私がモヤモヤと悩み始めたのは、きっと16才頃からだと思います。
元気で明るい、頑張りやさん・・・・もの心つく頃からの私への世間の評価です。それもそのはず、いい子、いい人をずっとやってきたのですから。もちろん無自覚ですが。
そういう私が全てじゃないのに!
いい子、いい人でなければならないという強迫観念から逃れたい。でも、ありのままでは私はダメな子、ダメな人間・・・・。だから自分に自信がなくて、失敗が恐いから何事も一生懸命やってしまう。本当はやりたくないことにも。そんな自分が嫌いで仕方がない、本当は自分を好きになりたいのに・・・・。
こんなふうにどんどん辛くなっていき、20代中頃からは、胃痛や十二指腸潰瘍に苦しみ、私の心の叫びや見えない涙は誰にも届かず、私が生きている意味は何なんだ?死ねば終わるのかな・・・・と、“死”をイメージすることで心の安定をはかっていました。
今思えば、この苦悩は「自分らしく生きたい」、すなわち「変わりたい」という絞り出すような願いだったんですね。
私はアダルトチルドレン(AC)なんだと気づいてからは、たくさんの本を読みました。本屋さんに行くと、その関連本の多さに驚きます。知れば知る程、凝り固まっていたネガティブな心が解き放されていきました。しかし、それと同時に母への疑問がふくらんでいき、また新たな苦しみがうまれたのです。
よかれと思って私にいい子を期待し、それに応え頑張る長女の私。しかし、「子どものため」は、「親のため」だった。本当は、私の好奇心や探究心を見守り、私がどんな人になりたいか、何になりたいかという目標や希望が芽ばえるまで待って欲しかった。親にあまえさせてもらって、子どもらしくのびのびと育てて欲しかった。しっかり者でも、頑張りやさんでもなく、いろんな顔をもつ私でいたかった。
母はなぜ、そんな育て方をしてくれなかったのか?
母もまた、ACだからです。自分の母親から、きちんと、ちゃんと、早くしなさい、頑張りなさい、世間様に笑われないように・・・・と期待され、それに応えて育ったのです。
世代連鎖です。
気づくと、母は自分の孫(私の妹の子どもたち)にも、同じように接しています。でもおばである私は、「あなたはあなただから素晴らしいのよ。誰とも比較しなくていいの。頑張れない時があってもいいの。自分の気持ちを正直にあらわしていいのよ。何があっても、だーい好き」。これでは、おばあちゃんとおばちゃんの言うことが違い、子どもは混乱します。そして私も、「そうだ、子どもの時、お母さんはこんなんだった!」と、怒りがわいてくるのです。
このままでは母を憎んでしまう。
その時、父はすでに他界していました。
父はアルコール依存症でした。私たち家族は、父の孤独や生きづらさに気づくことなく、お酒に逃げるのはダメな人、弱い人と勘違いをし、充分なケアができませんでした。無知でした。その後悔、反省、未練もあり、母とは生きている間に、いい関係になりたい、と考えたのです。遺影に手を合わせ、「ごめんなさい」「ありがとう」と、声を詰まらせるのはもう嫌だったのです。
世代連鎖を断ち切ろう。
決意した私は母に説得を始めました。あの手この手で訴えました。
全くうまくいきません。ドロ沼です。親子というあまえもあって、必ずケンカになるのです。ぎくしゃくした関係が3年間続き、もうヘトヘトでした。
そこで、母と娘でカウンセリングを受けることにしたのです。
詳しくは『<私>はなぜカウンセリングを受けたのか「いい人、やめた!」母と娘の挑戦』(マガジンハウス)に記しています。
それぞれ個別のカウンセリングと、母娘同席のカウンセリングを根気よく一年間。壮絶でした。いろんなことがありました。
そして、私の訴えから実に4年以上かけて、少しづつ変われたのです。と言っても、別の人格になった訳ではありません。
ひと言で表わすと、ラクになりました。
生きるって、おもしろいと思えるようになったんです。
親子は(夫婦も友人もだと思います)、お互いに嫌いなところも、理解し合えないこともあります。相互理解と共感の上に親子関係があるなんて信じると疲れます。ただ分かりたいという気持ちがベースにあればいいんです。「分かってほしい」ばかりが先行すると、また期待がはじまります。
私たちは、過去の自分を見つめ、その度に落ち込みますが、ゆっくり許し、受け入れ、自分の本当の気持ち(奥の方に追いやった本音)に寄り添うことを覚えたのです。辛い時には泣き、嬉しい時には喜び、腹が立ったら怒る。もう回りの顔色を伺って自分の感情を押し殺さなくていい。そして、自分の欲望に耳を傾ける。自分の心が満足することをしようとする・・・・。
自分らしく生きる。これは人権です。
過度の期待や過干渉は、見えにくい虐待だと思います。
私はあるがままに生きるようになって、実は友だちが減りました。ということは、無理して合わせて付き合ってたんですね。
もう、頑張ることもやめました。自分の好きなことには、自然に一生懸命になるものですから。
だからと言って、ACや親子の問題を克服した訳でも乗り越えた訳でもありません。
今もACの私がチラッと顔をのぞかせることもあります。そんな時は、「私はわたし」と自分につぶやきます。今やっと、こんな私でいいんだ、と自分に向き合い付き合えるようになったんです。
そして、自分を大切にできるようになって、他者をも大切にできるようになりました。
私は大切。だからみんなも大切、って感じです。
人は変わろうと思いさえすれば、いつでも変われるんですね。