これって依存症? 専門家による解説(Q&A)

画像(これって依存症? 専門家による解説(Q&A))

 

「自分は依存症かもしれない」と悩んでいる方、「やめたいのにやめられない」と苦しんでいる方、家族や恋人、友人の「依存症かもしれない行動」に困っている方…どんな方でも歓迎です。何か一つでも、あなたが楽になるきっかけが見つかることを願っています。

監修:松本俊彦(独立行政法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部/自殺予防総合対策センター)

 

もくじ

どこからが依存症?

最近、「依存症」という言葉は、ニュースやワイドショーなどで何かと使われるようになってきました。しかし、依存症に関する正しい知識はまだまだ世の中に広く知られているとはいえず、誤解や偏見も多いのが実情です。そうした中で、さまざまな情報が氾濫し、自分や家族の状態に「これって依存症?」と混乱する人が増えているようです。

そこで、まず、初めに「依存症」とはどういうものなのかを整理しておきましょう。私たちの心身の健康を損なう恐れがあるとされる依存の対象には、主に以下のようなものがあり、大きく2種類に分けられます。

画像(2種類の依存症)

このうち、まずは代表的な依存症として取り上げられることの多い「物質系」、すなわちアルコールや薬物への依存から見ていきましょう。

アルコール・薬物への依存については国際的な診断基準があり、以下の6項目のうち、3つ以上が同時に見られれば依存症(正式名称は「依存症候群」)と診断されます。


さらに、依存症とは別に「有害な使用(乱用)」という言葉があります。これは、依存症の診断基準までは満たしていないけれど、アルコールや薬物を摂取することによって、本人や家族の生活に困りごとが生じている状態のことをいいます。例えば、遅刻・欠勤の繰り返し、家族との関係の悪化、暴力や借金問題、対人関係のトラブル、飲酒運転などが頻繁に起こっているのであれば、それは「アルコール乱用」「薬物乱用」の状態にあるといえます。

したがって、大事なことは「依存症かそうでないか」という診断の正確さではありません。医学的には「依存症未満」であっても、こうした生活上の困りごとが起こっている場合は、依存症と同じように対応を考えていく必要があるといえるのです。

画像(アルコール・薬物への依存のチェックリスト)

「非物質系」の依存とは?

画像(生活に支障がでてやめられないことはありませんか?)

「生活に影響が出ているのにやめられない」ことはありませんか?

「非物質系」の依存は、医学的に定義されているものとそうでないものとが混在しています。

比較的知られているのはギャンブルへの依存でしょう。これは、パチンコ、競馬、競艇などの賭けごとや、投機的な金融商品にのめりこんだりして、生活に影響が出ているのにやめることができない状態のことです。医学上の診断名では「病的ギャンブリング」といいます。

拒食や過食、ダイエットに対する過度なこだわりなどが見られるのが「摂食障害」です。診断基準では、食事制限などによって極端にやせてしまう「神経性無食欲症」と、短時間に発作的なむちゃ食いをする「神経性大食症」に分類されます。ただ、実際には両者を移行する場合も多く、嘔吐や下剤の乱用が伴う人もいるなど、症状の表れ方はさまざまです。しかし、共通しているのは、体重のコントロールがうまくいっているかどうかで一喜一憂し、頭の中はいつも「食べ物」や「カロリー」のことでいっぱいになっているという点です。

その他に、医学的に定義されているものとしては、放火がやめられない「病的放火」、窃盗がやめられない「病的窃盗」(クレプトマニア)があります。また、毛髪を引き抜くことがやめられないのは「抜毛症」といいます。

ここに挙げたもの以外については、今のところ医学的な定義や診断基準はありません。また、こうした「非物質系」の依存については「○○依存症」という名称は正式には存在しません。

しかし、医学的には定義されていなくとも、買い物、インターネットなど特定の行為へののめりこみ、恋愛など特定の人間関係へのとらわれ、リストカットなどの自傷行為がやめられないといった状況には、これまでに述べてきたアルコール・薬物への依存や、ギャンブルへの依存、摂食障害などと共通するものがあります。


それは、自分の生活を脅かしているにも関わらず、やめることのできない「不健康にのめりこんだ・はまった・とらわれた習慣」であるということです。

こうした状態のことを、英語で「アディクション」といいます。

依存の対象別に縦割りで考えるのではなく、「そのような状態にある」ということを広く捉えた概念で、日本語では嗜癖(しへき)と訳されます。

聞き慣れない言葉かもしれませんが、この問題を考えていく際には、とても重要なキーワードになりますので、この機会にぜひ覚えていただければと思います。

※2019年5月、WHO(世界保健機関)は、「国際疾病分類」の最新版に、オンラインゲームやテレビゲームのやり過ぎで日常生活が困難になる「ゲーム障害」を、新たな依存症として加えることを承認しました。新しい疾病分類は2022年1月から施行されます。

 

アディクションと習慣の違いは?

