
なぜ「依存症」になったのか(後編)
(前回からの続き)
しかし、手を伸ばせば届くと思っていた光は、想像以上に遠かった。
すがるように心療内科の門をくぐったわたしへの診断は病院ごとに違い、「うつですね」 と断言されたかと思えば、「病気じゃないから、通院の必要はありません」 と門前払いされたり、仕方なく別の病院に行けば 「症状がひどすぎて手に負えません」 だの、「目が大きすぎる」 と、いきなり血液検査をされそうになったこともあった。
「なるべく薬は飲みたくない」 と言い続けていたわたしも、5軒目に行く頃にはすっかり疲れて、処方された安定剤を 「治るならいいか」 と諦めながらも期待して飲んだ。
これで治る…胸をなでおろした数時間後、束の間の魔法はあっさり解けた。
目が覚めると、ごまかした分の不安も押し寄せて、倍不安になる。
忘れたくて薬を飲む。眠る。起きる。不安になる。また薬を飲む―
ある日、なくなった薬をもらいに行こうと心療内科を訪れたら、『臨時休診』 の張り紙があった。
わたしは人目も気にせず病院の前で泣き叫んだ。
「薬がなきゃ、薬がなきゃ…!」
まどうことなき、「ジャンキー」 だ。
だから―
「治りますよ」 と、6軒目の、地元で一番大きな精神科の医師に力強くうなずかれたときは、涙があふれた。
隣で手を握り続けていた彼の目も、きっと真っ赤だっただろう。
薬は、安定剤だけでなく、病気そのものを治療するためのものが出された。
毎日決まった時間に、決まった量、かならず飲む。
それは思いのほか大変で、安定剤の時は感じなかった副作用が激しく現れた。
頭痛、吐き気、熱、それらによる意気消沈…
だけど、その先にかならず 「完治」 があるならと、わきめもふらず従った。
決められたのは、薬だけじゃない。
寝る時間。起きる時間。
食べていいもの。飲んではだめなもの。
していいこと。いけないこと。
健全な肉体に健全な精神が宿るとはよくいったもので、わたしに課せられたルールも、健全な生活そのものだった。
普通の人間ならできること―
わかっていたから、「苦しい」 なんて言えなかった。
「治さなきゃいけない」
「治さなきゃいけない」
「治さなきゃいけない」
今思えば、わたしはその時 「治療」 というものに 「依存」 していたのだと思う。
どれだけ身体に不調が現れても、死んだ方がましだと思えるほど気分が落ち込んでも、治療をやめることが、怖かった。
結果から言えば、わたしはその2ヵ月後、治療をあきらめることになる。
副作用に苛まれながら、それでも、10ミリ、25ミリ、75ミリ…と徐々に増やしていけた薬に、せめて頑張っている自分に励ましが欲しくて、診察中ささいな弱音を吐くと、医師はあっさりと言った。
「合ってないなら、薬を変えましょう。では、また2週間後に10ミリから」
光が、はるかかなたにとんでいった。
わたしは、病院に行くのをやめた。
勝手に治療を中断するのは、病気にとって一番よくなかったことかもしれない。
だけど、それでも、あのまま治療を続けていたら、わたしはだめになっていたと今でも思う。
「薬」 に振り回されるのは、「不安」 に振り回されるのと、結局同じだ。誰にも、何にも支配されず、自分の意思で、毎日を生きたい。
そう思ったわたしは、残りわずかな安定剤をごみばこに捨てた。
薬を飲むのをやめてから、また不安と恐怖と苛立ちが、一秒ごとにわたしを襲った。
眠ろうと目を閉じると、暗闇の中に血まみれの愛猫が浮かび上がる。
悲鳴をあげて目をこじ開け、うつらうつらすると、また幻覚が見える。
眠れない日が、何日も続いた。
仕事の電話が鳴るたび、怒られるのじゃないかと飛び上がって震えた。
出会う人すべてが、自分を憎み、あざ笑っているように思えて、仕事のささいな修正依頼に、存在を全否定されたように感じて取り乱した。
せめて、安定剤だけでも飲んで休めれば―
わきあがる誘惑に負けそうになるたび、わたしは、やさしく猫をなでた。
