放送内容

2011年12月14日(水) 再放送:12月21日(水)
<アンコール>2012年2月14日(火) 再放送:2月21日(火)

東日本大震災プロジェクト「震災を詠む」(2)

内容

今回、福祉ネットワークでは、東日本大震災について詠んだ短歌を募集し、作者の方々とともに歌を味わい、思いを語り合う歌会を仙台市内で開催した。津波で失った家族や友人への挽歌。原発事故による放射能への不安。そして、その後の日々を懸命に生きるために詠んだ歌・・・・。作者は、どのような思いで歌を詠み、その後の日々をどのような思いで生きているのか。歌会の模様を2日間に渡って紹介。31文字に込められた作者の想いをたどりながら、人と人とをつなぐ「歌の力」についてお伝えする。


出演者

佐藤 通雅さん(選者/歌人・河北新報歌壇選者)
永田 紅さん(選者/歌人・「塔」短歌会会員)
みなみらんぼうさん(選者/シンガーソングライター)
司会・語り:町永 俊雄アナウンサー



関連情報

このたびの「震災を詠む」には、全国からたくさんの作品をお寄せ頂きました。ご応募くださった皆さま、ありがとうございました。今回、仙台の歌会でご紹介した入選歌全作品を、ここにご紹介させて頂きます。

「揺れてきて 段々揺れが 増してきて頭の中は すべて家族に」
茨城県 那珂市 佐藤 孝一さん
【詞書き】職場にいて、揺れを感じたあとに徐々に大きくなる揺れの中、家族の無事について考えている自分がいたことを詠んだものです。連絡がつかず心配しました。

「大地震に 幾万の意思 壊されて その夜の星は 静かな白痴美」
宮崎県 仙台市 相澤 豊子さん
【詞書き】自然界の力に人間の力がとても及ばないと恐れおののいたときの夜空。底無しに無意味で淋しい(さびしい)かがやきでした。

「狂おしい波のエネルギー押されずに どこに居たのヨ 小さな鳥たち」
宮城県 仙台市 那須 葉子さん
【詞書き】津波が来た翌朝、がれきの山で外へはでられず、室内から泥にまみれた車や流されてきた家を見るだけ。心がうちひしがれている中、ふっと空をみると、小鳥たちが何やらてんでにさえずっている。心が、ふぁっと明るくなりました。

「大津波は 町の全てを 押し流し 我が子の墓も 瓦礫となりぬ」
宮城県 仙台市 海老塚 忠さん
【詞書き】八年前に、新婚の息子が亡くなり、閖上(ゆりあげ)の義理の姉のおかげで、閖上に墓地を得ることができた。しかし、そのお墓も津波で流されてしまった。

「本堂に遺影のあまた笑みており 日差しの中に慰霊祭を待つ」
宮城県 仙台市 針生 暁美さん
【詞書き】地元の被災したお寺に仕事に行きました。本堂には多勢のほほ笑んだ遺影が並んでこちらを見ております。明日が慰霊祭との事で、午後の日差しに包まれておりました。とても悲しく、胸がいっぱいになりました。

「火の海を 燃えつつ沖へ流れゆく 漁船数隻 阿修羅となりて」
宮城県 気仙沼市 内海 和子さん
【詞書き】高台に避難して眺めていた、地獄の海でした。大津波の襲来の夕方、商港の重油タンクが倒壊・引火。火の海となり72時間燃え続けた。
爆発音・炎・黒煙・第三波までの津波に湾はうず巻かれ、小さな船は力果て、やけただれ、沖へ流されていった。その時、私の夫は行方不明で、不安に震えながら眺めていた。

「「いつ電気がつくの?」ときけば 友人は 電球の絵文字と笑顔を添えけり」
宮城県 気仙沼市 武田 彩さん
【詞書き】高校時代の友人とメールしていた時、電気が私の住んでいる地域で復活したので、友人の地域についてきいてみたら、同じ日に復活だと返事が来て、喜び合いました。

「ガスが無い 灯油ストーブ持ち出して 薯煮て豆煮て玄米を炊く」
宮城県 名取市 那須 京子さん
【詞書き】一台のストーブで炊事と暖房をまかない、弱火で気長に煮物をし、三食のやりくりをしました。

「コスモスの 揺らぎのように問ふてくる 「送ってもいーい」 角田の新米」
宮城県 仙台市 藤澤 やゑ子さん
【詞書き】いつも新米ができると黙って送ってくる角田の友人が今年は遠慮がちに聞いてきた。角田は福島の隣のため放射線への配慮で送る方も複雑な心境のよう。

「窓あけて 涼風病妻(つま)に送りたし されど叶わぬ原発の夏」
埼玉県 狭山市 若松 吉弘さん
【詞書き】進行性核上性麻痺という難病を患っている妻は現在寝たきりの状態です。
そんな妻に、新鮮な涼しい風をと思うのですが、放射能が怖くて窓を開けるのを躊躇(ちゅうちょ)してしまいます。節電要請で出来るだけエアコンを使わずに自然の風をと思っていたのですが。そんな時に詠んだ歌です。

「「じゃあまたね」 いつもの声を留守電に 残して友は逝ってしまいぬ」
宮城県 仙台市 三浦 節子さん
【詞書き】今回の大津波に、私は友人を失いました。地震の二日前に電話があり、留守電に友のメッセージがいつもの声で残されています。とても明るい声だけにせつないです。

