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自殺と向き合う ―生き心地のよい社会のために―

パーソナル・メッセージ「あなたのいのちのこと わたしのいのちのこと」

パーソナル・メッセージ「あなたのいのちのこと わたしのいのちのこと」

いま、「生きている」ということについて、どう感じていますか?

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マドレーヌさん(20代 女性)からのメッセージ

私は昨年の11月に、近所の川に架かる橋から飛び降りました。死ぬつもりでした。
家を飛び出して、母が追いかけてきました。現実から逃げたい一心で欄干を乗り越えました。橋から落ちてゆく間、不思議な体験をしました。心の底から"開放感"を感じました。
もう、何物からも邪魔されない、という。とても清々しく、いっそ「気持ちいい」という感覚でした。さほど高くない橋だったのですが、意識はそこで一旦途切れました。私はあの時、一度死んだのだと思います。ですが、すぐに激しい痛みで意識が回復しました。脊椎の粉砕骨折、肋骨、鎖骨の骨折、肺がつぶれる。
病院で10時間に及ぶ手術をしました。手術で、輸血を受けたそうです。
もうあの日から9ヶ月。私はずいぶん変わりました。「自分一人の身体じゃない」という意識が強くなりました。以前はリストカットは常習者でしたが、あの日からは、本当につらいときは頭をよぎることはあります。でも、切りたくありません。夜に川から引き揚げてくれたレスキュー隊員さん。病院の整形外科、精神科、循環器内科の先生方、看護師の皆さん、理学・作業療法士の先生方。特に、CICUには1ヶ月以上いたので、不安なときに話をしてくれて、心強かったです。
今、私は自分の足で歩いています。自分の手でこれを書いています。顔にもほとんど痕は残っていません。週末に病院に行って、折れた鎖骨を支えているプレートを外す手術をいつにするか決めます。
約束はできませんが、私はもう自殺はしないと思います。あれだけの人たちに助けられ支えられ、守ってもらった"命"。
片手の指の数くらいは未遂で危ない橋を渡りました。自分の命なんて、ちっぽけで軽いものだと思っていました。
でも、違います。命を創るには、一人じゃ足りないんです。父親と母親が揃わないとだめなんです。皆、産まれた時から一人じゃないんです。時にはそれが鬱陶しく、「何で頼んでないのに産んだんだ」と、私も親に言いました。でも、それも成長していくには必要な発言だったのかもしれません。
"生きる"とは、感謝の上に成り立っているものだと思います。"生かされている"のです。
私もこれから先の人生で、「生きるか、死ぬか」と悩むことがあるかもしれません。
でも、常に感謝の気持ちを忘れずにいたいと思います。
私はひとりじゃない。
そう思えるだけ、人生捨てたもんじゃないですよ。

ひこさん(30代 男性)からのメッセージ

35歳の男性です。保育士と介護福祉士の資格を取得し福祉の現場で仕事をさせていただいてきました。
それと並行して、本(小説や心理学)を500冊ほど読んで印象に残った所を書きぬいたり、新聞で良いと思った記事を切り抜いて感想を書く作業を10年間続けてきました。
心の言葉を記録してきました。
そのノートは全部で100冊になりました。
でもその過去の作業と決別するためにノートを全部処分しました。

私はトレーニングも欠かさず行ってきました。ヨガやストレッチ、水泳などで体力維持に努めてきました。一年に一回は富士山に登り自然との交流にも努めてきました。

でもかなり社会生活に無理を感じています。ですから疲れやすく、ケアレスミスが多いようなきがします。結果として社会に息苦しさを感じてしまいます。
日本では年間3万人の人が自殺をすると報道で知りました。また70万人の若い人たちが引きこもっていると言われています。
もしかすると同じような「息苦しさ」を感じている人は多いのではないでしょうか?

勉強もし体力トレーニングもしているのに、社会になじめないのはなぜなのか?

