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大事なのは“障害の受容” 障害者雇用の現場から

記事公開日:2018年10月09日

障害者が働く上で一番大切なのは“障害の受容”。そう語るのは、弱視で、TOHOシネマズ株式会社人事労政部で働く塚原真樹さん(38)。社内の障害者雇用を進めるためのコーディネートなどを担当しています。「彼女がいないと困る」と上司に評価されるほど、職場で活躍する塚原さんですが、その活躍を支えているのが、障害があっても仕事が進められるように考えられたさまざまな工夫でした。実際の仕事ぶりも交えながら、塚原さんの仕事への向き合い方をお聞きしました。

「いないと困る」存在として活躍

塚原さんが働くのは、東京都心・日比谷にある映画興行会社・TOHOシネマズ株式会社です。中に入ると、一角に机が二列に向き合うような形で並んでいます。一列6人掛けになっている席の中央あたりが塚原さんの仕事の現場です。机の上にはモニターが2つ並んでいます。

画像(拡大読書器をつかう塚原さん)

「一台は拡大読書器で、もう一台がパソコンのモニターです。私の場合はパソコンにスクリーンリーダーをインストールして、モニターの前にはスピーカーが置いてあります。このあたりを組み合わせて業務を行っています。」(塚原さん)

塚原さんは、茨城県出身の38歳。
塚原さんは生まれたときは見えていたものの、小学2年生の頃から視力が一気に低下。10歳の頃に大学病院で、黄斑部の変性との診断を受けます。目の見え方は、左右とも0.02くらいの弱視。視野については中心が見えないため、周辺視野を使って見ていますが、会話している相手と目線がずれてしまうこともあるそうです。

現在は、TOHOシネマズ株式会社の人事労政部人材開発室に所属。障害者雇用の担当として、採用や研修を受け持っています。

「劇場に障害者の方の実習を受け入れるときの下準備とか、関係機関とのやりとりとか。障害のある方というのはさまざまな特性を持っているので、どんなふうに進めていけばいいか、どういうところをケアしていけばいいのか、などのアドバイスを行っています。」(塚原さん)

塚原さんの直属の上司、人材開発室長の塩崎雅大さんにも、塚原さんの仕事ぶりについて伺いました。

「最初、できることって少なかったんですけど、本人の努力によって、徐々に業務範囲が広がっていって、もう今はすべておまかせしている状況です。彼女がいないと、私が困ってしまいます。」(上司の塩崎さん)

仕事をする上での工夫

視覚に障害がありながらも、社内の障害者雇用のコーディネート役として活躍している塚原さん。仕事をする上で、さまざまな工夫をしています。

まずは、「自己紹介状」。
スタッフの相互理解のために、劇場にアルバイト実習に入る障害者の方に書いてもらうものです。

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自己紹介状のサンプル

「映画館のスタッフルームや、休憩室に張り出すためのものです。何しろ映画館で働く人数は非常に多いので、どなたがそうなのかということと、単に障害があります、ということだけ伝えられていると逆にどんなふうに声をかければいのかな、ということが分からないという方もかなりいらっしゃるので、その人に必要なサポートや得意なこと、苦手なことについて、周りの方が自然に理解できるように仕掛けをしている、ということです。」(塚原さん)

取材時には、統合失調症の方の実習生受け入れにあたって、劇場の担当者と電話でやりとりをしていた塚原さん。自己紹介状に事前に記入されていた「気が散ってしまうことがある」「集中力が続かないことがあります」といった内容をもとに、実習生の仕事をどう組み立てるか、実習の日数や時間をどうするか、担当者と相談する様子も見られました。

その他にも、スタッフの相互理解に役立つような工夫として、「障害認知用の名札」を用意しています。

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障害認知用の名札サンプル

実際に、塚原さんが仕事中に着用している名札には、全体的に薄い黄色の下地に、「弱視 よく見えません」と書かれています。お客様や、初めて会う方に対して、障害の内容を知らせるためのツールになるそうです。

上司の塩崎さんは、こうした工夫をどのように感じているのでしょうか。

「すごくいい取り組みだと考えております。チームで働くことが多いので、チームで働く上で、信頼関係とか、チームワークを築くために必要なんですが、その方がどういった方なのか知っておくことで少しずつチームワークが伸びていくということになりますね。こういった名札で記載していただくと、『こういうことが気をつけないといけないんだな』ということも分かりますし、お客様もそれで認知していただけますので、働きやすい、いい取り組みだと私は思っております。」(上司の塩崎さん)

「見えない方にもいろいろいらっしゃって。一目でそうだと分かるような方もいらっしゃれば、そうではないという方もいらっしゃり、私はそのどちらなのか自分では分かってなかったんですけれども、どうも見た目では伝わらなさそうだな、と(笑)。これは名札があったほうがいいだろうと思いまして。それこそ、配達業者の受け取り印鑑も、私は自分では押さないで、配達員さんに押してもらうんですね。こういう名札をつけていると、もう説明せずに分かっていただけるので、活用してできているな、と思っています。」(塚原さん)

