ハートネットメニューへ移動 メインコンテンツへ移動

病を重ねて見つけた生きる意味―難聴の看護師

    福岡県の老人ホームで看護師として働く、山本美裕紀さん。
    彼女は両耳が聞こえません。32歳のとき、口くうがんになり、手術で上あごの骨と歯の半分、腫瘍を切除。さらにC型肝炎にかかり、その後聴覚も失いました。現在は人工内耳を使っていますが、雑音が多い場所では会話が聞こえません。老人ホームではお年寄りの表情を見て、気持ちを察します。度重なる病を経て生きる意味を見いだした、山本さんの日々を追います。

    出演者ほか

    山本 美裕紀さん
    ナレーション:高山 久美子

    番組ダイジェスト

    病を重ねて見つけた生きる意味―難聴の看護師

    福岡県の、ある老人ホームです。
    ここで看護師として働く中途失聴者がいます。

    山本美裕紀(みゆき)さん、39歳。



    両耳が聞こえないなか、ハンディと向き合い、お年寄りのケアをしています。

    看護師として利用者の健康管理に目を配ったり、入浴の介助をしたり、多忙な日々を送る山本さん。



    実は30代の時に、相次いで大きな病に襲われました。

    口くうがん、そしてC型肝炎。
    さらに追い打ちをかけたのが、感音性難聴でした。



    (インタビュー)

    (山本さん)「お店に行って、レジで何か言われても分からなくて。すると誰ともコミュニケーションを取るのが難しくなって。
    その時に、“ 私って何で生きているんだろう ” って。」

    (学校での講演会)

    いま山本さんは、病を重ね苦しんだ体験を伝えています。



    (山本さん)「 “ 耳が聞こえないって、こんなにつらいことなのかな ” って思いました。
    そうなった時にいつも思うことがあって、“ 今日友だちと話したのが楽しかったな ” とか、“ 今日風の音を聞いてうれしかったな ” とか。」

    絶望のふちから這い上がり、自分の生き方を見つけた山本さん。
    その日々を追いました。


    聞こえの問題を目でカバー

    福岡県古賀市。
    この町に、民家を改装した老人ホームがあります。

    施設の名前は「あかね」。
    現在9人のお年寄りが介護サービスを受けています。
    ここが山本さんの職場です。



    仕事の際は、人工内耳を着けている山本さん。
    まわりが静かなときは聞こえますが、大きな雑音がすると、聞き取りにくくなることも…。



    (山本さん)「え?」

    聞こえないハンディを補おうと、心がけていることがあります。
    それは、お年寄りの様子をつぶさに観察すること。

    (お年寄りを見る山本さん)

    ささいな動きや表情を見逃さず、何かあれば、すぐ対応できるように心がけているのです。

    この日も、あるお年寄りの様子が気になっていました。

    入居者のひとり、野中さんです。

    この日は朝から口数が少なく、表情も、どこか さえません。



    (ベランダに連れ出す)

    山本さんは、さりげなくベランダに誘います。
    静かな場所で野中さんの話を聞くことにしました。

    (山本さん)「朝、いらいらすることありました?」

    (野中さん)「うん。」

    (山本さん)「それは自分にいらいら?私たち?」

    (自分を指差す野中さん)

    (山本さん)「自分?」

    (野中さん)「うん。」

    (山本さん)「何でいらいらしよったの?」

    (野中さん)「何か分からんやった。1人で歯がゆかった。」

    野中さんの心に寄り添いながら、じっと話を聞き続けます。



    (野中さん)「自分のことが分からんごとなった。」

    (山本さん)「自分のことが分からんごとなった。それで歯がゆい?」

    (膝を叩いて悔しそうな野中さん)

    (山本さん)「野中さん、それが分かるだけいいです。ね?」

    表情が和らいだ野中さん。
    山本さんはお年寄りの声を「心」で聞きます。



    (山本さん)「 “ 人を見る時って、言葉だけじゃないんだな ” っていうのは思います。
    表情だったり行動だったり。」




    病魔と闘った年月

    1977年、山本さんは福岡県で生まれました。
    小学校から高校まで、新体操部に所属する活発な女の子でした。



    中学生のとき、老人ホームのお年寄りを招いて、新体操を披露する機会がありました。
    お年寄りのうれしそうな顔が忘れられなかったそうです。

    (山本さん)「最後に握手してもらって、“ ありがとう ” って言われたのがうれしかったんですね。
    “ こんなふうに人を元気にできる仕事につけたらいいな ” って思ったのが始まりで。」

    高校卒業後、介護福祉士の資格を取り、老人ホームで働き始めました。
    その後、職場で一緒になった看護師の姿に憧れを抱きます。



    そして准看護師の資格を取り、働き始めました。
    さらに正看護師を目指し、看護学校に通います。

    しかし、32歳のある日。

    (山本さん)「夜勤中に顔半分が痛くなって、頭がガンガンしだして。
    “ なんかおかしいな ” って思って。
    そこからですね。」

    病院を受診したところ、口くうがんだと診断されました。
    その上、C型肝炎にもかかっていました。

    (山本さん)「 “ もしかしたら死ぬかもしれない ” と思うと、“ 私は看護師になれないのかな ” とか。
    あとは、“ いま一緒に頑張っているクラスの仲間と、卒業できないのかな ” っていう思いがよぎりました。」

