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木曜日 ともに生きよう

井上ひさし福祉都市を語る
〜イタリア・ボローニャの共生社会〜
2004年10月7日(木)

ボローニャ イタリア北部の都市、ボローニャ。自治都市としての長い歴史を持ちながら、福祉に対しては革新的な側面も持っています。

 作家活動のみならず、福祉にもたいへん関心が高いという井上ひさしさんが、このボローニャを訪れました。

 

ボローニャ方式
井上ひさしさん
井上ひさしさん

井上: 「ボローニャ方式」という言葉をよく耳にするようになってきて、「ボローニャ方式って何だろう?」と思っていました。そこで、いろいろな資料や本でずっと調べていたのですが、結局は「街づくり」の方法ということでした。「一人では何もできない。二人だと少しはできる。三人いればもっとできる」という、「一人ではできないことをみんなでやろうよ」ということらしいです。

 旧市街地の外れにあった大きな家畜市場跡。レンガ建ての家畜小屋や、せり場、家畜を放す所など、本当に広い空間を、日本なら再開発と称してビルを建てるのですが、ボローニャの人たちはどういうするのか。いわゆるボローニャ方式を見てきました。

 

家畜市場跡

家畜市場跡 昔の名残を残す、古い家畜市場の跡。5年前に都市再生プログラムによって生まれ変わり、古い建物には子どもからお年寄りまでが利用できるさまざまな施設がつくられました。


保育園 その一つ、社会的共同組合によってできた保育園です。近年、ボローニャは高齢者、外国人労働者の増加に伴い、福祉の予算が不足がちになりました。そこで市民たちが、行政が行き届かない分野を補完しようと、弱者のための組織、「社会的共同組合」をつくりました。

保育園 市民参加の共同組合は、市民の要請に応えるために、町から提供された場所を使い、市民自ら保育園を運営しています。市民が市民のためにきめ細かいサービスをしている保育園。ここはゼロ歳児から就学前の子どもたちまでに対応しています。

保育園 夫婦共働きの家庭が多いボローニャの人たちにとって、この組織の存在は欠かせないものになっています。

老人センター 同じ敷地内にある「老人センター」では、夜になってダンスパーティが開かれていました。ボローニャにはこのような老人センターが34か所もあり、地域のお年寄りにすべての運営が任されています。ここでも週に何回かこうしたパーティが開かれ、お年寄りたちは自らの老後を十分に楽しみ、充実した日々を送っています。

井上: 日本には、こんなに楽しく生き生きした場所はありません。今、ボローニャ、つまりイタリア人の生き方を少し勉強しないといけないと思っているのですが。

ボローニャの老人: 日本人がまじめだからって楽しめないわけないでしょう。

井上さんとボローニャの老人井上: 日本人は恥ずかしがり屋が多いので、どうもこういう打ち解けた雰囲気になれないんです。

ボローニャの老人: うそだ。信じない。

 

全世代が一緒に暮らすということ

井上: 幼稚園、保育園があり、入り口近くには老人センターがあります。ボローニャ大学の学生寮もあり、食堂には街の人も食べにきます。広い公園の奥には図書館がありました。このように、家畜市場跡の建物はそのままに、内部をつくりかえていました。

家畜市場跡

 僕は感心したのは、この世に生まれて、これから大きくなる子どもたちと、まもなく世の中を去っていく老人たちが一緒にいるということ。そしてさらに、これから社会に出ようとする若者たちもここで勉強をしている。つまり、人間社会の子どもから老人まで、若い人たちも含めて全世代が一緒に暮らしているということです。

井上さん そして、この全体を管理しているのは、老人センターの老人たちです。だから、彼らはただぼんやり遊びにふけるのではなく、ここが彼らの拠点となり、ここで仕事をしているわけですね。掃除をしたり、鍵を締めたり、いろいろなことをしながら老人がここを見て、若い人たちのために頑張っているのです。

 子どもたちは若者や老人を見ていますし、老人は若者や子どもを見ています。若者たちは、自分の未来を老人に見、自分の昔の姿を子どもたちに見ているのです。そして、ボローニャの特徴として、どんなところにも図書館が必ずあります。過去の人間がやったこと、すべてが詰まっている図書館をつくります。

