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優生思想と向き合う 戦時ドイツと現代の日本(1) 繰り返される命の選別

記事公開日:2020年09月17日

命に優劣をつけ選別する「優生思想」。20世紀初頭に欧米諸国で盛んになり、戦時下のドイツでは、障害のある人に対し「断種法」に基づく強制的な不妊手術や、「T4作戦」と呼ばれる計画的な大量殺りくが行われていました。当時の日本でも、そうした影響を受けて旧優生保護法が作られ、今でも暗い影を落としています。繰り返されてきた命の選別を終わらせることはできるのでしょうか。再び過ちを犯さないためにも、ドイツの歴史から考えます。

多くの人たちを苦しめた旧優生保護法

この夏、旧優生保護法で不妊手術を強制された女性が国に賠償を求める裁判を起こしました。武藤千重子さんは視覚に障害があり、40年以上前に子どもを産む権利を奪われたのです。

「私は3人目の子どもが欲しかったのです。でもダメだと。生む権利もなかったことにすごく腹が立ちます。目が悪いことは人間として全部ダメとマイナスと思われているので。私には逃げ場がなかったのかもしれません」(武藤さん)

旧優生保護法の背景にあったのが“優生思想”です。自らも視覚障害がある日本障害者協議会代表の藤井克徳さんは半世紀に渡り、障害者の人権問題に取り組んできました。旧優生保護法を巡る裁判にも強い関心を抱いています。

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藤井克徳さん

「優生思想の多くの被害者は障害者であったり、時には後期高齢者です。全般的にものを主張しにくい、自分で意見を言いにくい人たちが被害者なんですね」(藤井さん)

命に優劣をつけ、弱い者は切り捨ててよいとする“優生思想”の考え方は、今もさまざまな場面で議論を呼んでいます。

「新型コロナウイルスでいうと、限られた医療資源、人工呼吸器や人工心肺装置を使う順番を巡って、障害者あるいは後期高齢者は後回しという(海外での議論)。これなどは、まさに優生思想的な考え方に基づく現象です」(藤井さん)

法律として形になった優生思想

決して過去のものとは言えない優生思想に、私たちはどう向き合っていけばよいのでしょうか。

その手掛かりを求めて、藤井さんは5年前にドイツ中西部の町、ハダマーを訪れました。ここにある精神科病院では、ナチス政権の下で障害のある人の殺害が繰り返されたといいます。シャワー室に見せかけたガス室で多い時で毎日120人が殺され、その多くが自分の意思を主張しづらい精神障害者や知的障害者でした。

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実際に使用されたガス室

命を救うはずの病院が殺りくの舞台となった背景には、20世紀初頭に欧米諸国で盛んになった“優生学”があります。遺伝的に優秀とされる人間だけを残そうとする学問です。歴史家のハンス=ヴァルター・シュムールさんは、医師たちの間で社会の発展を理由に優生思想が広まっていたといいます。

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歴史家のシュムールさん

「ある種の理想主義でした。社会をうまく操作すれば、健康な社会が作れるという幻想です。『国民全体を健康にするためには患者は殺してもいい』という考えが浸透していったのです」(シュムールさん)

この優生学を政治に持ち込んだのがアドルフ・ヒトラーです。ドイツ民族は精神・肉体とも遺伝的に優れていると主張していたヒトラーは、その著作で優生思想への傾倒をはっきりと記しています。

「肉体的にも精神的にも不健康で無価値な者は、子孫の体にその苦悩を引き継がせてはならない」(ヒトラー著『我が闘争』より)

画像(アドルフ・ヒトラー)

そしてナチスが政権をとると、その思想が法律として結実します。「遺伝病の子孫の出生を予防する法律」、通称「断種法」です。当時、遺伝すると思われていた知的障害や精神障害などのある人は、不妊手術を受けなければならないとされたのです。

子どもを産む権利を奪い取られた断種法の犠牲者たちは、どのような扱いを受けたのでしょうか。

プファッフェンハウゼン視覚障害者施設には、断種法ができた当時の資料があります。かつて施設には視覚障害者が暮らしており、その1人に届いた裁判所からの通知が残っていました。

「この人は遺伝的に健康でないので、施設の中に留まるか、断種を受けなければならない」(裁判所の通知より)

手術の対象者となっても、施設の外に出ないと約束すれば断種を免れました。生殖能力を諦めるか、家族と過ごすことを諦めるか、どちらを選択しても不幸となる決断を迫られたのです。

手術を強制された数は、ドイツ全土で40万人とも言われています。藤井さんはこの断種法が、日本で問い直されている旧優生保護法に影響を与えたと指摘します。

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旧優生保護法

「時系列で見るのがポイントです。体系だった法律としては1933年制定のドイツの断種法。(日本では)1948年に旧優生保護法が出来上がった。日本は同盟国ということもあって、いろいろな法律がドイツから影響されている。医療関係法は典型ですが、断種法も例外ではありません」(藤井さん)

