旧優生保護法について

もくじ

旧優生保護法とは 

「旧優生保護法」とは、1948年に制定され、1996年まで施行されていた法律です。 

「第一条」に “この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命・健康を保護することを目的とする”と定められています。つまり、障害のある子どもを「不良な子孫」と規定し、社会全体のためには、そうした子どもが産まれてこない方が良いという考え方(優生思想)に基づいた法律でした。その目的のために、遺伝性の疾患や知的障害、精神障害などがある人に対して、本人の同意がなくても強制的に不妊手術を行うことも認めていました。

法律の背景 

なぜ、このような法律が作られたのでしょうか。 

時代背景として、1945年の敗戦以降、外地からの引き上げや出生数の増加によって国内の人口が急増し、食糧不足などの問題が深刻になっていたことがあります。「人口の抑制」が国としての大きな課題だったのです。

そんな中、旧優生保護法が担った役割の一つが「中絶の合法化」でした。日本では明治以来「堕胎罪」によって中絶を禁止していますが、「妊娠・出産を繰り返すことで母体の健康を損ねる場合」や、「暴行されて妊娠した場合」などは、「人工妊娠中絶を行うことができる」と定めたのです。 

一方で、人口を抑制することにより、病気や障害のある人の割合が増えてしまうのではないか、と危惧する人たちがいました。優生保護法の制定をリードした谷口弥三郎参議院議員もその1人です。谷口議員は、旧優生保護法の提案説明で、「人口抑制政策を行うと、比較的優秀な人々が産児制限を行い、自覚のない人や知的な障害のある人は行わないため、民族の“逆淘汰”が起きるおそれがある」と述べています。 

この考えが、「不良な子孫の出生を防止する」という、旧優生保護法の目的につながっていったのです。

被害と社会への影響 

強制不妊手術の拡大

旧優生保護法の不妊手術の対象は、当初は基本的に、遺伝するおそれのある病気や障害に限られていました。(※)法律の目的が「病気や障害がある子どもが生まれる事を防ぐ」ことだったからです。 

しかし成立から4年後の1952年、「遺伝性ではない精神疾患や知的障害がある場合も、本人の同意なく不妊手術ができる」という改正がされます。不妊手術の要件を、「子どもへの影響(遺伝)」だけでなく、「本人の障害」に拡大するという大きな改正でしたが、国会で深く議論された形跡はありません。 (※ただし、ハンセン病については「子どもに伝染するおそれ」がある場合は不妊手術の対象とされ、多くの人が強制的に不妊手術を受けさせられました) 

行政も、強制的な不妊手術を積極的に後押ししていました。 

1953年に厚生省(当時)が出した通知では、強制的な不妊手術にあたって、「身体の拘束、麻酔薬施用又は欺罔等の手段を用いることも許される」と書かれています。障害のある人が不妊手術に同意しない場合、身体を縛ったり、麻酔薬を使ったり、だましたりしてもよい、としていたのです。 

国の資料では、9歳の子どもにまで、不妊手術を行っていたこともわかっています。

法律から逸脱した不妊手術

さらに後年になると、不妊手術は法律で対象とされていないはずの遺伝性ではない身体障害者などに対しても行われるようになります。手術の方法も、法律に定められていた「生殖腺を除去しない方法」を逸脱し、子宮の摘出や放射線の照射、睾丸の摘出といった心身への影響が大きい方法まで行われるようになり、ホルモンバランスの異常など、長年にわたって後遺症に苦しむ被害者を生み出すことにもなりました。

「強制不妊手術」の被害者数

旧優生保護法による「強制不妊手術」を受けさせられた被害者は、国の調査では約1万6500人に上ります。一方、本人の同意の下に不妊手術を受けた人は約8500人ですが、実際には障害者の立場が弱いために「同意」せざるを得なかった、「実質的な強制だった」ケースも裁判では認められており、その数は少なくないと考えられています。さらに、本来は旧優生保護法の対象ではなかった非遺伝性の身体障害者への手術の数などは調査に上がっておらず、正確な被害者数を知ることは困難になっています。

