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広瀬香美さんからあなたへのエール

記事公開日:2020年10月21日

日本を代表する歌手・広瀬香美さん。自身の音楽配信チャンネルで今年3月から始めた、自分以外の楽曲を演奏する『歌ってみた』が大人気です。いつものように楽器に向かっていた広瀬さんが突然語り始めたのは、10代の頃のつらい思い出。動画のコメント欄には多くの共感が集まりました。そのことによって自身も励まされたという広瀬さんが、寄せられた悩みにこたえます。

苦しさを誰にも言わず、内に留める日々

広瀬香美さんは10代の頃、音などに対する際だった感受性があることでいじめられ、それでも懸命に通学を続ける苦しい日々を過ごしました。音楽を通して自身を切り開いていった広瀬さんはいま、自分の体験を明かしたことで、若い世代の生きづらさに寄り添う思いを強くしています。
NHKに寄せられたおたよりに、広瀬さんが向き合いました。

私は 見えなくてもいいことが見えてしまったり(幽霊とかではなくて相手が思っていることなど)、話している人の感情が勝手に自分の中に入ってきたりして長い間 苦しんでいます。でも、学校や友達が嫌いというわけではないので休むことなく学校に通っています。自分で言うのはなんですが、私の取り柄は明るくていつも笑っているところです。だから、みんなには悩みがなくていいなとかポジティブでいいななどと言われます。実際はそんなことないのに…。みんなが嫌な気持ちになるとそれが見えてしまうから みんなを笑顔にしようと頑張ってしまうのです。親友でもこの「見える」を理解するのは難しいらしく、自分の中に留めておくのが一番だなと思ってそうしてきました。
叱られるときは、叱ってくれる人の感情が一気に自分の中に入り込んできて自分の感情とその人の感情の区別ができなくなり、心の中でパニックを起こします。声が出なくなるし、呼吸も乱れて、涙が溢れてしまいます。母は叱っているときに泣かれるのが大っ嫌いなので、私にとって叱られるときは地獄の時間です。そんな姿をあまり見せたくなくて、学校ではあまり叱られないように気をつけています。

にゃんにゃん(17)栃木

広瀬:もう自分みたい。人の迷惑にならないように、親に心配かけないように、って自分でためこんで具合悪くなっちゃう。まさしく私だ!いやもうめちゃ分かります。特に親に対して。具合が悪いときは悪いと表現できていたけれど、学校でうまくいってないことはなるべく隠してました。学校に行くフリをして。気を遣ってたので。親に心配かけないようにとか、明るく何事もないようにふるまうっていうのは、私もやっていました。
みんな隠しますよね。ちゃんとは分かってもらえないって気持ちの人もいるでしょうし、言っても心配かけちゃうし根本的な問題は解決しないから言っても仕方ない、だから言わないでおこうっていう気持ちもあるでしょうね。

──自分の悩み事を周りに言っても理解されないから、自分の中にずっととどめてきたという考え方をどう思いますか?

広瀬:正しいと思う。私もそうだったもん。それでコトは解決しないんだけど、それが精一杯なんだよね。わかる。

──広瀬さんの動画を見て感動してメッセージを寄せてくれた人は多いですが、10代からも投稿がありました。

広瀬:すごく嬉しい。私が発信することによってみなさんが楽しい気持ちになれたり、ほっとできたり、「こういう先輩もいるんだ」って思えたり、「人生捨てたもんじゃないか」とか、一瞬でもそんな風な気持ちになれてたらすっごく嬉しい。みなさんにお話しすることで、私の経験、私のつらかった時期が生きるね。みなさんのメッセージが私を癒やしてくれる。

──YouTubeで動画配信を始めたときは、こうなると予想していましたか?

広瀬:思いませんねえ。全然、全く思わなかった。

──YouTubeのコメント欄が、ある意味、交流の場になっていますね。

広瀬:ね。類は友を呼ぶっていうか。最近は視聴者から学ぶことも多くて。あの頃の私を振り返ってみたら、みなさんへはどんなアドバイスも私からは無理。「そのままでも、何十年か生きてたら、私はこうなれましたんで」っていうことが、励みになる人には励みにしてもらったらいいし、ほっとするんだったらほっとするということでいいし。あの動画を出して以降、同じ傷を持った人たちからのコメントがますます増えているけれど、それは私が「(つらさを)打開しよう」とは言わないからなんじゃないかなと、自分の中では分析してるんですけど。

