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“空蝉(うつせみ)”のように見えた ひきこもりの男性の一生が教えてくれること

記事公開日:2021年12月17日

30年以上のひきこもりの末に、56歳で、家の中で衰弱死した男性。父親は日記に、家から出ず無気力な様子の息子のことを、「空蝉のごとし」と綴っていました。(ETV特集「空蝉の家」2021年12月18日放送)男性はどんな気持ちで過ごしていたのか?なぜ父親の目に、セミの抜け殻のように映ったのか?長年ひきこもりを取材するジャーナリスト・池上正樹さんと、全国でひきこもりの自助会などを主催する「ひきこもりUX会議」代表理事・林恭子さんに聞きました。

亡くなった男性が遺した、英語のノート

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兄の遺体を発見した弟・二郎さん

 2018年12月、神奈川にある住宅街の一軒家で、ひとりの男性が、栄養失調による衰弱死で亡くなりました。30年以上にわたりその家にひきこもっていた、伸一さん。56歳でした。伸一さんの遺体を発見したのは、市役所から連絡を受けてかけつけた、弟の二郎さんです。

「最初はもうペットボトルとかプラスチックゴミに埋もれてわからなかったんですけど、なんかこんなところにマネキンの手みたいなのが落っこちているなと思って、それをどけてみたら、兄の亡骸(なきがら)だったということですね。そのときの姿っていうのはどうしても目に焼き付いて離れないですね」(二郎さん)

 家には、父親が長年書き綴ってきた日記帳が残されていました。晩年、兄とは疎遠だったという二郎さん。父親の日記のページをめくりながら、改めて家族の過去と向き合おうとしていました。

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伸一さんの父親が40歳のときから書き綴っていた日記帳

 父親の日記には、息子たちとキャッチボールやバドミントンをする様子、家族そろっての初もうでや誕生日のお祝いのことなどが綴られ、親子で過ごす時間を大切にする家族だったことがうかがわれます。順風満帆に見えた家族の日々に陰りが見え始めたのは、伸一さんの大学受験のころからでした。伸一さんは、好きだった英語の勉強をしたいと英文科を目指していました。しかし、希望する大学に合格できず、浪人。翌年も、さらにその翌年も受験に失敗してしまいます。父親は伸一さんに、進学を諦め、就職して自立することを促すようになりました。

 伸一さんは、父親に勧められるまま、公務員などの安定した仕事を探しますが、採用には至りませんでした。その後、百科事典の訪問販売をする非正規の仕事につきますが、営業成績が振るわず、職場を去りました。21歳のときには、正社員として診療所の医療事務の仕事が決まりましたが、深夜残業や当直が続く過酷な業務で、次第に追い詰められていきました。父親の日記には、伸一さんの当時の様子が綴られていました。
「何するまでもなし、何か考え込んだ様子でぼーっとしている」
「だいぶやつれが見える」
「本人、少々ノイローゼ気味」
伸一さんは、働き始めて10か月で診療所の仕事を退職。その後、再び定職に就くことはありませんでした。

 伸一さんが、そのころどんな気持ちで過ごしていたのか。弟の二郎さんは、兄が過ごした部屋を片付けるなかで、そのことをうかがわせるものを見つけました。英語の勉強に使っていたと思われるノートです。ページいっぱいに、英単語や英文がびっしりと書き込まれていました。ノートの裏表紙には、外国の暮らしぶりが分かる写真の切り抜きなどが貼られていました。

「好きな英語を活かして自身の就職先というものを選択肢に入れていたんじゃないかなと思う。兄は自身の意思や気持ちをはっきり表に出さない性格でしたので、父からすれば、そういうところが大変もどかしかったのかもしれません」(二郎さん)

 別のノートのあるページには、父親が求めるままに安定した職業を目指すようになった兄の、心のつぶやきと思われるようなメモが残されていました。「就職、教員、公務員。生きていてもちっとも面白くない。健康さえもないがしろにして、働くだけ働いて、金をためて、頭の中は空っぽなのだから」

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伸一さんがノートに綴っていた言葉

親と子の思いは、なぜすれ違うのか?

 戦後の就職難の中、苦労して安定した生活を手にいれた伸一さんの父親。一億総中流と言われた高度経済成長期を背景に、子どもたちにも、努力をして自分の力で豊かな暮らしを手にしてほしいと期待していました。しかし、亡くなった伸一さんのいとこにあたる英夫さんは、次のように語ります。

「父親の中に、伸一くんに求める理想的なものがあって、それを感じた伸一君の側は、もしかしたらそれが重たかったのかもしれない」(いとこ・英夫さん)

 内閣府の調査で、全国に61万人以上いると推計される中高年のひきこもり。親との間に葛藤や確執を抱えていることも多いといいます。親と子の気持ちはどうしてすれ違ってしまうのか。長年ひきこもりについての取材を続けるジャーナリストの池上正樹さんは、理由のひとつに時代背景の違いをあげます。

