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ハート ネット ピープル

イジメ・・・そして、新たな局面へ

今回は笹森理絵さんにバトンタッチしてお送りします。

[写真] 高砂市の海辺で。長男の心は現在、青い空と、広い場所を求めている。
[写真] 高砂市の海辺で。長男の心は現在、青い空と、広い場所を求めている。

(執筆:笹森理絵)
私個人の公開ブログでも書いていることなんですが、この1ヶ月は長男へのイジメ対策に奔走していました。
長男は急遽、進路を変更し、地域の中学校ではなく、特別支援学校中学部に進学することになりました。彼自身の選択です。
そこに至る経過は大変なものでしたが、何とか、互いに様々な努力を積み重ねることで、学校もようやく向き合ってくださって、冬休みの間も、校長先生が直々に電話で長男の現況や、服薬状況、始業式の対応などを聞いてくださり、支援級の担任が度々、訪問もしてくださり、休み中から三学期に向けての対策・準備が始まっています。
当初、学校がイジメへの対処の大きな柱の一つとして提案された、いわゆる従来の道徳教育や指導が、これらのイジメの本質を変えることに対して、果たして有効なのか疑問に感じていた私たちとしては、校長先生、教頭先生、交流・支援級担任の先生方の気持ちや、これから取ろうとしている対応に、誠意と期待は感じつつも、それ以上に障害に対する啓発教育の大事さを再認識させられています。
というのも、最近つくづく感じるのですが、今の保護者や大人に発達障害の理解どころか、障害そのものに対する理解がないことの大きな原因は、実は子どもの頃の教育に不足があるのではないかと実感するのです。
うちの長男が先日、特別支援学校中学部の体験入学に行った時、私が言った 「ここはみんな、それぞれに違うしんどさや特性を持っている子が、来ている学校なんだよ」 という言葉に、彼は次のように答えました。
「それって普通じゃん。だって、一人、ひとり、違っているのは当たり前じゃない? だから、僕は支援学校の中にいても、みんな普通だと思ったよ」 この感覚・・・この感覚こそが、今の人たちにはないのだと思います。だって、教えられていないのですもの。
小さな頃に、障害とは何かということ、そして、障害はサポートがあれば、乗り越えて行ける部分や可能性がたくさんあるということを学んでいれば、子どもたちが大人になった時、もしも、わが子に障害があったとしても、その受け止め方が少しは違ってくると思います。
残念ながら、今の学校現場には具体的にそれを話せる人がいません。
私は、各所各方面に講師に行かせていただき、時には高校生の人権教育の時間に話しに行くこともあるのですが、今後の新しい自分の試みとして、小学校の子どもたちに障害のことをわかりやすく具体的に話すことをしてみたいと考えています。
もしも障害があっても、決してそれは弱いとか、悲しいとか、可哀想とか、そういったステレオタイプでマイナスな部分ばかりがあるのではなくて、当事者や家族を取り巻く環境次第では、それを乗り越えて行ける力がちゃんとあるんだよ、そのためにも、障害の有無に関わらず、人は、たくさんの人とつながって支えあって生きていくことが大事なんだよって。
現在、日本では、うちと同じように支援級に在籍しているお子さんが、大変なイジメにあい、不登校となり、しかし加害側は何の変化もなく、言葉だけの反省や、中身の曖昧な道徳教育を受けてそのまま過ごしている、そんな悲しい現実がたくさんあります。
こういう内容のことを日記に書くと、批判もきっと出るであろうと思いながらも、なぜにこれを書いたかと言えばやはり、誰のせいでもなく発達障害や知的障害を、先天的に持って生まれたこどもたちが、いわれのない強烈なイジメ、いや、暴行を受けて、親子でどれほどの深い傷を負うのかを心から伝えたかったからです。
わが家も今回の騒動で、ある程度の決着を見て、落ち着いてからこれを書くと、表面ばかりの綺麗事だけを書いて終わってしまいそうで、実際に今、苦しく悲しい思いをされている方々もたくさんおられることを考えると、私にはそれもまた辛いことだと思えたので、あえて今、書いています。
笹森家のブログは明るいのが取り柄ですが、とはいえ、実際には色んなことが起こっており、そういうことも少しは書いて行けるといいなあと思います。
当然ながら、私たち家族も社会で生きる、一生活者であり、常に楽しく明るいだけでは、生きてはいけません。いや、当たり前ですよね。家族が明るく楽しく過ごしていくためには、乗り越えなければならないことも沢山ありますから。
そして、わが子のみならず、こども達の将来は親だけではなくて、やはり関わっている大人みんなに責任があると思うのです。だから、いじめた側の子ども達も、表現しがたい生き辛さを抱えて、周囲を巻き込みながら負の悪循環に落ち込んでいる場合があるので、どっかで誰かが、それを逆回転させるきっかけをつくらないといけないと思いますし、それは別に親である必要は決してなくて、学校や第三者機関の専門家にも協力を求めながら、それこそ地域みんなの課題として考えていくことではないか・・・と、今回の件を受けて、私はそう強く感じたのでありました。

