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ハート ネット ピープル

臨終と出生

パートナー、家族の視点から描く「笹森家の楽しい発達障害」、今回からまた著者が夫の史朗さんに戻ります!

兄さんズと初めて一緒にお風呂に入る三男 
[写真] 兄さんズと初めて一緒にお風呂に入る三男

2008年9月に三男が誕生して、家族は、なんか、ずいぶんと変わったなと感じる。
実に十年ぶりの第三子だし、親は相応な年齢だったけれど、家族は誰も産むことに対してマイナスには考えなかった。
覚悟はそれぞれに、あったけれどもね。
奥さんは、男子三人の母になり、「心」も「身」も、また、ひとまわり大きくなったような気がする。
視点と発想に、サバイバー(発達障害からくる二次障害、三次障害という、生きているだけですごいような困難な状況を、生き抜いた人)としての自信からくる「深み」と「人間味」が増したようだ。
ちなみに、長男、二男ともに、女性は「ふくよか」がタイプだから、「痩せたら、承知せーへんでぇ」などと、奥さんは息子たちに言われ概ね了解している。(それで、いいのか?)

長男は、不器用ながらも、三男を抱きかかえ、慈(いつく)しむように見つめる。その眼差(まなざし)と表情の、なんとも優しげなこと。その姿には、新生児に負けず劣らず、癒される思いがする。

二男は、三男が誕生してから、いちばん変わった。春先に、弟ができることを初めて子どもたちに伝えたとき、一番戸惑っていたのが二男だったのに、見違えるように、変化した。
毎日のように、繰り広げられていた、どうにも抗しがたかった「パニック」症状は、回数も、時間も、激減している。朝の登校準備でも、お風呂でも、身の回りのことを、自らしようと言う気持ちも出てきた。自分で感じ取って、そのように、変わってきたみたい。

思えば2007年4月に、私の母が亡くなったとき、長男、二男は、その臨終のときにも立ち会った。私の母は、孫たち(つまり、私の長男、二男)に対して、無償の愛情を惜しみなく注ぎ続ける人だった。成長とともに、そのような情愛は、時に「良かれと思って悪を為す」に転じる危険もあるけれど、幼いころの子どもたちにとって、おばあちゃんは、正に、かけがえのない存在だった。

長男は、恐がりで「ぼく、幽霊はイヤだな」と言いつつ、「でも、おばあちゃんになら、もう一度会いたいな」と言っている。
たまに、長男、二男の二人でお風呂に入っているときには、「あのとき川で、おばあちゃんと釣りしたのは楽しかったなあ」と二人で思い出話をしているのが聞こえたりする。
そんな、おばあちゃんの死は、長男、二男にとって、身近な人の死を初めて受け止めた鮮烈な現実だった。
二男は、家族葬の会場から火葬場へ向かうとき、自ら、おばあちゃんの「遺影」を胸に抱き「落とさない、大丈夫だから」と、気丈に振舞っていた。その姿は、わたしの心に強く残った。

そんな二人の息子は、弟が誕生する前「しーちゃん(三男)は、おばあちゃんの生まれ変わりかもね」と話したりしていた。

そして、今年9月、奥さんに前駆陣痛が、何度も何度もきて、焦らず、じっくりと自然に産まれる時を待ち、いよいよ家族で臨んだ立会い出産だった。
最初は「おとうさん、恐い・・・」と子どもたちは、私の腕にしがみついていた。
三男が産まれ、母の胸に抱かれた瞬間、「すごい!」「かわいい!」「感動した!」と、長男、二男は口々に声をあげた。
自分たちも、このようにして生まれてきたのだと。

そして現在、三男の育児をする親の姿を観て、自分たちも、このように育てられ、このように気持ちを注がれてきたのだと。
また、意識の底に、いずれは、おばあちゃん(わたしの母)のように、人は死んでいくものだと、体験で知っている。

この1年半の間に、身近な家族の臨終と誕生を目の当たりにした息子たち。言葉では、伝えられないことを、感じてくれたのではないかな、と私は奥さんと、たびたび、そんなことを話している。

兄さんズと初めて一緒にお風呂に入る三男・2 
[写真] 兄さんズと初めて一緒にお風呂に入る三男・2

コメント

こんにちは。ゆうのです。
仕事がめちゃくちゃ忙しいのに、どうしてもヤル気になれず、だらだらしてしまう時間がこの夕方の魔の時間…焦れば焦るほど、原稿に集中できません(汗)
笹森さんのメッセージを読んで、家族を想うしっとりとしたやさしさに、メッセージを送りたくなりました♪
ウチの息子は現在中2の12歳です。主人の母にとって見たら初孫でかわいくてかわいくて仕方のない存在。4ヶ月くらいから平気で預かってもらったすぼらな私の代わりに、しっかりと愛情を注いで育ててくれた姑の愛をイチバンわかっている息子。今でも姑が世界で一番大切な人です。
私は姑の存在にとても感謝しています。なにがあっても味方になってくれる存在は子どもにとって何より大切だと思っています。
次男君にとって、かつてそうだったおばあちゃんの生まれ変わりとして、しっかり弟をかわいがっていくのでしょうね。
子どもはかわいがられて育つものですね!
笹森さんファミリーの日常を覗きながら、いつも癒されています。

ご家族で、本当に「家族」の時間をしっかりと過ごしておられるのですね・・・


家族が死を迎えたり誕生を目のあたりにする気音は、最近では難しくなってきていますよね。


変化を受け入れるのが苦手な発達障害の子ども達にとって、少しづつ、兆候を感じつつ身近にそういった変化を体験できることはとても有り難いこと、素晴らしいこと・・と思いました。


たくさんの経験・・大切な人を通しての。


発達障害の子どもではない子どもにとっても十分に体験させてあげたい出来事。


そんな経験の中でとっても大きく成長を見せてくれた二人の子ども達と、生まれてきた子ども達に・・・


感謝!!


