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虹色 - LGBT特設サイト

連載

地獄からの帰還

2009年10月15日

第3回は、健介さん(30代)にお話を伺いました。3年前、『Queer Japan returns vol.2』(伏見憲明/ポット出版刊)に「ゲイにとってのうつ」という論文を寄稿したとき、インタビューに答えてくれた方です。本当にしんどい、ヘビーな…ある意味、地獄の淵から這い上がるような経験をしてきた方ですが、めざましい回復を遂げて、今はその経験を活かした素晴らしい活動をされています。
また、この連載は、うつを経験した当事者の方と周りでサポートしてくれた方のお二人へのインタビュー、という形でお送りしてきましたが、今回は、当事者の方がたくさんのサポーターの方に「ありがとう」の気持ちを伝えるという形でお送りしてみます。こういう形もアリだな、と思っていただければ幸いです。

健介さんはしんどかった頃、よく「akta」に通っていました。彼が「今でもときどき思い出す」という二丁目から「akta」までの道のりを、後藤が歩いて撮ってみました。だんだん街が明るくなっていく感じが、どん底から少しずつ希望の光が見えてくるような健介さんの心象風景と重なって見える気がしました。

■人間関係のストレスが引き金に


——「うつ」になったきっかけや経緯を教えていただけますか?

健介さん(以下K):自分は地方のカタい家の長男として生まれ育ちました。地方の閉鎖的な空間だとなかなかオープンにしにくいですが、自分はゲイだってことを早くから親に伝えてました。しかし、受け入れてくれたというよりは「あきらめ」に近い感じで、治るものなら治ってほしいという「病人」扱いだったんです。

——本当は結婚して家庭を持ち、家を継いでほしいという気持ちだったんでしょうね。

K:重くて、息苦しかった。親も周囲のプレッシャーを感じてて、でも本当のことを言えず、そんなもやもやを別の形で僕にぶつけてきたところがあって。

——なるほど。親御さんも相談する人がいなくて悶々としていたんですね。

K:そうだと思います。僕は息苦しさに耐えかねて、東京に出てきたんです。彼氏もできて、仕事も見つけて働き始めました。が、たびたび上京してくる親と彼氏がソリが合わず、板ばさみになったり、そうこうするうちに職場の人間関係が悪くなったり、いろんなことがうまくいかず、こんなはずじゃなかったのに…って。

——家を出たけど、新たなストレスが生まれたんですね。でも彼氏さんがいたし、そういう時、心の支えになってくれたのでは?

K:確かにつきあってはいたけど、おたがいに満足してないというか、あまりしっくりいってなかった。

——その時は、本当に癒される機会があまりなかったんですね。

K:探せば他にもいろんな道があったと思う。けど、そこに行くためには、何かをガマンして、というステップが必要で、気が進まなかった。たとえば、スポーツをやるにしても、やっぱり人間関係に気を遣う。人間関係でストレスを感じてるのに、さらに面倒を抱えるのはまっぴら。もっと手軽に楽になりたい、癒されたい…そういう気持ちで、よくないものに手を出すようになっていったんです。

■薬物とセックスへの依存


——はけ口を見い出したと。それは…薬物みたいなもの?

K:いわゆるドラッグを使ったセックスです。今思い返してみると、バカなことをしたと思います。手が届く所にあるから、手を伸ばしてしまった(※いわゆる脱法ドラッグ。現在は輸入・販売とも禁止されている)。面倒な人間関係抜きで気持ちよくなれるので、雪崩を起こすようにハマっていった。

——薬物をやっていると、セーファー・セックスしようという意識も薄まったりするのでは?

K:最初のうちは、コンドームをしてても痛くないとか、そういうこともあって使い始めたんです。でも、慣れてくると、使う量もどんどん増えていって。そうなると、理性も吹っ飛ぶし、リスクの意識もだんだん薄れてきて…。代わりに、もっとすごいことをやってみたいと思う欲望がどんどん出てきた。相手とひとつになりたいから、ゴム無しでセックスしたい。そのほうが征服された気がする。汚されたい。壊されたい。そのうち、あっちはあんなに気持ちいいのに、ふだんの生活はなんでこんなにつらいのか、と思うようになって。

——意識がぶっ飛んじゃうようなセックスのほうが「生きてる」ってリアルに感じて、日常のしんどさのほうがウソなんじゃないか、みたいな?

