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自殺と向き合う ―生き心地のよい社会のために―

パーソナル・メッセージ「あなたのいのちのこと わたしのいのちのこと」

パーソナル・メッセージ「あなたのいのちのこと わたしのいのちのこと」

自殺しようとしている人を、止めることができると思いますか?

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Saekoさん(20代 女性)からのメッセージ

ハッキリ言って止めたいとも思わない。冷たいと言われようが何だろうが。私は死んでほしくないと思う極親しい人以外は、目撃したとしても絶対に止めないし 、無責任に「かわいそうだ」とも思わない。

自殺するほどの苦しみがあるのなら、死んで楽になることを選ぶのも本人の権利だろう。

万が一、無責任に引きとめてしまった場合、その人が立ち直り、生きる希望を見いだせるまで、サポートできるのだろうか? 死ぬのはダメだと安易に止めるのは全く酷だと思う。

止めることが出来ると思う人は、他人の人生の苦しみまで抱え込むことが出来るほどの器と自信があるのだろう。

とよさん(20代 男性)からのメッセージ

大多数の自殺志願者さんの自殺を止めることはできます。断言します。

ですが、数回の相談などで止めることはほぼ不可能だと思います。

自殺を止める、ということは年単位で可能になると思っています。
何故なら、当たり前ですが自殺は命に関ることです。生物であれば、本能的に自分の命を守ります。その本能までを振り切るほどの苦痛があるからこそ、人は自殺します。数日・数ヶ月で解決してしまうような軽い苦痛では人間は自殺できません。(他人から見て、ではなく本人から見ての苦痛の大きさです)


もちろんですが、年単位かければ絶対に解決する、というわけではありません。
止める側がいかに努力するか、いかに自分を犠牲にするかによると思います。
自殺を止める際に、何の犠牲もなしに自殺を止められるほど、自殺は甘っちょろいものではないと思います。死ぬ気(死ぬぐらいの気持ちではなく死ぬ気)で止めるぐらいはしないと、止められないと思います。


前に、こんな話をききました。
彼女のリストカットを止めようとした彼氏は、彼女の気持ちを少しでも知るために、彼女に切った本数をきき、その本数分だけ自分の腕を切ったそうです。

マネをしろとまでは言いませんが、これぐらいの心構えがないと命を救うということは難しいと思います。

自殺を止める場合、相手は自分の命を賭けています。ならば、止める側だってそれ相応のものを賭けないと・・・

うららさん(20代 女性)からのメッセージ

一昨年、弟を自死で亡くしました。
家族はまだ悲しみのどん底におります。
自殺をして嬉しがる人は一人もいません。絶対に一生の傷を人に負わせます。
大好きな大好きな弟を亡くし、同じ悲しみを味わわせたくありません。
私の姿や、この言葉をみて、少しでも思いとどまってもらえたら幸いです。

絶対に死んでよい人なんていないと思います。
もし、少しでも誰かに悲しんで欲しくないと思っていたら、思い留まって欲しいです。
その時は、一緒にどうにか知恵をだしあって幸せになる道を探していきましょう、

しろうくん(40代 男性)からのメッセージ

NHKテレビ 12月4日(金)午後10:00〜
…番組見たけど、
やはり、失業はつらい。絶対につらい。
自分の経験から考えても、十分に自殺要因になる。
「働く」ことは職場の雰囲気も含めて「生きる」ことの基本的な根幹だ。

あと、
生活上の「孤立」が問題なのだと思う。
周囲に、和やかに穏やかに、心を開いて話せる人がいるかどうか?がポイントだと思う。

「趣味」や「友人・知人」というつながり、「宗教」というつながり、
あと、地域の何らかのコミュニティに所属することなど…。
個人的には、深く、トコトンのめり込める「興味、関心」を持てる文化的対象があるかどうか?
なども重要だと思った。それは「希望」になるから。

終末期医療の「ホスピス」との関わりで、何かできないだろうか?
ホスピスの方は日々深刻に死と向きあっているわけだから、
自殺を考えている人が、こうした人と対話することなど、
何んらかの形で関わることができるシステムができないだろうか?

