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私はがんをあきらめない 堀ちえみさん(後編)過酷なリハビリ がんと向き合って得たもの

記事公開日:2021年12月06日

歌手・タレントの堀ちえみさんは2019年、ステージ4の舌がんが発覚。舌の6割を切除し、太ももの一部を移植する大手術を受けました。しかし、術後のリハビリは困難の連続。それでも希望を捨てずに取り組み、現在は新たな目標へ向かっています。生きるとは何か。乳がんを経験した生稲晃子さんとともに、お話をうかがいました。

術後の過酷なえん下リハビリ

舌がんの手術後、リハビリに挑んだ堀ちえみさん。最初は飲み込みの訓練から始めました。

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堀ちえみさん

堀:私は舌を3分の2以上を取っているんですけど、舌根は残せたんです。そこに長めのスプーンですくったゼリーを舌の上に置いてうまくゴールさせる、喉の奥へ持っていくリハビリからスタートしました。

入院中のリハビリの様子がこちらです。

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飲み込みの練習をする堀ちえみさん

堀:いろんな種類のゼリーが出てきます。コンソメのゼリーとかオレンジのゼリーとか、成分によって飲み込みやすいとか。

生稲:違うんですか。

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堀ちえみさんと生稲晃子さん

堀:違うんですよ。ゼリーよりプリンのほうが粘りがあってうまくいくんです。ゼリーは過酷ですね(笑)。新しくなった舌は、血管はつないでるんですけど、神経とかはつないでいないので、独自で動くことはできません。今までの残っている舌が新しく移植された部分を動かして。

生稲:先輩後輩みたいな感じですね。先輩がうながしてあげてるんですか。

堀:一生懸命こっちおいでって手をつないで、一緒に動かしてあげてるみたいな。(舌が)なくなって初めて分かったことは、食べ物をかみ砕いたあとに、集めて喉へ押し込むという大事な役割があるんです。

生稲:考えたことなかったです。

食べるとき、舌はどう動いているのでしょうか。まず舌が、噛んだ食べ物をまとめます。次に、舌で食べ物を押し上げて飲み込みます。この力がとても重要なのです。

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口で物を噛んで飲み込む様子(CG)

生稲:押し上げる力? それによって飲み込めているんですか?

堀:そうなんです。だから、リハビリの一環で、専門の耳鼻科の先生が中心になってえん下チームが組まれていて、まず本人がどのくらい飲み込めるかをレントゲンで、バリウムを飲み込んでチェックして、それに合わせてどういう飲み込みの進め方をしたらいいか(を検討してもらう)。いちばん怖いのは誤えんです。誤えんをすると肺炎の原因にもなるので、誤えんしないようにして、いかにこの残った舌が頑張って新しい舌と一緒に、噛んだものを奥へ持っていけるかという。普通食になるまで1か月くらいは、すりつぶしたえん下食を食べて、うまく飲み込むというような食事をしていました。

これは、舌圧を鍛えるためのトレーニング器具です。やわらかいものから硬いものまで5段階あり、自分の状態に応じて選ぶことができます。口にくわえて、トレーニング部を舌で押し上げる動作を、生稲さんに試していただきました。

※舌がんのリハビリには様々な方法があります。医師の指導に従ってください。

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舌圧を鍛えるためのトレーニング器具

堀:音がなります?

生稲:音ですか?

堀:舌で押す。

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生稲晃子さん

生稲:はい!ポコポコって自分で分かるくらいの音がします

堀:そうそう。(最初は)そのいちばんやわらかいのができなかった。それがどんどん硬くなっていくのをクリアして、1日5回からだんだん増やして、15、20回って退院してからも続いて。舌圧を鍛えることは飲み込みのためでもあるけど、おしゃべり、話す言語の訓練にもなるということで、しばらく続けてやっていました。

ゼリーやプリンで始まったリハビリ。アイスクリームを食べたときはとてもうれしかったと堀さんは話しますが、ちょっとしたアクシデントもありました。

画像(堀ちえみさん)

堀:ゼリーやプリンを口から入れたときも、すごくうれしかったんですけど、(アイスは)リハビリじゃなくて食べるものというのが感動的でした。でも調子に乗って、次はあの種類のアイスクリーム食べたいとやっているうちに、アイスクリームの中にナッツが入っていて、食べたらなんともいえない、口の中でナッツがバラけて、ひとまとめにできないので、ぶわ~ってナッツが広がって、自分がなんか溺れた感じに・・・。初めての経験でパニックになって、口の中の物をどうしたらいいの?って。アイスクリームは飲み込めてもナッツだけが舌の上でバラバラになって、唇の内側に落ちていくみたいな、そんな経験をしました。

