自殺について語ろう

中村 うさぎ(なかむら うさぎ)さん

1958年福岡県生まれ。同志社大学英文科卒。1991年『ゴクドーくん漫遊記』(角川スニーカー文庫)でライトノベル作家としてデビュー。その後ショッピング依存症、ホストクラブ通いなどの浪費家ぶりや、自らの美容整形について赤裸々に書いたエッセイを発表。現在はエッセイストとして活躍中。著書に『ショッピングの女王』シリーズ(文藝春秋)、『ビンボー日記』シリーズ(角川書店)、『私という病』(新潮社)など多数。
(2008年度掲載)

中村 うさぎさんからのメッセージ

私は「自殺」を一概に悪いとは思っていません。人間には等しく「生きる権利」がありますが、同様に自ら「死ぬ権利」もあると考えるからです。自殺によって楽になれる人は本当に存在します。本人があまりにも苦しくて「死んだほうが楽だ」と思えるのであれば、死んで楽になる権利はあるでしょう。それは誰にも止められない。
ただ、「権利」のあるところには、必ず「義務」も存在します。人に等しく「生きる権利」があるのなら、同時に等しく「生きる義務」もあるわけです。
私自身は、この「生きる義務」を果たしてからでなければ「死ぬ権利」を行使するのが卑怯なような気がして、「自殺」という選択肢を採らずに今日まで生きてきました。この場合の「生きる義務」とは、たとえば私が死ぬことによって生きる支えを失ってしまう人間がいるとして、その人に対する「義務」というか「責任感」のようなものです。
人は自分で死ぬ権利はありますが、人を死なせる権利はありません。私が死んだら、きっとその人も死んでしまうかもしれない……そのように考えると、私はその人のために生きなければと思ってしまうわけです。人でなくてもペットでも仕事上の責任でも、とにかく自分が勝手に死んでしまうことで、自分以外の何者かに多大な迷惑がかかると思うと、「自分だけ逃げるわけにはいかないなぁ」という結論が出るのです。
それから、もうひとつ。私の考える「生きる義務」には、「生まれてきた義務を果たす」というのも含まれています。人がこの世に生まれてきたことに特に意味はない、と、私は考えます。つまり、最初から与えられた使命などない、ということです。ただ、生まれてきた以上は、生きていく過程で、自分の人生に「意味」を持たせなくてはならない。「自分は何のために生きてきたのか」という答えを見つけないことには、悔しくて死んでも死にきれない気がするのです。
たとえ自殺という形で死を選ぶにしても、それまでの人生がまったく無意味だったなんて結論、嫌じゃないですか。自分の人生に、自分で「意味」をつけていく……これもまた「生きる義務」だと思うのです。無意味な人生なんて、あり得ない。もし自分の人生を無意味だと思うのなら、それは自分が「生きる意味」を見つけようとしなかったからだ。何事も為さずに人生を放棄するなんて、人から「逃げ」だと思われても仕方ない。
結局、私はあまりにも負けず嫌いなので、人から「逃げた」と思われるのが嫌なだけなのです。でも、そう考えて今まで踏ん張ってきたおかげで、「生きること」に何かしらの意味がついてきたような気がするので、それはそれでよかったと思っています。今のところはね。

 
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