それから、
数年前まで、時々通っていたカトリック教会で、神父さんが子供たちに繰り返し言っていた
「神さまは、君たちの『お話し相手』なんだよ…」
ということも印象に残っている。
これは、ちょっと、信仰心のない僕にも結構、説得力があった。
でもまあ、「神」という概念が、あまりにも漠然とし過ぎている(抽象的過ぎる)ので、「信仰」を少しずつ自分なりに深めて(鍛えて)いく必要があるだろう。
この苦難に満ちた社会で現実に生きていく中では、
どういう形で、神を「話し相手」と認識しているのか?
が否応無しに問われてくることになるから…。

禧久 孝一さん(50代 男性)からのメッセージ

『救うことの出来る命がある』
「救う」という言葉を使うのを迷いましたが、あえて使わせていただきます。
私は奄美市役所で相談業務を担当し21年目になります。最も多いのが「多重債務」に関する相談です。
私のように長年相談業務に携わる者や弁護士・司法書士の皆さんのなかには「自殺」と直面した方がたくさんいます。それは、毎年7千人以上の方が「借金苦」で命を絶っているからです。

平成18年以降、全国から助けを求める電話や手紙が来ます。なかには自殺未遂者、既に遺書を書き終えていた方、電車に飛び込む寸前の方もいました。
私は、遠方の方には自分の携帯で対応します。債務の内容・収入・資産・生命保険の有無・家族構成・健康状態などを聞き取り、その日か翌日には相談者の近くの弁護士か司法書士を紹介します。

相談時に「いっそのこと死にたい」「死ぬことが出来たらどんなに楽だろう」などという方もいますが、多くの方は、債務整理が終わった後、電話や手紙で「命を救ってくれてありがとう」とか「絶望の中から抜け出し、希望を持つことが出来ました」などと報告します。

本当に死にたいという方は一人もいませんでした。
借金を整理する(債務整理)ことは、法律専門家のもとでは困難なことではありません。むしろ「この世で出来た借金で解決できないものはない」と思ってもらっても結構です。つまり、解決できることが原因で、命を絶つことはないということが言えるのではないでしょうか。

私の相談者のなかに、事業に失敗し、多額の債務を抱え、鬱病を患い自殺を試みた方がいますが、根本の問題を解決し、いつでも相談できるという環境を整えた結果、鬱病も治り、現在は服薬の必要もない方がいます。「生きたい」という命があるのであれば、その声に耳を傾け、理解し、解決のレールに迅速に導き、そして寄り添うことが大事だと思います。

「たった一つの命」その大事な命を保つために法律専門家も立ち上がっています。
救うことの出来る命が失われている、というのが今の日本です。
皆さん、大切な命を保つことができる社会をつくるために、それぞれの立場で、今私は何をすべきか、何が出来るかを考えてみませんか?

禧久 孝一(きく こういち)

奄美市役所で市民生活係長を務め、市民の借金、相続、離婚問題など生活に関わることはなんでも相談にのる。特に多重債務者からの相談は多く、禧久さんが18年間で受けた相談はおよそ6000件。しかし、キクさんの元に相談にきた後に、借金苦で自殺した人は一人もいない。禧久さんの取り組みは、多重債務対策や自殺対策のモデルとして、全国から視察が相次いでいる。


もこさん(30代 女性)からのメッセージ

私は4回自殺未遂の経験があります。友人知人ともお互いの関係を築けない程疎遠になり親戚は世間体の為にその事実を隠すことに一生懸命です。就職活動でもそんな弱い人は続かないのではないかという目で見られます。親は知りません。父は私が自殺をはかり倒れている時、買い物に出掛けました。
自殺は止められます。町の機関・民間の機関・相談は受けてくれます。この世で今まで出会った人達を全員否定する行為だと後からわかりました。現実経験から早目に助けることはできると思います。同じ苦しみは自分だけではないということを覚えてそこから放れず生きようと思うことからです。

