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番組ガイド家族と意見が分かれたとき 〜子宮けいがんの治療法を巡って〜 林文子さん(54歳・大阪府)
プロフィール
2002年2月 子宮頸(けい)がんであると診断され、
抗がん剤治療を受ける
2002年4月 家族の反対を押し切り、手術を延期する
2002年12月 安定していた病状が悪化する
2003年1月 患者サポートグループから情報を得て、
放射線治療を選択する
「私が選んだ治療法にかけてみようって言ってくれたときのうれしいこと。それから私は変わりましたね」1手術を受けたくない
 大阪で婦人服の専門店を経営する林さんご夫妻。妻・文子さんへの子宮頸(けい)がんの告知は、本人だけではなく夫の成伍さんにとっても重い宣告でした。 「がんっていう言葉は、意味は分からなくても怖いというのは分かる。それが自分に宣告されたわけですから、「ああ、これは大変なことだ」と思うんですよ」(文子さん)
「がんと言われたら、80%もう死の宣告を受けたような気持ちになるね…」(成伍さん)
 文子さんは10日後に入院し、抗がん剤治療でがんの腫瘍(しゅよう)を小さくしたうえで、子宮摘出の手術を受けることになっていました。抗がん剤が効き、あとは手術を待つばかりとなったとき、突然、文子さんは手術を受けたくないと言い出しました。
「私の身体の一部がなくなるいうのが、絶対に嫌だったんです。しかも子宮。それも聞いたら、女性としての機能もみんななくなるということで…」
2治療法をめぐり家族と意見が対立
 手術を受けてほしいと望む成伍さんに対して、手術で子宮を失いたくないと強く拒む文子さん。家族に黙って手術を延期してしまったことで、子供たちもいらだちを募らせました。
「私はもう手術しか方法がないって思うからね。でも手術はしたくないと言う。せんことには治らんでしょう。私としてはもう即、死やと思うんや」(成伍さん)
「どうして言うこと聞かないかなって思う。そんなに死にたいのかって思いましたけど。家族はどうしたらいいのか分からない。勝手に退院してくるし、出てくるし」(長女)
 どんなに話し合っても議論は平行線のまま。文子さんと家族の溝は深まる一方でした。孤立感を深めた文子さんは、ある日、行き先も告げずに家を飛び出しました。
「私がおるとみんなに迷惑かけると思って。後のこと考えず、とりあえず出てしまったんです。やっぱり枕がぬれましたね。一人で泣いてましたね。分からへんけど何か辛くて」
 その日一晩はそっとしておいて欲しいと言う文子さんの気持ちを、家族は受け入れるしかありませんでした。
3家族も賛成し、放射線治療にのぞむ
 結局、手術をとりやめ、文子さんは職場に復帰しましたが、8か月後に体調が急変し、がんが進行していることが分かりました。手術をしたくないと思い悩んでいた文子さん。週刊誌の記事で婦人科がんの患者をサポートする団体の存在を知り、すがるような思いで連絡をとったところ、「放射線治療でも手術と同じぐらいの効果が期待できる」という情報を得ました。さっそく文子さんは家族に理解を求めました。本人が努力して勉強して、そうしたいと納得した治療法なら…と、今まで手術を主張していた成伍さんも賛成。
「もう、それこそ私はうれしくて。私の気持ちに乗ってくれて、かけてみようって言ってくれたときのうれしいこと。それから私は変わりましたね。性格がまた明るくなって」
 6週間の放射線治療を受けた結果、がんは消え、経過も順調です。
「今思い返しても、本当に大変だったと思います。何事にもあまりめげずにね、何かあったら主人に相談しようと思っています」(文子さん)
(2003年10月7日放送)
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