K:現実逃避ですよね。すでにその頃には「うつ」への引き金が引かれてたんだと思います。自分の経験からすると、セックスに強く依存してしまう人は「うつ」の予備軍とも言えるのではないかと感じます。

——そうして、本格的に「うつ」になるような出来事が?

K:胃が痛くなって、病院で胃カメラを飲むことになったんですが、HIV検査を受けてください、そうじゃないと今すぐ胃の検査ができません、と言われた。一刻も早く胃の痛みをなんとかしたかったので、スクリーニング(抗体検査)に同意しました。それで検査を受けたら、陽性の可能性があり、確認検査を行っている。ただし偽陽性の可能性もあり、最終的な判断は確認検査を待たなければわからない、とのことでした(※本当はその病気を持っていないのに陽性反応が出てしまうことを偽陽性と言います。HIVのスクリーニング検査は陽性の見逃しの可能性を極力減らす目的からわざと基準が低めに設定されており、その結果偽陽性が確率的に出やすいということは言われています)。

——その後、確認検査の結果は…どうでした?

K:確認検査でやはり陽性だと言われて。その瞬間は「なっちゃったか」って。事の重大さがわからなかった。それから1週間くらい経って、本格的にズドンときました。目が覚めて気づいたら、後の祭り。

——現実としてHIV陽性っていうことが突きつけられて。ショックでしたよね…

K:自己破壊願望で、自分は消えてなくなればいいと思ってたくせに、いざHIVに感染したら、「自分は何のために生まれてきたんだろう?」って、「こんなことで死んじゃうために生まれてきたの?」って思い始めました。取り返しのつかないことに対する自責の念が一気にドバっと出てきて…何もする気が起こらなくなりました。仕事に行こうとすると動悸がひどくなって、電車に乗るとめまいがして立っていられなくなったりして…会社もたびたび欠勤するようになりました。告知から3ヶ月くらい経って、ようやく精神科に行って、そこで「うつ病」だと診断されました。

■「うつ」との闘い…自殺未遂も


——HIVに感染し、「うつ病」になり…彼氏さんには相談を?

K:外でセックスしてたこともHIVのことも「うつ」のことも全部、伝えました。でも、「あんたが自分のしでかしたことで勝手になった病気でしょ?  自分で何とかしてよ」と言われて…。本当にその通りでした。そう言われても当然です。でも、「うつ」になっていた自分は、「あんなことしたのはお前のせいだ」みたいなことを言ってしまった。

——もっと自分と向き合ってくれたら、こうはならなかったのに。

K:そういうことです。今では「お門違い」だし、本当に恥ずかしいって思う。自分だってパートナー関係を良くしようって努力なんてせずに、外で遊びまくってたのに…。自分のせいだとはわかっている、けど、「お前のせいだ」と言われるのはすごくつらかった。

——頭では悪いってわかってても、自分ではどうしようもできないから、助けてほしいと思う。

K:自分のやったことの責任を完全に引き受ける勇気が出なくて、それを変える力もなくて…「うそでしょ?」って。何もかもが悪い冗談。現実がどうしようもなくなって。残るのは絶望。自分では行動できないから。

——絶望して、自分で命を断とうとしたことも?

K:ありました。彼氏の目の前でリストカットして、救急車で運ばれたり。会社に長期休暇を出して家に引きこもっていたので、「うつ」のことを「怠け病」だと誤解していた親に「働かないなら家に戻れ」と言われ、仕方なく実家に戻ったときにも、死のうとしました。アイカタも一緒に来てくれたんですが、目の前で親とケンカを始めて、よけいにしんどくなって、暴れたり。突然車から飛び降りたりもしました。「自分が生きてるからみんながもめる。自分がいなくなれば丸くおさまるんじゃないか」と思ったんです。それで、親と話し合って、また東京に戻って療養するほうがよさそうだ、ということになった。

——大変でしたね…。でも、彼氏さんは、なんだかんだ言ってもそばにいてくれてたんですね?

