お互いがかけがえのない存在に
2010年08月20日
修(しゅう)さんは30代後半で、都内にお住まいの方。うつの療養をしながら、できる範囲でアルバイトをしています。隼(はやぶさ)さんは40代前半。東京都下にお住まいで、事務のお仕事をしています。隼さん自身も心身症を患った経験があります。二人は、つきあって約5年。つらいことを乗り越え、とてもいい影響を与え合っています。
前回に続き、本文のお二人とは直接関係ないのですが、ゲイの多い街・阿佐ヶ谷で写真を撮ってみました。阿佐ヶ谷にはレインボーフラッグを掲げたゲイバーもあり、修さんのイメージにも重なります。
■修さんと隼さんのヒストリー
——最初に、簡単にお二人のこれまでのヒストリーをお聞きしたいと思います。
修:僕は地方出身者なのですが、内向的な性格で、高校の頃、学校に行けない時期があったんです。夜眠れなくて……。でも睡眠薬を処方されて、また学校に行くようになりました。
――セクシュアリティーで悩んだり?
修:そんなには……。一度だけ恋愛のことで悩んで、養護の先生に相談したことがあります。「大人になったから治るかも。決して悪いことじゃないと思うよ」って言われました。
――ゲイであることを後ろめたく思ったりはしなかったんですね。
修:つきあってきた人たちの中には「自分は偽装結婚するつもりだから、アンタもそうして。偽装結婚どうしつきあいましょ」みたいな人もいて。そういうのがいやで、やっぱり東京に出ようと思いました。
――東京に出て来てからのゲイライフはどんな感じ?
修:派遣やアルバイトで事務の仕事をしながら、二丁目のゲイバーやゲイイベントに行ったりしてました。パレードも3回くらいお手伝いしました。
――前向きな、充実した生活ですね。ではここで、隼さんのヒストリーもお聞きしてみたいと思います。
隼:僕は子どもの頃から「男らしくない」といじめられてました。不登校になったことも何度もあって。お医者さんには自律神経失調症だって言われました。でも、当時は子どもの心のケアという考えがあまりなくて、環境を変えたら? という感じで。
――そうなんですね……。ゲイだと自覚したのはいつ?
隼:中学の頃ですね。ある出来事があって、性にめざめ、「裏の顔」を持つようになりました。たぶん女性と結婚もして表向きは「ふつう」の生活をしつつ、ずっとこういうふうに生きていくのかな、と思ってました。周りの人がそうだったので。
――なるほど……。でも、そういう二重生活がどこかで変わったんですね?
隼:いろいろありますが、やはり修くんとの出会いが大きいですね。

■うつになった修さんと、保護者のように心配する隼さん
――お二人が知り合ったきっかけは?
修:5年ちょっと前に知り合いました。
――連絡先を交換して何度か会って、おつきあいするようになった感じ?
修:そうですね。とりあえず、お茶とか食事に誘われて。
隼:それまでつきあった人って「アタシを見て」みたいな自分中心の人が多くて、性格的に合わなかったんです。が、彼はぜんぜん違っていた。あまりしゃべらなくて……「なんだこいつは」って思ったんですが、いろいろ深いところまで考えてるし、ミステリアスな感じで。惹かれていきました。
――なるほど。出会った頃は、修さんは元気だったんですか?
修:いえ。彼に会う前、今から6年前ですが、勤めていた会社をリストラされて、見捨てられたような気がして……一気にドーンと落ちてしまって。あんなにまじめに働いてたのに……って。ショックでした。
――大変でしたね……失業保険をもらって次の仕事を探したり?
修:バイトだったので、保険もなく。職探しをする力もなく。自暴自棄になって危険なセックスをするようになって……自傷的な感じで。うつだと診断されました。夏の間はよくても冬になると冬眠してるみたいな感じで……。
――そんな中、隼さんに出会ったんですね。彼とつきあいはじめて、変わりました?