斎藤 環さんからのメッセージ

最近、「自分のことが嫌いで仕方ない」、という若者が増えているように思います。
いま「死にたい」と考えているあなたも、きっと自分のことが大嫌いなんでしょう。
自分が自分であることに耐えられない。
自分の存在は、人の迷惑にしかならない。
自分の顔も、声も、性格も、何もかもが気に入らない。
そう、自分の考え方も、生き方も、これまでやってきたことも、自分が作り出してきたものまでも。
そんな自分のありようは、これからもずっと一生変わらない。
そんなダメな自分ひとりのために、周りの人が苦しんだり困ったりするのはすまないし、迷惑をかけている自分がどうしても許せない。
自分のような価値のない人間は、早くいなくなったほうがいい。
そんなふうに感じたり、考えたりしてはいないでしょうか。
もしそうだとすれば、それはとても辛いことですね。
でも、ちょっとだけ、考えてみてください。
「嫌い」と「好き」とは、実は同じことです。このふたつの感情は、ちょうどふたごのように、根っこのところでつながっているからです。
なぜでしょうか。
「好き」も「嫌い」も、「気になる」という意味では一緒ですよね。
自己愛というのは、なにも「自分大好き」という気持ちばかりじゃありません。
好きであれ嫌いであれ、どんな形にせよ「自分のことが気になる」こと。
これが最初の自己愛なんです。
良かれ悪しかれ、自分のことが気にならない人はいません。
あなたは「自分が嫌い」という形でしか、自分を好きになれない病気にかかっているだけです。「病気」という言葉が強すぎるなら、「一時的なアンバランス」です。
だからお願いです。そんな理由で死を選んだり、体を傷つけたりしないでください。
「傷つける自分」や「死にたい自分」のことが、ますます「気になって」、それにとらわれてしまうからです。
そうはいっても、苦しさは変わらない。
そんなときは、どうすればいいのでしょうか。
もちろん治療やカウンセリングも、あなたの助けになるでしょう。もし今迷っているのなら、ともかく一度行ってみることをおすすめします。
でも、なかなかそこまでは…という人向けには、こんなやり方はどうでしょう。
いまあなたを支えている人、あなたが大好きな人、かつて好きだった人、嫌いだった人。あなたを待っている人、あなたから去っていった人、あなたが捨ててきた人。
つまり、あなたにとって「気になる」人たちみんなの顔を、ひとりひとり丁寧に、ゆっくりと時間をかけて思い浮かべてみてください。
そうすれば、あなたにもきっとわかるはずです。
「人間の顔」そのものが、「死んではいけない」という強いメッセージにほかならない、ということが。

※ちなみに「自分のことは嫌いじゃないけど、どうしても死ななきゃならない気がする」と感じている人。精神科医として断言しますが、あなたはかなり重症の病気です。
重症ではありますが、確実に治る病気です。
すぐにもよりの精神科で、治療を受けられることをお勧めします。

斎藤 環(さいとう たまき)

1961年、岩手県生まれ。精神科医。ひきこもり問題の治療・支援や啓蒙活動に取り組み、「ひきこもり問題の第一人者」と言われる。また、サブカルチャー全般に造詣が深く、幅広く評論活動を行っている。著書に『社会的ひきこもり』(PHP新書)、『ひきこもり文化論』(紀伊國屋書店)、『文学の断層 セカイ・震災・キャラクター』(朝日新聞出版)、『母は娘の人生を支配する──なぜ「母殺し」は難しいのか』(NHK出版)など多数。


町永 俊雄さんからのメッセージ

友人に大きな悩みを抱えている人がいる。
「何でも話して」 心の底からあなたはそう思い友人の前に座る。
友人は目を伏せたまま、口を開かない。
なぜだろう。どうして。きちんと向き合いたいだけなのに。

心が弱っている友人にとっては、あなたが前に座るとまるで立ちふさがれたようで、何も言えなくなる。

横に並んで座ったらどうだろう。静かな公園のベンチ。 しばらくぼーっとしてみる。
ケヤキが風にそよぎ、サヤサヤと音を立てて葉裏が銀色に光る。
空にはちぎれ雲。遠くで子供達の歓声。同じ光景と同じ風を感じているふたり。

「ありがとう」と、小さく友人が言った。

向き合うのではなく、横に並ぶ。
あなたの考える「自殺対策」。 その百万通りの方法の、ひとつ。

町永 俊雄(まちなが としお)

1947年東京都生まれ。1971年NHK入局。青森、岡山などの赴任地を経て、「おはようジャーナル」「くらしのジャーナル」キャスターとして、家庭、教育、健康、福祉といった生活にかかわる幅広いテーマを担当する。現在は「ETVワイド」「福祉ネットワーク」などの番組でキャスター。


町永俊雄さんが自殺対策についてブログでも語っています。
ハートネットピープル「『自殺対策』百万通りの方法の、ひとつ」へ
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