K:そうですね。とはいえ、抗うつ剤とかの薬が効きすぎると精神状態が攻撃的になることがあって、「なんで気持ちをわかってくれないの?」とケンカすることもあったし、つい暴力をふるってしまったこともあった。そのうち、「こんな状況でやってけるわけないよね」って…別れることになりました。自分は「こんなかわいそうな自分を見捨てるの?  見捨てるなんて人間じゃないよ」ってぶつけたり。今考えると、よくもそんなこと言えたなと思うけど、その当時はそういう頭しかなかった。

■「生きててくれればいい」と言ってくれて


——そんなヘビーな経験をして、彼氏さんにも見放され、いったい健介さんがどうやって立ち直ったのか、聞いてみたいと思います。

K:まず、HIVに感染した僕の相談に乗ってくれたり、ケアしてくれた方たちがいます。二丁目のコミュニティセンター「akta」や「ぷれいす東京」の方たちです。「akta」の方は、忙しい中でも、僕が楽しく過ごせるように気を遣ってくださって。それから、「ぷれいす東京」が運営している陽性者のためのミーティングに顔を出していました。何も否定されず、肩肘張らなくてすむ、本当に楽にいられる「受容空間」でした。同じ陽性者の人でも、あっけらかんとしてる人もいるし、重く受け止める人も、後悔している人もいて、自分だけではなかったっていうことがわかって…本当に貴重な経験でした。ありがたかったです。

——そのままの自分を受け入れてくれる、居場所が見つかったんですね。

K:そうやって、HIVのことは、自分の中で消化していっていたんですが、うつがひどくなって、彼氏との関係もボロボロになっていた頃、mixiの日記に自傷行為をしたことを書いたんです。わらをもつかむ気持ちで、サインを出していた。そこに、励ましのメールをくれた人がいて。いっしょにご飯を食べたりして、相談に乗ってくれるようになりました。別れた彼氏も親も「そんな生き方しててダメでしょ。あんた将来どうすんの?」って言い方しかしなかったけど、その人は「生きてればいいことがある。死んだら元も子もないでしょ?  何もしなくていいから、生きていこうよ」って言ってくれた。親も別れた彼氏も、ハッパをかけるつもりで言ってくれたんだと思うけど、「今の自分はダメなんだ」と否定語に変換されて、逆効果になってたんですね。彼のおかげでやっと、「生きてていいんだ」って思えるようになったんです。彼氏が去って行ったあと、もうダメだ…と思っていたところに、彼は「つきあおう」と言ってくれて。そして、僕が自傷行為をしないように監視する意味もあって、家に引っ越して来てくれたんです。

——本当によかったですね!  神様っているんだな…って思えます。

K:彼は現状をまったく否定しなかった。「働けないならそれでいい。外に出てみようかなと思ったら出ればいいんだよ」と。「HIV予防の活動を手伝うのもいいんじゃない、当分の生活は面倒見るよ」とも言ってくれて。それから、「心理学の教室があるよ」と教えてくれて。「今すぐ行けとは言わないけど、こういうのがあるよ」って。とてもそんな気持ちにはなれず、半年くらいほっといてたけど。

——新しい彼氏さんが、家で見守ってくれながら、新しい道を指し示してくれたんですね。

K:うちの親も、ちょうどその頃、変わってきた。「不眠がひどくて…薬も飲んでるけど、眠れないんだ」とこぼしたら、「じゃあ、寝なくていいんじゃない?」って言ってくれて。そこでかなり救われた。無理に眠らなくてもいいんだ、と思ったら、睡眠導入剤を使わなくなり、そしたらかえってよく眠れるようになって、朝起きれるようになったんです。それでやっと、心理学の教室に行ってみようかな、と思えるようになりました。

——ああしろこうしろじゃなくて、自分のペースでいいよと言ってもらえることが、回復につながったんですね。

■心理学を学ぶことで生まれ変わった


——感染の告知を受けてから「うつ」が寛解するまで、どれくらいかかりました?

K:2年半くらいです。感染がわかったときと比べて、いい意味で「ま、いっか」って思えるようになった。「まだ生きてるし」って。うつになる前の自分は、どうやってカッコよく見えるように生きるかってことに腐心してた。「うつ」を経験したあとは、そういうことがばからしくなって、もっと楽しいことがある、他の人がどう見るかじゃなくて自分がどう思うかだって気づいた。自分がいいって思えたら、それでいい。いいものを手に入れたなって思えます。

——いい意味で生まれ変わった。

K:本当にそんな気がします。

——心理学の勉強はどうでした?

