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【特集】相模原事件から4年(3)“ともに暮らす”は実現できるか?

記事公開日:2020年10月20日

※この記事は2020年10月7日放送の番組を基に作成しました。
相模原の障害者殺傷事件から4年あまり。事件のあと、神奈川県は「ともに生きる社会かながわ憲章」を定め、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現するとしてきました。しかし、多くの当事者家族が口にするのが「行き場がない」という言葉です。「ともに暮らす社会」はどうすれば実現できるのか。番組に寄せられた声も交えながら考えました。

重度障害者の暮らしに“選択肢”はあるか

この夏、事件のあった「津久井やまゆり園」を出て、新たな生活に踏み出した元入所者の尾野一矢さん(記事「【特集】相模原事件から4年(1)“パーソナル”な暮らしをつくる」参照)。長い間、息子が施設でしか暮らせないと思ってきた両親の考えを変えるきっかけになったのが、2019年に公開されたドキュメンタリー映画「道草」です。

重い知的障害のある人たちが重度訪問介護(※1)という福祉サービスを利用して、ヘルパーの支援を受けながら街中で1人暮らしをする様子が描かれています。

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映画「道草」の1シーン

監督の宍戸大裕さんは、これまで障害のある人の暮らしをテーマにした作品を多数制作してきました。「道草」を撮ろうと思った理由について、次のように話します。

画像(映画監督 宍戸大裕さん)

「知的障害のある方が100人ほど暮らしている入所施設で1年半余り映画を撮らせてもらっていたことがあるんですけど、そこでは自傷行為とか他害行為とかあるような方が少なくなくて。本人も困っているし、周りの親御さんとか支援者の方も悩みながら関わってる姿を見ていて、どうしてなのかなと悩みながら撮影してたんです。そんな時に『重度訪問介護っていう制度を使って地域で介助者と一緒に生活をしている人が、少ないけどいるんだよ』って話を聞いて。実際に現場に行ってみたら、もう本当に笑顔がたくさんあって。『え?この人、障害重いの?』って思っちゃうくらいでしたね。親元にいた時とか入所施設で大変な状況にあった人が、暮らしの場を変えてみたらこんなに楽しそうにしているっていうのを知って、もう感激っていうか驚きというか、これ新しい可能性だなと。『ここにもうひとつの選択肢があった』と思いましたね」(宍戸さん)

しかし、こうした暮らしを選択している人は、極めて少ないのが現状です。自立生活センター東大和理事長で、障害者の地域生活の相談支援を行っている海老原宏美さんは、自らの経験をもとに、重い知的障害のある人が暮らしの場を選ぶことの難しさを指摘します。

画像(自立支援センター東大和理事長 海老原宏美さん)

「実は私、宍戸さんが映画を撮っていた入所施設のオンブズパーソンを3~4年やらせていただいていたんですけれど、その中には『地域に出たい、外に出たい』っていう利用者さんたちがたくさんいたんです。それで、職員の方に、『今は制度がいろいろ整って、重度訪問介護を使えばそういう方たちは出られますよ』っていうことを伝えたんですけど、『金銭管理が難しいから』とか『外に出ちゃうと健康管理が…』とか『自傷他害があるから』みたいな、できない理由探しをたくさんされてしまって。保護者の方にも情報が伝わらないし、ご本人にもその可能性は伝わらないというような経験をずっとしたんですよね。そうした環境があるので、すごく難しいです」(海老原さん)

かつては入所施設が中心だった障害者の暮らしの場。その後、欧米から持ち込まれた考え方や、国の障害者施策の転換により、今では地域での暮らしに力が入れられるようになりました(記事「【特集】相模原事件から4年(2)多様な選択肢を増やしていくために」参照)。しかし、番組には、親の立場からこんな声も届きました。

選択肢のひとつに施設があってもいいと思います。親として、自分亡き後、子どもの問題行動によって賃借契約を断られたり、グループホームに住めなくなる心配をするより、わが子の特性を受け入れてくれる施設で安定して過ごすことを選択する親もいることを取り上げていただきたいです。
みやさん(神奈川県 女性 50代)