コメント

笹森さんのブログ、いつも読ませてもらっています。
小2の発達障害を持つ支援級在籍の息子も、1人で外へ遊びに出るようになってから、からかわれて帰ってくることが増えてきました。

今日は、学校の校庭で高学年の子達に「しょうがいって言われた」と涙目で話してくれました。
私も支援級の先生も校庭にいたのに、でも気づけませんでした。

「障害児だから支援級に行ってるんだろ」と言われて、まだ告知を受けていない息子は「違う」と必死で言ったようですが、何回も言われたそうなので息子の気持ちを考えると辛くなります。

からかいについては、これまでも先生にお話ししていましたが、「どの子にもあることですから」と言われていました。今回、目の前であったことについては驚かれていましたが、危機感は感じられませんでした。

学校には「暴言を吐かれる子に(親にも)非がある」と考える先生もいて、誰を信じて相談をしたらいいのかがわかりません。

イジメはどんな理由があってもしてはいけないと、大人が子どもに教えていく必要があると思います。
でも個人でできることは限られている。この様な場で沢山の力が集まったら何かすることができるかも・・・とそう思います。

おっしゃるとおりです。
人はひとりひとり違うものであり、強いところも弱いところもあり、互いが互いを助け合って生きていってるのが現実です。(気づいてない又認めようとしないだけで)
ただこの忙しすぎる社会では、自分の特性を活かし、他の人の苦手な分野をフォローする心の余裕がなくなってきているのではないでしょうか。
イジメの問題もそうだと思います。弱いところを欠点として仲間はずれにするのではなく、そこを助けてあげ、反対に強いところを誰かのために活かすことを社会や学校、家庭で教えていくべきなのに、そうでないのが残念です。
とは言いつつも、私自身、頭では解っていても、自分がしんどい状況になると相手を気遣う余裕さえなくなり、物事を正当化しては相手を傷つけていることもいっぱいあります。
イジメの問題は、障害をもたれる方だけの問題でなく、多かれ少なかれ誰もがその当事者となりうることであり、気をつけないといけない問題であると思います。
長男さんが経験されたことは、非常に辛いことですが、その経験から発せられた言葉は、大人でも気づいていないとても大切なことであり、それを理解しておられることは素晴らしいことだと思います。
少しずつ心の傷が癒えていきますように。

笹森さま、はじめまして。ブログもお気に入り登録させていただいてます♪うちは長女と次女がアスペルガーで長男がグレーです。
小学校の子供達に障害のお話をされること大賛成です!頑張ってください。私は小学生の頃、同じクラスに生まれつき足に障害のある子と、てんかんを持っている子がいました。この同級生達が障害や持病を持ちながら自分達と同じクラスにいることを当たり前の感覚として育ちました。隣に障害を持った人がいるだから何?別にいいじゃん!この子が悪いの?誰が悪いの?それが何か?この世の中には健常者と障害者がいるのは普通です!だったのです。でも、足の不自由な同級生とは高校まで一緒でしたが、高校生の時、別の中学から来た同級生達は陰で悪口を言っていました。「くさい!キモ・・」そんな感じでした。高校生になっても、こんなくだらないことを言う人がいるんだな?と私は驚いていました。私が、今アスペルガーの子供達をめげずに飄々と育てていけるのは、あの二人の同級生と同級生のお母さんのおかげです。ノーマライゼーションを五感の隅々に吹き込んで私を育ててくれたのです。本当にありがとうございました!SちゃんYちゃん!Sちゃんのお母さん!心から感謝です!
笹森さんのご活躍心から応援します!

