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あがるアート(14) 「るんびにい美術館」板垣崇志さんが伝える “命の言い分”

記事公開日:2022年12月14日

岩手県で活動するアートディレクター・板垣崇志さんは、障害のある人の作品に作者直筆のメッセージや写真を添える展示を「るんびにい美術館で」15年にわたって続けてきました。展示を見る人が、作品に加えて作者の人生に触れることで、作者の心の内、その“命の言い分”が伝わることを板垣さんは願っています。板垣さんの展示スタイルの原点には、人の心が分からず苦悩し続けた過去、そして転機となった障害のあるアーティストとの出会いがありました。「本当の心の交流」を問い続ける板垣さんに密着します。

すべての命には言い分がある

2007年にオープンした岩手県花巻市の「るんびにい美術館」では、障害者のアートを中心に展示しています。板垣崇志さんは、オープン当初から美術館の展示のコンセプトや企画を立てるキュレーターとして関わってきました。

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板垣崇志さん

この美術館では、作者直筆のメッセージを作品と一緒に展示しているのが特徴です。

「この作品は、お父さんを描いています。珊瑚の研究者をしていらっしゃったお父さんが生涯を込めて探求してきたものを、『私も本当に素晴らしいと思うと、病床にあるお父さんに伝えたい』という思いがこもっています」(板垣さん)

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浅野春香作「お父さん3」

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「お父さん3」に描かれた父親の顔

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作者・浅野春香さんの直筆メッセージ

私はプライドが高いのかもしれません。父もプライドが高い変わりものです。遺伝だと思います。父と血のつながりを感じると嬉しくなります。父は素敵な人です。父は病気で、長い間入院しています。たぶん、もう良くなりません。
(浅野さんのメッセージ)

展示するのはメッセージだけではありません。作者の子ども時代の写真も作品と一緒に展示しています。

画像(浅野さんの子ども時代の写真)

私は子どものとき、嫌われものでした。私は変わり者です。だから子どものとき、皆の輪に入れてもらえませんでした。私は今でも人がこわいです。
(浅野さんのメッセージ)

描いているときは、すごく楽しくて、快感です。私は絵を描かないわけにはいけません。そうやって病気の不安をこくふくするしかないのです。
(浅野さんのメッセージ)

「こんな愛らしい女の子の中に、深い苦悩があったということ。それでも彼女は生きて、今こういう表現をしていることとが深く通じる。これが作品展の世界全体を支えている、いちばんの核にあるものです」(板垣さん)

画像(浅野春香作「コオラル2」)

直筆のメッセージや写真を通して、作家の人生や作品の世界観に触れてほしいという板垣さんの思いは、来館者にも伝わっています。

「どういう方が描いていらっしゃるのか、とても気になっていた。お手紙だったり、小さかった頃の写真を拝見できて、私たち見る側も想像をかき立てられる」(来館者)

画像(展示の様子)

大切なのは、作者の心の内にある“命の言い分”まで知ることです。

「相手をちゃんと知るって大事なんですね。その人の心が見えてくるところまではっきり見れば、その人の言い分って聞こえてくるんです。必ずそこにその命があることは正しい。すべての命には言い分があるということです」(板垣さん)

誰かの喜びが創作の糧

板垣さんは「るんびにい美術館」のアトリエ「まゆ~ら」で、創作のサポートをしています。現在10人のメンバーが在籍。その中の一人、小林さんは1989年に岩手県釜石市で生まれ、2007年からメンバーとなりました。

画像(小林覚さん)

小林さんのデザインは個性的で、商品などにも採用されています。

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小林さんの作品が使われている商品

今回、「岩手から世界へ挑戦!」という文字をデザイン化する仕事の依頼がきました。さっそく制作に取り掛かる小林さんですが、突然「背中かいてください」と板垣さんにお願いします。

画像(背中をかいてもらう小林さん)

「自由になんでもおしゃべりできるわけではないので。(背中をかくことが)言葉じゃない言葉をかわす時間。コミュニケ―ションなんです」(板垣さん)

小林さんは独自にアレンジした文字で1枚の絵を描きます。絵の中に「岩」「手」といった、依頼された文字が絶妙なバランスで組み込まれています。

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『岩手から世界へ挑戦!』という文字が読めますか?