みんなの声「相模原事件から4年 重い障害のある人と“ともに生きる”ために」より)

「施設か地域か」。相模原事件の後も繰り返し議論されたこの点について、海老原さんは根本的な問題を指摘します。

「こういう親御さんたちは本当に多いのが現実です。『とにかく地域は安心できない』『唯一、安心して信頼できるのは施設だ』っておっしゃる方は、本当にたくさんいらっしゃるんですよね。実際に、パニックを起こすとか、大声を出す、自己管理ができないということでアパートを貸してもらえなかったりだとか、地域で支える人手が足りないとか、地域住民の理解がないとか。あとは、必要なサービス量を支給決定してもらえない、行政の理解が無いというようなこともあって、自由な生活ができない。だから、本当はこっち(地域)がいいかもしれないけれど、施設を選ばざるを得ない人もいると思うんです。まずは地域の体制とか社会の体制、受け入れ体制というのをちゃんと整えていくっていうことを、もっとやっていかなきゃいけないと思います」(海老原さん)

「施設か地域か」という場所の問題だけではなく、そもそも重い知的障害のある人たちが自分の意思で暮らしの場を選ぶという発想が無かったのではないか。文学などを通した障害者の自己表現や障害者運動の歴史に詳しい二松學舍大学准教授の荒井裕樹さんは、次のように分析します。

画像(二松學舎大学 准教授 荒井裕樹さん)

「この社会は、これまで重い知的障害のある人たちのことを、『個別のニーズを持たない人』とか『明確な意思のない人』として見なしてきたのではないでしょうか。それは、私たちが一方的に健常者のペースとかやり方というもので考えすぎてきたからだと思うんですね。重度の方の意思というのは、表れ方とか伝え方というものが、私たちが通常考えるものとは異なる場合があります。はっきりした明確な形で表れなかったり、サインを読み取ることに時間や信頼関係が必要になったりすることもあります。なので、意思疎通のためには、その人の意思の表れ方に即した丁寧な対応が必要だと思うんですね。そうした対応を欠いたまま、重度の人には個別の意思とかニーズがないとは言いきれないと思うんです」(荒井さん)

さらに荒井さんは、意思の表出や選択をするためには「経験」が必要だとも指摘します。

「そもそも人が何かをしたいと思ったり、こうありたいという意思を抱くためには、経験とか選択肢というものが必要ですよね。たとえば『今日は何を食べたいか』といった単純なこと1つ考えてみても、いろんなものを食べたことがあるという経験が必要ですし、何かと何かを比較するという選択肢が必要になるはずなんですよね。重い障害のある人たちに対して、そうした経験とか選択肢というものを、この社会は用意してきたかどうか。そういったことを一度立ち止まって考える必要があると思います」(荒井さん)

(※1)障害者総合支援法に基づくサービスの一つ。重い障害のある人に長時間ヘルパーが付き添い、家事援助や身体介護、移動支援など、さまざまなサポートを一括で行う。

“障害のある人を理解する”とは?

重い障害のある人たちの暮らしの“選択肢”が限られている現状。それは、社会が彼らの存在を受け入れていないことにも原因があるのではないでしょうか。

例えば、障害者のグループホーム建設に対する住民の反対。こうした声は、全国的にも珍しくないと海老原さんは話します。

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知的障害者グループホーム建設に反対する住民が掲げた看板の写真 2016年撮影

「本当に頻繁にそういう話を聞きます。理由が、『その土地の地価が下がる』とかって言われたり、『犯罪率が上がるんじゃないか』とか、『日がな一日騒音が立つんじゃないか』とか。本当はそんなことないのに、根拠のない先入観だとか、漠然としたイメージや不安だけで反発してるっていう人が、結構いるんじゃないかなという気がします」(海老原さん)