笹森理絵様

コメントを拝見させていただきました。やはり「いじめ」を受ける側の身になってみれば相当心に傷が深く刺さるような思いですね。
私たちの時代は「発達障害」自体、開発されていなく、その病気の特徴があれば「いじめ」を受けて当然と言いたいところです。
もちろん私は「アスペルガー症候群」である限り、IQ(知能指数)は高かったと言われても中学時代、同じクラスの男子に「特殊学級行け」とののしられました。「特殊学級」と言えば、当時は「知的障害児」しか入ることが出来なかった限り、その子たちが先生に優しくしてもらっているところを見るたびにヤキモチが焼けてきました。
だから私は「私にも優しくしてほしい」と思うばかり、それにもかかわらず、先生たちは生徒同様、「いじわる」するだけとしか思えません。
親や祖父母も同様、私を「障害」と理解しようとしなかった限り、家族にもかかわらず嫌うだけで全然心が開けませんでした。
理絵さんも息子さんと同様につらかったでしょうね。でも、現在は「発達障害」の支援もある限りは過去よりも未来に向かってと言われるように明るく生きていこうと考えております。
もちろんうちの息子も学校へ行くこと自体、全然嫌がりません。担任教師も「アスペルガー~」を理解してくださっている限り、今のところは特に問題はなく、普通学級でやっていけそうです。同級生からノートに落書きされるなどの「いたずら」を受ければ加害者を必ず注意してくださります。それが私だったら誰も加害者を注意してくれず、「そのぐらいがまんしろ」と言うだけで全然取り合ってくれません。しかも学習塾の講師(今は故人)まで私のノートに「(その先生の名字)先生好き」といたずら書きをしました。それが原因で同級生からもはやしたてられました。だから私はその同級生には一切会いたくありません。自分が私にやっていることを「いじめ」と思っていない、気づいていない、男子にいじめられている私を「かわいそう」と思っていない限り、行きたくない塾に「来てくれないと淋しいからおいでん」と言うだけです。
成人式(20年前のことであるが)に行きたくなかったのも理由の一つです。一生に一度のことだろうが、「嫌なものは嫌」です。
やはり障害に対する「理解」や「支援」は欲しいですね。大人たちでも知識のない人ばかり、思うようになりませんね。
では。

本文を、読ませていただきました。
今の学校現場には(障害について)具体的にそれを話せる人がいません、と書かれていますが、それは、施設、ではなくて、学校現場だからですか?サポートしてくださっている支援級の担任の先生方は、障害については、お話しに、ならないのですか?
小学校の子どもたちに障害のことをわかりやすく具体的に話すことをしてみたいという、お気持ちは、大変良くわかります。大変ありがたく思います。
ですが、やはり、それも連携が、必要では、ないでしょうか。学校の先生方、特に、支援級の先生方との連携は、不可欠だと思います。
また、障害、と一言で言える簡単さを身につけるためには、膨大な経験が、必要です。
ゼロ歳児から、100歳のご老人までの、障害の人それぞれなところと、共通している部分とを、人ごとに、障害ごとに、時間(年齢)ごとに、実例をあげて、説明するのは、かなり難しいと思います。人は、常に変化しているし、時間は、常に流れています。そこから、障害という、何を取り出せばよいのか、私には、わかりません。もしよかったら、教えてください。

ご無沙汰しています。
ブログをずっと読んでいて、心を痛めていました。

私自身、中学時代にイジメに遭った人間として「イジメ」という言葉はあまりにも軽すぎるように感じています。

そして、イジメをする側の子供たちもケアする必要がある、というのは同感です。
心に余裕の無い大人が増えていて、その苦しさを子供たちが引き受けてしまい、イジメという行動に走っているように思うのです。
イジメをするというのはある意味SOSの発信ではないでしょうか。
そう考えると、これは決して子供たちだけの問題ではないし、社会全体で考えていかなければならない問題だと思います。

あと、障害についての教育は子供時代から必要、というのも同感です。
「障害があろうがなかろうが、同じ一人の人間」というのは、障害に関わったことのある人にしかわからないと思いますし、関わったことのない人が、大人になっていきなり「障害を理解しよう」と言われても正直難しいと思います。

ブログでイジメのことを書かれたことについては、賛否両論あると思います。
でも、障害のあるなしに関わらず、今この日本でイジメで苦しんでいる子供たちが大勢いるであろうことを考えると、私はへんちゃんさんの取られた行動はとても勇気ある行動だと思いました。

これをきっかけに、一人でも多くの人が(大人も子供も)「どんな人にも人権がある」という当たり前のことを思い出してくれたら、と思います。

前回の私のコメント、綺麗事を書いてしまったかも・・・と思い、再度コメントです。
そんな簡単な問題ではないから、苦労されてるんですよね。
私には詳しいことはわからないのですが、少しでも良い方向に行くことを願っています。

たくさん、コメントをいただいて、本当にありがとうございます。


おひとり、おひとりにお返事をさせていただきたいのですが、まだ、私自身、どこか頭がまとまっていないとか、葛藤しているというか、惑っているというところもあり、うまく表現できないでいます。ごめんなさい。


まずは、温かい応援をいただき、心からありがとうございました。


今も長男、先生方とともに、暗中模索し、その日、その日の本人の調子に合わせた形で、本人の希望にできるだけ沿った形でのサポートをするとともに、その問題の根っこにもなっている、子どもたちの考え方、その保護者の方との話し合いなどに、取り組んでいる真っ最中です。


長男の、「僕は何もしていないのに、なぜ学校に行けないのか、なぜこんなに苦しんでいるのか」という問いかけに、なんとかこたえてゆきたい・・・と思います。

次に何らかの結果を得られたなら、また書かせていただけたらと思います。

思い深い毎日ですが、それでも、なんとか、少しずつ、進めているとは、思いたいです。

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