修:独りじゃなくて誰かといっしょにご飯を食べることができるって幸せだし、引きこもりにならずに済んでいる。感謝しています。それと、彼の友達に連れられて福祉事務所に行って、生活保護を受けられるようになりました。もともと生まれつきの心臓病で障害者手帳を持っていたこともあって、すぐに受理されて、それで安心できるようになった。2年前、事務の仕事に就いたんですが、冬になるとまたうつがひどくなって、休みがちで……。
――生活保護を受けている間はアルバイトできるんでしたっけ?
修:大丈夫です。1ヶ月間の収入を申請すると、若干控除があって、引いた分が次の月の保護費になるという形です。
――最低限の生活は保障されて、彼もいて、気持ちが楽になった。自傷的な気持ちもなくなった?
修:だんだん少なくなってきましたが、今でもときどき死を思います。幸い、実行するまでには至っていません。最近は思いつめたりはしなくなりましたが、物事にとらわれやすく、何かを始めるとずっと入りこんじゃって……。周りからはのんびりしているように見えるけど、本人は休めてないことが多い。
――今こうやってお話していても、ひしひしとしんどさが伝わってきます。隼さんは、修さんをそばで見てきて、どうでした?
隼:心配でしょうがなかった。体調はどう? とか、やたらと気を遣いすぎて、彼にとってはちょっと過剰だったみたいで(苦笑)。僕がこんなに心配してる気持ちをわかってよ、みたいに思ったりもした。
修:去年、心臓のほうで入院したんですが、そのときもお母さんみたいに大げさっていうか、重たいっていうか……。
――ちょっと保護者みたいになってたのかな?
隼:そうですね。その人の人生はその人のものだし、干渉してはいけないということを彼の態度から学びましたが、つきあった当初は本当に心配で……。自分も心を病んだ経験を持っているので、よけいに……。

■心と体が壊れた隼さん
――隼さんも心を病んだ経験があるんですね?
隼:25歳の頃、バブルがはじけ、会社の人が次々に辞め、自分にどっとしわ寄せが来て死ぬほど忙しくなって。だんだん、心と体のバランスが取れなくなってきて。そんなとき、珍しく本気の恋に落ちたんですが、僕の仕事が忙しすぎてなかなか会えず、結局フラレてしまって……。それがきっかけで、一気に体が壊れはじめました。
――仕事のストレスがたまっていたところに失恋のショックが……。どんな状態に?
隼:異様にのどがかわいて水を大量に飲むようになり、食事ができなくなり、首の後ろが熱くて痛くなり、体が硬直して……仕事も行けない状態で。医者には、うつではなく、不安神経症による心身膠着状態だと言われて。携帯もメールもない時代だし、それに、体の関係だけの友達に相談できるわけもなく、一人で部屋の中にいてひたすらぼーっとしているうちに、ビニールの洋服を何枚もかぶせられたような、自分が自分じゃないような感じになって。
――現実感がない……離人症みたいな。
隼:そうなんです。無理して人前に出ると、ふるえてしゃべれない。怖くて。水をがぶ飲みするので、胃腸もおかしくなって。そのうち家族が聞きつけて、実家に戻って療養することになりました。
――家族に面倒を見てもらえて、ひと安心でしたね。
隼:でも、家族にゲイのことは隠してたので、失恋のことも言えず、そうなった根本のところは改善しなかった。それで、ある人に勧められて、外国に行くことにした。前から興味もあって、英語もできたので、環境を変えようと、アメリカに行きました。一人でしっかり生きていかざるをえない状況で、むりやり自分を奮い立たせてて……。そうやって1年半くらい経って、また東京に戻って働きはじめました。
――荒療治のような感じ。その後、心身症は大丈夫でした?
隼:前の会社はクビになっていたので、フリーターとして働きはじめたんですが、体の不調はなかなか回復せず、30代まで続いてました。もともといじめられてたことも関係あるかもしれませんし、やっぱり表の顔と裏の顔を使い分けて、信頼できる友達もいなくて……という状況だったのがよくなかったと今は思います。
――今はとてもお元気そうですが、修さんと出会って健康を取り戻せたという感じ?
