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介護は親との時間を過ごす“ギフト” 渡辺真理さんの介護

記事公開日:2021年11月24日

両親の介護を23年間続けてきたアナウンサーの渡辺真理さん。苦労しているのではと心配されることも多いものの、親は心の支えになっていると言います。話の聞き手は、洋画家・タレントの城戸真亜子さん。13年間、義理の母を介護した経験があります。介護を通して親から受け取ったものとは何か。渡辺さんの思いに迫ります。

父が倒れて始まった介護生活

渡辺真理さんは、1998年から16年間、父の介護を。その後は母を自宅で介護し、両親の介護に携わるのは20年以上になります。

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渡辺真理さんと城戸真亜子さん

城戸:真理さんが介護されていたとは全然知りませんでした。

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渡辺真理さん

渡辺:私の場合、いつから介護に入ったかという意識はほとんどないんです。父が倒れて「うわ、どうしよう」と思って。だから、ここから介護スタートですっていう意識なく、暮らし始め、暮らし続けている感じです。

城戸:大変じゃない介護ってきっとないと思うので、どんな風にクリアしていったのか、ぜひ教えていただきたいと思います。

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渡辺真理さんと両親

1967年に生まれた渡辺さん。父が41歳、母が35歳のときに生まれた一人娘でした。

父の半三さんは会社を経営し、母の美智子さんは元客室乗務員。仲が良く、出かけるときはいつも一緒でした。2人でスキーをしに、ヨーロッパまで出かけることもあったといいます。

渡辺:母が19歳でめぐりあって、27歳まで8年間付き合って結婚したので、細かいことでしょっちゅうケンカするんですが、離れて生活したことはなく、仲がいいんです。付き合っているころから毎年行っていたスキー旅行には、遅く生まれた一人娘の私をぽんぽん置いていくんですよ。「行ってくるからね!」と祖母に預けられて、2週間いなくなったりする。とにかく夫婦というユニットが強かったです。
小学校のころは、家に帰っても私が学校のことを母に話すんじゃなくて、「今日パパがね」って、母が私に話してくれるので、ふーんって聞いている感じでした。
親は親で仲良く生きているので、子どものときから、あなたはあなたの人生だから、あなたが楽しんでねっていうメッセージは伝わっていました。

渡辺さんには、「好きな道に進みなさい」と語っていた両親。自主性を重んじて、のびのびと育ててくれました。

1990年、渡辺さんはTBSに入社。ニュースやバラエティなどで大活躍し、8年後にはフリーに転身。父の半三さんが倒れたのは、そんな矢先のことでした。

渡辺:その前年になんとなくひとり言が多いかなと思い、脳ドックに一緒に行ったりしていたのですが、たまたまチケットを取っていただいた舞台があったので、母を誘って、珍しく母が父を置いて出てしまったんです。それでも虫の知らせなのか、幕間で中座して帰宅したときに父がベッドにいて、少しろれつが回っていなかったので、おかしいなと思って周りを見たら、ドアにはめ込まれたガラスが割れていて、もしかして転んだのかなと・・・。救急車を呼ぶと、小脳の脳内出血だとわかって、夜通しかかって手術をしていただいた結果、一命をとりとめることができました。

父、半三さんの手術は成功しましたが、その後、肺炎を発症してしまいます。気管切開をして、胃ろうをしながらの生活が始まりました。このとき、母・美智子さんは、夫の側にいたいと、病室を離れようとしませんでした。

渡辺:(父は)無意識のうちにベッドの柵をなんとか乗り越えようとしたりして、家が好きなだけに帰ろうとしてる意思はひしひしと伝わって、切なかったです。「いま帰っちゃダメだからね。わかるけど、ここはパパ、病院で治さなきゃ」って言いながら。母は母で、悲しいとかオロオロするよりは、とにかく父親と一緒にいたいんですよね。「どうするママ、家に帰る?」って言ったら、「パパと一緒にいてもいい?」と言うので、付き添いができる部屋ではなかったのですけれど、看護師さんにご相談したらソファーベッドを入れてくださって。

画像(渡辺真理さん)

