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シリーズ戦後70年 障害者と戦争 ある知的障害者たちの戦中戦後記
第1回 消え入った10の命

  • 2015年8月19日(水曜)再放送2015年8月26日(水曜)
  • アンコール放送2016年8月10日(水曜)再放送2016年8月17日(水曜)【再放送】13:10~

放送内容

シリーズ戦後70年 障害者と戦争 ある知的障害者たちの戦中戦後記 第1回 消え入った10の命 の番組まるごとテキストはこちら

  • 子どもたちのお墓
  • 清里での慰霊祭(藤倉学園の子どもたちの墓碑の前で)

ハートネットTV「シリーズ戦後70年」では、8月、<障害者と戦争>について考えます。8月19日・20日は日本の知的障害者たちのたどった道を見つめます。

戦中戦後の知的障害者たちの知られざる境遇を示す記録が、70年ぶりに発見されました。施設の保母が代々、戦前から戦後にかけて毎日記した業務日誌と、記録映像の数々です。
その施設は昭和19年夏、軍の要塞化で温暖な伊豆大島を追われ、何の補償もないまま30人の知的障害者を連れて山梨県の開拓村に疎開していました。日誌には、入園者たちが飢えと寒さで徐々にやせ細り、1人また1人と息を引き取っていく過程が記録されています。1年余りの間に10の命が消え入りました。
なぜ悲劇は起きたのでしょうか? その経緯と背景を追跡します。

関連情報

★VTRでご紹介した 知的障害者施設「藤倉学園」について

キリスト教徒であった創設者の川田貞治郎(ていじろう)(1879-1959)は、明治初期に渡米し、知的障害者施設を視察。明治30年10月、愛知県と岐阜県を大地震が襲い(濃尾地震)、大量の災害孤児が生まれた。その中に多くの知的障害児がいたという社会背景の中で、大正8年、日本で4番目の知的障害者施設として伊豆大島に開設された。
知的障害児には、一人一人に適した教育があるとの信念の下、川田は独自の方法論で、施設で生活する障害児たちの教育を行なった。1944年7月、伊豆大島の要塞化を進める軍の要請で、施設を明け渡すこととなり、親元へ帰ることができず、引き取り手のなかった30名の入園者とともに、8月山梨県清里へ疎開した。
戦後すぐ、伊豆大島へ戻り、現在では川田の長女・川田仁子理事長の下、知的障害者更生施設として、定員2名と4名の居室で、あるいは、将来的に地域での自立を目指す場合は近隣で学園が運営している1棟5名のグループホームでの個室で居住しながら、農作業、織物、ビーズ細工、食品加工などの日課を行なう入園者たちの生活を支援している。また、知的障害者が地域で働く場として、大島元町にてカフェを運営している。

社会福祉法人 藤倉学園 
大島藤倉学園 
〒100-0101 東京都大島町元町字馬の背128
電話:04992-2-2386

出演者

  • 川田 仁子さん

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