宍戸さんも、映画の撮影を通して、周囲の人たちの反応に複雑な思いを抱いたことがあったと語ります。

「映画に出てくる登場人物が電車の中で大声を出しちゃうことがあって。なかなか止まらなくて、周りの人たちが車両から去っていくとか。僕自身も正直戸惑って、この場に居合わせていることが本当にしんどくなることってのはあったんですね。だから、目の前を去って行く乗客の人たちを見ながら、気持ちはわかるな…と。でも、だからといって、『ここに自分たちがいること』までも否定されたくない。排除されたら行先がないので。『どこに行けばいいの、どこに行ったら自分たちはいいの』って…いろんな戸惑いがありました」(宍戸さん)

番組にも、周囲との関係に戸惑う親からの声が寄せられています。

重度知的障害を伴う自閉症の5歳の息子がいます。外出先で白い目で見られることは多々あります。かんしゃくやパニックを起こすかもしれない。だけど障害ゆえにそうなることを理解していただきたいです。私が死んでも息子を外に連れて行ってくれる人はいるのでしょうか? 不安でなりません。
たっくんママさん(広島県 女性 40代)

重度知的障害と自閉症の成人した子どもがいます。大声を出すことのないように、いつも気を遣っています。友人の子どもさんは近所からの騒音の苦情でグループホームから帰されました。この子たちは山奥の施設でないと暮らせないのじゃないかと絶望します。
ぽんちさん(大阪府 女性 50代)

みんなの声「相模原事件から4年 重い障害のある人と“ともに生きる”ために」より)

重い障害のある人への理解が進まない現実。どう変えていけばいいのでしょうか。

「やっぱり、本人たちと出会って、関わってみるっていうことかなと思うんですね。本人たちを知らないから、『なんとなく噂で聞いた』とか、『ニュースで見た』とか、『こういう話聞いたことある』みたいなものが、どんどん大きく膨れ上がってしまうのかなって思うんです。『障害者』とか『知的障害者』とか、私であれば『人工呼吸器ユーザー』っていう属性で、人を塊(かたまり)として見るんじゃなくて、その人その人がどんな人か、っていうことを知っていくことがすごく大事だと思います」(海老原さん)

障害のある人は「障害者」である前に「その人個人」だと指摘する海老原さん。実は、以前に宍戸さんが制作した映画に出演したことがあります。人工呼吸器ユーザーの暮らしを描いた作品『風は生きよという』(2015年)です。当時の経験も交えながら、「障害者を理解する」ことについて、2人は次のように語ってくれました。

画像(「障害者を理解する」ことについて語る宍戸さんと海老原さん)

「宍戸さんは、あれを撮ったからって、人工呼吸器ユーザーのことが全部分かったとは言えないでしょう?」(海老原さん)

「とても言えないですよね、全く知らないままですよ。一人一人がやっぱり違いますし。属性は分からないんだけど、海老原さんのことは分かってくる。ストローで日本酒飲むとか(笑) 同じように、『道草』に出てきた登場人物の一人一人は分かってくるけど、“障害のある人”っていう人を分かったわけではないんです」(宍戸さん)

「だから『重度障害者を理解してください』みたいな言い方ではなく、『私を知ってください』『あなたのことを教えてください』っていう関係が正しいのかなと思うんですよね。そこに、どうやったら持って行けるのかなということだと思います」(海老原さん)

一つ一つの“言葉”を立ち止まって考える

障害のある人と「地域でともに生きる」という言葉が言われて久しいものの、いまだに変わらない現状をどう見ればよいのか。荒井さんは、障害者運動の歴史を紐解きながら、一つ一つの言葉を立ち止まって考えるべきではないかと指摘します。

画像(荒井さん)