「一緒にいたい」という母・美智子さんの希望をかなえることにした渡辺さん。病院の中という制限がありましたが、周囲に相談して乗り切ったと話します。

渡辺:周りの方にご迷惑にならない範囲で、どこまで両親の気持ちを叶えられるかというところにしか専心できなかったです。

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城戸真亜子さん

城戸:でもそんななかで、親たちにとっていちばん幸せなことはなんだろうっていうのを選べたんでしょうね。

渡辺:たまたま運んでいただいた病院の先生方、看護師さんにどうすればいいか、ご相談できたのが幸運でした。本当にひとつひとつ教えていただきながら、導いてもらいながらで、そういう意味ではすごくラッキーです。

介護と仕事の両立も苦ではなかった

当時、渡辺さんはニュース番組のキャスターを務めていました。仕事をしながら時間の配分を工夫して、両親を支えようとします。職場と病院、実家を行き来する生活が1年半続きました。

画像(渡辺真理さん)

渡辺:当初、親が病院にいるときは、仮眠するだけの部屋を都内で借りていたので、放送後は夜12時過ぎぐらいに局を出て、部屋に戻って資料読みなどしたあと深夜3時くらいに休んでました。翌日は午前中に起きて母のお弁当を買って、父の病院に向かい、父の横で母と一緒にお昼を食べて夕方まで病室で過ごしてから出社。洗濯物があるときは自宅に帰って洗濯したあとに局に行く、その3点を移動するような生活でした。

城戸:フリーになられていたのも、大きかったかもしれないですよね。

渡辺:とても大きかったです。会社員だったら病院に毎日通えていなかったと思うので。細かいことですけれど、車は会社に停められないだろうし、自分で車移動しないと親の洗濯物も運べないでしょうし。運転しながら薬局に寄ったり、母のお弁当買ったりして出社するというリズムはフリーになっていないとできなかったので、なんてラッキーだろう!と。ギリギリのランディングだったんだなと思うと、本当にありがたいタイミングでした。

城戸:でも長いでしょう? ずっと長い期間、そのルーティンがずっと続いてると、休みがないわけですから。

渡辺:はい。ただ、睡眠時間が短くても忙しなくても、不思議ですよね、なんとかできていくんですよね。打ち割ってお話すると、いつか親を見送ることはわかっているので、どこかで自覚的になれるのかもしれないです。親との時間の砂時計を感じると、自分が仕事をしていただいたお金をここに使いたい、自分の時間をこう使いたいって。ここで使わないときっと後悔するという選択をしながら動けるんです。なんとなく過ごしているときよりも、私が行きたいから行ってるし、やりたいからやってる。自覚的に過ごしている生活だから、気持ちがいいし、腹もくくれるのかもしれません。

画像(渡辺真理さんと城戸真亜子さん)

城戸真亜子さんは、2004年から13年間、認知症の義母を介護した経験があります。

渡辺:真亜子さんのお話が聞きたいです。なかなか難しいものですよね、ご主人のお母様とは嫁姑の仲であって、しかも認知症でいらっしゃったとうかがっています。うちの両親の場合、ありがたいことに穏やかに療養してくれていたんです。痛がることもないし、起きて徘徊することも暴力的になることもなかったのは幸運としか言いようがなくて。認知症でいらっしゃったというと、いろんなご苦労があったのだろうなと。

画像(城戸真亜子さん)

城戸:私は、仕事が行き詰まっていた時期にちょうど介護が始まったんです。

渡辺:行き詰まっていたとき、ありましたか?

城戸:ありました。テレビの仕事なんか、本当に積み重ねもなく始めてしまって、若いころは勢いでよかったけれど、ある年齢にきたときに、それではすまされないと思って。人に迷惑がられているんじゃないかとか、生きている意味あるのかなって、本当に自信を失っていたときに、ちょうど介護が始まって・・・。
うちに帰ると、義父と義母が待っててくれるんです。「ありがとうね」とか言ってもらえると、いますごく役に立ってるって。自分の生きている場所を作ってくださったというか、本当に感謝しているんですよ。認知症になると、いろいろなことができなくなってしまうけれど、認知症じゃない自分でもうっかり忘れたり、上手にできなかったりすることがありますよね。だから想像できるんです。母は感謝の気持ちを忘れることもないし。人としての老いの形を教えてくれているんだと感じました。