不治の病を患う猫 「あい」 は、出会った頃と比べて体重は倍以上に増え、ずっとつまって苦しそうだった鼻も、くだしていたお腹も、一緒に暮らすと決めた日から魔法のようにピタリとおさまった。
薬を飲まなくても、
治らない病気を抱えていても、
生きている命が、ここにある―
泣きはらして仰向けに倒れたわたしのお腹の上に、のそのそとあいが上ってくる。
ふわり―風にあおられたカーテンの隙間から、ぬけるような青空が見えた。
いま、わたしは、たぶん何にも 「依存」 をしていないと思う。
厄介だったアルコールとも、3年前にいきなり 「やめる」 と宣言して以来、手を切り、やめる前は 「お酒がなければ人生の99%の楽しみをなくすだろう」 と思っていたわたしは、かわりに白いごはんの湯気のやわらかさや、生クリームが舌の上でとろけるしあわせを手に入れた。
パンパンに詰まっていたポケットに空きができて、新しい宝物をみつけたとき、入れるスペースができたように。
ときどき、そんなわたしを見て 「でもその分、猫に依存してるんじゃない?」 と心配をされることがある。
たしかにわたしの猫への溺愛っぷりは相当なものだし、「もしも、この子たちがいなくなったら…」 と想像するだけで涙があふれる。
だけど、親が子どもを愛するように、飼い主が飼い猫を愛することは、しごく自然なことではないのかな、とも思う。
「愛する」 ことが、「苦痛」 や 「強迫」 でないのなら。
だから、いつの日か―
人間よりもうんと早く歳を重ねる彼らが、「もういくね」 と、ゆるやかにしっぽを振ったとき、わたしも、「うん、そうか。ありがとうね」 と、笑って、手を触れるように―
毎日を、泣けるほど、大切にしたいと思っている。
「依存」 じゃなくて、じぶんの 「意思」 で。




セリさん・・・セリさんのブログの言葉がどうしてこんなに温かく、深いのかが今わかりました。
依存の体験を通じてセリさんは、とても大切なことに気付いたのですね。
今のこの瞬間が奇跡であること、感じて生きているのですね。
セリさんのその生き方は多くの方の胸に光を生み出しています。ありがとう。
どうぞ、苦しみながらがんばってきたご自分自身をぎゅっと抱きしめて・・・“ありがとう”伝えてくださいね。
私は未だに彼氏とか
ケータイとかネットとか。。
いっぱい依存して
苦しいですけど
いっぱいいっぱい
幸せを見つけました!!
いっぱいいっぱい
幸せになりましょうね♪
こんばんは(*^-^*)
コメントを書いてくださって、ありがとうございます。
> 南国でQ♪ 様
そんなふうに言っていただけて…「今の私」ももちろんですが、「苦しんでいたときのわたし」が、とても…救われます。
私こそ、もったいないほどのお言葉、本当にありがとうございます。
苦しみのまっただなかにいた時は、「どうしてこんなにも苦しいのか…」と、やり場のない思いに押しつぶされそうになりましたが、今は、あの苦しい時代があったからこそ、しあわせを感じることができるのだと、苦しみにも感謝したい気持ちでいます。
生きていると、いいこともかなしいことも、ありますが…乗り越えた先に見える優しい景色があると信じて、歩いていきたいと思います。
こんばんは(*^-^*)
コメントを書いてくださって、ありがとうございます。
> ゆき 様
「彼氏」「携帯」「ネット」…そのみっつへの依存は、正直、私もひとごとじゃありません…
ですが、心から信じ、頼りに出来る存在と出会えることは本当にステキなことだと思いますし、ゆきさんも彼氏さんも、一緒にいることで楽しく自分らしくいられるのなら、「依存」なのだとマイナスに考えなくても良いかな、と思います(*^-^*)
携帯やネットは、身近にありすぎるだけに、気がつくと度を越してしまっていたりしますよね…。私も、時々ブログがメンテナンスになると「ぐわあ」と取り乱したり…反省。