一言で言うと人との絆が薄れてきていることに原因があると思います。表面上の付き合いしかないことに心の寂しさや満たされなさを感じているのではないかと思います。

体に障害を負った場合、リハビリを行います。でも心に傷を負った場合のリハビリには今まであまり注意が少なかったように思います。飲んで寝て忘れろとか、我慢して耐えろという精神論が多かったように感じます。
でも心にもリハビリは必要だと思います。

一番の処方箋は自分なりの目標を決めて、それに向けて仲間と準備をすること。
そして結果を仲間と反省すること。その地道な作業が心を強くすると考えています。
心は癒すだけでなく、時には積極的な行動を伴ったほうが良い場合があると私は考えています。


その生身の人間同士の人とのつながりが結果として自殺者や引きこもりを防ぐ解決策につながるのではないでしょうか?

Meistersingerさん(20代 性別・選択しない)からのメッセージ

先月辺りから気持ちの落ち込みが強くなりました。以前からうつの症状が軽減したり、悪化したりを繰り返していたのですが、最近自殺を考えるようになりました。死ぬことよりも生きることを考えよう、と言い聞かせてきましたが、それに疲れました。

性同一性障害、同年代の人が続々と結婚し、子供が生まれていますが、私にはそれが出来ません。好きな人との子供が欲しい、それが出来ないでただ生きているのは耐えられません。

精神科で言われた「性同一性障害の人は沢山いる。割り切るしかない。」という言葉や、知人に言われた「それ(子供が欲しい)はただのわがまま。」という言葉が時々蘇ってきます。確かにその通りだし、相手だって悪気があった訳ではないと思います。あまりにも筋が通っているから苦しいんです。それが出来る人と出来ない人がいるんです。

一番の望みが叶えられないのに、生きるだけで苦しいのに、どうして生きていないといけないんでしょう。家族のためなら頑張れる、と言う人もいますが、私にはその家族がないのです。

中途半端自殺未遂者さん(男性)からのメッセージ

私は自殺したいと強く思っていた頃がありました。その頃私にとって生きがいだったことは同時に私を苦しめることになってしまいました。それは小説を書くことだったのですが、ある時期から書けなくなってしまったのです。そんな自分を赦せませんでした。何度も死のうと思いましたし、何度も死のうとしました。きっと、死のうと思った原因は他にもあります。将来への不安や失恋もそうでした。将来、自分が何で飯を食っていけばいいのか私には全く見当が付きませんでしたので、不安が募りました。さらに恋人を失って、酷かった寂しさがさらに酷くなりました。そして自殺願望が強くなって自分でも自分がおかしいということに気付いた時、私は病院に行きました。私の症状は軽い鬱状態ということでした。私は病院に行く前からとある掲示板で色々な方々とやりとりをしていました。その掲示板は自殺願望持ちの方々が集まる掲示板でした。そこで私はとある女性の方と出会いました。その女性の方は私の書き込みに対して丁寧に返答してくれました。もちろん、その女性の方以外にも私に色々な言葉をかけてくれました。その中でもやはりその女性の方おかげで今私が生きていると思っています。今、その女性の方はその掲示板には来ていません。その女性の方は「あなたが書き込み続ける限りここを見ていますから」と言ってくれました。
もう死んでしまったのかも知れません。そう思うと本当に悲しいです。もし自殺で死んでしまったのだとしたら私が止めることが出来なかったのだと悔みます。そして私が掲示板で書き込みをしてから1年以上経った今、私には自殺願望がありません。もしかしたら少しあるのかも知れませんので、あえて言うと、自殺願望はほとんどありません。そんな今、私が思うことは、死のうと思っていた頃の方が私は生きることに一生懸命であったということです。死のうとしている人が何故生きることに一生懸命なのかと言うと、死にたいということは生きたいという気持ちの裏返しだからです。死にたい頃と変わって辛苦は減りましたが、何とも空虚な気がしてなりません。ただ、それでも死にたい気持ちにならないのは、やはり一度本気で死にたいと思ったことがあるからでしょう。もう一度死にたい気持ちになりたいとは思いませんし、死のうとも思いませんが、あの頃の私の生への必死さを今でも求めています。駄文長文失礼しました。