悩みを言えない人たちの代弁者に

私は小学校5・6年の頃ぐらいからクラスの人たちから避けられるようになりました。
それまではごく普通に学校生活を送っていましたが、その日は突然訪れました。
汚いもの扱いされたり、陰で笑われたり…なぜそんなことになってしまったのか分かりませんでしたが、友達も自然といなくなっていきました。 中学生になってもその環境は変わらず、教室で1人ぼっちの日々でした。 私が休み時間に教室から戻ると鍵がかけられていて入れなかったり、筆箱を投げられたり…ドラマみたいなひどいことはなかったですが、それでも精神的に苦しくて。
だけど、親にバレたくなかったし私は休まず学校に通い続けました。
死にたいって何度も思ったけど、そんな勇気はなくて。
中学を卒業して高校生になり、相変わらずクラスでは一人ぼっちでしたが、部活動を通して友達もできました。
大人になった今、過去のことを思い出してみてもやっぱりあの時は辛かったなと思いますが、あの時耐え抜いてよかったなと、生きていてよかったなと思います。
歌うことが大好きだったので、中学でコーラス部に入部して。部員数がとても少なかったので、唯一そこが逃げ場でした。死ぬことを考えたときは常に頭の中に両親が浮かんで、迷惑かけるのはよくないなと思ってました。
いじめの話題を耳にするときや、ニュース等を見聞きするときにふと(いじめられていた過去を)思い出してしまうことはあります。
過去のことではあるので、ずっとそのことを思い出して何も手につかないといったことはないですが、あのとき自分がもっと立ち向かえてたら何か変わってたかな…とか考えることはあります。

としちゃん(28)大阪

広瀬:陰で笑われて、いじめられて、声もかけてもらえなかったり、ひとりぼっちで孤立していたと私も思っていました。鍵をかけられて部室みたいなところに閉じ込められたり、靴がプールに浮いていたり。私はよく学校を休んだので、腐った食パンが机の中に入ってたり、給食の中身が入ってたり。けっこうくさかった。子どもってビジュアル的におもしろいいじめをやるものなんですかね? つらいもんね。一生忘れないんだけどね。子どもの時って、そういういじめをやっちゃうんですよね。

──としちゃんさんは、あの当時いじめに立ち向かえたらなにか変わってたのか、思い悩むこともあったと書いていますね。

広瀬:うーん。さっきも言ったけど、こういう時って解決できないんだよね。解決できる力がないから、死んじゃいたいと思い悩むんだよね。あのとき軽い気持ちで学校に行けてたらって私も思うけど、そんなことできてたらね・・・。できなかったんだよね。精一杯、精一杯やったんだもん。 私の場合はこうやって発信することで癒えてますね。発信することによってみなさんの話も聞くことができて、いま同じ悩みを抱えているみなさんとか、過去に悩みがあった人の話を聞いて、自分と照らし合わせて、当時はどうしようもなかったよなとか、一生懸命頑張っていたもんとか、考えれば考えるほど自分が癒えていく。
みなさんも、自分のペースで発信できるなら発信すればいいし、思い悩んでいる子がいて手助けしたかったら「私もそうだったよ」って言ってあげることがいいことだし。SNSでも、わかるよってひと言言ってあげるだけでいいかもしれない。話をすることによって今からでも癒えることがあるというのが、自分のYouTube投稿で学ぶことの大きかった点です。

──発信することに向いてない方でも、なにか明確な出来事があれば、自分は救われたなって思えるんでしょうか。

広瀬:私思ったんだけどね、代弁者として私みたいに喋れる力を持てた人は、「私はこうで」と喋ってあげることによって、発信できない人たちの代弁者になれるかなって。そういう人たちのために、私は喋りまくろうかなって。「自分だけの特殊なこと」とか、「まあ多少はいるだろうけど・・・」とか思っていた人たちが、実は「こんなにたくさんの人たちが自分と同じじゃーん」ってなるんだったら、私はいま表現する力があるから、かわりに喋ります。そういう動画を見ることによって、自分が喋らなくても、「あ、広瀬さん喋ってくれてるわ」って少しは癒やされる、そういう役立ち方もあるかもしれない。

同じつらさを抱く「仲間」とともに

思えば、普通になれずに馴染めずにいた学生時代。
無理に斜に構えて何層もの殻で心を包み込んでいました。
普通ってなんでしょう。ならなければいけないものでしょうか。
私は何者になるために今ここで皆んなと同じを求められているのでしょう。
そんなことを思いながら部屋に篭り切っていました。
別段友達がいなかったわけでも、勉強についていけなかった訳でも有りませんでした。
仲良くも無い保護者に、どうして虐められている訳でもないのに引きこもっているの?なんて聞かれたこともありました。
その当時は、それが私が出来る社会への唯一の反抗だったんだと今なら伝えられる気がします。

周りと足並みを揃えて生きていけないのであれば、天才と呼ばれなければならない。
そんな勝手な風潮が私をどんどんと追い詰めて、どこへ行っても何をしていても、何者にもなれない私でごめんなさい。という気持ちを常に持っていたように思います。

そんな自分を誤魔化しながらどうにか25歳を迎えようとしています。
引きこもっていた中学生の卒業文集に、何を頑張るかと問われて書いたのが、呼吸をし続けることでした。
何にしたって生きているんだからいいだろうと。
四半世紀もどうにか呼吸だけは忘れずに頑張れたと思います。