井上さん この広いスペースを、本当ならば「ビジネスセンター」としてしまう手もありますけれど、そういうことをやらずに、年寄りも、子どもも、若い人も一緒に暮らす場をつくっているのです。「ビジネスセンター」という効率性ではなく、毎日の生活がどれだけ楽しいかです。いろいろな要素がどれだけ毎日の生活に入ってくるか、これがつまり生活の質なのではないでしょうか。「いつも同じ」では、質はないですよ。だからここで、コンサートがある。老人たちが張り切ってその世話をする。学生たちが集まってくる。そうやってここには各階層がいて、生きて脈打っているのです。

 

ピアッツァ グランデ

ピアッツァ グランデ 井上さんはさらに、ボローニャのユニークな共同組合、ピアッツァ グランデ(大きな広場)というホームレスの組合を訪れました。この組合はバスの倉庫だった建物を拠点に、さまざまな活動をしています。

リサイクル製品が所狭しと並ぶ 中に入ると、リサイクル製品が所狭しと並んでいました。ここは職業訓練所として使われ、ホームレスの人たちが社会復帰できる手助けをしているのです。

 この男性はここで自転車修理を始めて6年になります。これまで多くのホームレスの人たちが仕事を覚えて社会復帰をしていきました。

自動車修理をしていた男性自動車修理をしていた男性: この仕事は好きじゃなきゃできないよ。寒いし汚れるしね。好きだからできるんだ。

劇団のけいこ
劇団のけいこ

 同じ敷設の中に、井上さんがたいへん興味を持った場所がありました。実はこの組合は劇団も持っているのです。その劇団のけいこ場がここにありました。演劇人でもある井上さんにとって見過ごせない場所です。

団長 マッシモ・マッキャヴェッリさん

 劇団の団長、マッシモ・マッキャヴェッリさんはプロの演出家。彼がホームレスの人たちを中心に4年前から始めたこの劇団も、ピアッツァ グランデの活動の一環です。この日は、次回公演する即興劇の練習をしていました。イタリア人の演劇好きはホームレスの人でもなんら変わりません。

ピアッツァ グランデが発行する新聞 ピアッツァ グランデは毎月6,000部の新聞を発行しています。値段は決めず、買う人の意思に任せています。

編集部
編集部

 編集部では、社会復帰を目指す人たちが取材や紙面づくりに当たり、身近な情報がきめ細かく載せられていると、市民にも好評を博しています。

井上さんとマッシリミリアーノさん井上: 一番おしまいのページに、「どこに行ったらご飯が食べられる」「どこに行ったらシャワーが浴びられる」と、こういう一覧表が出ていてすごく感心しました。

マッシリミリアーノ・サルバトーリさん(編集長): 便利なだけではなく、施設の存在を市民に知らせることも大事です。

 

町全体が共同組合

ピアッツァ グランデ紙井上: この新聞には、病気になった時、洗濯したい時、シャワーを浴びたい時、食事やベッド、困った時にどこに行ったらいいかということが書いてあります。内容的にも質が高くて、ホームレス問題の専門書になっています。

ピアッツァ グランデで買ってきたバック これはピアッツァ グランデで買ってきたバックです。日本円で1,000円もしないのですが、古いジーパンを集め、パッチワークでつくられています。

 あの劇団は、近所の村を巡業して回ります。拍手をもらい、みんなに笑ってもらったりしていくうちに、閉ざされた気持ちから、だんだんと元に戻っていきます。そうやって、実は人間も作り直しているわけですね。

井上さん 人間、いらない人はいません。必ずその人にふさわしい仕事があって、それをきっちり続けていけば、支えてくれる人がいる。見えない人を信じる力を取り戻していくのです。言ってみれば、町全体が大きな社会的共同組合になっているわけですね。

 

コーパップス

コーパップス ボローニャの郊外に出ると、一面の農地が広がります。コーパップスという教育農園で、知的障害を抱えた子どもたちが社会復帰の道を歩んでいます。コーパップスは井上さんが共生社会の実践ということで、もっとも興味を持った施設。入り口にある販売店で早速買い物をしました。

販売店の青年 知的障害を持つ人が、それぞれの能力を生かし働くコーパップス。この青年は、高い計算能力を買われ、販売所を任されています。コーパップスにとって大切な収入源です。

作業所
作業所

 コーパップスの作業場で働く知的障害者は、比較的経度の障害の人たちです。専門家の指導を受け、すべて手作りの木工品の製作を主な仕事にしています。慣れない手つきながらも、丁寧に仕事を進める彼ら。手助けは最小限にとどめ、本人の自助努力を基本としています。