ヤマさん(40代 女性)からのメッセージ

「自殺」と言う重い活字ではないにせよ、私の44年間の人生に於いて「消えたい」=「自殺」に重なる感情は幾度もあったように思う。ただ、自分の性格から察するに転換が早い。死ぬと言う事、その先の問題、今の現状・・・よくよく考えて行き詰まる先は・・・どんなに失敗しても命まではとられまい、死に物狂いまでのレベルって? 限界は? とさまざまな疑問の果てに希望へと繋がる答えに導かれる。客観的に見て、幸せな人なのだと思う。頑張ることは自分には苦ではない。苦と思いたくない。倒れても前へ・・・そう思う。そういう精神は幼少の頃からだった。ライオンの子育てに似てる私の幼少期、でも家族みな頑張っていたし、厳しい両親は愛情たっぷりで人間味あふれる人物であった。祖母がいつも諭してくれた。説教じみた言葉ではなく、鼻歌交じりに善い事を発していた。今、子供達の成長が私を成長させてくれ、強くしてくれる。支えと言えば、誰かの負担になりそうで好きではないが、小さい楽しみ、些細な幸せが 一生懸命生きたい自分へのごほうびみたいだ。認知症だった祖母はたまに自分にかえると、早くお迎えこないかな〜と言っていた。しかし、にこやかに笑う祖母のその笑顔には御仏そのものであったし、みなの心を和ましてくれていた。生きていることは大事な意味がある。活かされていることにも大事な存在がある。そう思う。

黒沢さん(30代 女性)からのメッセージ

ただただつらい。
寂しくて生きていられない程の思いを、誰にも理解してもらえないという孤独感が、今の私にとって「生きている」ということです。

夜ひとりでいると、涙が溢れて手が震えて、どうしようもなく動物園の動物のように動き回ってしまうことがある。でも、そんなことは誰も知らないのです。

孤独感というのは、それを抱え続けると、生きていくための力をじわじわと根こそぎにしていくのだと感じます。「孤独」か「生きていること」か、どちらかを手離す選択を迫られるのです。そして孤独を手離すだけの力はもはや残っていないのかもしれません。

リリーナさん(30代)からのメッセージ

僕は、人生は充分楽しいけれど、いまだに生まれてきてよかったという境地には達していない。それでもいいと思っている。

本当に、生まれてきてありがたかったのか?

僕の、この、ペンを持って生き続けようという強い衝動は、親の精子か卵子か、どちらかか、あるいは出会った受精卵から生まれたからなのか?

僕は、その衝動に出会うまで、「初めから生まれてこなければ良かった」と強く思っていた。自分が存在することを憎んだ。死ななかったのは度の過ぎた負けず嫌いだったからだ。

今でも時々そう思うことがある。仕事がさっぱり来ない、現在とか。

親の勝手で生まれてきたのに、精子と卵子を子宮内で出会わせただけで、「死ぬな」「生きろ」などとえらそうなことなど言われたくない。遺伝子がなんだ、生命の仕組みがなんだ。知るか。僕はできれば生まれてきたくなかった。この世が嫌いなんじゃない。でも、どうせなら生まれてきたくなかった。生きてる間、自分と付き合わなきゃならない。大変面倒臭い。かったりぃ。

今生きているのは、望む望まないに関係なく、生まれてきたからだ。仕方なく生きている。仕方なく生きなきゃならんから、どうせなら楽しもうと思いっきり楽しんでいる。意外と思われるかもしれないが、僕は人生を大変楽しんで、充実しているのだ。幸せで言えば、仕事がないことをのぞけば、世界一だと自負している。

生まれてきたことは、奇跡だが、そこから先も奇跡の連続だ。そこで終りではないのだ。終るのは命がくたばる時だ。その瞬間まで生み出した当事者たちである親は責任を取れない。運命の糸は操れない。こんな世界によくも産み落としやがったな、と親を憎んでもいい。でも自分の人生がうまく行ってないことまで親のせいにするな。

生まれてきたことは、決してありがたいことじゃない。誰がなんと言おうと、僕にとっては、そうだ。迷惑だ。命なんて、自分でも持て余すものをもらったんだから。

でも僕はまだ生きる。目覚めたから。今を、未来を、生きる。命を使い切り、工夫して、生き抜く。それを楽しむ。すべての繋がりに、感謝する。

スタートラインのメンツは強敵ぞろいで、自分の希望じゃなかったけれど、自分で決めた死への長い一本道なら、喜んで思い切り走ろうじゃないか。例え誰もいない惨めな最終着だったとしても、悔いは、ない。