意識したのは「頼めることは頼む」こと

入院から1年半、2000年の春に渡辺さんの父・半三さんは家に戻りました。自宅に戻る決断は、どのようにしたのでしょうか。

渡辺:「自宅に戻る」と母が言い出しました。そのとき、父は気管切開していて、気管切開をしてると退院はできないんです。でも、長期療養の病院ではなかったので、ずっとこの状態でご厄介になることは現実的じゃないという認識はありました。何よりも“父を家に帰らせてあげたい”という気持ちが大きかったです。「夫になにかがあっても責任は負いますので、閉じていただけますでしょうか」と母が言い出して、先生が了承してくださった結果、帰ることができました。
2000年はちょうど介護保険制度が始まった年。みなさん手探りの状態だったので、割り振っていただいたケアマネージャーさんと、話し合いを繰り返しながら生活を構築しました。父にとっては、どんな福祉用具があって、ヘルパーさんにはどんな時間帯に来ていただくのがいいのか、介護プランを練りました。家族だけでは「この介護度だったら、これだけ(介護サービスを)組み込めます」ということもわからないので、介護職の方々に「だったらこうしましょう」と導かれる感じでした。

自宅に戻ってからの父・半三さんの様子をどうだったのでしょうか。

渡辺:自宅が好きだったので、喜んでくれていたのだと思います。話すことはできなかったので、私自身を納得させている部分もありますけれど。父が車いすに座っているときに「パパ、パパ」と話しかけると、頭(こうべ)をめぐらせようとするんですよね。娘の声には反応してくれることで、「人ってすごいな」と。いろんな機能を手放して、それでも反応してくれるのがとてもうれしかったし、親はいつまでも親なんだと、守られている感覚でした。

そんな介護をする中で、渡辺さんが気づいたのは「頼めることは頼む」ということ。

画像(「頼めることは頼む」)

渡辺:実態としては「手を抜けるところは抜く」感じだと思います。

城戸:でも、大事。

渡辺:「確実にここで必要とされているな」というのがうれしいことでもあるわけです。だけど、全部ができるわけじゃなくて、介護職の方の話をうかがったり、ヘルパーさんのやり方を拝見したりすると「なるほど!美しいな、このやり方」と思うぐらいプロでいらっしゃるので、そういう意味では本当に頼っていましたし、教えていただいているという感じでした。

城戸:「頼めない」っていう悩みもすごくわかるんですよね。家に他の人を入れるのも、見られたくないエリアがあったり、経済状態を知られたくなかったり。でも(そういうことも)伝えたほうがいいんですよね。それに合わせてプランを立ててくださる。
やっぱり“その人のいちばんの幸せ”を考えると、プロフェッショナルの方じゃないと気がつかないことがたくさんあると思うし、私も「頼めるところは頼む」というのは、すごく大事なことだと思うんですよね。ちょっとした時間に、自分がリフレッシュできることもありますし、すごくいい選択だと思います。

2014年、渡辺さんの父・半三さんは家族に見守られながら亡くなりました。88歳でした。病院にいた期間も含めると16年の介護でした。

画像(渡辺真理さんと城戸真亜子さん)

城戸:うかがっていると、ずっとお家で一緒に過ごして、家族という雰囲気が変わらない。ふつうだと「こちらは介護してるのよ。あなたはされてる側」みたいについ、なっちゃいそうな感じがあるけど、そういうのが一切感じられないですね。

渡辺:私が見ているという感じよりは、父に守られている感覚があります。それは今も、です。守られているし、「生きる」ということを教わっている感じです。こういう風に年を重ねて、年を取っていくものなんだ。老いていくものなんだ。すべて生きとし生けるものは、放物線を描いて亡くなっていくものだと、老いの形を実地で見せてくれたと感じています。