K:小難しいイメージもあるけど、そんなに難しいわけではない。実際にそれを噛み砕いて実践してみると、ふだんやってることを、意識してやってたり、自然に振る舞える。それができるようになると、本当に楽。なんだ、こんなことだったんだ! っていう。たとえば、イベントで忙しいときに「akta」に行っても、かまってくれない。うつの間は「自分がうざいからだ」と思って引きこもったりしていたけど、心理学を勉強してからは「みんな忙しいんだし…今日はいいや、また来よう」って思えるようになった。

——自分と周りの人の関係を客観的に見れるようになってきたんですね。

K:前の「ま、いっか」は、あきらめの「ま、いっか」だったんですけど、心理学を勉強してからは、考え方をチェンジする「ま、いっか」になった感じ。自然に受け止めて、痛いことも受け流して。いろんな行動ができるようになってきた。何年か心理学を勉強する中で、「うつ」から立ち直ることができたと同時に、資格を取って、相談を受ける立場にもなれたんです。それで食っていけるわけじゃなく、バイトをしながらたまに、という感じですが。

——カウンセリングをするようになったんですね。素敵!

K:たくさん相談してもらいました。勉強以上に、自分が「うつ」を経験したことがプラスになったと思いました。骨を折ったことがある人は、骨折した人の痛みがわかる。わかってくれないと周りを攻撃する気持ちもわかる。わかってっていうサインを出してることに気づけないこととか、サインの出し方がヘタだったりっていうのも、自分はわかる。「うつ」を経験してよかったと思えました。

——今まで苦しい思いをしてきたことが、他の人たちを救うことにつながったんですね。

K:そういう意味では、「うつ」になるっていうのは、本当に貴重で素晴らしい経験だと思う。そういう経験をすることで、他の人よりもっと広い視野に立てる。世界が広がる。「うつ」になった時は嘆くと思うけど、反面、実は、すごい勢いで自己成長する、助走期間なんじゃないか。バネも、弓も、うんとしぼればしぼるほど、遠くに飛ぶ。自分がぎゅーっと沈むほど、解き放たれたときはものすごく遠くまで飛んでいける。そういうチャンスなんじゃないかな。

——そう思えるのは本当に素晴らしいこと。よくぞここまで…と抱きしめたい気持ちです。

■「ありがとう」の気持ち


——では最後に、どん底にいるときに支えてくれたパートナーの方に、あらためて感謝の気持ちを。

K:今の自分があるのは、彼のおかげ。それ以外の何者でもない。その前の彼氏も含めて、自分のいちばんつらい時期を共有してくれた人みんなに、僕がこうやって大きくなるためにどれだけ力を使ってくれたんだろうと、感謝にたえない気持ちです。だからこそ、恩返しの意味もこめて、「うつ」で苦しむ人たちを支えていける立派なカウンセラーとして成長していきたいと思います。

——親御さんも「うつ」のことは理解してないという話だったけど、ずっと気にかけてくれた。実家に戻りなさいとかいろいろ言うのも、心配だったからだろうし。

K:そうですね。今も心配してくれてると思います。今、「うつ」のまっただなかにいる人たちに言いたいのは、自分が生きてる世界の中で味方がゼロになるってことはありえないということ。応援してくれたり、賛成してくれたり、味方になってくれる人は、必ずいる。決してひとりぼっちだなんて思わないで。そして、究極を言えば、最大の味方は自分。「うつ」になると、そこに気づけないんですが、本当は自分を認めてあげれるのは自分なんです。アンジェラ・アキの「手紙」っていう曲を聴いた時、「うつ」のときの自分に聞かせてあげたかった…って泣けました。「進むべき道がわからなくなったら、自分の声を信じて歩けばいいの」って。

——いい歌ですよね~

K:そして、僕の場合、タイミングよく、周りの人に恵まれた。

——いつも誰かそばにいてくれましたよね。

K:運がいいだけって思われるかもしれないけど、「うつ」で長いこと苦しんでる人だって、必ずそういう人がいると思うんです。僕は早く脱却できたほうだと思うけど、どんなに時間がかかっても、絶対に脱却できる病気。あきらめないで。

——そうですね。他にどなたか、感謝の気持ちを伝えたい人はいますか?

K:いろんな話を聞いてくれた「akta」やぷれいす東京の人たちもそうだし、僕がどん底から這い上がろうとしてるときに、僕に役割を与えてくれて「ありがとう」って言ってくれた人がいます。役に立ちたくてしょうがなかったので、本当にうれしかった。もし、「うつ」の人が周りにいて、何かしてあげたいと思うんだったら、アドバイスとかよりも、ちょっとした役割を与えて「ありがとう」って言ってあげたほうがいいんじゃないかな。居場所が確認できると、本当にうれしい。自信を取り戻すきっかけになるから。きっと持ち直していけます。

——本当にリアルで、深くて、素晴らしいお話、ありがとうございます!

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