加川さん(40代 女性)からのメッセージ

死に損なった。
エネルギーが溜まるまで、息をしながら自分の中で次のタイミングが来るのを待っている。
それが今の自分が「生きている」ということ。

元美術教師。
「鬱での休職は一度だけしか認められない」と、共済からの休職手当が中途で止められた。辞職して障害年金を受給するしかなかった。
身内はいないので福祉資源を利用している。
しかし、地方なせいか福祉対象者は統合失調症がメイン。居場所はない。
自助グループをたちあげようとして自治体に働きかけてもみたが「福祉資源に委託してある」とたらいまわし。無職で、高齢者でない身寄りのないウツ当事者が横に繋がる機会は社会にはない。家族会はあるが、肝心の当事者が安心して行ける場所はない。
障害者雇用といっても「精神」は受け入れる企業が大変少ない。

世の中に「鬱」という言葉はあふれている。
しかし氾濫していく言葉とは裏腹に、ひとりで家に籠もるしか術のない者の居場所は増えたのか? 都会では色々とあるのだろう。
しかしここにはない。
息をするだけで金がかかる。
それに伴う罪悪感。
そこに希望はない。

放映されている自殺対策は「借金」「仕事」。
しかし借金してまで生きたいと思わず、通院しながらも、それを隠さないと就労できない中、仕事をするエネルギーもない。
だから死ぬしかないのだ。
肝心な事からズレた事を長々と議論しても仕方ない、といつも感じる。
番組の中で繰り広げられている話は、まるで遠い国の話のよう。

そのためには今まで統合失調症メインだった精神保健福祉支援のなかに、患者当事者にとって鬱をメインに据えた「支援スタッフと場所」があれば必要だと思う。

これに尽きると思う。

香魚さん(30代 女性)からのメッセージ

私は長くうつ病で苦しい生活を送っていました。「自分が生きていることは周囲の人たちに迷惑をかけることでしかない、生きていることは罪だ」という思いが強く、何度も何度も自殺を図りました。リストカット、首吊り、飛び降り、服薬・・・ありとあらゆることを試み、精神科の閉鎖病棟に入院しましたが、病棟内でも自殺を試みました。死に至ることはなく、目が覚めて、生きている自分が嫌でたまらず、また自殺を図るという繰り返しでした。でも死にませんでした。
ある時、これだけいろいろ試みても尚、死に至ることができないのは、まだこの世で生きて為すべきことがあるからなのではないかと考えるようになりました。生きて為すべきことが何なのかはわかりませんが、それを為すために、まだこの世に生きなければならないのだと。生きる意味とはそういうことではないかと思うようになりました。
それからは病気から徐々に回復し、5年近く経った今では、病気以前の自分と変わらない生活を送っています。闘病生活を振り返って、当時の死にたいという思いは病魔にとりつかれていたがためであったと感じています。
「自殺を図るのは自分が弱いからだ」などと考えず、病気がそうさせているという場合もあるのだということを知って頂きたいと思います。それ以上責めないでほしいです。病気ならば治療すれば治ります。自分が悪いのではないです、悪いのは病気です。
私が今生きているということは、落とす必要のない命を落とすことがないよう私の経験を伝えることだと思っています。それが私が死ななかった意味であり、生きる意味だと思っています。

りんごの香さん(40代 女性)からのメッセージ

死にたいという気持ちが起こるのは、自分で自分を無価値にしてしまいたいから。自分の価値は誰が決めるか。それは自分自身でしかないはずなのに、私たちはそれを他人に頼っていることが多い。特に日本では。自分の価値を自分で決める別な文化の中に生まれていたら、死にたいという気持は起こらなかったかもしれない。すべてのことには因果があり、すべてのことは相対的。「死にたい」イコール「生きたい」だと思っています。

加えて、日本では、人と人との関係が希薄。それは、自分自身とのつながりが希薄だから。神を媒介にして自分と強いつながりを持つ西洋と違い、空気を読まないと仲間ハズレにされる日本社会では、自分の中に半分他者がいる。自分自身の軸がぶれやすい。自分の面倒をよく見れずに、どうやって他者の面倒を見るか。自分を思いやることができずに、どうやって他者を思いやるか。