隼:そうですね。生き方や考え方が、がらりと変わりました。

■隼さんが修さんから受け取ったもの
――表と裏の二重生活で生きてきたけど、今はゲイとして前向きに生きている。そんな隼さんの転換点は何だったんでしょう?
隼:1つには、日本のゲイシーンが前向きに変わったことがあります。でも、決定的だったのは、HIV感染がわかったこと。もうごまかしがきかない、自分を認めざるをえないと思ったんです。
――そうですか……検査を受けたのはいつ頃?
隼:修くんとつきあってすぐ。それ以前にも原因不明の高熱で入院したこともあったし、うすうすはわかっていた。周りの友達が急に亡くなって、そうなのかな……と思ったりもしていて。でも、現実から目を背けるようにして、ずっと検査には行かなかった。
――病気だとわかって、ゲイの世界でしか生きられないと思った?
隼:それがなかったら、世間体を気にする生き方にしがみついてた。ゲイだと認めることは負けだと思ってた。病気になって初めて、観念したというか、そこが自分の土台だと思えるようになったんです。
――修さんは、彼のHIV感染を知って、どうでした?
修:あまりビックリしませんでした。なぜかというと、ほとんど同時に僕も検査を受けていて、自分もそうだったので。僕も自暴自棄なことをしていたし、覚悟はありました。
――そうなんですね……その頃はすでにうつにもなってたと思いますが、精神的には大丈夫でした?
修:予備知識があったので、とりあえず病院にかかって、という感じで、冷静に。ぷれいす東京のピア・グループ・ミーティング(感染告知を受けて半年くらいまでの人のオリエンテーション)にも参加したり、陽性者支援団体にとてもお世話になりました。
隼:僕はそこには参加しなかった。彼にいろいろな人を紹介してもらっても「なんでこんな人たちと?」と思って。ゲイのつながりに入ること自体が怖かった。ゲイのゲイ嫌いっていうのがすごく強かったんです。
――世間のホモフォビアを自分も内面化していた。
隼:そう。ごまかしが当たり前。「表に出さなければいじめられないのに」って思ってた。でも、彼の代わりに、HIV陽性者支援団体を手伝ったり、彼に引っ張られてパレードを手伝うはめになったりして……初めは「なんでこんなことやらされるんだろう」と思った。正直、イヤでした。
修:すみません(笑)。僕は自分が居心地のよい場所を見つけようとしてそういうところに顔を出してたんです。
――でも、半ば無理矢理そういう活動に関わることになって、いい方向に変わった?
隼:実際参加してみたら、みんな同じようなことで悩んでたんだな、とか、いじめられてたのは自分だけじゃないんだな、とか、見た目は似たような感じでも中味は一人一人違うんだな、とか、いろんなことがわかって。安心したし、仲間だと思えるようになった。
――彼とつきあっていく中で、本当に好きな人と一緒にいる幸せを実感し、だんだんコミュニティー活動に関わるようになって、ゲイでいいんだという肯定感が生まれていったんですね?
隼:そうです。そういう意味では、彼にとても感謝しています。もう1つ、とても感謝していることがあって。あるとき、彼の携帯をふっと見たら、僕からのメールが「家族」っていうフォルダに入っていた。そういうことなんだなと思った。すごくうれしかった。今でもうれしいです。
――修さんのうつとの闘いを隼さんが支えてくれただけでなく、隼さんは、修さんから本当に素敵なものを受け取って、大きく人生が変わったんですね。では、最後にひとことずつ、お願いします。
隼:家族と思える人がいるだけで、心の支えになる。それは本当に大きい。昔の自分は、本当のことも言えず、窒息していた。今は正直に自分を見れるようになって、とても楽。他人がどう言おうと平気。やっと生き方に自信を持てた気がします。
修:これからもよろしくお願いします。