「いま“地域”っていう言葉を、一回考え直す時期なんじゃないかと思っているんですね。そもそも“地域”っていう名前の地域って存在しないんです。では、地域というのは具体的にどこのことなのか。障害者が、親元でもなく、施設でもなく、街中で生きていきたいんだという風に訴え始めたのがちょうど半世紀前なんです。当時、障害者たちが使っていた地域という言葉を検討してみると、明確にこれは“隣近所”のことなんです。隣の家の子どもと同じ学校に行きたいとか、家の前を走るバスに乗って買い物に行きたいとか、そういう意味合いで使われていました。隣近所という言葉には生活実感に根ざしたリアリティ、ある種の生々しさがありますよね。つまり、家の近所で障害者が困っている場面に出くわしたら、そのとき、その場に居合わせた人が、その時々で手を貸すような関係性ですね。臨時の介助者になるような関係性。かつて、障害者運動をやっていた人たちの中には、そういう関係性を求めた人たちがいるんです。そうした過去の活動なども振り返りながら、この“地域”という言葉をもう1回捉え直す。そして“隣近所”という感覚で障害者とともに生きていくことを、もう1回考え直すことが必要だと考えています」(荒井さん)

一方で、社会に蔓延する価値観が、「ともに生きる」ことを難しくしているという意見も届いています。

人を「役に立つ・立たない」「使える・使えない」で振り分ける価値観は、社会のありとあらゆるところに巣くっています。私たちもひとたび重い病気になれば「役に立たない人」「使えない人」になります。私は、がんになってまさしくそうなりました。1人1人が心の中に潜んでいるこのような価値観に気づくことも大切だと思います。
マンタさん(静岡県 女性 60代)

みんなの声「相模原事件から4年 重い障害のある人と“ともに生きる”ために」より)

荒井さんは、こうした「役に立つ・立たない」と分けてとらえようとする価値観に対しても、いったん立ち止まって考えてほしいと呼びかけます。

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宍戸大裕さん・海老原宏美さん・荒井裕樹さん

「相模原事件のあとに、実行犯の言葉に同調するかのような形で、『社会の役に立たない障害者に生きる意味があるのか』というような心ないSNSの言葉なども見られました。一見、ちょっと問いかけに見える言葉ですが、これは大変危険だと思うんです。障害者に生きる意味はあるのかという問いが、問われた側に“障害者の生きる意味”の説明責任を押し付けているからです。それにまともに答えようとして、もし相手が納得いく答えが示せなかったら、じゃあ、その人は生きる意味が存在しないことになるのかと。逆に誰かの生きる意味を論理的に否定できたら、その人の生きる意味を奪ってしまっていいのかと。こうした問いは、自分の心の中で悩んだりとか、親しい人と分かち合うぶんにはいいと思いますが、第三者からその説明責任を押し付けられるのはやっぱり違うだろうと。そうしたものは端的に言って暴力だと思うんですね。なので、その問い自体を問い返していくような考え方が必要かなと思います」(荒井さん)

生きることが「役に立つか・立たないか」。宍戸さんからは最後に、自らのそうした価値観を、障害のある人たちとの出会いが吹き飛ばしてくれた経験が語られました。

「『役に立たない、立つ』って、自分自身も学生時代とかは、普通に就職して働いて食べていけないと生きる場所はないと思っていたんです。だけど、障害者の人たちと出会って、とっても救われたというか、あぁ、生きていけるんだというか。普段は、なんか抑圧されてて、生きる価値、役に立つ、立たないだのっていうよくわからないものが正面に出てきて、いつもの苦しい、窓が閉じたような世界の中で暮らしているような感じなんですけど、彼らといるとすごく窓が開いて、空気が入ってくるような感じ。作られた空気を、なんかこう弾き飛ばしてくれるエネルギーというか、人間の持っている元々の力というか、生き物の力だなと思う。彼らが本当に僕をしなやかにさせてくれたっていう、それが本当に喜びだったんですよね」(宍戸さん)

重い障害のある人と「ともに暮らす社会」を考える。それは、誰もが生きやすい社会について考えることにも繋がっていくのではないでしょうか。

【特集】相模原事件から4年
(1)“パーソナル”な暮らしをつくる
(2)多様な選択肢を増やしていくために
(3)“ともに暮らす”は実現できるか? ←今回の記事

※この記事はハートネットTV 2020年10月7日(水曜)放送 相模原事件から4年(2)「“ともに暮らす”は実現できるか?」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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