生稲:でも、その失敗もなんかいい経験で(笑)。

堀:そうなんです。こうなっちゃうんだって思って。で、イメージしてみたんです、いつの間にか舌を束ねていってナッツを喉の奥へ自分で持っていける日がくるんだって。

プラスの言葉を書けるように 長女から日記帳のプレゼント

リハビリを始めたとき、心の支えとなったのが、新たにつけはじめた日記でした。

<リハビリで忙しかった日の2019年3月5日の日記>
きょうは、忙しかった。食べ物や飲み物を右へ寄せていくのが至難の業。
今まで足の筋肉だったのが、いきなり舌やれ!と言われても、うまく機能しませんよね。
飲み込み・首肩のストレッチも始まります。とにかく、一歩一歩頑張らなきゃ。
きょうは、疲れた。久々に眠いと思えた。

画像(日記を読み上げる堀ちえみさん)

日記帳は長女からのプレゼント。そこには特別な思いが込められていました。

堀:娘は大学生で、当時心理学を専攻していたので、気持ちを前向きにさせるためには、前向きなことを書くといいと習っていて・・・。どうすればお母さんが前向きなプラスな言葉を書いていけるか考えたときに、日記を2冊買って、自分もつけてるから交換しようと言えば、絶対にお母さんは泣き言を書かないって思ったからという彼女なりの導き。プラスな言葉を私が書くように、気持ちをプラスに持っていけるように考えてプレゼントしてくれたみたいで、それを聞いたとき、涙が止まりませんでした。

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日記の余白に書いたやりたいこと、行きたいところ

さらに、日記の余白にはこんなことも。

堀:年内中にお寿司が食べられるようになりたいとか(笑)、温泉に行きたいとか。あと、台湾に行きたい。韓国に行きたい。どこどこのごはんが食べたい。金沢に行きたい。浜松餃子が食べたいとか。

生稲:いっぱいありますね(笑)。

画像(生稲晃子さん)

堀:主人に言われたんですけど、やりたいこと、行きたいところリストを作って、全部書いておいて、それを退院してから、一つひとつ全部僕が叶えてあげるからって言われて。書いていったら、(それを叶えて)全部消して、また、次の夢を書いていけばいいんじゃないかって。とにかく、前しか向かなかった。みんなが悩んだ末に、流れでそうなったと思うんですけど、そうなれたことも、もしかしたら主人が言ってた、「君はラッキーなんだよ」っていうところにつながっていくのかもしれない。

家族の支えもあり、少しずつ前向きになってきた堀さん。そんなときに、夫からまたポジティブな発言がありました。

「肉だ! 肉を食べに行こう!」

堀:舌がんの手術を終えて、ある程度いろんなものが食べられるようになったころ、退院もして、家でごはんを作りながらテレビを見ていたら、えん下食のレストランでフレンチをフルコースで食べられるお店があるっていうのをやっていたんですね。それを見て、えん下食にすごく興味があったので、ましてフレンチ。ご年配の方々のためのお店だったんですけど、こんな素敵なところがあるんだったら、一度えん下食のフレンチのレストランに行ってみたい!と思って、帰ってきた主人にちょっとお願いしてみたら、ダメだって言われまして・・・。

画像(堀ちえみさん)

生稲:え? ダメ?

堀:うん、ダメだ、ダメだって。「君はなんでそんなに後ろを向くんだ? 君はえん下食を卒業して、ちゃんとしたごはんを食べるようにならなきゃダメなんだよ」って言われて、肉だ!焼き肉食いに行こう!って。

生稲:いきなり肉にいきましたか。

堀:そう! 焼き肉だったらいくらでも連れて行ってあげるから、ダメだ!もとに戻ってどうするんだよって。

生稲:ご主人、自分が食べたかったんですかね?(笑)

堀:後ろを向いちゃいけないよって、前を向いて、そっちを目指しちゃだめだって言われたのには、どこまでもポジティブだなと思って(笑)。それで、焼き肉食べに連れて行ってくれましたよ。

生稲:ちなみにちえみさん、何食べたんですか?

