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虹色 - LGBT特設サイト

連載

vol.3 国際基督教大学・田中かず子先生

2009年05月16日

国際基督教大学教授・田中かず子先生

今回は、国際基督教大学ジェンダー研究センター(Center for Gender Studies, International Christian University)へ行ってきました。通称CGS(シー・ジー・エス)と呼ばれているこのセンター、実は取材メンバーの何人かには「おなじみの場所」です。なぜかって? ここは、学外者でもまた学生でなくてもセクシュアリティに興味がある人なら誰でも来られる非常にオープンなスペースだからです。というわけで、この場所を設立し、2008年3月までセンター長を務めたICU教授の田中かず子先生にお話を聞いてみました!

○最初にCGSとはどんなところなのか、聞かせてください。

☆CGSはジェンダーあるいはセクシュアリティに関心がある人たちのためのコミュニケーション・スペースです。ICUの学生・院生だけではなく外部の人にもオープンになっているので開館時間内は誰でも訪れることができます。卒業生も読書会に来たりしますし、高校生が一人でやって来ることもあります。本は学外の方でも借りられます。ジェンダー、セクシュアリティは生活のあらゆる面に関わることだから、文学、歴史、法律、労働など幅広い本を揃えています。毎年どの図書を入れるかには力を入れていますが、それにはここに関わっている学生たちの意見が大きく反映しています。また、2004年の設立年から4年間、毎年海外からのゲストを交えて国際ワークショップを行いました。そのほか講演会などの大型イベントも年に一度開催し、これまでには福島みずほさん、上野千鶴子さん、尾辻かな子さんをお招きして話を聞きました。

「研究所」でなく「センター」という名前がついているのは、いろんな人が集まってつくり発信していく場ということがメッセージとしてあるからです。「与えられる場」より「なければ自分たちでつくって提案していく場」にしていきたいと思っています。事実、いま開かれている読書会なども学生が発案したことですし、ICUにはLGBT当事者に対する人権意識向上を目指して発足した学生サークル「シンポシオン(sumposion)」などもありますが、このように場を共有するなかでいろんなものが自然発生的に生まれていくのが良いことです。ですからこの場の機能を限定的には考えていません。ただ、安心して集まれる「安全な場所」であることは大事だと考えて最初から行ってきました。

田中先生と「今月のアライさん」取材メンバー。

○田中先生とセクシュアルマイノリティの学生たちと最初の出会いはどのようなものでしたか?

☆私がこのキャンパス内にいるセクシュアルマイノリティの学生たちと関係ができたのは、90年代の初め頃、私の研究室を突然訪れた学生に、「先生、自分はゲイなんですけど」とカミングアウトをされたのがきっかけでした。授業でジェンダーやセクシュアリティのことに触れていたからでしょう。彼は「このキャンパスの中にセクシュアルマイノリティの人たちが集まれる場がない。そういう場をつくるために相談に乗ってほしい」とも言いました。じゃあ一緒にサークルを学内で立ち上げようよと。会の名前は「セクシュアリティについて考える会」とすることにしました。ゲイの会レズビアンの会などとすると、会に参加した途端あの人はセクシュアルマイノリティだと周りに知られてしまい安心して行けないということを言われたものですから。この名前ならセクシュアリティを問わず誰でも参加できるだろうと。
その集まりには毎回10〜15人くらいの人が来ていましたね。印象的だったのは、その中にICUの卒業生が来ていて、在学中の彼女のことを私は知っていました。ところがレズビアンであった彼女は、「先生、私は4年間ICUのキャンパスにいてずっと孤独だったんです」というのです。驚きましたね。彼女が在学当時そんなに孤独感に苛まれていたなどとは思いもよらなかった。「私はこれまでジェンダーやセクシュアリティをテーマに活動をしていながら、いったい何をしてきたのか」と頭が真白になり、改めて「自分に何ができるだろう」と思ったのを憶えています。

○そうした人の出会いを通じて、田中先生が受けた影響はありますか?

☆ヘテロセクシュアル(注)の自分は何なのかと常に問い直すプロセスが自分のなかに生まれましたね。たとえば私はフェミニストの視点から社会学をやっているのですが、彼ら彼女らとつきあう中で性はグラデーションであるということを教えられて、それからというもの、既存のフェミニズムそのものが男女二元論のうえに成り立ったもの、すなわち「ヘテロセクシュアルにとっての」というカッコつきのフェミニズムだったことにも気づかされたわけです。 「常に世の中の当然や自然は疑ってかかりなさい」というのが社会学の基本なのですが、口ではそう言いながらも、自分も当然視しているものから全然抜け出れていなかったことを知りました。「『わかっていない』ことをわかっていなかった」自分に気づいたと言いますかね。

(注)ヘテロセクシュアル……男女間での異性愛のこと。同性同士の恋愛はホモセクシュアル)

ちなみに、このコーナーは、「今月のアライさん」って言いますよね? 確かにアライは、「セクシュアルマイノリティについて理解がある存在」と意味で最近使われている言葉です。けれどもこうした言葉ひとつであっても、いま1度立ち止まって考え直してみる必要があるかもしれませんよ。無意識のうちに自分はマジョリティ側であるという立場そのままに「私はここです」という感じで線を引いて、「こっちにいる私たちはアライさん」、かたや「はい、線の向こうのあなたたちはマイノリティ。いろいろな問題を抱えていて大変みたいね」と見てやしないか、という……。

CGSはセクシュアリティに関心がある人なら誰でも訪れることができる。

○ジェンダーという言葉について教えてもらえますか?