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長年ひきこもりについて取材を重ねてきたジャーナリスト・池上正樹さん

池上:昭和の時代の価値観の親御さんたちは、やはり右肩上がりで、頑張れば報われる、そういう社会に生きてきた人たちです。一方で、子どもたちの世代、特に就職氷河期世代と言われる、バブル崩壊以降に社会に出ることになった人たちが象徴的ですが、以前とは違って、頑張っても将来の生活が不安なままで、一旦、社会のレールから外れると、なかなか元に戻れない構造になっています。昔のような、会社は家族、ファミリーだという意識も薄れてしまって、みんながノルマに追われてコスト競争も激しくなって余裕がなくなってしまって、職場の中でも孤立しやすい環境の中で、過剰勤務やハラスメント、いじめなどで傷つけられないよう職場から回避するのも自己責任だと思わされてきました。いろんな理由でレールから外れることはありますし、そもそも正規社員の枠も減ってしまって、面接を何百社と落ち続ける人たちもたくさんいたわけで、さんざん自分なりに頑張ってきた結果、生きることに絶望したり諦めてしまったりして、そのままひきこもりという状態に陥ってしまう人が増えました。しかし、親の価値観からすると、ご自身の頑張られてきた経験から我が子に思い描いていた理想もあり、就職している他人の子とも比較して、自分の子は努力していない、頑張っていないというふうに受け止め、子どもを責めてしまう。本人は、親からも家族からも責められると、ますます罪悪感で動けなくなって、どんどん本人を追いやってしまっていることをたくさんの本人たちとのやりとりを通して痛感しています。

 一方、自らもひきこもった経験があり、全国でひきこもりの自助会や啓発イベントを主催する「一般社団法人ひきこもりUX会議」代表理事の林恭子さんは、そもそも親と子がお互いの立場の違いを理解しあうことは難しいと指摘します。

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ひきこもりの当事者活動を続ける「ひきこもりUX会議」代表理事・林恭子さん

林さん:当事者側からはっきり言ってしまえば、当事者と家族はそもそも利害が一致しないので。やっぱり親御さんは、当たり前ですけど、なんとか自立してほしいし働いてほしいし、何より自分が亡きあと何とか生きていけるようにと思うと思います。それはもう親心ですし無理もないことなんですけど。でも、本人にとっては自立ももちろんしなきゃいけないし働きたいとも思っているけど、それができないというところの苦しさと戦っているので。なかなかかみ合わないかなと思いますよね。親子関係が良いひきこもりの方もいらっしゃいますけど、それでもじゃあ親が本当に自分のことを分かってくれているかと言ったらそうではないと言いますし。ただ自分を責めないから、見守ってくれているからそれはありがたいというふうには言うけれども、だからと言って本当に親御さんが自分の気持ちを分かってくれているのかといったら、それは違うと。

外からの支援を、なぜ拒否してしまうのか?

 家族の閉じた関係の中だけでは、なかなか突破口を見つけられないという、ひきこもり。鍵を握るのは、外からの支援とつながることができるかどうかです。生前の伸一さんのもとにも、地元の市役所の職員がたびたび訪れ、食料を渡したり、医療機関を受診することを勧めたりしていました。しかし、伸一さんは、なんとか自分の力でやりたいと頑なでした。生活困窮者支援を担当する市の職員と、こんなやりとりを交わしています。

職員:やせてるし栄養とれていないし、これじゃ生活立て直せないだろう。
伸一:もうちょっとがんばってみようかなと。
職員:病院に受診だけは一緒にしよう。
伸一:何とかある程度軌道に乗せるところまでやってみたいので、決して自分を過信するわけじゃないですけど、自分がどれくらい出来るかやってみたいので。少し時間いただけますか?そんな急がなぎゃいけないですかね。
職員:いけないと思う、死んじゃうと思う。

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生前の伸一さんと、家を訪ねて話をする市役所の職員

 外からの支援のアプローチを、なかなか受け入れられないのはどうしてか。ジャーナリストの池上さんは、社会の中で傷つき自分を守るために自宅に退避した人たちが、そこでも周囲から責められるような状況で過ごすうちに、次第に、申し訳ない気持ちや自らの価値を低くとらえる考え方にとらわれていくと話します。

池上さん:なぜ相談できなかったのか?の心情を想像していくことが大事です。誰かがこういう制度もあるよと声をかけても、特に公的なお金、税金を使ってサービスを利用するというセーフティーネットに対しては、非常に抵抗感を持つというのが、ひきこもる人の本質的な傾向、心情だと思うんです。自分が社会で働けていないこと自体が非常に悪いことだという罪悪感を持たされてきていますので、そういう自分が社会の公的なお金を使って助けてもらうというのは、とんでもない。自力で頑張りますからという言葉も、これ以上周囲に迷惑をかけられないからという真面目さの表れでもあります。むしろ、ご家族も含め、他人に頼ってまで生きようとは思えないと考えてしまう心情について、社会はどのようにケアしていくかをこれから考えていく必要があります。生きたいと思えない心情というのは、(ひきこもってきた)自分には生きている価値がない、社会から必要とされていない、というふうに思わされているということでもあるのです。