学校教育と旧優生保護法

旧優生保護法が成立すると、その内容は学校の教科書でも教えられるようになります。 

「国民優生の目的を達するためには、優秀な人々の生活が国家的に保護されて、その人口が増加するような対策が講ぜられねばならない。それと同時に、素質の劣悪な人々に対しては、できるかぎり優生保護法の名において、受胎出産を禁止することが望ましい」(昭和34年 高等保健体育 改訂版) 

「遺伝性の病気、たとえば遺伝性の精神薄弱、精神病などが家庭の中に見られる場合には、こどもにそのような因子を伝えるおそれがあるので、優生保護法によって、子どもを産まないようにすることが望ましい」(昭和48年 家庭科) 

教育を通じて、「障害や病気がある人は子どもを持つべきではない」という優生思想は強化され、社会の中に浸透していきました。

国賠訴訟の提起と一時金支給法

1996年に優生保護法はようやく改正され、名称は「母体保護法」に変わり、障害者への強制不妊手術など、優生思想を背景とした条文は削除されました。しかし実態調査や補償の議論などは行われず、被害を受けた人の問題は放置されました。 

 1997年頃から一部の被害者が、国や自治体に対して謝罪と補償、実態解明を求めて声を上げ始めました。しかしいずれも、「記録が残っていない」「当時は合法だったため」などとして、応じられませんでした。 

 国家賠償訴訟の提起

2018年、宮城県の知的障害がある60代女性の手術記録が見つかったことをきっかけに、旧優生保護法による強制不妊手術が憲法違反であるとして、国に賠償を求める訴訟が、初めて仙台地裁で受理されました。このニュースは全国で大きく報じられ、忘れられかけていた旧優生保護法の問題が、ふたたびクローズアップされるきっかけになりました。支援団体や弁護士会による相談会が全国で開かれ、障害者団体による被害者の掘り起こしなども行われます。その結果、2024年3月までに、39人の被害者が、国に謝罪と賠償を求める裁判を提訴しています。 

 一時金支給法の制定

こうした動きを受けて、国は2019年に、被害者に対して320万円の一時金を支給する法律を制定しました。この法律では、旧優生保護法に基づく不妊手術を受けさせられた人だけでなく、身体障害者に対する子宮摘出など、法を逸脱した手術の被害者も対象にしています。2024年2月までに1303人が申請し、そのうち1094人が被害を認められて一時金の支給を受けました。 

しかし2万5000人以上と考えられる被害者数に対して、申請する人が少なすぎるという声も上がっています。その要因としては 

・強制不妊手術のピークは1950年代~60年代であり、あまりに時間が経ちすぎたこと 
・手術を受けたときにきちんとした説明がされておらず、自分が受けた手術が優生保護法による不妊手術だとわかっていないケースも多いこと 
・知的障害や精神障害がある被害者が多く、自ら声を上げることが困難なこと 

などがあると言われています。 

また、一時金の金額が、子どもを持つ権利を奪われるという重大な人権侵害に比べて低すぎる、という意見や、前文に書かれた「我々は、それぞれの立場において、真摯に反省し、こころから深くお詫びする」という文章の意味が曖昧であるといった批判もあり、法改正をめぐる議論は今も続いています。 

裁判の経過と論点

全国で提起されている国賠訴訟では、2024年3月までに18の地裁・高裁で判決が下されました。主な論点は 

1.旧優生保護法による、障害を理由とした不妊手術は憲法違反かどうか 
2.「20年以上昔の出来事は、請求権が消滅する」という法律上の規定(除斥期間)を適用するかどうか 

の2点です。 

裁判所の判断は分かれていますが、これまで出された8件の高裁判決をみると、①の点については、8件全てが「違憲だった」と認定しています。②の「除斥期間」については、6件が適用を認めず、国に賠償責任があるとしています。 

現在(2024年3月)は原告、被告の双方が上告していて、最高裁での審理が続いています。判決は2024年の夏までには出される見込みです。 

原告の多くは70代以上と高齢化が進んでいて、手術の後遺症による体調不良を抱えている人もいます。すでに39人の原告のうち、6人が亡くなりました。10代~20代で不妊手術を受けさせられ、人生の長い時間を苦しみを抱えて生きてきた被害者のために、早期の全面的な解決が求められています。

相談窓口/支援団体/サービスなど

「障害と法律・制度」のページをご覧ください。