自殺について語ろう

洞口 依子(どうぐち よりこ)さん /女優

1965年東京都生まれ。中学3年で篠山紀信氏撮影の「週刊朝日」の表紙に抜擢され、その後グラビアアイドルに。1985年に黒沢清監督の『ドレミファ娘の血は騒ぐ』で女優として本格的にデビュー。以降、伊丹十三監督作品やテレビなどで独自の存在感を感じさせる演技を披露している。2007年、子宮ガンの壮絶な闘病と再生を綴った初めての著書『子宮会議』を上梓。
(2008年度掲載)

洞口 依子さんからのメッセージ

子宮ガンを告げられたとき、「ガン=死」という昔の固定観念がのしかかってきて、「私は死ぬんだな」とも思ったこともありました。でも、健康な人だって、何があるかわからない。もしかしたら、事故や自然災害で明日死んでしまうかもしれない。だから、「生きている」ということは、「いつか死ぬ」ということをコインの裏表のように考えていなければならないんだ……それが病気を通じて学んだことです。

退院後、自殺を考えたことがありました。何も考えられなかった。1分先、2分先……明日のことも考えられない。希望を持つことができなくて、自分が生きている存在価値なんてまったくない……そればかりを思っていました。すごく苦しかった。生き地獄のようでした。
家族やまわりの人は支えてくれましたけれど、どんなことを言われても耳に入ってこない。そのときは細い線の上を綱渡りで歩いているようで、いつ線を越えてもおかしくないという状態でした。

「再生」への手がかりになったのは、1ヶ月間ほど沖縄へ行き、自然に身をまかせたことです。生きて、歩いて、海で泳いで……。自然 を見たり、触れたりする喜びがあふれてきました。「生きなきゃいけないんだ」と思えるようになったんです。自然の中で、自分は求められて生まれてきているんだなということが感じられた。まるで、「自然が私をこの世にもうけてくれたんだな」……そんなふうに感じました。
沖縄でなくても、私は、よく公園へ行って、なにも敷かないで、芝生の上にゴロンと横になります。虫がいて、鳥の鳴き声、風のざわめきが感じられる。まるで、芝生の上にいる私が、いろいろな生き物と一緒に、ずっと地面の中にまで降りていって、地球の核にまでたどりつくような感覚になるんです。そうすると、「私はやっぱり、この地球上に求められ
て生きているんだな」と納得できて、笑顔が戻ってきます。
笑顔が戻ると、まわりはその人をほうっておかない。「あの人と話したいな」「すてきだな」「一緒に仕事したい」と思ってもらえたり。自然にそうなっていくんですよね。地球だけではなく、今度は人からも求められる人間になっていける……そんな気がします。

私のまわりにも自殺した人はたくさんいて、彼らが何を思ってそういう行動を選択したのかはわかりません。その人たちの分も生きなくちゃいけないと思うのはとてもつらいことだけど、今はそう思えるようになりました。(談)

 
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