詩の選考委員からのメッセージ

「背景と輝き」

 今年も、たくさんの詩を拝見できましたことに、いつもながら深く感謝をしております。
 読み進めていくとき、お一人お一人の詩の持つ背景が、まるで万華鏡のように移り変わっていきます。この詩は、どのような境遇の中で生まれたのか、詩を額面どおり受け止めていいのだろうか。それとも隠れたメッ セージを汲み取らなければいけないのか。迷いに迷いながらも、多種多様の世界観を肌で感じながら想像と現実のギャップに打ちのめされたり、楽しんだり、審査をしながら自分探しが出来るほど、すてきな作品ば かりでした。審査の議論も丁寧に進められ選ばれた作品は、どれも強い輝きとメッセージが詰まっていました。この作品が共生社会の懸け橋となりますことを祈っております。

プロ車いすランナー
伊藤 智也

「詩を書くときの不思議さ」

 思わず笑ってしまう詩、その笑いが止まらない詩が、今年はいくつもあって、言葉の力というのはすごいなあ、「不思議だな/詩を書いている時/ピアノを弾いている時だけ/病気はそっと/椅子に座っていてくれる /待っていてくれる」(都築里絵「ひととき」)ということがよくわかる。昆虫を描いて「朝、わたりろうかにバッタがいた。/帰りにはいなくなっていた。/お母さんが、/『ごはんたべに行ったんじゃない?』と、/いった。 /いいなあ、/外食ばっかりで。」(細見悠尋「わたりろうかにいたバッタ」)を読んだとき、ほんとうに笑いが爆発。いつまでも楽しくなった。目の見えない少女がトンボを触って、「みにせんぷうきのような/はねで、お とで、うごきだった。/でも、すずしくなかった」(柴田理央「とんぼのせんぷうき」)というのは、心がふるえるようなユーモア。「はね」「おと」「うごき」を少しずつ探りつつ、最後に「すずしくなかった」。作者はきっと笑 わせようと思ってなかっただろうけど、読者はトンボも作者も愛しくなる。言葉というのは、ほんとうに不思議だ。

詩人
佐々木 幹郎

「発見との出会い」

いいなあと思う詩には、かならず発見が含まれていた。
新発見、再発見、大発見、
細部の発見、本質の発見、
普遍的な発見、ちょっと変な発見。
どれも、思わずハッとさせられた。
ハート展は、ハッと展。
新大陸はもう世界にはないけれど、
それぞれの心の中にはある。

世界ゆるスポーツ協会 代表理事
澤田 智洋

「生みの苦しみと成就感」

 何事につけ何かを創造するには大きな努力を伴います。詩を書くことは、新しい作品を創造することです。今回の応募作品の中にも、詩が書けないことを訴えているものがいくつかありました。夏休みの宿題で詩を書かなければならないにもかかわらず、何も思いつかない。作者が苦労している様子がわかります。
 どんな言葉を使えば自分の気持ちが伝わるのか。感動を与えることのできる表現をどうすればよいのか。適切な単語を選び、語順や文の長さを考える。作った後は読み上げたりしながら、推敲します。文字の間違 いにも気を遣います。創造することは、本当に大変です。
 しかし、詩ができた後の成就感は格別です。人生のなかですがすがしい思いのできる機会は多くないと思います。でも、苦労して何かを創造した後には、この気持ちを味わうことができます。努力が大きければ 大きいほど成就感は大きく、しかも、同じくらい成長している。
 最近、スマホやインターネットなどの普及で、自分で考えることが少なくなっています。そのために、学力が低下してきているという人もいます。
 成就感と能力開発、詩の効用は、侮れないと思います。このハート展が、何かを創造するきっかけになればと願います。

日本障害者リハビリテーション協会 参与
寺島 彰

「天使にこころはあるのですか」

 こころが折れそう。こころが壊れた。至るところで、折あるごとに、そんな声を聞くようになって、聞くこちらも、胸が痛くなります。
 こころには、折れやすい骨、たとえば、背骨やろっ骨や鎖骨があるのでしょうか。それとも、心臓のかたちをしたこころは、壊れやすい素焼きでできているのですか。「こころのほね」(平井寛人)では、「こころほね」が 折れ、「こころのつぼ」は割れてしまう。割れて破片になって落下するつぼ(壺)を追うように、天使も落ちていくのでした。
 そんなこころのつぼに満たすものがなくて、「なにもない心に苦しんでいる」のが「心すいた」(加納菜那)。こころも空腹なのです。けれど、迷い、苦しみ、痛むこころに、ときには、天使が寄り添ってくれる。目を回すぐらい自分がわからないでいると、「まよえる子羊よまよわなくていいのよ」(田中心花「ぼく」)と言った天使がいます。雨の日に地上にやってきて、一緒にぬれそぼるのが「天使ちゃん」(福井沙弥香)でした。
 天使にも、こころがあるのですね。

武蔵野美術大学教授
森山 明子

「“あざ”が、あらわれるとき」

 今年のハート展は、最終、最後の50編目を選ぶときに、ドラマがおこった。澤田智洋氏が、“これが発達の子ぽくてチャーミングですよ”と、特別に出されたのは、西中川美千代さんの「あざ」だった。
 「いつのまにか、いて/いつのまにか/消えている/夏のミステリー」
 四時間近くの詩を選ぶ最後で、この詩が出現したこと、澤田智洋氏の果断に、わたくしは心をあらわれるようだった。間髪を容れずに伊藤智也さんは、スポーツマンらしい鋭さで“わたくしも、これがすきです”と断言をされた……。この、お2人の果断と鋭さ、そして直観がなければ、この「あざ」は消えていた、きっと。どうぞごらん下さい。第一行目、中程の“、”これが、おそらく、この詩人の心の呼吸なのです。

詩人
吉増 剛造

「生きる力をくれる言葉」

 いま、幸せのカタチが揺らぎ、新しい生き方、価値観を探してもがいている時代だと感じています。日本中に、「生きづらさ」がまん延しています。
 ハート展に応募してくださるみなさんの詩は、鮮やかで、心に染みこんでくる温かく、そして力強い言葉にあふれています。障害や病気を生きる中で気づかれた“価値観”は、幸せを発見するためのヒントであり、たくさんの人を励ます力があると感じています。その詩に触れたとき、目の前のどんよりとしていた景色が一変し、澄み切った空気が満ちるような気持ちになります。応募してくださった方々に、心から感謝申し上げます。

NHK制作局 福祉ジャンル(ハートネットTV)専任部長
星野 真澄