「塀一面 ジャスミンの花咲き誇り 津波に逝きし 母に見せたし」
東京都 豊島区 山田 泉さん
【詞書き】めったに子どもをほめる事のなかった母ですが、植物の世話については褒めてくれました。震災後、東京に住む私の家の塀一面に、天国の母に届くほど、良い香りのジャスミンがそれはたくさん咲きました。

「『家なき子』 笑って話す友人に かける言葉が 見つかりません」
気仙沼高校 本宮 花子さん
【詞書き】いや本当に。

「死に顔を 「気持ち悪い」と 思ったよ ごめんじいちゃん ひどい孫だね」
気仙沼高校 畠山 海香さん
【詞書き】祖父は家の蔵の中で津波に呑(の)まれ、遺体は流されずに済んだのだが、なかなか火葬できなかった。寒い時期だったのであまり腐らなかったが、火葬の直前に顏を見て、悲しくなるよりも気持ち悪いと感じてしまい、祖父に申し訳ないと思った。

「ここにいた ここにあったと思い出が 泣き声上げる 東北の秋」
気仙沼高校 今野 莉奈さん
【詞書き】震災から半年あまりの時間がたった。だんだんと生活も安定してきたが、失ったものをあらためて考えたりする時間も増しているように感じる。いた人、あったもの、思い出を忘れるには時間が足りない。

「電柱に掛かりし遺体降ろせしと とつとつといふ彼も被災者」
東京都 東久留米市 片伯部 淳さん
【詞書き】先日、気仙沼で家も会社も津波で流された友人と小旅行をしました。その道々、被災の状況を語る友の話に言葉もありませんでした。とつとつと話す彼の横顔に深い悲しみが漂っていました。

「巨大津波の 爪痕遺す銀行を 右折して我が家の 小路に入る」
宮城県 気仙沼市 鮎貝 文子さん
【詞書き】今荒野に広がる被災地はどこに誰の家があったかわからなくなっている。銀行が我が家への右折する目印である。

「胸に住む PTSDを退治する 笑い・音楽・ひとり泣くこと」
宮城県 亘理郡 小南 律子さん
【詞書き】津波警報や避難所での事が日常生活の中でフラッシュバックする。楽しい日々を心掛けているが…。

「風呂の水 今でも栓を 抜き難し ありがたきかな 濁り水でも」
茨城県 日立市 真木 かおりさん
【詞書き】震災の時、水が11日間断水していて、風呂の水がトイレの流し水に十分役立ってくれた。その時はよくぞ掃除せずに残っていてくれたと感謝した。いまでも、大きな揺れが来るたびに、生活ラインが寸断するのではとおもいつつ、汚れは朝のうちに掃除しておきたい気持ちもあり、栓を抜くとき躊躇する。

「罅(ひび)割れて 風に吹かれて揺れている それでも街は 色づいてゆく」
宮城県 川内市 阿部 堅市さん
【詞書き】街の中は壁や道路がひび割れている。そこに風が吹き何とも寂しげであったが、植物の葉っぱは色付いて行き秋が感じられた。

「コスモスのみだれる庭に プレハブの 図書館建ちおり 光差しこむ」
宮城県 名取市 樋本 幸恵さん
【詞書き】一番最後になると思っていた施設の復旧が、仮ではあるけれど、建てられてうれしい。

「生きねばと 仮設のそばの荒れ地借り 記憶辿りて 野菜種まく」
宮城県 亘理郡 島田 啓三郎さん
【詞書き】田畑も家も全部流され、六人家族で仮設住いです。古い鍬(くわ)を一丁を借り、荒地を開墾し、農暦も無いので、野花に合せて種まきです。

「被災地の 子供(こら)のゆく末 みつめてる 天降(あも)る父母(ちちはは) あなたのそばに」
東京都 三鷹市 布村 弘子さん

「遠くから 復興支援 願う日々 私に出来る 節電節約」
新潟県 十日町市 女性
【詞書き】被災地に行かなくても何か出来るハズ

「何できる 己の無力が侘しくて ただ寄付をした 日々になりけり」
静岡県 静岡市 岩崎 保浩さん

「トトロ聴き 笑顔溢れる 子どもらと ギュッと手握り そっと涙す」
神奈川県 川崎市 男性
【詞書き】ボランティアで音楽演奏で訪れた避難所にて

「青春の 四年過ごせし東北よ 輝いてくれ 私も負けぬ」
愛知県 西尾市 男性
【詞書き】私は現在51歳。昭和54年4月から4年間、東北大学法学部で学び、充実 した大学生活を満喫しました。私の母校も、このたびの東日本大震災で大きな被害を受けましたが、私は卒業生であることに誇りを持っています。一緒に学んだ友もさぞかし苦労していると思うと、本当に心が痛みます。30年前、あの輝いていた時代を懐かしく思うと同時に、復興を心から望まずにはいられません。私は卒業後、地元愛知県で28年間勤め、この3月31日に退職。現在、新たな目標に向かってがんばっています。今必死になって、この困難に立ち向かっている東北の人たちに負けないよう、私も精一杯生きていくつもりです。



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