堀:焼き肉も食べたし、あとナムルを食べたし、サラダも食べて(笑)。

変化する舌にとまどい

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発声練習をする堀ちえみさん

「あえいうえおあおー」(堀さん)

堀さんがえん下の次に取り組んだのが、発声のリハビリです。しかし、これも苦労の連続でした。舌に移植された太ももの組織は、次第に縮んでいきます。

堀:舌がだんだん薄くなってくることを想定して、厚めに作ってはめこむわけなんですけど、舌の盛り上がりがあると、空気が横から抜けてしまうので、いま話しているのも結構な腹式呼吸です。一息で長くしゃべらないとかなり空気のむだ遣いをしちゃっているんです。呼吸法の練習もしないといけないですし、「あ」とかはまだ大丈夫。母音は大丈夫なんですけど、子音がなかなか難しい。

画像(堀ちえみさん)

堀さんは手術後の発音に備えて、言語聴覚士と準備をしていました。

堀:口を開けるだけの母音は発声できるけど、音を作ることが難しくて、言語聴覚士の先生が手術をする前に、口の舌の大きさとかいろんなものを測って、映像も撮って整えてくださいました。その上で、手術後のリハビリで、もともとの状態を考えながら、手術した部分の大きさだとか、部分、範囲、いろんなことを考えて、音を作ることを一緒にやってくださいました。大変だったのは「ら」行のらりるれろ、「さ行」のさしすせそ。

生稲:舌を結構使いますよね。

画像(堀ちえみさんと生稲晃子さん)

堀:あとは「つ」が「ちゅ」になっちゃうし、「ざ」がいっぱいついてる文章があって、そういうのを何回も何回も読んで。だから、アッコちゃんがしゃべってる言葉と、私がしゃべってる言葉ってたぶん、音の作り方が全然違うわけで、私だけの発語法なんです。全部頭の中で分解して、一音一音作っていったんです。「だから、いま」ってしゃべろうと思ったら、頭の中で全部をひらがなにして、「だ・か・ら・い・ま」と作っていかないといけない。
とにかく1日中、ずっとしゃべって、しゃべることがリハビリ。お姑さんが付き合ってくれて、1日3時間とか電話で話を聞いてくれました。電話で相手に伝わるというのは、結構ハードルが高いんです。顔とか、身振り手振りないし、リップ(唇の形)で読むことができないので、何を言ってるかというのを音だけで伝えるというのは。

そんなときに、再び夫のボジティブ言葉が飛び出しました。

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堀ちえみさんと夫

「舌も三寒四温」

生稲:どういうことですか。

堀:舌って口の中のわずかな状況や環境でものすごく変わっちゃうんですね。せっかく今までの舌の状態でやっと伝わるようになったのに、次の日、舌が変わって、また伝わらないということが出てくる。さすがに疲れて、主人に舌が変わったから、またリハビリをまたもとに戻して、ここからやり直しなんだけどって言ったら、「舌も三寒四温なんだよ。そうやって繰り返して春になっていくんだから、だから前進しているんだよ。止まっちゃうと何の変化もないのがいちばん怖い」と。変化がなかったら今でストップなんだって。変化があるということは、可能性もあるということだから頑張れと言われて・・・。ぼやきも聞いてもらえない。

生稲:でも、素敵ですね。一歩ずつ一歩ずつ前進してるんですよね。

画像(堀ちえみさん)

堀:それで私が、なるほどなと思って。怒りとか、グチとか、くやしさとか、そういうマイナスな要素は口に出しちゃうとどんどんエスカレートして、どんどん湧いて出てくるものだから、口に出して発散をしたほうがいいとよく言うけど、そうじゃないんだということに気づきました。

生稲:それはちょっと反省しています。いま私、よく言ってます。

堀:頭にくることとか、グチとか出たら、どんどん出ていくと、怒りがどんどんパワーアップするというか、マイナスになっていくんだなって。同じ生きていくんだったら、発想を切り替えていいことだけ見たほうが、人生そのほうが楽しいんじゃないかなって。

堀さんの夫はこうも話していました。

「きっと乗り越えられると信じることがいちばん大事。“よくなる”と周りが信じていないとその不安は本人に伝わってしまう」

堀:家族の誰も、私にかわいそうねとか、大変だねとか、つらいねって言ってくれないんですよ。なんかテレビで不満を言うのもどうかと思うんですけど、その意味が分かりました。うん、やっぱり、言えなかった。言いたくても言わないようにしてたんだなって。

生稲:でもそういう優しい言葉をかけてもらいたいと患者は、ときどきは・・・。

堀:思う。思うよね!