小林さんが書いた文字は、カバンのデザインに使われる予定です。

「覚さんは中学校のときにこういう字を書き始めたんです。恐らく、脳裏に次々浮かんでくる文字とか、物のイメージを書き出さないと何かおさまりがつかない、排出しなきゃいけなかったんじゃないかと思います。誰かが待っていて、誰かが楽しみにしてくれている。誰かが自分の字を受け取って喜ぶというのが、覚さんにとってたぶん、今、字を書く励みですね」(板垣さん)

人間関係に苦悩した日々

かつて板垣さんは、人間関係に悩み続けた時期がありました。

「空気が読めない子どもだったので、人の気持ちが分からなかった。仲良かった友だちも、時間がたつにつれてみんな離れていくのを、ずっと繰り返していた気がします。みんなが人の気持ちを感じながらやっていることをやらない。人の気持ちを感じてやらないことをやる。そういうチグハグさ、何がどうずれているんだろうというのが分からなかったんです。
でも人の敵意とか、悪意は感じるんですよね。嫌いだっていう感情が伝わってくる。そうしたときにすごく傷ついて、だんだん自分の中では、深刻な悩みになって、中学校ぐらいでは相当まいっていました。
人が嫌いと思うようになったのは、そういう軋轢を経験したから。こんなに苦痛を味わうんだったらいないほうがいい、『人のいない世界ってあったらいいな』と思っていましたね。滅びればいいのにと」(板垣さん)

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子ども時代の板垣さん

その後、板垣さんは東京の大学へ進みます。専攻は心理学ですが、それには理由がありました。

「人の心が分からないということがずっとあった。心理学という学問があるようだけども、それを学んだら、人の心が分かるようになるんじゃないかという期待感があった。ただ、実際学んでみると、心理学で人間のことは分からないなということは分かりました」(板垣さん)

大学卒業後に岩手に戻った板垣さん。仕事に就きませんでした。

画像(大学時代の板垣さん)

「私にとって就職は、永遠に先送りしたい問題だったんですね。ほとんど人間アレルギーみたいな感じだったので、人がいればストレスだし、人といる限り、いつ疎外感を味わうか分からないというハラハラ感、ヒヤヒヤ感みたいなものが常にあったんです。
弱いなと自分で思っていましたね。何かもう一押しあると、またポキンと折れるんだろうなみたいな。その悲しみが理不尽だという怒りに変わると、本当に憎しみになりました。とにかく、隠れ場所を探しながら生きていかなきゃいけないという感覚がありましたね、弱いからっていう」(板垣さん)

しかし、28歳のとき転機が訪れます。父親から障害者支援施設「ルンビニー苑」でのアルバイトを勧められたのです。

「とりあえず行くけど、行って何になるかもわからない。『来い』って言うなら行きます、みたいな感じで行った。
なんか不思議な雰囲気の人たちがたくさんいて、次から次へと廊下から現れてきて。すれ違う人みんな笑顔で『こんにちは~』とか『だれ~、どこから来たの~?』と次々に声かけてくれて、それがうれしくて。笑顔で誰かが迎えてくれる、すごくポジティブに自分に関心を持ってくれる。『ああ、自分の仲間がいた!』『この人たちとなら友だちになれる』と思いましたね」(板垣さん)

初めてひとを肯定できた

ルンビニー苑で、板垣さんの人生を一転させる出会いがありました。八重樫 季良(やえがし・きよし)さんです。

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八重樫季良さん

1956年に岩手県北上市で生まれた八重樫さんは、2007年に「るんびにい美術館」アトリエのメンバーとなり、色鮮やかでエネルギッシュな絵を描いていました。

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八重樫さんの作品

「人類最強の人物のひとりではないかと思います。小学校も行けず、小学校に通ってるぐらいの年齢で施設に入り、家族の元を離れて暮らしていたけど、そういう自分の境遇を悲嘆したことがないんじゃないかなという気がします。
誇り高くポジティブで、なおかつ温かいんですよ。優しいっていうのかな。人間らしさの魅力が全部詰まっているような人。本当の心の行き交いってこういう感じか、人間っていいなと思うような。
私としては知的障害の人に出会って、初めて人間を積極的に肯定できたので、相当たくさんのものが変わった節目ですね。価値観、世界観、人間観のターニングポイントなのは間違いないです」(板垣さん)

画像(板垣さんと八重樫さん)

八重樫さんは2020年に、64年の生涯を閉じました。板垣さんは翌年に八重樫さんの展覧会を企画します。タイトルは「永遠なるキヨシ」。22年間に渡る2人の関係の中で感じた八重樫さんの“命の言い分”を凝縮した言葉です。

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八重樫さんの展覧会「永遠なるキヨシ」

「すごく偉大な人だったんだよっていう、私の個人的な思いは伝えたいと思いました。八重樫季良さんは知的障害がある。数もいくつも数えられなかった。字も読めなかった、書けなかった。だけど、本当の意味では、何ひとつ間違っていない。命は絶対に正しいんだって。どういう命であれ、季良さんは命の言い分そのものみたいな生き方をした気がしますね」(板垣さん)

八重樫さんの作品は、盛岡市で新しくオープンしたホテルの客室の内装にも採用されています。泊まることで作者とつながる「アーティストルーム」です。

画像(八重樫さんがデザインした「アーティストルーム」)

