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【特集】がんと共に生きるAYA世代(4)子どもを巡る夫婦の選択

記事公開日:2019年09月10日

10代後半~30代のAYA世代(=Adolescent and Young Adult 思春期・若年成人期)のがん患者が直面する、「妊よう性(子どもを妊娠する・させる力)」の問題。がん治療や手術によって生殖機能にダメージを受けたり、闘病後も続く再発の不安などから、患者たちは難しい判断を迫られています。そうしたなか、子どもを授かるかどうかという問いに向き合ってきた2組の夫婦の姿から、それぞれの選択を伝えます。

妊よう性が回復しても答えが出せない 理代さんのケース

大阪府に暮らす藤田理代さん(35歳)は、5年前、子宮の中にがんが見つかって以来、子どもを持つことについて、葛藤し続けてきました。

画像(砂浜で石を拾う藤田理代さん(35歳))

抗がん剤治療を終えて1年後。理代さんは、医師から妊娠できる体になったと告げられました。しかし、もう一度、妊娠に向かう気持ちになれないと言います。

「子どもは本当に欲しいとずっと思っていたんですね。だからどうしてそれができないのか自分でも分からないんですけど。頑張れていた元通りの自分に戻れないっていう、そんな気持ちですかね」(理代さん)

理代さんのがんが見つかったのは、初めての妊娠で流産を経験した直後のことでした。胎盤組織ががんに侵され、その後、卵巣や肺にもがんが見つかりました。そのときに味わった死の恐怖を今も拭い去ることができません。

「私の実感としては、育むはずだった命の種ががんになってしまって。その命の種が自分の体中を蝕んでいるんだという。やっぱり、子どもを持つということは、これからの自分も難しいというか、越えられないものなのかな」(理代さん)

一方で、理代さんのなかには、断ち切れない子どもへの思いも残っています。揺れ動いてきた思いを言葉につづり、海辺で拾い集めた石の写真と一緒に本を作りました。

画像(理代さんが作った手製本「ココロイシ」)

どうしようもなく塞ぎ込むと
海辺まで石を拾いに出かける
赤ちゃんを見るとどうしようもなくつらくなる
自分が失った未来の中にいる人がどうしても羨ましい
石にココロをおさめる“ココロイシ”
おさめたり、眺めたり、手放したり
(手製本「ココロイシ」より)

「時代の流れとしてもちょうどその時期って、『がんであっても子どもを持つっていうことを実現していきましょう』という報道が多かった。でも『自分はその1人になれていない』と思って、自分を責めてしまったり」(理代さん)

理代さんを一番近くで支えてきた夫の翔さん。翔さんは、この5年、理代さんの思いを時間をかけて受けとめてきました。

画像(理代さんと夫の翔さん)

「ゆくゆくは、もし本人の心と体が許すのであれば、もう1回チャレンジということも思っていましたけど。僕からの期待、あるいは社会からの期待みたいなところが彼女を苦しめる要因になるのであれば、そこを無理強いしてまで、子どもがいるというのは、2人のなかではあまりいい選択ではないのかなとは思っています。まぁ、僕も気持ちが変わってきているところですね」(夫の翔さん)

子どものいる未来を選ぶのか、2人で生きてくのか。悩み続けてきた理代さんが心の奥にある思いを話してくれました。

「それでも(妊娠に)チャレンジするのはひとつなんですけど、自分の気持ちを見つめたときに、がんの治療のときに一番思ったのは、とにかく、夫とまだ一緒に生きていたいなって。そのときまだ29歳で、やっぱりできる限り生きていたいという気持ちが一番にあるという感じです」(藤田さん)

養子を迎えるという選択 裕美さんのケース

がんになって受けた体と心の傷に向き合い続けていく、AYA世代のがんサバイバーたち。長い時間をかけて、ひとつの答えを出した夫婦がいます。静岡県熱海市の河村裕美さん(52歳)は、32歳のときに子宮頸がんが見つかり、子宮と卵巣を摘出しました。

画像(河村裕美さん(52歳))

4年前、48歳のときに養子を迎えました。あゆみさん(4歳)です。

画像(裕美さんと夫の一史さん、娘のあゆみさん)