生きることは死ぬこと。毎日、私たちは、死に向かって、最後の瞬間よく死ぬのために生きている。今日自分で死ななくても、明日、事故で死ぬかもしれない。その時までの24時間で、好きなことをしてみませんか。自分で死ぬことは許されないこと。なぜなら、あなたの命は私の命でもあるから。あなたと他者が、どこかでつながっていると信じることは、人間が生きている間に到達するべき境地です。

宇宙は闇。時々明るくなる。それと同じで、死の状態が常なるものであって、命は、ほんの数十年、人間に与えられた輝きの時間なのだと思っています。

生きることは苦しむこと。苦しんでいる自分を楽しむこと。

あなたと一緒に生きていきたい。

中田 新一さんからのメッセージ

「ウィニング・パス」という車椅子バスケットで再び人生を歩きだす少年の映画を5年前に撮った。なかなか、シナリオが作れなかった。
それは、下半身不随になった人は、皆一度は死を考えるからだ。
分からなかった。 その人たちの気持が、私には分からなかった。
映画を撮り終えた時、私も落ち込んでいた。こんな映画で人の命を助けたり、
勇気づけたりできるのか・・・。厳しい現実の中で、何の役にたつのか・・・。
失敗したと思った。

上映が始まり、会場へ行き、観客と対話を重ねるうち「思いやりをもって支えあうこと」の大切さが伝わっているように思えてきた。思い起こせば、私自身、いつも何かやるたびに沢山の失敗を重ねていた。何本映画を撮っても「失敗した」と感じていた。
精神的なダメージが伴ったりして、死にたいくらい落ち込んだこともあった。何よりも孤立した時は・・・。

しかし、まだ全世界から拒否されたわけじゃないように思えて、誰か一人ぐらい私の背中をやさしく見つめていてくれているような気がして、そのうち「案外なんとかなっている」ように思えてきて、死なずにすんだのかな・・・・。
失敗しても自分は手前勝手な理屈でなんとか乗り切ってきたように思う。
東に西に困った人や病んだ人がいたらかけつけてくれる宮沢賢治のような人が必ずいると信じて気楽にやってきたのか・・・、また懲りずに「風のダドゥ」という映画に挑戦した。

命がテーマの映画だ。

賢治が言っている「孤独にならなければ自分が磨けない。しかし孤立とは違う。なぜならば他人を否定した孤独ではないからだ」。
気楽で勝手な理屈で、なんとかなる自分をイメージしている。

中田 新一(なかだ しんいち)/映画監督

1944年石川県出身。山本薩夫、熊井啓、深作欣二、佐藤純爾の元で助監督を務めたあと、84年『海に降る雪』で初監督。代表作は、『ドン松五郎の生活』『花の季節』『公園通りの猫たち』、長編アニメ『PiPiとべないホタル』でヒューストン国際映画祭金賞受賞。日中合作劇映画『チンパオ/陳宝的故事』では同映画祭プラチナ賞受賞。『ウィニング・パス』では北九州功労賞を受賞。劇映画『風のダドゥ』が内閣府(自殺対策担当)発信の普及啓発映画として指定される。


武田双雲さんからのメッセージ

命って何だろう。

命は僕なのかな。
僕は命なのかな。

武田 双雲(たけだ そううん)/書道家

1975年熊本県生まれ。3歳より書道家である母・武田双葉に師事し、書の道を歩む。大学卒業後、約3年間のNTT勤務を経て書道家として独立。音楽家、彫刻家など様々なアーティストとのコラボレーション、斬新な個展など、独自の創作活動で注目を集める。2003年、中国上海美術館より「龍華翠褒賞」受賞。同年、イタリア・フィレンツェにて「コスタンツァ・メディチ家芸術褒賞」授章。著書にメッセージ集『たのしか』(ダイヤモンド社)ほか
武田双雲公式サイトへ(別ウインドウ ※クリックするとNHKのサイトを離れます)