ほかにもアトリエメンバー8人の作品がそれぞれ8つの部屋を彩り、宿泊料金の一部が作者の収入となる仕組みです。

心の扉を開けられるのは

板垣さんは、アトリエメンバーの小林覚さんと6年前に始めた活動があります。それが「であい授業」。知的障害のある人をじかに知ってもらう出張授業です。
板垣さんはサポート役にまわり、小林覚さんが講師を務めます。今回は花巻市立花巻北中学校の全校生徒300人を前に授業を行いました。

画像(であい授業の様子)

授業の途中で、小林覚さんの家族ビデオを流しました。その中には、2011年3月11日の東日本大震災で被災したあと母親が小林さんについて語った言葉がありました。

津波の映像が(テレビで)流れたときに、『おうち壊れたの?』って(姉に)聞いたらしいです。分かるんだなと思って。何かが起きたんだなっていうのが。
(ビデオで語る覚さんの母親)

画像(小林さんの両親のビデオ)

ビデオを流し終えると、板垣さんが生徒たちに問いかけます。

「覚さんのおうちは、津波で流されたんです。でも、覚さんがショックを受けると思って、周りの人は誰も覚さんに言ってなかったんですね。今のビデオを覚さんと見ていたときに、お母さんが『分かるんだなと思って』と言った場面で、覚さんは『分かるんだよ!』って独りごとを言ったことがあります。覚さんは、言葉もそんなにはしゃべらないし、自分の気持ち伝えられないって、たぶんすごく苦しいことだと思うんですよ。それを我慢して頑張ってきている。そういう今までの30年だったんだなと思います」(板垣さん)

ここで小林さんからリクエストがあり、これまで作成した作品が動画で次々と紹介されました。

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「花の首飾り」

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「Let It Be」

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「雨ニモマケズ」

「覚さんみたいに言葉で自由にしゃべれない方って、自分からは開けられない扉の中に閉じ込められているみたいな状況だと思うんです。だけど、自分じゃ開けられない扉を開ける方法がひとつある。周りの人が注意深くその扉を見つめて、扉を開こうとしてくれることなんですよ。外から開けられる人っていうのが、要は皆さんなのです」(板垣さん)

時間になると、小林さんの「起立」「お疲れさまでした」の掛け声とともに授業が終わりました。

「字が書けないのかなと思っていたんですけど、字でアートを作ったり、そういうところでも活躍しているんだなと思いました」(生徒)

「障害があってもちゃんと自分の考えっていうのはあって、それをちゃんと自分たちが理解するということが大切だと思いました」(生徒)

“命の言い分”を分かち合う

板垣さんは、各地の事業所を訪ねてアート活動の支援を展開してきました。

青森県・平川市の福祉事業所「おらんど」では、細かい木工作品の制作に没頭するメンバーに話しかけます。

板垣さん:これ全部、部品ですか?

メンバー:細かいのが好きだから。

板垣さん:複雑で素敵ですね。

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福祉事業所「おらんど」を訪問する板垣さん

画像(木工作品)

青森県・十和田市の放課後等デイサービス「ピアチェーレ」では、自宅で10匹のコオロギを飼っているという、昆虫好きの京士さんが描いた絵を見せてもらいます。作品は地面の下まで描かれていました。

板垣さん:京士君、これ卵?

京士さん:卵。

板垣さん:すごいね。昆虫愛、虫愛が伝わってくる。

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放課後等デイサービス「ピアチェーレ」を訪問する板垣さん

画像(京士さんの作品)

「とにかく進み続けるなかで、出会いはちょっとずつ広がってきて、つながっていますね。
今、やっとこういう年齢になって、本当に目指すものとかを重ねながら、一緒にいろんなことを楽しんでやっていける友だちがいるのはうれしいなと思います。そこから何か社会的にアクションを組み立てると、自分のような、景色の変化を体感する人が積極的に生み出されると思います」(板垣さん)

“命の言い分”を分かち合う板垣さんの活動は続きます。

“あがるアート”
(1)障害者と企業が生み出す新しい価値
(2)一発逆転のアート作品!
(3)アートが地域の風景を変えた!
(4)デジタルが生み出す可能性
(5)全国で動き出したアイデア
(6)アートでいきいきと生きる
(7)福祉と社会の“当たり前”をぶっ壊そう!
(8)PICFA(ピクファ)のアートプロジェクト
(9)「ありのままに生きる」自然生クラブの日々
(10)あがるアートの会議2021 【前編】
(11)あがるアートの会議2021 【後編】
(12)アートを仕事につなげるGood Job!センター香芝の挑戦
(13)障害のあるアーティストと学生がつくる「シブヤフォント」
(14)「るんびにい美術館」板垣崇志さんが伝える “命の言い分” ←今回の記事
(15)安藤桃子が訪ねる あがるアートの旅~ホスピタルアート~
(16)安藤桃子が訪ねる あがるアートの旅~生きるためのアート~
(17)“ごく普通の日常”から生まれるやまなみ工房の作品

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※この記事はハートネットTV 2022年11月1日放送「あがるアート(12)「アートに宿る“命の言い分”」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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