また、塚原さんの仕事をスムーズに行うための工夫として、複合機のタッチパネル操作のための「手作りシート」があります。

画像(左、タッチパネル操作のためのプラスチックカード 右、実際に使用しているところ)

タッチパネルの大きさのプラスチックカードに穴が空いていて、操作盤にかぶせると必要なものだけが分かるような仕組みになっています。一緒に働く社員の方やアシスタントの方に作ってもらったものだそうです。

「こういったツールは『治具(じぐ)』といいます。就労支援のプロの方であれば、だいたい作り方は知っているんです。ただ、周りの方への負担として、どこまでお願いして、どこまで自分でやるのか、というところはバランスだと思っています。自分でできる範囲を増やしておいて、助けていただく部分を少し減らしておいたほうがいいだろうと。これを作っていただくこととは手間ですけども、そのあとの負担の部分は、かなり周りの方は軽くなりますので。そこで、必要性を感じまして、作っていただきました。」(塚原さん)

「障害の受容」が大事

実は、塚原さんは武蔵野音楽大学の出身。TOHOシネマズでは、塚原さんが作曲した短い音楽を会社のチャイムとして採用し、始業時間、昼休みの開始、昼休みの終わり、終業時間、夜10時それぞれのタイミングで社内に流しています。

「音楽は好きだけれど、それを職業にするかどうか考えていなかった。」という塚原さん。大学卒業後は3年ほどコールセンターの仕事に就きました。その会社では、何人かの視覚障害者が一緒に同じ仕事をしていましたが、業務過多が原因で退職。その後、転職活動をし、34社目くらいでやっと内定が出たのが今の会社でした。

画像(塚原さん)

「当時は障害者の求人もあまり多くなく、正直、本当に大変な時期でしたし、かなり苦労はしましたけれども、100ぐらいはやらなきゃな、と思いながら、ずっと受けた会社を記録し続けまして。TOHOシネマズも、障害者の転職サイトからダイレクトメールが来て、それがきっかけだったので、まさか内定が出るとは思っていなかったです。」(塚原さん)

塚原さんはTOHOシネマズの障害者雇用枠の第一号。入社してから、今年で9年になります。

上司の塩崎さんは、塚原さんを採用したことで、「障害に対するイメージがガラッと変わった」と話します。そして、TOHOシネマズの障害者雇用数も増えてきていて、今年6月の時点で雇用率が4.19%と、法定雇用率の2.2%を大きく上回っているそう。しかし、雇用数が増える一方で、課題もあると言います。

「やはり仕事が少しずつ変わっていくんですよ。同じ仕事が永遠にずーっと同じようにあるわけではないんですね。その方々の仕事を少しジョブチェンジしていただくと。そこに抵抗感を感じる方もいらっしゃいますので、そういった意味では定着ですね。仕事が変わっても定着は今後の課題かな、と考えております。」(上司の塩崎さん)

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左、上司の塩崎さん 右、塚原さん

「仕事をしたい。働きたい」という思いを持った障害当事者がたくさんいる中で、何が必要なのか、塚原さんにアドバイスをお聞きしました。

「私が一番大切に思っていることは、『障害の受容』です。まず自分に障害があるんだ、という現象を認めて、じゃあ、どうしたらいいだろうということを考える。できるフリをしたり、できる気になったり、できると思いたいとか、そういう思いがあるうちはまだ自己理解が不十分だと思っていて、そうではなく、正直に、今の自分の状態をきちんと見つめられる、ということを『障害の受容』というふうに表現しています。」(塚原さん)

塚原さん自身は、障害を受容したのはどのようなタイミングだったのでしょうか。

「目がとにかく治らないということが分かったときに、私以上に母親がショックを受けまして、私は子どもですのでよく分かってなかったんですけど、母親がもうかなりパニックになりまして、もう私の将来を案じてですね、大人になっても普通の仕事ができないかもしれないし、結婚もできないかもしれないし、じゃあ、もうここで生きることをやめるのか、みたいな話になってしまいまして。」(塚原さん)

そのとき、塚原さんは生きる道を選んだと言います。

「もうちょっと、それは確かめたいと。母が言うように、本当に大人になって、ぜんぜん幸せがない人生なのかどうかを確認するということでもあるし、幸せになれないということを、生きながらそれを否定することをしたかったんだと。普通に幸せに生きていけるんじゃないか、そういう人もたくさんいるだろうし、自分もなれるんだったら、そっち側になりたいな、と思う気持ちが強くて。なんだか一生懸命やっているうちに、普通の仕事を普通にやっている自分になっているなぁ、と。気がつくとそんな感じになっていました。」(塚原さん)

いま、塚原さんは欠かせない戦力として会社で活躍すると同時に、趣味のプロレス観戦で息抜きをしています。一人でメキシコまで観戦に出かけたこともあります。自らの障害を受け止めて、公私ともに充実した日々を送っている姿はとても輝いて見えました。

※この記事は視覚障害ナビ・ラジオ 2018年9月16日(日)放送「シリーズ・仕事の現場(2)“私”から始まる障害者雇用」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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