洞口 依子さんからのメッセージ

子宮ガンを告げられたとき、「ガン=死」という昔の固定観念がのしかかってきて、「私は死ぬんだな」とも思ったこともありました。でも、健康な人だって、何があるかわからない。もしかしたら、事故や自然災害で明日死んでしまうかもしれない。だから、「生きている」ということは、「いつか死ぬ」ということをコインの裏表のように考えていなければならないんだ……それが病気を通じて学んだことです。

退院後、自殺を考えたことがありました。何も考えられなかった。1分先、2分先……明日のことも考えられない。希望を持つことができなくて、自分が生きている存在価値なんてまったくない……そればかりを思っていました。すごく苦しかった。生き地獄のようでした。
家族やまわりの人は支えてくれましたけれど、どんなことを言われても耳に入ってこない。そのときは細い線の上を綱渡りで歩いているようで、いつ線を越えてもおかしくないという状態でした。

「再生」への手がかりになったのは、1ヶ月間ほど沖縄へ行き、自然に身をまかせたことです。生きて、歩いて、海で泳いで……。自然 を見たり、触れたりする喜びがあふれてきました。「生きなきゃいけないんだ」と思えるようになったんです。自然の中で、自分は求められて生まれてきているんだなということが感じられた。まるで、「自然が私をこの世にもうけてくれたんだな」……そんなふうに感じました。
沖縄でなくても、私は、よく公園へ行って、なにも敷かないで、芝生の上にゴロンと横になります。虫がいて、鳥の鳴き声、風のざわめきが感じられる。まるで、芝生の上にいる私が、いろいろな生き物と一緒に、ずっと地面の中にまで降りていって、地球の核にまでたどりつくような感覚になるんです。そうすると、「私はやっぱり、この地球上に求められ
て生きているんだな」と納得できて、笑顔が戻ってきます。
笑顔が戻ると、まわりはその人をほうっておかない。「あの人と話したいな」「すてきだな」「一緒に仕事したい」と思ってもらえたり。自然にそうなっていくんですよね。地球だけではなく、今度は人からも求められる人間になっていける……そんな気がします。

私のまわりにも自殺した人はたくさんいて、彼らが何を思ってそういう行動を選択したのかはわかりません。その人たちの分も生きなくちゃいけないと思うのはとてもつらいことだけど、今はそう思えるようになりました。(談)

洞口 依子(どうぐち よりこ)/女優

1965年東京都生まれ。中学3年で篠山紀信氏撮影の「週刊朝日」の表紙に抜擢され、その後グラビアアイドルに。1985年に黒沢清監督の『ドレミファ娘の血は騒ぐ』で女優として本格的にデビュー。以降、伊丹十三監督作品やテレビなどで独自の存在感を感じさせる演技を披露している。2007年、子宮ガンの壮絶な闘病と再生を綴った初めての著書『子宮会議』を上梓。


月乃 光司さんからのメッセージ

僕は自殺未遂者だ。薬物大量摂取、リストカット、さまざまな自殺未遂を繰り返した。
僕の知り合いには、たくさんの自殺未遂者がいる。
ビルから飛び降りようとした者、割れたコップで手首を切った者、包丁を腕に刺した者、いろいろなやり方で死のうと思ったようだ。
今、生き延びているのは、自殺に失敗したからだ。
そして、僕を含めて全員が今はこう言っている。
「あの時、死なずに今、生きていて良かった!」と。
「あの時に死んでしまえば良かった・・・」と言う者は一人もいない。
どんなに生きることが辛くても、数年後には生きていて良かった、と思える日が必ず来る。
希望的観測ではなく僕たちに起こった事実だ。
だから、僕はあなたに死んで貰いたくない。
きっと「生きていて良かった」と思える瞬間が来るからだ。

月乃 光司(つきの こうじ)

1965年生まれ。高校入学時から容姿に対するコンプレックスから不登校になる。引きこもり生活、合計4年間を過ごす。24歳よりアルコール依存症になる。自殺未遂、アルコール依存症により精神科病棟に3回入院。27歳から自助グループに参加し、酒を飲まない生活を続ける。会社員のかたわら、「生きづらさ」をテーマにした、対談、ライター、イベント主催などの活動を行う。


月乃光司さんが自殺対策についてブログでも語っています。
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