生命操作 -復刻版-

ケーススタディ30例

28 「つらいから死なせてほしい」

オランダで容認されている安楽死は、不治の病による耐え難い痛みとそれに伴う精神的苦痛を理由におこなわれてきた。そのオランダで、純粋に精神的な苦痛だけを理由にした安楽死が、裁判で認められた。
1994年6月に安楽死した50歳になるソーシャルワーカーの女性は、医学的には、肉体的にも精神的にも異常はなく、まったく健康な状態だった。
彼女は、その数年前20歳になる長男を自殺で亡くし、唯一の生き甲斐だった次男も末期のがんで苦しんでいた。医師と相談して次男の生命維持装置を取り外したその晩、彼女は睡眠薬を飲んで自殺を図ったが、死にきれなかった。その後、彼女は、ホームドクターをはじめ6人の医師に安楽死を求めた。しかし誰もその依頼に応じなかったため、最後にオランダ安楽死協会に救いを求め、精神科医のバドワイン・シャボット医師を紹介された。

シャボット医師は、時間をかけて彼女を診察するだけでなく、親戚や友人からも事情を聞き、彼女には死を選択する以外、絶望的な精神的苦痛から逃れる道がないと判断するようになった。シャボット医師は、彼女のホームドクターと、彼女を以前担当していた精神科医から診療の記録を受け取り、精神科医を含む7人の専門家と相談した。その結果、彼女は精神医学的には正常であり、また、彼女の決意は一時的なものではなく、生きる意欲を全く失った彼女には、死の選択しか人生の目的はないだろうという結論にたっした。もし自分が彼女の依頼を断れば、彼女は間違いなく自殺し、本人も周囲の人々も必要以上の苦しみを負うことになると考えたのである。
安楽死の当日、彼女は、親友と、シャボット医師と、もう一人の医師が見守るなかで致死薬を飲み、約40分後に亡くなった。

その後この事件は、検察庁が、安楽死の条件を完全にみたしていないことを理由に裁判にもちこみ、最終的には最高裁判所で審理された。検察側は、(1)彼女の苦痛は肉体的なものではなく死期も迫っていなかったこと、(2)彼女は当時うつ状態で自己決定する能力がなかったこと、(3)相談を受けた第三者の専門家は誰も彼女に会っていなかったことを理由に禁固6ヶ月、執行猶予1年を求刑した。1994年6月、最高裁が下した判決は、有罪。有罪となった唯一の理由は、精神的な苦痛が理由の安楽死の場合には、慎重に判断を下すために、もう一名の医師が要請者を面接診断しなければならないというものだった。
また、最高裁はこの判決のなかで、安楽死の要件に関する新たな見解を付け加えた。それは、安楽死が認められる理由として、患者の苦痛が肉体的あるいは精神的疾患と関係があるかどうかは重要ではなく、患者の耐え難い苦しみが最も重要な要件であるというものだった。
その結果、シャボット医師は有罪の判決を受けたが、刑罰を免除された。

その後、オランダでは2001年に安楽死法が成立し、2002年4月1日より施行されている。これによってオランダでは安楽死が合法化され、規定された手続きを踏み、決められた基準を遵守していることが証明できれば、安楽死を実践する医師は法的に訴追されることはない。この法律が施行されるようになってから、オランダでは安楽死件数が増加しており、2012年、1年間だけを見ても、4188件の安楽死が実施され、これは全死者の約30人に1人が安楽死していることになる。

ページトップへ