは心を痛めています。

洋子:本当にこれでいいのかなって。父が「帰りたい、帰りたい」と言っているのに、娘がそれはできないと拒否してしまっていいのか。何で帰りたいのかなと思って、ここに不満があるというわけじゃないと思うんですよ。「ただ家族といたい」という父の思いがあるんだろうなと思って。何でそれを叶えてあげられないんだろうって思いもあって、きついですよね。

ホームホスピス 本人に寄り添う

「かあさんの家」の代表、市原美穂さん。 元々は、医師である夫と共に、宮崎に緩和ケア病棟を作る活動をしていました。

その中で、「病院や施設を出て家に帰りたいが、さまざまな事情で帰れない」という相談が数多く寄せられました。

そこで、在宅に近い受け皿、ホームホスピスを仲間の医師や介護関係者と共につくることに決めたのです。

目をつけたのは、空き家。費用が抑えられる上に、自宅のような雰囲気に。さらに、宮崎市内につくる「かあさんの家」それぞれに、市民活動で培った人脈を生かし、往診してくれる医師を確保したのです。

入居者第1号の内田澄志(きよし)さんです。当初、長男夫妻の介護を受けていましたが、長男が過労で倒れ、自宅での生活が難しくなりました。

入居日の澄志さんです。排泄や入浴も自分でできない状態でした。それでも市原さんは、今何をしたいかを聞き、それを叶える努力を続けました。

市原:最終的には本人がどう思うかが一番大事です。だから、ご本人の気持ちに寄り添うことを大切にしたいと思っています。

長男夫妻と協力して、澄志さん本人の思いを汲んだ目標を立てました。

(長男 内田保實さん)

保實:最初は、おむつを外すことを目標にしとったんもんね、それが自分でできだしたから自信を持って、「ああしたい、こうしたい」っていう意志が出てきたもんね、本人にもね。

入居から9日後には、介助つきで歩けるようになりました。そして1か月後には、大好きだった温泉に家族で出かけることができたのです。

保實:父の心が平穏になってきた。表情といいなんといい、落ち着いてきたし、そこが一番良かった。

家族での旅行から1年。澄志さんはかあさんの家で、看取りのときを迎えました。

保實:最期は私たちだけにしてくれて、遠くから見守って、用があったときだけ、こっちがお願いしたら対応してくれるだけやから。身内だけでゆっくり(看取りました)。

澄志さんが亡くなってから8年。これまでに44人のお年寄りを看取ってきました。

「本人と家族の希望に寄り添う」
今、市原さんは、この理念を全国各地から視察に来る人たちに伝えています。

市原:ここに家族の人は寝ていて、ここで看取りましたね。たくさん家族が来て、座ってお茶を飲んでいましたから、それは自分の実家で看取っていくような雰囲気です。

「かあさんの家」をモデルにしたホームホスピスは、近畿や九州など、全国10か所に広がっています。

出来るだけ本人の希望を叶えるために

スタッフ:おかえり。

入居から8か月。古川さんの体力は、少しずつ落ちていました。

古川:ゴホゴホ。

日中、息苦しそうにする回数も増えています。

古川:もう死ぬか?

スタッフ:何で? まだ大丈夫。

古川:死ぬ?

スタッフ:どうかあるとね?

古川:なんか死にそうな予感。

スタッフ:気のせいやね、それは……ね。

「古川さんの体力は限界に近づいている」介護スタッフのリーダー、矢野さんは医師からそう聞いていました。

矢野:今度、お詫びに私が外出、連れて行くわ。

古川:いいよ、お願いします。

矢野:田野中学校でいい? 田野中学校行きたいって言ってたけど、行く?

古川:お願い。

古川さんは、昔勤務していた中学校に以前から行きたがっていました。矢野さんは、その希望を叶える手伝いをしたいと考えています。

(ヘルパー 矢野多津子さん)

矢野:本当にもう苦しそうだし、まあ、行くなら最後のチャンスかなと思って。いい顔が見れるといいな。

3日後、古川さんの外出の日。

市原:運動場は元のまんま?