    まず、がんの治療。
    上あごの骨と歯の、左半分を切除しました。
    手術は成功したものの、麻酔が切れたあと、猛烈な痛みに襲われます。

    (山本さん)「体のきつさが、今まで味わったことのないきつさで、きつくてきつくて。
    “ こんなことになるなら死んでしまいたい ” って、初めて “ 死にたい ” と思いました。」

    1年に渡るがん治療の末、ようやく落ち着いた山本さん。
    今度はC型肝炎の治療です。
    闘病生活で、体重は10キロ以上減ってしまいした。



    肝炎が完治して、ほっとしたのもつかの間、今度は両耳に違和感を覚えます。

    (山本さん)「 “ あっ何か耳鳴りがしてる ” って思ったんです。」

    (ディレクター)「どんな音だったんですか?」

    (山本さん)「セミがいっぱいとまっている木の下。
    “ シャー ” って感じです。」

    耳鳴りとともに、両耳の聴力はだんだんと低下していきました。
    看護学校の教室では、こんなこともあったそうです。

    (山本さん)「クラスメイトがワッと一緒に笑うんですけど、“ えっ何で笑ってるんだろう? ” って、1人だけ笑えなくて。
    すごくその時に、“ こんなに孤独なんだ。耳が聞こえないって ” って思って。」

    5年かけて看護学校を卒業し、正看護師の資格を取りました。
    晴れて病院で働き始めたものの、聴力はさらに下がり、ストレスを感じます。

    (山本さん)「先生の処置についたりした時に、先生が言われることがほとんど分からなくて。
    頭の中が整理できなくて、分からないことばかりで。」

    感音性難聴と診断され、36歳のときに人工内耳の手術を受けました。
    ようやく聴力が戻り、看護師として現場にも復帰。

    しかし。

    (山本さん)「やっぱり人工内耳しても、すごくザワザワした所では聞き取りが悪いので。
    痛みもちょっと出てたので、1日働くと頭が痛かったりとかしたので。」

    そこで病院で、事務の仕事をすることに。
    現場で働けない自分に、もどかしさが募る日々。
    一年後、今の職場から「看護師として働かないか」と誘われました。

    (山本さん)「注射をしたりとか点滴したりとか、そういうことだけが看護師ではないと思っているので。
    いま認知症の看護を勉強させてもらっているので、それは看護師としてはやりがいはあります。」

    体調に配慮し、老人ホームで働くのは月15日ほど。
    それでも、お年寄りとふれあえる現場での仕事に、やりがいを感じています。




    山本さんを支えた人々

    この日、山本さんは、久しぶりに友人の家を訪ねました。



    病院で働いていたころの同僚たちが、集まってくれたのです。
    話題にのぼるのは、病と向き合う山本さんのこと。

    (友人たち)「山本っちゃんって、常に目標があるじゃん。」
    「 “ どうしてこんなに、いろんなことを乗り越えて頑張れるんだろう ” っていうのが。
    “ 本当に強い人だな ” って。」
    「何かそれで、その姿を見て頑張れるところもいっぱいある。」



    闘病中、友人たちから送られたメッセージカードです。



    (文面)

    「いっぱいつらいことを乗り越えてる山本っちゃんは、これからきっと幸せになれるよ。
    私たちがついてるから大丈夫。」

    「何か、お互いに刺激し合える存在だと、自分では思っている。
    まぁ、みんながいてくれたから乗り越えられる」

    (涙ぐむ山本さん)




    NPOの活動

    (車を運転する山本さん)

    山本さんは いま、力を入れていることがあります。

    それは命の大切さを、子どもたちに伝えること。
    「命のホームルーム」と題した授業を、3年間に60の学校で行ってきました。



    子どもたちからの感想です。

    (文面)

    「私も死にたいと思ったことはあります。
    けど、死にたくないのに死んでしまった人のことを考えると、ばかなことを考えていたと思います。」

    「当たり前のように家族と過ごせているいまを、大切にしたいです。」



    この日訪れたのは、福岡市内にある私立高校です。
    1500人ほどの生徒たちに向けて、語りかけます。



    (山本さん)「皆さんこんにちは。」

    (山本さん)「家に帰るとこの機械、耳の機械を外して充電します。
    そうすると何も聞こえなくなります。
    そうなった時にですね、いつも思うことがあって。
    “ 今日友だちと話したのが楽しかったな ” とか、“ 今日風の音を聞いてうれしかったな ” とか。
    みなさんがこうやって学校に来ていること、友だちと話せることっていうのは、とっても幸せなことです。」



    (講演終了。拍手する学生たち)

    (山本さん)「こうやって自分が伝えることで、“ もしかしたら助かる命があるかも知れない ” って気づいて。
    そこからは、“ これはいまの自分にできる看護だな ”って思って。
    “ ずっと続けていきたいな ” って思っています。」



    (おわり)

    新着ダイジェスト