
「あい」 との出会い
(前回からの続き)
「もう、わたしなんて、捨ててよ!」
不安を抱えきれなくなったわたしが、毎日のようにかんしゃくを起こす。
「捨てられないなら、殺して。殺せないなら、捨てて」
どっちもできない、と言う彼を、クローゼットの棒で殴りつけた。
わたしには、いくつもの精神の病名がついた。
ポケットにおさまりきらない精神薬を、おかしのようにバリバリむさぼり、
蚊の鳴くほどの小さな音に怯え、それを忘れるためにお酒を飲んで、
ボロ雑巾のようになったわたしは、ある日、もっとボロ雑巾のような 「猫」 と会った。
繁華街の片隅、うすよごれた自動販売機のすみっこにうずくまる、小さな黒猫。
近づいてしゃがみこんだわたしに、逃げだすかと思いきや、
あたりまえのようにひざの上にのぼってきて、そのまま、くるりと丸くなった。
ズピー…ズピー…息苦しそうな寝息が聞こえる。
目やにと鼻水で、顔はぐちゃぐちゃ。
骨と皮だけの体からは、魚市場のごみばこのようなすえたにおいがする。
助けようと思って、動物病院に連れて行った。
猫は、「猫エイズ」 と 「白血病」 という不治の病に感染していた。
「やっかいもの」 が 「やっかいもの」 を拾ってどうする…
わたしは、ますます自分を責めた。
心の病気を背負ったわたしと、身体の病気を背負った猫。
生きていたって、これから何かを生み出すことなんてない。
役立つどころか、まわりに迷惑ばかりかけていく。
ふたりそろって 「いらない命」
一緒に死のうかとも考えた。
そうすることが、この世界にできる、唯一の 「恩返し」 なのかもしれない―
だけど、
猫は、生きた。
明日には死ぬかもしれない、重い病気をふたつも抱え、
風邪をこじらせ、鼻水をたらし、お腹をこわして、うんちをもらし、
それでも、毎日、ごはんを食べる。
虐待を受けたことがあったのかもしれない。
ごはんが欲しいと、うるさいほどに甘えるくせに、
なでようと手をかざすと、殴られるとばかりに身を固くした。
ヒモを見せても、おもちゃを見せても、食べられないとわかるとそっぽを向いた。
生きていても、たのしいことなんて、何もない。
だけど、猫は、生きつづける。
ある日、猫は手術をした。
猫エイズと白血病の猫は、手術の麻酔が原因で病気が発症するかもしれない。
「死んでしまったらどうしよう」
一緒に死のうとまでしたくせに、猫のいない世界を想像するだけで叫びそうになる。
夕方、無事に手術を終えて、まだ麻酔の醒めきらない重い体を支えながら戻った猫は、
震えながら、いつも怖いことがあるたびに隠れこむベッドの下を目指そうとして、
しかし、その手前で寝転がるわたしのお腹の上に、のそり、のそり、のぼってきた。
ズピー…
ズピー…
不器用な寝息が、鼻をくすぐる。
ズピー…
ズピー…
臆病なわたしの心を、やさしく、やさしく、溶かしていく。
この腕の中に、猫がいること。
この部屋が、あたたかいこと。
ごはんが、おいしいこと。
なにげなく繰り返されるだけの日々が、こんなにも、いとしいものだなんて。
猫を、生かしたいと思った。
だから、わたしも、生きたい、と思った。
(次回へ続きます)




人と人も 人と生き物も やはり出会うべくして出会うんですね。
あいちゃんもセリさんに出会ってなかったら、きっと命が尽きていたかもしれないし、セリさんにとっても あいちゃんの生きようとする力が 何よりのお薬になりましたね。
「縁」って不思議ですね^^
こんばんは(*^-^*)
コメントを書いてくださって、ありがとうございます。
> みーはー熊 様
本当に…今でも、あの時、あいと出会っていなかったらどうなっていたのかな…と思うことがあります。
あいの「生きるチカラ」に助けられたこの命で、これからは、あいの「生きたい」を叶え続けていければいいな。
あいと出会い、あいのことを書いたことで、こうしてみーはー熊さんと出会うことができて…「縁」って本当に不思議で、ステキですね。
なかなかコメントできませんでした。。。
過去に戻って考えると怖いことってありますよね。
やっぱりひとつひとつの行動に意味があるんでしょうね。
あいちゃんと出会えてよかったですね。
わたしもあのとき咲さんのあの本をみてよかったです(照)