当時嫌っていたような大人になってしまっているのではないかと、怯えたりもしますが、大事なものを大事に見つめようと思えるようになってきました。

たまに嫌気が差すことがあります。
幼い頃からある希死念慮が拭いきれずにフワフワと誤魔化して生きていくしかない時があります。

そんな時、もしそれも吹き飛ばしてくれそうな広瀬さんの曲があればという期待があり、メッセージを送らせていただきました。
勿論沢山救われたことへの感謝もあります。

本当に辛い時に聴く音楽の力は凄まじいものがあります。
一生の宝物になります。
そんなものが産まれてくれたらどんなに素敵だろうと思ったのです。

録(24)神奈川

広瀬:共感しかないですね。私も、天才って変人みたいな扱いされるんじゃないかと思って、その変さをアピールするのは恥ずかしいことだと思っていた部分もあるし、録さんのように普通に生きなきゃいけないけどハマらないという部分も、すごくわかります。特に私は海外がけっこう長いので、日本のいい部分でもあり弱点でもあるけど、違いに敏感でちょっとでも違ったらすごく生きにくくなっちゃうというのはすごくわかる。だから録さんは、世界規模で見たら“普通”の中に入ってるんだけど、日本で生きようとすると少しはみ出るのかもしれないね。海外、アメリカに住んでいると、すごい大胆な生き方もあんまりとがめられない世界っていうのがあるから。この気持ちはすごく分かりますね。日本はそういう人たちはすごく生きにくいよね。

──録さんは広瀬さんの動画に救われたとおっしゃる一方で、時々自分が情けなく、みんなと違うという思いを一生抱えていかなきゃいけないとも言われています。救われた気持ちと、これからも救われない気持ちが両方ある心の状態は、ご自分と重なるところがありますか?

広瀬:うん。デビューする前なんかは、そういう状況だったんじゃないかなって思う。わかってるんだけどできない、みたいな。どれだけ私が癒えても、癒えて癒えて癒えてってなっても、完全には払拭できない自分の問題はあると思いますね。

──過去のつらかった出来事を、時間が経ってすべてプラスに捉えられるようになるのは、“正しい”のでしょうか。

広瀬:無理矢理(プラスに)しなくたっていいよね。してもいいし、しなくてもいい。それぞれのタイミングがあると思うから。心構えができたら扉を開けようとするし、自分のペースで。
いま情報もたくさんありますし、同じ傷をもった人に出会おうと思ったらこうやって出会うことができる。だから自分のペースで、さらに自分のチョイスで。

──録さんは、一生抱えていく覚悟のある薄暗い感情があるって告白してくださったんですけど、「その薄暗い感情さえも吹き飛ばすような広瀬さんの曲があればという期待があって」というメッセージもくださいました。

広瀬:一曲で吹き飛ばせるくらい力のある曲を書けたらいいんですけどね、私が。そんな自信はないですけれど、例えば、恋に破れてその曲を聴いたら「そうなのよありがと~」って。音楽家っていうのは、そういう役立ち方もあるんで。私はいままで自分がこういう境遇でしたって告白しなかったから、大々的にそういうことがテーマの楽曲を書いていませんでしたけど、「広瀬さんって元そういう経験をした人」っていうのがわかっている最近なので、そういうことをテーマに書くことができて、その楽曲を聞いてみなさんがほっとできたら、さらによくそういう楽曲を書き続けられるようになりたいなとは思います。私の新しい音楽家の挑戦科目だなとは思いますね。

広瀬:おんなじ仲間はたくさんいるということを私は知らなかった。情報がなかったから。探さなかったから。いまは探さなくても情報ってあふれていて、みんなは仲間がたくさんいるっていうことを知ってる。いま苦しんでいる人もいるだろうし、ちょっと前に苦しみが終わって社会生活を頑張っている人もいるだろうし、私みたいにうーんと昔にそんなことがあってだいぶん人生が進んでいる人もいるからね。一定の層として、派閥的にわれわれはいます。われわれ派閥はいますので、それをどう捉えるかですね。私がみんなの励みになればいいなと思いながら、これからの音楽活動をみんながさらに支えてくれていると思いながら、没頭できればいいなと思います。

──最後に一つだけ。それぞれの人がいつか救われる日がくると思いますか?

広瀬:救われる日は来ますって言いたいけど、約束はできない。そのままかもしれない。救われちゃう出来事や出会いがあるかもしれない。もし動いてみる体力や気力があって、1ミリでも動いてみると、変わることもある。でも動けない体力、気力の人もいるから。状況や機会がやってくるのを待つっていうのは奇跡的なこと。だから自分がちょっとでも動く方が、何倍も何百倍も人生を好転させるチャンスは大きくなると思う。だけどなかなかできないし、それに気づかないよっていうのもわかる。ずっと私は言い続けるんで、もしひっかかったら、ちょっとアルバイト変えてみようかなとか、学校変えてみようかなとか、タイミングが合えば私が役に立つことはあるのかなと思います。
派閥のリーダーとして、そこそこリーダーとして頑張っていこうと思います。

※この記事はNHK福岡 地域特集番組 2020年9月4日放送「ロマンスの神様が贈る あなたへのエール」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

ハートネットTV「ロマンスの神様が贈る あなたへのエール」は、10月27日(火)夜8時 Eテレで放送です。くわしくはこちら。

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