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【後編】旧優生保護法を陰で支えた社会通念

記事公開日:2018年07月20日

終戦3年後、1948年の法案成立を発端に1996年まで続いた旧優生保護法。「不良の子孫の出生を防止する」ために国家政策として制定されたものでしたが、障害者と身近に接していた家族や福祉関係者たちの多くは、優生学的な見地からではなく、障害者の結婚や子育てには、生活上で大きなリスクがともなうとして、断種手術を容認する傾向がありました。優生政策を陰で支えることになった当時の「社会通念」を、遺伝性の有無にかかわらず強制断種が許されていた知的障害者を例にとって振り返ります。

“障害者は子どもをつくるべきではない”

旧優生保護法下では、48年間に約1万6500件の強制的な断種手術が行われました。周囲の説得による半強制的な断種手術もあったと言われていて、断種を強制された人の実数は1万6500件にとどまらないという見方もされています。強制的ではなく本人の同意のもとでの断種手術も含めると、その数は約84万5000件に及びます。

「障害者は子どもをつくるべきできではない」と信じていたのは、優生政策を進めていた行政や医療関係者だけではなく、親や福祉関係者の多くが、生活上のリスク回避という別の見地から、断種を容認していました。

例えば、養護学校を卒業して、通勤寮で暮らしながら、福祉工場で働いていた軽度の知的障害者の場合、ある程度自立生活が可能であり、年頃になれば、本人も親たちも恋愛や結婚を意識することになりました。

しかし、そこで問題になったのは、本人に子どもを育てられるだけの養育能力があるかどうかでした。子どもに対する愛情は示しながらも、無意識のうちに、子どもの身の回りの世話がおろそかになり、ネグレクト状態を招き、子どもを乳児院や児童養護施設に預けざるを得なくなるケースもありました。また、自分たちの養育能力や経済力も考えずに、無計画に次々と子どもをもうけて、家庭生活が破たんするケースも見られました。

保護者からの信頼の厚かった福祉関係者も、結婚や出産には否定的だったり、慎重な立場でした。1950年代の知的障害者の親向けの機関誌には、専門家たちの厳しい意見が載っています。

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精神薄弱の程度にもよりますし、一律にはいえませんが、一般的にいえば、結婚はしない方がいいでしょう。もし結婚することがあるとすると遺伝性のものまたは子女の養育不能のものは優生手術をしておいた方がいいでしょう。(国立秩父学園園長 菅 修)

私は今までに精薄者の結婚が幸福になった事例を知りません。むしろ不幸な事例を多く知っていますので、その原因をつきとめた上でこの問題を考えたいと思います。・・・・。多くの女子の場合、育児能力は望めないので、子どもを生むことだけは避けさせたいです。(障害児教育実践家・のぎく寮 近藤益雄)

配偶者がいることにより適応した生活が営みうるという意味では結婚をすすめたいのですが、子どもを残すことには賛成しかねます。避妊が行われがたいときは優生手術をして結婚するのもよいと考えます。結婚と妊娠を分けて考えたいと思います。(東京教育大学助教授 西谷三四郎)

「手をつなぐ親たち」第29号「精神薄弱者は結婚していいか」(1958年8月15日)

全国で強制的な断種手術の件数がピークを迎えたのは1950年代です。当時、発行された知的障害者の親向けの市販「養育ガイドブック」にも、当然のことであるかのように優生手術を奨励する記述がありました。

「彼らも結婚はなんらさしつかえない。ただ、子供を作ることは避けるようにしてもらいたい。・・・・・出産制限のためには、わずらわしい操作を伴わず、永久確実な優生手術によることが奨励されています」

『精薄児とお母さん』(1957年)

子どもに理解を示し、結婚を望む親たちであっても、社会通念や専門家の意見にとらわれずに、「赤ちゃんがほしい」という本人の意思を尊重するのは難しく、「幸せな結婚生活を送るためには断種が必要」として、本人を懸命に説得したと言います。

現在は、地域の相談員やソーシャルワーカーなどが、子育て能力が十分でない知的障害者の養育支援をするような例も見られるようになりましたが、そのような手助けが想像できなかった時代には、断種という方法に解決策を求めるしかありませんでした。

性的な“トラブル”を回避するために

結婚後の子育ての不安以外に、もうひとつ断種手術の理由として挙げられているのは、障害女性が被る性被害でした。女性の社会的地位が低かった時代には、拒絶する力の弱い知的障害の女性は、とくに被害に遭いやすかったと言われています。

望まぬ妊娠と中絶を繰り返せば、本人の心身の負担は大変大きなものとなります。予防の観点から断種手術が施されたケースも多かったようです。親が娘の同意を得ることなく、断種手術を医師に希望する例もあり、強制的に断種手術を受けた女性の中には、9歳の少女がいたことも知られています。

性被害による妊娠は、新しい命を宿す喜ばしい出来事を周囲の人々の悩みごとへと変えてしまいます。優生保護審査会に提出された優生手術申請書を見ると、妊娠に対して「危険性あり」という文言を使っているものもあります。それは女性の人権を尊重するという観点とは言えず、ときに知的障害のある女性の貞操観念の乏しさを問題視する記述にもつながっていました。

「夜遅くまで盛り場をふらふらと歩き回る」「リボン、化粧など好み、お嫁に行きたがり、幾分色情的ですらある」「容易に暗示にかかり、特に性的には抵抗力が乏しい」「異性への関心が強く、隠れて男の子とキスをしたり、また露出的な傾向もあった」

(神奈川県優生保護審査会 優生手術申請資料より 1962年、1963年、1970年)

本来、成長とともに性の欲望が現れるのは、自然なことであるはずですが、それがトラブルの種であるかのように扱われています。各都道府県の優生保護審査会議事録にも、予防の観点から断種を促す発言が見られます。

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山口県優生保護審査委員会議事録(1969年7月30日)

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山口県優生保護審査会議事録(1981年3月18日)

旧優生保護法下で強制的な断種手術を行われたうちの7割は女性です。優生上の見地から言えば、男女の比率に大きな差は生まれないはずです。しかし、「産む性」「子育てする性」とみなされていた女性に負担が負わされることになりました。旧優生保護法下での断種手術は、障害者差別と女性差別が合わさった複合差別であることが、近年、女性障害者団体から指摘され、障害者の人権と女性の人権をともに尊重することで、女性障害者の人権侵害をなくしていこうという動きへとつながっています。

旧優生保護法下の断種手術は、「国民の遺伝的資質を改良する」「妊娠のリスクを回避する」という二つの目的に支えられて、50年近く、私たちの社会に存続しました。

しかし、1996年に旧優生保護法が母体保護法に改正され、優生政策に関する条文はすべて削除され、「障害者は子どもをつくるべきではない」という社会通念も徐々に改められる方向にあります。

近年では、地方自治体や社会福祉協議会、社会福祉法人やNPOなどが、障害者の地域生活を支える活動を推進していて、障害者施設などで知り合ったカップルの結婚生活を支えるケースも見られるようになりました。

結婚や子どもをもうけることを男女に等しく求める時代ではなくなりましたが、本人たちがそれを望むのであれば、社会はそれを支援する体制を整えていく必要があるでしょう。本人の意思を無視して、強制的に断種手術を施すようなことは、二度と許されてはならないと思います。

執筆者:Webライター 木下真

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