 ひきこもりの当事者活動を行う林さんは、助けを求めなくなってしまう気持ちを、自らの体験も重ね合わせながら語りました。

林さん:一つにはもう無理だと思っているんですよね。多分どんな支援があったって、もうさすがにここまで来ちゃったら自分はどうにもならない。神様みたいな人が来て、明日からガラッと変えてくれるわけじゃないんだとしたら、自分も50代になっているし今からはもう無理だって、本当に徹底した諦めですよね。そこには、やり直しのきかない日本の社会ということもあると思います。40代50代、場合によっては60代になってもう一度新たな人生をやり直せる仕組みや場所なんて日本にはないと思うじゃないですか。そうしたらその人にとっては、再起をかけられる場所が無いわけですから。その人にとってはね。もう見えてないから。
私が最も絶望しちゃった30歳手前の時には、あの時は分かってくれる人は絶対にいないって思いこんでいたんですよ。これだけ色んな人に話したり聞いてもらっても全く共感してもらえないし、絶対に分かってくれる人はいないから、今後私が幸せになることは100パーセントないっていうことをものすごく強く思っていたんですね。ある種、認知の歪みなんですけどね。その状態って。なのであの気持ちになってしまっている人にはたぶん何を働きかけられても、その時期に色々されてもたぶん駄目だろうなというのもあります。

本人に届くための、支援とは?

 では、本人に対して、周囲の人にできることはないのか。伸一さんが亡くなったとき、そのそばに、英語のテキストと、繰り返し英文を書いて勉強していたことを示すメモが置かれていました。池上さんは、伸一さんが最後まで英語を勉強しようとしていた、このことにヒントがあると語ります。

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亡くなった伸一さんのそばに残されていた英語を勉強したメモ

池上さん:生き直したかったんですよね。自分でもこのままではいけないというのが強くあって、絶望はしていたんでしょうけど、そういう中でも何とかもう一度、生き直したい。諦めていないから、ひきこもって生きているわけです。ひきこもっているというのは、生きているということなので。そこに誰かが、「生きていてくれてありがとう」という感謝の言葉を本人に伝えられれば、本人の中に、空蝉(うつせみ)のように見えていた感情が、少しずつまた生き返る、回復してくると思うんですよね。だから、生きていてくれることに対する感謝です。それだけでいいということを伝えるっていう作業ですね。毎日、日常の中で繰り返し、そのメッセージを伝えていくということが大事じゃないかなと思いますよね。

 林さんも、伸一さんにとっての英語のように、本人が関心を持っていることが手掛かりになると話します。

林さん:「チューニングする」というふうに言うんですよね。ご本人の関心のあることとか好きなことに、周りの人が合わせていくっていう。漫画とかゲームとか。私もいつも親御さんに、「声かけをする時にはそこからやってください」と言うんですよね。ご本人の好きなもの、例えばゲームをずっとやっているんだったら、「そんなに面白いんだったらお母さんにも教えて」って言って一緒にやったらどうかと。
私はよく、本人が歩いてくところを後ろから支える支援をして欲しいって言っているんです。ともすると支援者の方は、前に立って引っ張っていこうとするわけですよ。良かれと思ってね。でもそれは、ものすごく怖いんですよ。どこに連れていかれるか分からない。だから、そもそも前に立たないでくださいって。後ろにいってくださいと。
「私が解決してあげるからね」っていう眼差しになっちゃうと、「あなたは弱い立場だからサポートが必要でしょ。私がサポートしてあげるし解決策を持っているから、この通りやってみたら」っていう関係性になっちゃうじゃないですか。解決する力はその人が持っているんだということを、信じるってことですよね。あくまでも解決するのは本人だし、その力を本人が必ず持っているんだから、そこを支えていくというだけで、こっちが解決策を持っているわけじゃ決してないわけだから、それは勘違いしちゃいけないと思いますね。

 父親の日記に、“空蝉(うつせみ)”のようだと綴られていた伸一さん。残された家を片付けながら、その人生を振り返ってきた弟の二郎さんは、次のように語ります。

「本当に生きる希望をなくしたということであれば、とうに自ら命を絶っていたのかもしれませんが、やはり、生き続けていたいという気持ちがあったと思います。もうとってもぶきっちょな生き方だったですけれども。彼なりに、真面目に、変な言い方ですけれども、そう長くはない生涯でしたけれども、生きてきたんじゃないかなと思います」(二郎さん)

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伸一さんが暮らしていた家

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#こもりびと|ひきこもりクライシス “100万人”のサバイバル|NHK NEWS WEB

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※この記事は 2021年12月18日放送 ETV特集「空蝉の家」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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