母の介護で気づいた「心地よい空間」の大切さ

しかし、半三さんが他界してすぐ、母・美智子さんも要介護5の状態になってしまいます。骨粗しょう症が進み、骨折したことで歩けなくなってしまったのです。

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渡辺さんの母・美智子さん

渡辺:父との別離がショックだったと思います。私が仕事中に、家の中でフラっと尻もちを2回ついたらしく、ヘルパーさんも、「ママさんがちょっと尻もちついた」って言うぐらいで、ドンという倒れ方じゃなかった。だけど、母もそのとき80代で、骨粗しょう症が進んでいることもあったので、腰椎のいちばん上と、胸椎のいちばん下を圧迫骨折したことで、痛みが去って骨が固定するまで、ベッドに寝ているしか治療法がありませんでした。3か月ほどベッドに寝ていたのちに、自分で動けなくなって要介護5に。もともと若いころにリウマチを患っていたこともあって要介護3とか4だったんですけど、要介護5で動けなくなったのは、父が他界したことはきっかけでした。

いま、渡辺さんは母・美智子さんを自宅で介護しています。

渡辺:(母は)自宅で穏やかに療養をしてくれていて、もう、この状態でどのくらいの認知度だとかを測るということでもないんです。主治医の先生の指導を仰ぎながら、医療面で必要なことは施しつつ。本当にいろんなものを手放していると思います。私のことをわかってないときも。でもすごく今日は機嫌がいいなとか、テレビを見てくれてるなとか。

母の介護をする中で渡辺さんが気づいたことは「心地よい空間を」でした。

画像(「心地よい空間を」)

渡辺:心地よい空間にしたいなと思ってます、家の中も部屋の中も。ただ心地よいってそれぞれの感覚だから難しいことでもありますし、何が心地よいかって聞いてわかることでもなかったりするので想像しながらですけれど。親子であっても、親と娘が取りたい距離感も違うかもしれない。そういう意味で、心地よさそうかなって表情をできるだけ観察しながら・・・。
身勝手かもしれないですけど、ずっと母の部屋にいなきゃとも思わないので、あまり顔を出さないときもあるし、自分が楽なように、母も楽でいてほしいなと思うんです。何度も来て面倒臭いなって思われているかもしれないから。
本当に家庭ごとでも個人個人でも違って当然ですよね。一緒にいるからいいわけでもないし、その日によっても歳によっても感じ方は変わってくる。だから、「うちの心地いいってどんなのかな」「楽はどうかな」と思いながら暮らしている感じです。

半三さんが旅立ったとき、美智子さんの気持ちをなぐさめてくれたのは、ペットの愛犬たちでした。そこで渡辺さんは、母が寂しがらないようにと、犬を飼い続けることにしました。こちらは、4年前に家にやってきた新しい家族です。

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渡辺さんの愛犬「たけお」

渡辺:この子がいま、母を守っています。4歳になりました。「どんな名前にする?ママ決めてね」と言ったら、母はなぜか「たけお」って言ったんです。「結構、“洋”っぽい顔してるけど、たけおなの?」と聞いたら、「たけお」と断言されて。早逝した母の弟が「たけひこ」だったから、どこかにあったのかな。そして、ちょうど半年後に妹が生まれたので譲り受けることになって、「この子の名前はどうする?」と聞いたら、3日ぐらいして「りり」と言ったので、りりになって。毎日、母を守っている感じです。

城戸:本当に支え合っている感じがしますね。わんちゃんも自分の使命をわかっているような。

渡辺:ペットっていいますけど、命と命だから大きいです。存在そのものが。

さらに渡辺さんは、母の部屋に家族の写真をたくさん飾るようにしています。どうして写真を飾ろうと思ったのでしょうか。

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家に飾られている写真

城戸:素敵な写真。

渡辺:父も祖父母も見ている気がするんです、ずっと。母は、アルバムを見ようにも手を動かすことができないので、だったら大切な人たちの写真を飾ろうと。寝ている姿勢でも見られたらいいかなと思って、天井にも貼ったりして。目線の先には好きな写真があったら、ちょっと楽しいかなと。

画像(渡辺真理さん)