ビニールハウス ビニールハウスの中では、季節に合わせた花を栽培しています。この日はクリスマスに合わせた花作りに励んでいました。

グッズの販売 このビニールハウスでは、施設の子どもたちがつくったさまざまなグッズが販売されていました。ここでの販売収益がコーパックスの運営を支え、入園者たちの自立を支えています。また、自分たちのつくったものが価値あるものだと知ることは、子どもたちの自信にもつながります。

サンドリさんと井上さん 理事長のロレンツォ サンドリさんがここにコーパックスを築き上げて25年。今ではボローニャの福祉のシンボルとなっています。井上さんは、その情熱に深い共感を覚えたようです。

サンドリさん経済的な問題、収支がどうなのかということは、もちろん重要なことです。私たちは宣教師ではありませんし、この仕事は慈善事業ではありません。まず何より大切なことは、私自身、そしてここで働くすべての人が自分の心の底から情熱を持ってこの道を選んだということです。共同組合には、共働するという言葉があります。一緒に働くということです。手を使い、頭も使って一緒に夢に向け行動することが大切です。人は日々変わるもの。毎日状況を分析し、プロジェクトを変更していきます。これができるのがこの道のプロである私たちの強みです。(理事長 ロレンツォ サンドリさん)

 

イル モンテ

イル モンテ サンドリさんの福祉への情熱は、さらに新しい福祉施設を築きました。イル モンテというレストランです。イル モンテは、コーパックスでは介護しきれないより重い知的障害を持つ若者の自立を促す場所として設立されました。

イル モンテ小さなプレートにレストランで働く一人一人が名前を記しました。絵も自分で書き込んだものです。自分自身の姿を描いたんです。(サンドリさん)

 イル モンテ(山)と名付けられたこの施設で、現在14人の障害をもつ若者が新たな自立への道を目指しています。このネームプレートはレストランで働くことに対して責任を持つという宣言であり、誇りなのです。

イル モンテのプレートイル モンテのプレート

 このレストランは週末の2日間だけの営業です。コーパックスで採れた野菜などの食材を使い、料理は専門のシェフの指導を受けています。始めは何もできなかった若者たちですが、今ではここへ来る客のために十分な料理メニューがこなせるようになりました。レストランの休業日はハーブの栽培などの作業に精を出します。井上さんが訪れた日は営業日ではありませんが、井上さんと一緒にお昼を食べようと、若者たちが自慢の腕を振るいました。

イル モンテで用意してくれた料理イル モンテで用意してくれた料理イル モンテで用意してくれた料理

若者とたちと食卓を囲む コーパックスは農地に囲まれた平地にあり、ここイル モンテは小高い丘にあります。サンドリさんはそれぞれの環境を生かした施設づくりを目指してきました。しかも、2つの施設とも皆が共同で働き、経済的自立を含めて、自分たちでこの道を選んだという情熱と誇りに満ちています。多くの若者たちと同じテーブルで食事する井上さんはこの光景こそが福祉や共生のあるべき姿なのだと実感できたのでした。

 

ご恩送り

井上さんと町永アナ井上: レストランの入り口にあったプレートは、まず「ありがとうございます」。そして、「ここでのことは私たちが責任を持ちます」という独立宣言のようなものです。皆、それぞれにいろいろな才能があるのですが、例えばコックの青年は、僕が近づいたら「危ないから近づかないでくれ」と、とても威厳があるんですよ。自分ができることに集中して頑張って、そこに自信と誇りを持ってお客様をもてなす。一人一人、堂々としていました。

矢印が向かった先は これは取材メモを平面に並べたものです。家畜市場跡地で見たもの、その印象、そこで誰がどう言っていた、そういうことを書き抜いていくと、自然に一つの方向に集まっていきました。「跡地・歴史的建造物をどう利用するか」という所へたどりついたわけです。

矢印が向かった先は

 なぜ跡地になったのか? 使われなくなったから。だけど、それを壊さず、昔の建物の中に新しいものをつくるのです。今、ボローニャで困っていること、これからのボローニャに必要なことを、古い建物の中に入れていく。つまり、ルネッサンス(再生)ということになりますね。

井上さん 日本でも江戸時代に「ご恩送り」という言葉がありました。誰かから親切を受けたら、親切をくれた人に返すのではなく、ほかの人に渡していく。ご恩を送る。今で言う、共生です。「何だ、日本人だって昔そういうことをやっていたじゃないか」と、日本に返ってきたんです。ボローニャを見ているうちにね。


● 出演

井上 ひさしさん(作家)
町永 俊夫アナウンサー

 



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