ですね。


こちらも嬉しくなりました。。。

ゆうのさん

ご多用の最中ですね。
お疲れ様です。
でも、奥さんと同様、じっと家にいたら、具合わるくなりませんか。

絶対の信望や情愛は、心にのこります。

同じく、タイミングで、難しい問題にもなります。

タイミングですね・・・

わたしも、このきっかけに「生き様」と同意に「死に様」を考えています。

でも、癒しと言っていただき嬉しいです。

ありがとうございます。

白桔梗さん

コメントありがとうございます。

なんか、兄さんズに、赤ちゃんみてもらったり、あやしてもらったり、手伝ってもらうのは、天然の療育みたいな感じです。

こどもは、0歳も、10歳も、11歳も、みな可愛いですね。

だから「おっさんになっても、かわいいよ」と、長男には言ってやりましたよ。

笹森さん、こんにちは(^-^)
私はこれまでの人生で、まだ人の臨終と出生に立ち会ったことがありません。
なので、1年半の間にそれらの貴重な経験ができた息子さんたちが、正直うらやましいです。
笹森さんのお母様は、とても愛情深い方だったのですね☆


>そのような情愛は、時に「良かれと思って悪を為す」に転じる危険もある


私にはちょっとこの部分の意味がわからなかったのですが。(まだまだ勉強不足かな・汗)
人間にとって、子供の頃に無償の愛を注いでもらうことはとても重要で、必要なことだと私は思ってます。


あと、笹森さんは「生き様」と「死に様」について考えている、と書かれていますが、実は私もそれに近いことを最近考えていて。
私はこれまでの人生でいろいろあって、長い間自殺願望を持ちながら生きてきたのですが、つい最近になって、少し心境の変化があったんですね。
「命の大切さ」についてすごく考えるようになったというか。
「人間はいつか必ず死ぬ。しかも、それは突然やってくることもある。だから、どうせ生きるのならできる限りのことをやって、後悔のない人生を生きたい」
こんなことを考えています。


「自分はよく頑張った。人生に悔い無し!」と言いながら死ぬのが、私の理想の死に際ですね。

みおさん

「自分はよく頑張った。人生に悔い無し!」と思えるのは、まさに理想の死に際ですね。

最後の最後を思うと、結局、現在の生き方を思うわたしですが。

>そのような情愛は、時に「良かれと思って悪を為す」に転じる危険もある

これは、わたしなりの実感からきた言葉です。

前に、関連のこと書いて15枚にもなったから、ここで語りきれませんが

子供の頃に無償の愛を注いでもらうことはとても重要で、これは、まったく同感です。

思春期に、実は親が無意識に子離れできず、同じ愛情が、子の自立心を阻む「呪縛」になりかねない危険があるかな、と、これは学説など無縁の、わたしが実感してきたことなんです。


笹森さん、お返事ありがとうございます(^-^)


>そのような情愛は、時に「良かれと思って悪を為す」に転じる危険もある


という言葉は、笹森さんご自身が実感されたことだったんですね。
確かに、子供の為を思って敢えて厳しく突き放すことも、時には必要ですよね。
「かわいい子には旅をさせろ」とも言いますし。
こんな一言で片付けてしまっていいのかどうかわからないけど(^-^;
親離れや子離れの重要性は、私もすごく実感してますね。
上の二人の息子さんたちがもうすぐ思春期を迎えられるということで、笹森さんもいろいろと考えてらっしゃるんだろうなぁと思います。


15枚ですか・・・。なんだかとても深い話になりそうですね。
難しいかもしれないけど、もし機会があれば聞かせていただきだいですね。
私も今、自分自身の生い立ちを振り返っているところだし、将来もしかしたら母親になることがあるかもしれないから。(まあ、現時点では全く未定ですけどね)


笹森さんのこの連載は、発達障害云々よりも「人として」の生き方を考えさせられることが多く、勉強になっています。
ありがとうございます(^-^)
まぁ、発達障害のある人も、それ以前に「一人の人間」なのだから、ある意味当然とも言えますけどね。
私は個人的に「障害」と呼ばれるものを持つ人たちは、常に「人として根源的な部分」に向き合っているのではないかといつも感じています。

みおさん

最近、いろいろ考えていますね。思いました。

「障害」に関わった方は、人が気づきえないことを、確かに発見していますよ。

そして、つまりは「障害」名でなく「その人」を観ることが大事かな、なんて思います。

子離れはね、言うより難しいです。親は出来てる気になるだけですから。

実際には、高校卒業くらいの年頃から、遠方で一人暮らし体験が一番かな。

こんにちは、笹森さん。
お疲れまです。

人生経験をしっかりしている、笹森さんだからこそ、この文章力すごいなぁ、感じております。

まだ、それに比べれば・・・わたくしは未熟者ですね。

本当に、史郎さんの奥深さをさらにわかり・・・へんちゃんさんファンも増えると思うのですが、史郎さんファンも増えると思いますよ。

いろいろな、ハートネットピープル読ませていただけて、嬉しい限りですね。

岸さん

コメントありがとうございます。

これでも、浮いたり沈んだりの繰り返し毎日なんですよ。

体力と閾値が下がっているときは、自分でも困り者です。

なんとか踏ん張ってますわ。

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