古川:全然覚えがない。

矢野:場所は変わってないけどね。

古川:だいたい植物が違う。

古川さんの記憶を呼び覚ますものは、なかなか見つかりません。しかし、矢野さんたちは、あきらめませんでした。学校の隣に住む卒業生を呼んでみることに。

(旧姓 横山栄子さん)

横山:おはようございます。

古川:見たことある。

横山:誰か?

古川:何か見たことある。

横山:誰です? 先生。

古川:覚えてない。

横山:旧姓はね、横山栄子。

古川:横山栄子、暴れん坊!

横山:覚えちょった?

教師と教え子だったときの記憶が一瞬にして蘇ります。出席できなかった同窓会の写真と、記念品を持ってきてくれました。

横山:先生聞いちょって、「懐かしい友に出会えた今日の日に感謝」っていれたとよ、長生きしな、長生きせんとあかんよ。覚えててくれてねえ。

古川:こないしてみんなが後を押してくれる、嬉しい。

横山:元気しとってよ、あの頃は泣くような先生じゃなかったんだけど。

かけがえのない一日となりました。

最期まで家族と過ごしたい

この日の夜。古川さんは、長女の洋子さんに宛てた手紙を書いていました。「家族と一緒にいたい」。古川さんの気持ちは変わりませんでした。

次の日、代表の市原さんが洋子さんを呼び出しました。

市原:1回ね、ずっと話さないといけないなと。

死が目前に迫ってきた古川さんをどこでどう看取るのか、話し合うためです。

市原:(どこで看取るか)いつも確認するんです。どうしましょうかって、かあさんの家で看取りますかって。「お願いします」と言うときは、こちらでみますけども、とにかく本人とご家族が一番いいところを、どうやってサポートするかっていうことですよね。

市原さんは、洋子さんと一緒に古川さんの望みを叶えてあげたいと考えていました。

市原:家に連れて帰る、古川さんの希望が一番いいと思うが、それについて不安はありますか?

洋子:どの状態でどんなふうに何をしてあげたらいいのか、まったくわからないので。

市原さんは医師の指示の元、最後の数日間を見計らって、家に帰すという方法を提案します。

市原:先生とご相談して、もう家に連れて帰る。例えば、1、2週間だったら、お家で大丈夫ですか?

洋子:それぐらいだったら、大丈夫。連れて帰るのがいいのかなって。親戚とかも連絡して、いつでも誰でも出入りできるようにしといて、看護婦さんに何かあったときに来てくださいと。

市原:お願いすればいい……。

そして、古川さんの自宅に介護スタッフを派遣し、いつもの医師が往診してくれるよう頼むことを約束しました。

市原:自分がいてほしい人たちの声がね、孫が騒いでいたりとか聞こえるのが一番安心だと思う。

洋子:自然に父は消えていくけど、私たちも納得して最期を送られるそういう気持ちを持てたと思います。父があのとき、奇跡の回復をしてくれて良かったと思います。

洋子さんは、父・古川さんを自宅に迎える準備を始めました。
父と過ごした日々をもう一度、家族で思い出したい。
皆が集まるリビングの隣。父の書斎で、見送りたいと考えています。

洋子:本当に家族を大切にしてくれる人だったので、たくさんの家族に囲まれて、父のこと、昔のことをいろいろ話しながら、和気あいあいとした雰囲気の中で、父に眠ってもらうのがいいのかなって思います。

古川さんは、自宅に帰った1か月後……。孫やひ孫など家族9人に囲まれ、眠るように息を引き取りました。


現在、宮崎市内の4か所にある「かあさんの家」の入居者は21人。ひとりひとりを、最期の日まで……皆で支え合う、旅立ちの家です。

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