そして、旧優生保護法はさらに深刻な問題をはらんでいる藤井さんは考えます。

「日本とドイツの決定的な違いは、日本の旧優生保護法は新憲法下でできたことです。基本的人権が書かれた憲法の下で、人権を踏みにじる法律が出来上がった。戦後復興を理由にして、障害を持った人が邪魔であった。優生保護法には『優生上の見地から不良な子孫の出生の防止』と、こんな言葉が半世紀以上も流布されたわけです。つまり障害を持った人への見方、差別意識や偏見を国民にしみこませるには十分な期間だった。旧優生保護法を考える上で、新憲法下であったということは、もっと(議論を)深めるべきだと思います」(藤井さん)

戦争が拍車をかけた優生思想

断種法制定の3年後、1936年にベルリン・オリンピックが開催され、ヒトラーはドイツ民族の優秀さを国内外に誇示する機会として利用しました。国民の士気を高め、支持を集めることに成功した裏で、障害のある人の殺害計画が動き出すのです。

「病気の状態が深刻で、治療できない患者を安楽死させる権限を与える」(極秘命令書より)

この命令は、実行本部が後に首都・ベルリンのティアガルテン通り4番地に置かれたことから、「T4作戦」と呼ばれました。

まず、殺害の対象者を選ぶため、全国の病院や施設にいる患者に対して労働者として使えるかどうかを調査。この調査票をもとに本部の医師たちが「殺してもいい」と判断した場合は判定欄に印を書き込みました。

殺害の現場に選ばれたのは人目につきにくい、へんぴな場所にある病院や施設です。精神障害者や知的障害者、回復の見込みのないとされた疾病の患者な どが、連日バスに乗せられ運ばれていきました。患者は到着したその日にガス室に連れて行かれ、殺されたと考えられています。

ドイツ南部の町、ギーンゲンに住むヘルムート・バーデルさんは、父親のマーティンさんをT4作戦で殺されました。マーティンさんは、体が徐々に動かせなくなる難病、パーキンソン病だったといいます。

第二次世界大戦が始まる1年前、マーティンさんはかかりつけの医師に半ば強要されて入院します。治療が終わったら家に帰れると思っていましたが入院は長引き、マーティンさんは毎月のように家族へ手紙を送りました。

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マーティンさんが送り続けた手紙

残された最後の手紙には退院したいという切実な思いが込められています。

「私はどうしても40歳の誕生日は家で祝いたい」(マーティンさんの手紙より)

しかし、マーティンさんは40歳になれませんでした。実は、この頃すでにT4作戦が実行されていたのです。

手紙を送った3か月後、入院していたはずの病院ではなく、別の施設から一通の手紙が家族の元に届きます。それはマーティンさんの死亡を知らせる通知で、死因は「脳卒中」と書かれていました。

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ヘルムートさん

「あの日のことはよく覚えています。母から『お父さんが亡くなった』と知らされたのです。母は『突然亡くなるのはおかしい。何かが起きたに違いない』と市長に言いに行きました。しかし、市長は『そんなことは言わない方がいい。あなたの身が危険にさらされますよ』と答えたのです。それが父の最期でした」(ヘルムートさん)

T4作戦によって殺害されたドイツの障害のある人たちは7万人に及びました。藤井さんは、戦争が優生思想に拍車をかけたと考えます。

「優生思想は戦時中に台頭してくる。それは戦争にとって邪魔者ということなんですね。多くの障害者は税金によって生活をする。戦費を賄うためには余計な金は使いたくない。経済復興と戦時に向かっての準備で容赦しないのが、ヒトラー政権から見えてくると思います」(藤井さん)

過ちを繰り返さないために必要なこと

ナチス時代のドイツでは、国の政策として「価値がない」とされた命を切り捨ててきました。日本では同じ考え方が旧優生保護法を生み、戦後も人の命に優劣をつけ、当たり前の権利を奪ってきました。そのために今も苦しんでいる人がいます。“優生思想”は身近な問題なのです。

「厚労省の統計では、身体障害者、知的障害者、精神障害者などは人口の約7%を占めます。これに、弱視や難聴、発達障害、難病を加えると2割を超えてきます。ということは、(優生思想が引き起こす問題は)“私”か“私の身内”に関わってくる。人類が避けられない問題だという認識に立てるかどうかですね」(藤井さん)

今、ドイツではT4作戦の記録を一般に公開して、過ちの歴史を後世の人に伝えようとしているのです。藤井さんは、「歴史は繰り返す」ということを念頭に置いた取り組みが必要だと考えます。

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藤井克徳さん

「大事なことは、(優性思想の)兆しを、端緒を見る力、読む力ですね。もしかしたら今の世界は、何十年後かに『あの時が始まりだった』ということかもわからないのです。この兆しを読む力は、現代の人々にも問われている責任ではないかと思います」(藤井さん)

優生思想と向き合う 戦時ドイツと現代の日本
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※この記事はハートネットTV 2020年8月10日(月曜)放送「優生思想と向き合う 戦時ドイツと現代の日本(1)」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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