好きなこと、大切なことであればあるほど、のめりこんでしまうのは自然なことだと思うので、あまり深く考えこみすぎないよう、「楽しい気持ち」を責めずにすむ、自分なりのバランスをとれるようにしたいですよね。お互いに…(^-^;)
人も動物も生きるものすべて「愛」がないと生きてゆけないんですね。
愛がもらえないという事がどんなに辛く、悲しく
心がひもじいかイヤという程、セリさん解っていらっしゃるから、きっと、これから、同じ思いをした人にその経験が生かされるのでしょうね^^
自己否定、自己れんび、罪悪感、自責の念は
心の中に持っているだけで、「生命力」を奪いますね。
情熱やわくわくどきどきがなくなるんですよね。
セリさんの今までの貴重なご経験が、いろんな人に光を当てられて、みんながハッピーになるといいな^^
こんばんは(*^-^*)
コメントを書いてくださって、ありがとうございます。
> クロ吉 様
本当に…
「愛」というと、なんだか照れくさい気がしてしまいがちですが、人間も、動物も、植物も、「愛されている」「大切にされている」という気持ちが、何よりの栄養になるような気がします。
不思議なもので、私は、「愛されたい」と思っていたときほど、いつもひとりぼっちなような気がしていて、「愛したい」とはじめて思える存在(猫のあい)と出会ってから、「ああ、それまでも、ずっと私は愛されていたんだ…」と感じることができました。
こうして、クロ吉さんにやさしいお言葉をかけていただいたことが、また私の「愛」になって、誰かに送りたくなる…
「やさしい気持ち」のリレーが、ずっとずっと続けばステキですよね。
セリさんはじめまして(*^^)v
アースと言います☆
セリさんの今までの生い立ちや想いを見せていただいて、心に突き刺さるものがたくさんありました。
自分は男で、恋愛依存ではないですが、「失恋」というものに弱く、昨年、失恋がきっかけで以前もかかったことのあるうつ病を再発させてしまいました。
ですので、異性に受け入れてもらえない絶望感はよくわかります。
また、「なんでこんなことで深く落ち込んでしまうんだろう。こんな自分は情けなくて最低だ。」と自己嫌悪に陥ってしまいます。
そんな自分ですが、セリさんの文章を読んでいると不思議と心がほっと安心した気持ちになれました☆ありがとうございます(*^^)v
あいちゃん本当にかわいいですね(*^。^*)
セリさんがあいちゃんに出会えて本当によかったと思います♪
自分はあいちゃんのような心の支えはありませんが、自分と同じ心の病を患った人たちをサポートするボランティアに参加したり、乳がんの知識と理解を社会に広めようという「ピンクリボン」と同じような、心の病の知識と理解を広めようという啓蒙運動をしている「シルバーリボン」に参加したりすることで、「生きていくための糧」を得ていきたいと考えています☆
せりさん!お互い「現代(いま)」という時代をゆっくりでいいから歩んでいきましょう!(^O^)/
こんばんは(*^-^*)
コメントを書いてくださって、ありがとうございます。
> アース 様
お返事が遅くなってしまい、本当にごめんなさい。
はじめまして!元気いっぱいのごあいさつに、なんだか私まで元気になってしまいました(*^-^*)
アースさんも、恋愛でくるしんだり、悩んだり…を経験しての今があるのですね。
「ほっと安心した気持ち」と言っていただけて、私こそ、胸がほわんとあたたかくなりました。
本当にありがとうございます。
また、心の病の知識と理解を広めようという啓蒙運動をしている「シルバーリボン」というものがあるのですね!
はじめて知りました。
私は常々、心の傷みを、いろんな方が知ってくだされば…と思っていたので、教えていただけて、とてもうれしいです。
まだまだ誤解されていることも多い、心の病気、生きづらさ…
きっと誰もが、本当は隣り合わせにあるものだからこそ、知って、受け入れて、手を繋いでいきたいですね!