城戸:「好きな写真があったほうが楽しいかな」って言うときの真理さんの表情が、すごく、いいこと考えついたみたいな(笑)。

渡辺:こうしようと思いついて、脚立を持ってきて天井とかに貼るのは、ひとりよがりだけど、楽しかったです。親は親で、いまは身体面で一人では暮らせないから私が一緒にいるわけですけど、気持ちの面では一人で暮らしてるかのごとくいたいタイプなので。食べられるものも制限が出てきましたけど、できるだけ好きなものを食べてほしいし、好きな時間に寝てほしいし、好きなテレビ番組を見ててほしい。気遣われながら生きるのもストレスかもしれないので、適当にほっときつつ、できるだけ「お互いが心地いいってどんなものかな、楽に過ごしたいな」と思いながら暮らしてます。

画像(城戸真亜子さん)

城戸:それが愛情ですね。すごくご覧になってるでしょう、お母様の表情とか。見ることって愛だと思うんですよ。だから、見て、この人が苦痛じゃないかなとか、自分の犠牲になってないかなってことを真理さんのほうもすごくおもんぱかって行動されていて、すごく心地よい空間ができているんだと思いますよ。

渡辺:たぶん私、観察力があるとか、パッと気づくほうじゃないんです。

城戸:だから、見る。

渡辺:そうなんです。

城戸さんご自身も、義母の介護で工夫していたことがあるといいます。

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城戸さんが描いた絵日記

城戸:私はいつも日記をつけていたんです。認知症だったので、記憶がどんどんなくなって不安だろうと。ここはどこ? みたいにいつも思うわけですから。だから、それがつながるように。それと、ここにいたら迷惑なんじゃないかとすごく遠慮して、「私、帰ります」みたいなことを毎日言うので、「お母さんはみんな楽しませてくれるし、幸せなんですよ」ということを伝えるために、どのページを開いても自分が褒められて感謝されてるってなるように、母を褒めることと、ありがとうございますということを毎日書いています。イラストとか好きだから、イラストを描いたり。
描いた絵に、母もね、「これメガネかけてるし私かしら…」なんて言ってくれて目が止まるし、表現することによってその人に対する愛おしさがまた強くなるみたいなことはあって。
私は母に対しての一方的なラブレターって思っていたんですけど、後々になると、その日記の中に母が言ってくれた言葉を自分で書いているので、だいぶ経ってから母からもラブレターをもらってたんだってこともわかって、すごく胸が熱くなりましたね。自分にとっても支えるものだったなってあとから思いました。

介護は親との時間を過ごすことができる“ギフト”

渡辺さんと城戸さんに共通しているのは、介護は「してあげる」だけのものではなく、介護をすることで「自分にも何かが返ってくる」と感じている点です。

画像(渡辺真理さん)

渡辺:これで良かったのかは、わからないんですよね、永遠に。いいと思っていてくれたかどうかわからないから、あくまでも自己満足なのかもしれないです。でも、私は母が無理ないときまで、一緒に過ごしたい。あまりにも頑張って生きながらえてねっていうことではなく、母がいいと思えるまで一緒にいたいなあとは思っています。

最後に、渡辺さんと城戸さんにとって介護はどういうものなのか、あらためてお聞きしました。

渡辺:大変じゃない介護はないと思うし、数えたらつらいことの方が多いかも。例えば、親が倒れるって、それ自体はえらく大変なことなんですけど、そこから一緒に過ごすきっかけになってるという事実もあって。親との時間を過ごしたくて過ごしてるのは私なので、私にとって介護という季節は「ギフト」という面がとてもあります。

城戸:これから介護するかもとか、どうしよう大変そうって思っている人には、いや、そればかりではありませんってことを本当に伝えたいと思っています。今日の真理さんのお話で、人間ってこういう風にみんな年取っていくんだ、それを見せてくれてるんだっていうこととか、大変じゃない側面、得るものが多いことを、すごく教えてもらったような気がしますね。

渡辺:真亜子さんとお母様のお話、うかがえて嬉しかったです。お目にかかったことはないけれど、お母様は本当に素敵な方だったんだって思います。教えていただいて、ありがとうございました。

※この記事はハートネットTV 2021年3月2日放送「リハビリ・介護を生きる 親からの“ギフト” 渡辺真理」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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