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患者の声が医療を変える。
佐藤均さんは再発がんと闘いながら街頭に立ち、時にはテレビに出演し、訴え続けてきました。
佐藤: 目的をひとつにして頑張っていけば必ず改善していくんですね。日本はそれが一番足りないんですね。がん患者・家族がね、もっと声をあげていかないと変わっていきませんよ。
(2004年12月24日放送「がんとともに生きる」より)
去年5月、佐藤さんの願いが実現しました。
大阪で開かれた全国初の試み「第1回がん患者大集会」です。この時、佐藤さんのがんは肝臓から肺へと転移。微熱と咳が続く中、入院先の病院から会場にかけつけました。そばにはいつものように妻の愛子さんが寄り添っていました。患者と家族が手をつなぎ、がん医療を変えていこう。会場は、2千人を超える人で埋まりました。
佐藤:
こんなにうれしいことはないんですよ。
まさに日本のがん医療の向上のための第1歩がいまやっと今日スタートしたんですよ。
目的をひとつにして頑張りましょうよ。
(2005年5月28日「第1回がん患者大集会」より)
佐藤さんとともに活動を続けてきた患者仲間、実行委員長の三浦捷一さんです。
三浦:
がん患者が本当に困ったときに求めているのは生きるための希望なんです。
その希望を与えてくれるのは情報なんです。
だからその情報をすべてのがん患者さんに平等に共通に正しく正確に届けるシステムが絶対必要なんです。」
(2005年5月28日「第1回がん患者大集会」より)
三浦さんたちは国に対して、治療ガイドラインなど患者が必要とする情報を提供する「がん情報センター」の設置を、大会の決議として強く求めました。
尾辻厚生労働大臣が、実行委員長の三浦さんから決議書をうけとり、会場を去ろうとした、その時のことでした。
佐藤:
最後に全国の苦しんでいるがん患者の声がうまく行政に反映させられるように、よろしくお願いいたします。
(2005年5月28日「第1回がん患者大集会」より)
その後、国は患者の声を全面的に取り入れる形で情報センターの設置を発表しました。
佐藤さんが亡くなったのは、2005年6月、大集会の1か月後でした。
それから、8か月。
佐藤さんの遺志は、多くの人たちに引き継がれています。妻の愛子さんもその1人です。愛子さんは、自宅近くの空きテナントを利用して地域の人が気軽に訪れ、治療についての情報を交換したり、不安や悩みを語り合える場を作ろうとしています。
「がん情報サロンちょっと寄って見ません家」と名付けました。
「ほんとに1人でも多くの人に主人の遺志を伝えてあげたい。だから、いろんな人にこの場を利用してもらいたい。主人が思っていることを私が代わりにやっていこうと思っています。」(愛子さん)
佐藤さんが亡くなったあと、愛子さんは、生きる気力さえも失っていました。その愛子さんが、一歩踏み出すきっかけになったのが患者仲間との出会いでした。
その一人、三成一琅さんは、膵臓がんと闘っています。もう一人の仲間、納賀良一さんは、膀胱がんの体験者です。納賀さんは、愛子さんと三成さんの助けを借りて、自分が暮らす益田市で初めての患者会を作ろうとしています。納賀さん達が活動を始めたきっかけが、佐藤さんでした。キャンペーンの番組で見た佐藤さんの姿に心動かされたのです。
「私が踏み切った動機というのは、佐藤さんに後押しされて、お前やれよ、しっかりやれよ、そんな想いだったですよ。」(納賀さん)
すでに60人を超える患者や家族が参加。月に1回のペースで集まり、地域の医療の課題や、悩み、不安について語り合っています。
「患者が声をあげることで医療を変える。」
いつもそばで聞くだけだった夫の言葉を、今、愛子さんが、伝え始めています。
2006年3月19日
東京渋谷で第2回がん患者大集会が開かれました。会場に愛子さんの姿がありました。大集会には、去年を上回る二千五百人もの患者、家族が集まりました。今年10月からスタートするがん情報センターの具体的な中身について、会場も一体となった議論がかわされました。
「家族、患者の方、みなさんおひとりひとりの気持ちが大きな輪、うねりとなって、手をつないで、そうすればきっと国と医療が変えられると思うんです。主人もそれを信じておりました。
みなさま、どうかもっともっと輪を広げてたくさんのうねりを作っていきましょう。」(愛子さん)
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