あゆみさんを迎えるまで、裕美さんは妊よう性を失った痛みと向き合ってきました。自ら立ち上げた患者会で、多くの当事者と語り合ううちに、ようやく分かってきたことがあると言います。

画像(女性特有のがん 患者会「オレンジティ」)

「何かを“乗り越える”というのは基本的にはないですよね。今まで十何年間、患者会活動をやってきて、“乗り越える”じゃなくて“諦める”ですよね。諦めて、諦めたからこそ次に進めるみたいな。私たちの言葉で“折り合いをつける”というんですけれども」(裕美さん)

裕美さんが40歳のとき、夫婦で里親制度に登録しました。かつて働いていた児童相談所で、居場所のない多くの子どもたちを目の当たりにしたことがきっかけでした。

「自分は社会的な母親になりたいと思ったんですよね、もう肉体的な母親にはなれないので、社会的な母親になるにはどうするのか。その答えが患者会や、里親という選択だった。自分が産めなくなって、自分の自己実現のために子どもを育てたいと思うんだったら、それは間違いだと思う。そうではなくて、やはり社会的養護が必要な子がいて、家庭で育つことが望ましいと思われる子がいて、そういう子たちがいたときに、私たちがその受け皿にならなきゃいけないと思ったんです」(裕美さん)

河村さん夫妻は、娘に里子であることを少しずつ伝えながら、新しい家族のかたちを模索しています。

がんと共に生きるなかで変化する 子どもへの考え方

長年、乳がんの患者会に携わってきた上智大学准教授の渡邊知映さんは、がんと妊よう性について、次のように話します。

画像(上智大学 准教授 渡邊知映さん)

「社会的な親になるという意味では、養子縁組等だけではなくて、地域の子どもと関わることで、その思いを実現できたという方もいらっしゃいます。がんと妊よう性というものを考える上でで大切なことは、がんと共に生きる過程で、子どもを持つことについての考え方は変化するということだと思っています。治療開始前に精子や卵子を凍結したか、しなかったかだけではなくて、がんの治療を乗り越えたあとに、新たな出会いだったり、パートナーとの関係性によって、子どもを持つ、新たな家族をつくるということが大切になってくるカップルもいるということですね」(渡邊さん)

NPO法人がんノート代表理事の岸田徹さんもそのような「気持ちの変化」があったと言います。

画像(NPO法人がんノート代表理事 岸田徹さん)

「僕の妻も20代でがんを経験したのですが、20代の頃は、周りが結婚したり子どもを持ったりしていて、どうしても子どもが欲しいと思っていたんです。でも30代になって、子どもを持つための不妊治療にはお金がかなりかかるし、妻の体の負担も考慮しないといけない。そこで、子どもを持たない選択肢、夫婦で生きていく選択肢だったりとか、河村さん夫妻のように養子を迎えるという選択肢も出てきて、今、まさにすごく揺れ動いている状態。どれも正解なんだろうなとは思います」(岸田さん)

現在もがんの治療中で、アイドルグループSKE48元メンバーの矢方美紀さんはこう話します。

画像(アイドルグループSKE48元メンバー 矢方美紀さん)

「子どもを授かるというのは1人では選択できないことだと思うので、お互い話し合って決めていくのが一番だなと思って聞いていました。自分もそうやって理解のできるパートナーと出会えたらいいなと思います」(矢方さん)

渡邊さんも、答えは本人たちが話し合いながら見つけていくことが大切だと言います。

「やはり病気と共に生きていくうえで、誰かに与えられた価値観ではなくて、自分らしい生き方を見つけていく、そのプロセスが大切だと思っています。そのプロセスそのものが、その方や、その家族を強くしていくんじゃないかと思いますし、やはりそのプロセスに寄り添えるような社会が必要なのだと思います」(渡邊さん)

子どもを授かるかどうかという難しい判断を迫られるAYA世代。自分らしい選択ができるような支援が求められています。

【特集】がんと共に生きるAYA世代
(1)就職活動でのカミングアウト
(2)職場でのカミングアウト
(3)妊よう性をめぐる葛藤
(4)子どもを巡る夫婦の選択←今回の記事
(5)がんとの向き合い方

※この記事はハートネットTV 2019年9月10日放送「シリーズ がんと共に生きるAYA世代 第2回 子どもを授かること」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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