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番組ダイジェスト

人生を描く ―ろうの画家・八木道夫―(後半)

2014年9月14日(日)放送

ろうの画家
八木道夫さん、66歳です。

日本を代表する公募展の一つ、
国展に32回連続で入選を果たしています。
海外でも数々の賞を受賞してきました。

八木さんは、ピエロの絵を30年以上描き続けています。

ほほ笑むピエロ。
しかし、仮面には一粒の涙。
八木さんは、ピエロの絵で何を表そうとしているのでしょうか。

(八木さん)
ピエロの絵を一生懸命描くことは、自分の心の奥底にある悔しさや悲しさ、
喜びなど、心の奥底にある思いを絵に込めて描いているんです。

ピエロを描きながら、自分自身を見つめてきた八木さん。
その人生をたどります。

ピエロの絵とは

7月下旬、さいたま市で八木道夫さんの個展が開かれました。
花や風景画など、さまざまな絵画が並びます。
八木さんのライフワークである、ピエロの絵も展示されています。

明るい風景の中に、
どこか遠くを見つめているようなピエロ。

もの悲しげに、
ほほ笑むピエロ。

(お客さんインタビュー。祖母と孫。)

(祖母)

表情が豊かですよね、すごくね。
無さそうであるんですよね。
一人一人が全部違うんですよね。

(孫)
毎年、表情がちょっとずつ変わっているところがすごい魅力かなと。
だから毎回ここに来るのが、すごい楽しみです。

実は、八木さんはピエロを自画像として描いています。
そこには八木さんのさまざまな経験が反映されていると言います。

(八木さん)
ピエロを見たとき、私と通じるものがあると思ったんです。
悲しみ、苦しみ、喜び、怒られたことなど、
いろいろな経験を私は持っています。
そして、それを絵に込めて表現しているのです。

聞こえない辛さを抱え、それでも絵をあきらめなかった

八木さんは、生まれたときから聞こえません。
絵を描き始めたのは、幼稚園のとき。
それ以来、絵は言葉の代わりとなりました。
しかし、聞こえないことに悩んだ時期もあったと言います。

(八木さん)
母に、どうして僕は聞こえないんだ、上手に声を出せるようになりたい、
耳が聞こえるようになりたいとぶつけました。
自分は聴覚障害者なんだ。
もう治らないんだ。
死ぬまで、ずっと治らないんだ。
という話を聞き、さみしく思いました。
「聞こえないけど負けないで」と、母から言葉をもらいました。
私はあきらめようとは思いませんでした。
「負けるな 負けるな」と、母がよく言っていたのを覚えています。

高校卒業後、肖像画のプロのもとに弟子入りした八木さん。
兄弟子たちとの共同生活。
聞こえないのは一人だけでした。
つらい事も多かったと言います。

(八木さん)
先輩からいじめられたこともあります。
嫌なことを言われたこともある。
「聞こえないから分からないんだね」と言うんです。
みんなで一緒に飲みに行くときも呼ばれません。
どこに行くのと聞いても、用事があると、うそをつかれたこともありました。

それでも、あきらめずに技術を磨き、23歳で画家として独立します。
肖像画だけでなく、さまざまな分野にも挑戦していきました。
ふすま絵や掛け軸、びょうぶ絵まで、あらゆる注文に応じました。
依頼主の期待に答えたいと、寝る間も惜しんで技術を磨いていったのです。

(八木さん)
それはプロだからです。
どんな注文でも受けるのが、本当のプロだと思っています。
プロでも、それはできないと断ってしまう、
私は肖像画専門だから、できないと断ってしまうのはプロではない。
何でも描く。
心の中で、すべて描けると思うこと、それがプロだと思うんです。

ピエロとの出会い

しかし年がたつにつれ、別の思いが強くなってきました。
客の依頼を受けるだけでなく、もっと自分自身を表現したくなったのです。
そんなとき、転機が訪れます。

きっかけは、このピエロの人形。
デッサンの練習用に、なにげなく買ったものでした。

ピエロとともに成長してきた八木さん

35歳のときの作品です。
ピエロの人形を静物画として描きました。

すると、描き続けるうちに、
ピエロが何かを訴えているような気がしたと、
八木さんは言います。

(八木さん)
人形を目の前にして、いつも絵を描いていました。
でも、だんだんと私自身の気持ちが変わってきたんですね。
ピエロが自分自身のように感じてきたんです。
私自身がピエロになったんです。
不思議ですね。
この描いている手が、ピエロの手が描いているような感覚になったのです。
それから、人を描きたいと思いました。
人形から人間に変わったんです。

人形ではなく、生きた人間のピエロを描きたい。
そう思って描いた作品です。

出来あがったピエロは、うずくまり、さみしそうな表情を浮かべています。
そこに表れたのは、八木さん自身の心でした。

(八木さん)
初めの頃は、暗い絵でした。
私は、まだ狭かった。
つまり、誰ともつきあいがなかった。
会話もなかった、自分だけの世界でした。

聞こえないがゆえに、家に閉じこもりがちだった八木さん。
絵の仕事は増えても、心は満たされないままでした。
聞こえない苦しさは内に秘め、絵で人を楽しませようとする自分。
そんな自分自身が、ピエロと重なったのです。

(八木さん)
ピエロは、顔に悲しさを表すことは絶対にしません。
怒りの表情も見せません。
ピエロは、みんなに楽しんでもらうために、
いつも笑顔を見せているわけです。
私も苦しみや悲しみを顔には出しません。
心の中に秘めて我慢しているものです。
聞こえないけれど、その苦しさは心の中にしまっておきます。
そんな気持ちを絵で表現しているんです。

その後も八木さんはピエロを描き続けました。
国展に出品したピエロの絵は32点。
その全てで入選を果たしました。

海外でも注目されるようになります。
フランス、ドイツ、チェコ、クロアチア。
さまざまな国で賞を受賞しました。

世界各地に出かけては、絵を見に来た人と語り合うようにもなりました。
それとともに、ピエロの絵にも変化が起きます。
表情や色合いが、だんだんと明るくなっていきました。

(八木さん)
展示会で絵を発表していく中で、お客さんが来てくれて絵を見てもらいました。
見てくれた人たちが、いろんな言葉をかけてくれるんです。
明るくなったことは、皆さんの言葉のおかげだと思っています。
やはり、人とのつきあいが大切だったのだと思いました。

絵を通して生まれた人々との交流。
それが八木さんとピエロの絵を変えていったのです。

(2013年の作品。「扉の向こう」)

去年の作品です。
ピエロの背景には印象的な扉。
誰もが内に秘めている可能性を表現しました。

(八木さん)

扉をあけたその向こうには、世界が広がっているというイメージです。
扉が閉まると、狭くて困難を感じている状態。
扉をあけると、幅広く、自由で、どこにでも行ける。
そんなイメージです。
あきらめないで動いてごらん。
必ず何かが見つかるよ。
扉はどこへでも開かれているということです。

エピローグ

ピエロとともに扉の向こうへと歩みだした八木さん。
変わり続けることを、今、楽しんでいます。

(八木さん)
人生は楽じゃありません。
苦しいこともある。悲しいこともある。喜びもある。
ただ、大切なのは、やっぱり会話をしながら楽しみ続けること。
それがいいかなぁと思います。
私は絵の人生です。
死ぬまで描き続けたい。
ピエロとともに、描き続けていきたいと思っています。

ろうの画家、八木道夫さん。
生きる喜びと悲しみを、これからも描き続けます。

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