画像(問題は依存症かどうかではない)

「アディクション」と「習慣」との境界線はあいまいですが…

ここまででお分かりのように、大事なのは医学的に「依存症かどうか」ということではありません。診断がどうであれ、依存の対象が何であれ、その人の状態が「アディクションなのかどうか」という視点で考えていくことがポイントになります。

アディクションは医学的に定義されたものではなく、単なる趣味・嗜好や習慣との境界線もあいまいで、はっきりと区別することはなかなか困難です。ただ、目安としては、以下のような点が挙げられます。

□ 適切な範囲を明らかに超えている
□ 自分ではコントロールが効かない、「わかっているのにやめられない」
□ それに没頭することで、嫌なことを忘れるなど、気分が大きく変化
□ 繰り返すうちに程度がエスカレートしていく
□ 自分自身を傷つけたり、周囲の人を巻き込んで傷つけることになりがち
□ 自分ではアディクションであることが分かりにくい

これらはいわゆる診断基準ではないため、「いくつ以上当てはまればアディクションである」と断定することはできません。特徴として、このような行動や状態が見られがちであるというふうに理解してください。なお、アルコール+ギャンブル+恋愛など、複数のものに同時に依存したり、依存する対象が次々と移行していく「クロスアディクション」の状態もしばしば見られます。



アディクションの問題を考えるとき、最も肝心なことは、「そのことによって本人や家族が苦痛を感じていないか、生活に困りごとが生じていないか」ということです。繰り返しになりますが、大事なのは診断の正確さや医学的な分類ではありません。アディクションの対象が何であれ、程度がどうであれ、そのことによって本人や家族が苦しんでいるのであれば、それは「助けを必要としている状態」であるといえるのです。

 

やめられないのはなぜ?

画像(やめられないのはなぜ?)

 

「分かっているのにやめられない」はなぜ起こるのでしょうか?


アディクションに見られる特徴のうち、その中核ともいえるのが「コントロールの喪失」、すなわち「分かっているのにやめられない」という点です。本人や家族の多くがこのことに苦しみ、振り回され、生活を脅かされていきます。

いったいなぜ、こうしたことが起こってしまうのでしょうか?その鍵は「脳」にあります。

アルコール・薬物などの「精神に作用する物質」を体に取り込むと、その物質は脳に侵入します。脳の中では神経細胞がさまざまな情報伝達を行っており、私たちが物事を考えたり感じたりするのもその働きによるものです。外から侵入してきた「物質」は、その働きに影響を与えます。例えば、お酒を飲むと緊張が解けたり、いつもより気が大きくなったり、興奮したりする人を見かけますが、これらはアルコールという「物質」が脳内の情報伝達に作用しているからです。

こうした「精神に作用する物質」には、その種類によって、一時的に気分を高揚させたり、落ち着かせたり、緊張や不安をやわらげたりするなどの作用があります。そうした感覚を、脳が報酬(ごほうび)というふうに認識すると、脳内にそれを求める回路ができあがります。

そして、「物質」を取り込む行動が習慣化されると、脳本来の情報伝達がうまくいかなくなり、勝手に暴走するようになります。報酬を求めて行動はどんどんエスカレートし、自分では制御できない状態になってしまうのです。

ギャンブルで味わうスリルや興奮、食事を抜いて体重を落とした時の達成感、リストカットをしたときに辛い気持ちがやわらぐ感覚・・・体に「物質」を取りこまないこれらの行動も、脳の中で報酬を求める回路が働いていることが少しずつ分かってきています。

つまり、アディクションは、本人が最初から「依存しよう」と思ってなるものではなく、なりたくてなっているわけでもないのです。生きていく中で、さまざまな趣味・嗜好、習慣などを試しているうち、たまたまその人にとってピッタリくるものに出会い、脳に報酬を求める回路ができあがったということなのです。ですから、「はまるもの」も人によって違い、一人の人が何にでもはまるわけではありません。また、条件さえ揃えばアディクションには誰でもなる可能性があり、特別な人だけがなるわけではないのです。

いったんこのような状態に陥ると、自分の意志でコントロールすることは非常に困難です。脳が勝手に暴走しているのですから、本人が「やめたい」と思ってもどうにもならないのです。そのことでもっとも苦しんでいるのは本人です。

こうした仕組みを知っていないと、家族や周囲の人たちは「だらしない」「意志が弱い」「努力や根性が足りない」と本人を責めてしまいがちです。そして、本人も「やめられない自分はダメな人間だ」と自分を追い詰めたり、周囲を拒絶したり、隠れてやろうとしたりして、ますます泥沼にはまっていくことになります。

しかし、やめられないのは意志の弱さや性格の問題ではありません。「コントロールできない」ということそのものがアディクションの「症状」なのです。苦しんでいるのは何よりも本人であり、必要なのは「叱責」や「処罰」ではなく、「助け」なのです

 

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