☆生物学的な男・女という捉え方とは別に、社会的につくられた男らしさ・女らしさってありますよね。そういう社会的文化的な「性」の部分をジェンダーと呼びます。またそうした社会の中での男女の役割から生じる不平等な関係を指して、フェアではないんじゃないかと問題提議するために用い始めた言葉です。
そもそも男と女という風に2つのカテゴリーに分けて見ること自体、先天的生物学的な「セックス」ではなく、社会のなかで人工的に形成された「ジェンダー」だと言えます。自然界がそうなっているから人間を2つのカテゴリー、男女に分けるというよりも、本当のところ、異性愛規範によってつくりあげられた男らしさ女らしさのイメージが満載のカテゴリーがあったからではないの? だったら、それは「ジェンダー」でしょう? 性の多様性について知るようになって以来、そこが気になって仕方がないんです。

○セクシュアルマイノリティのユースに対する教育現場のケアということで最後にお聞きします。田中先生は「教員にできること」をどう捉えていらっしゃいますか?

☆教員には結構なことができると思います。やはり、それなりに力がある存在ですから。授業の中で何をカバーするのかを決めるのは教員だから、やろうと思えばかなりいろんなことができますよね。例えば、「人権」という概念を持ってくれば人権教育の中でカバーすることだってできる。
ただ、近頃は教える側がはじめから正しいことを全部知っていないといけないみたいな雰囲気がありますよね。先生はいつも正しくなければならず、また絶対的に教える側の立場である、というような。でも本当は、何が正しいのかを一緒に考え、みんなが安心してそれを発言しあえる、「安全な場所」を提供することこそが教師の仕事なのではないでしょうか。つまり教師はファシリテーター(場を活性化し、またスムーズに流れるようにする調整役)になれば良い。そしてそこの中で自分も一緒に学んでいく。
また私は「キャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワーク」という、大学のハラスメント問題に関心のある個人や団体が、情報交換や被害者の支援などを行うネットワークの活動にも参加していますが、これは学内で何か問題が起きたときに自分だけで何とかしようとしてもできないから、学外まで含め問題意識を持った人たち同士横に繋がって一緒に考え支えあって行こうというものです。こうした教員同士のネットワーキングもとても大事ではないでしょうか。教員同士も一緒に考えるような人の輪をつくれば、大学のなかの問題も共有していけるはず。それぞれの大学には、自分と同じような関心を持っている人たちはすぐには見えないかもしれないけど、必ずいますから。教員がそのようなネットワークをつくりお互い学んで、何をしたいのかを学生と一緒に考えていく。そういう場をつくっていくことによって、いろんな可能性が広がっていくように思います。

○本日はありがとうございました! 先生の今後の活躍にも期待しています☆

(2009年2月18日 国際基督教大学キャンパスにてインタビューを行いました)

*この記事は、セクシュアルマイノリティーの当事者ユースが中心となってインタビューと執筆を手がけています。今回記事を担当してくれたユースのプロフィールと取材の感想です。

まめたさんの写真

まめた レインボー・カレッジのメンバーで大学生。「面白くないことはつまらない」をモットーに、IDAHO(国際反ホモフォビアの日)の街頭アクションなどを企画している。(取材感想)今ある環境を変えたいという気持ちと、「まずはやってみよう!」というワクワク楽しい感じとの両方が混ざり合って、田中先生のお話を聞きながら、自分の中からもエネルギーが湧いてくるような気がしました。

コウさんの写真

コウ 21歳。女性の体に違和感があるが、自分の中に男性性も女性性も感じるので『レズビアンとトランスジェンダーのあいだ』と自称することが多い。そして性別を決める必要性を感じていない。(取材感想)自分の中で積みあがったものを覆すようなことが起きても、それを崩して積み直すことは意外と難しいことだと感じます。田中先生のお話を聞く中で、積み上げたものや間違っている「当然」を崩す勇気を強く持ちたいと思いました。

やすよさんの写真

やすよ 大学で教育について勉強中の異性愛者です。(取材感想)今は「ICUという“リベラル”な大学ならでは」と思うことも、いずれ幼稚園〜高校でも実現していければいぃなと思いました。

<参考>セックス/ジェンダー/セクシュアリティはどう違う?

セックス……「身体の性」のこと。外性器、内性器、生殖腺、性染色体のあり方などが組み合わさった「生物学的な性」のことをさす。セックスはメスとオスの2つだけではなく、その間にいろいろなバリエーションが存在している。身体の性別が典型的な男女のどちらかではない状態で生まれた人をインターセックスと呼ぶ。母子健康手帳を見ると、出生時の性別は「男・女・不明」の3つから選択できるが、出生届けでは「男・女」のどちらかとなっていて、戸籍に続柄として記入される仕組みになっている。

ジェンダー……「社会的な性別」のこと。服装、髪型などの外見や、しぐさや言葉遣い、仕事と家事の分担をどうするかなど、社会的・文化的に表現される性別のあり方のことをいう。「女らしさ」や「男らしさ」は生物学的な性によって決まると考える人たちもいるが、成長によって身に着けたり、教育によって刷り込まれる「○×らしさ」もある。

セクシュアリティ……「性に関する事柄」を全般的に表す言葉として使われる。異性を好きになるか、同性を好きになるか、相手の性別に関係なく好きになるのか、あまり性的な欲求を感じないのか、といったように「どんな相手に魅力を感じるか」ということや、自分の性別についてどうとらえ、表現するのかといったことなどをあらわす言葉として使われる。

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