生稲:思うんですよね! 思うんですけど、でもその言葉ばかりかけられていたら、もしかしたら、心がぽきっと折れてしまったかもしれないなと。

堀:あと、リハビリも甘えていたかもしれない。

いまの自分がいちばんいい がんと向き合って得たもの

舌がんの手術から5か月後。堀さんは、ボイストレーニングを再開しました。

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ボイストレーニングをする堀ちえみさん 2020年3月撮影

2020年に芸能界に復帰した堀さんはいま、どんな目標を持っているのでしょうか。

堀:今は、デビュー40周年に向けて、ライブで歌を歌えればいいかなって。7か月か8か月かけてやっと1曲歌えたんで。「リ・ボ・ン」っていう曲なんですけど。あの曲だけ歌えるようになったんです。2022年までに10曲ぐらいは歌えるようになって、ライブをやって、ファンのみなさまにご心配をおかけした分、みなさまの前で歌えたらいいかなと目標にして頑張ってます。いちばん大変だったのは、歌詞の最初の部分「回転扉の向こう」が言いづらくて、さびの部分でも「ち」とか言えない言葉がオンパレードで入ってるので・・・。アッコちゃん、(ライブに)来てくれる?

生稲:いいんですか!「ちえみー!」って応援しますよ、私。

堀:アッコちゃんも分かってくれると思うんだけど、自分はこの病気にならなかったら、こんなつらい思いして、ごはんとか飲み込むとか大変じゃなかったのにとか、もっとうまくしゃべってたのに、歌も歌えてたのに、どうしてこんなことにって思っちゃうと、すべてを否定してしまうというか・・・。こんな自分でも、自分は素敵なんだ。自分が大好きなんだ、自分が愛おしいんだと思うところから始めて、リハビリに向かわないと、自分を悲観しちゃうと、もう、立ち直れない。今の自分を受け止めてあげることって、すごく大事だよね。

生稲:そう思います。

堀:先日、たまたま私が昔出た過去の映像がテレビで流れて、それを家族で見たときに娘が、「お母さんじゃないみたい」って言うんです。すると、主人が「だろ? 俺も、なんか違うなって思うんだよ」って、2人で会話しているのを聞いたときに、すごくうれしくて。
どこかで、今のこのしゃべり方が恥ずかしいと思っていて、この姿を見せるとどう思われるだろうとか、人に迷惑がかかるんじゃないかって思う自分がどこかにいて、なかなか仕事の復帰に踏み切れなかった自分がいたんです。(でもその会話を聞いて)今のこのしゃべり方でも、今の私がお母さんであり、今の私が自分のパートナーだっていう思いがあって、過去の私はもう終わった人で、家族の中にはもう存在してない私なんだなと思ったときに、いまの自分がいちばんいいんだ、生まれ変わったんだって受け止めることができました。
どこかふんぎりがつかなかったんですけど、今の自分でいいんだ、これが私なんだ、私、再生したんだと思えました。

生稲:家族の助けも借りて、そういう気持ちを持てたというのは、本当にこの病に打ち勝つ原動力になったと思います。自分もそうでしたしね。

最後に、がんと向き合うことはどういうことなのか、お二人にお聞きしました。

画像(生稲晃子さん)

生稲:堀さんは大変な思いをされて、心も体もつまずくことが何度もあったと思うんですね。大切な家族と一緒に前を向いて、一歩ずつ一歩ずつ前進していこうと。そういう強い気持ちを持たれて、ここまで回復されたというのは、私もすごく勇気をいただきました。きっと、ちえみさんの経験されたお話を聞いて「私もいつかこうなれる、いつか笑って話をすることができる、いつか歌える」と大きな力をもらった方がたくさんいらっしゃると思います。

画像(堀ちえみさん)

堀:私ががんを公表した意味というのは、早期発見をして早期治療をすれば、私のようにリハビリ、言語にここまで苦労をしなくてよかったという気持ちがあったから。口腔内はもちろんですけど、体すべて定期的な検診をして、早めに悪いところを見つければ治療をしてということを、ぜひ一人でも多くのみなさんに分かっていただきたいなと思って。じゃないと、私が病気になったことが報われないような気がして。生きていれば、いいこといっぱいありますよね。笑っていられるし。

生稲:いのち。あってよかったです。

堀:本当ね。うんうん。

私はがんをあきらめない 堀ちえみさん
(前編)突然の舌がんステージ4 病と闘う決意
(後編)過酷なリハビリ がんと向き合って得たもの ←今回の記事

※この記事はハートネットTV 2020年7月1日放送「リハビリ・介護を生きる 私はあきらめない 堀ちえみ(後編)」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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