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これって“依存症”? ―“やめたいのにやめられない” あなたへ―

これって“依存症”?

―“やめたいのにやめられない” あなたへ―

コラム:「人はなぜ依存症になるのか」

コラム:「人はなぜ依存症になるのか」

独立行政法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所
薬物依存研究部/自殺予防総合対策センター
松本俊彦

人はなぜ依存症になるのでしょうか?

この問いに関して、これまでの臨床経験から感じてきたことが二つあります。
一つは、依存症患者さんの多くが、アルコールや薬物の使用量が増加した時期には何らかの苦痛を抱えたり、現実生活で困難に遭遇したりしているということです。
どんな患者さんでも必ず仕事や家庭生活に支障を来たさずにアルコールや薬物と付き合えている時期があるものですが、その後、苦痛や困難に遭遇するなかでそれらの量が増え、最終的にコントロールを失っているのです。
もう一つは、依存症患者さんが依存対象として選択している薬物の多くは、これまでその人が抱えていたコンプレックスや生きづらさを解消し、弱点を補ってくれる作用を持っているということです。たとえば、意欲低下や対人緊張、不安、落ち着きのなさを改善したり、体重コントロールを容易にしてくれたりするわけです。

これらのことは、依存症患者さんにとって、少なくともある時期まではアルコールや薬物を用いることにメリットがあったことを示唆します。いいかえれば、アルコールや薬物は、いわば「松葉杖」となって彼らの生きづらさを補い、助けてくれていた可能性があるのです。
ですから、アルコールや薬物を手放すことは、彼らにとって文字通り「松葉杖」を失うことであり、これまで目を背けてきた生きづらさと直面することになります。

繰り返される過食・嘔吐やリストカットといった、一見、自分に苦痛を与えているようにしか見えない「行動の依存症」にも、同じようなメカニズムがあります。ある研究によれば、こういった行動の依存症の患者さんたちは、自分を傷つける行為をした瞬間に脳内でモルヒネ様物質(内因性オピオイド)が分泌され、つらい感情が緩和されている可能性があるといいます。
また、リストカットを繰り返す患者さんのなかには、自分を傷つける理由として、「心の痛みを身体の痛みに置き換えているんです。心の痛みは意味不明で怖いけど、身体の痛みならば自分で納得できるんです」と語る人がいます。これは、もしかすると、深刻な苦痛(=「自分では説明もコントロールもできない痛み」)をやわらげようとして別の苦痛(=「自分で説明もコントロールもできる痛み」)を用いていることを示唆する言葉かもしれません。

つまり、依存症と一括されている行動は、苦痛を一時的に緩和し、生き延びようとするなかで生じるものなのです。
もちろん、そのまま放置すればその人は生命的な危機に瀕する可能性が高いでしょう。しかし、だからといって、依存対象であるアルコールや薬物をやめさせるだけでは生きづらさが増すだけです。
したがって、私たち専門家が肝に銘じておくべきなのは、依存症からの回復支援とは、アルコールや薬物といった「モノ」の排除ではなく、痛みを抱える「ヒト」の支援であるということなのです。