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ハート ネット ピープル

多くの人たちの元気ぐすりになれたら(稲川利光)

[写真]第2回放送より。散歩途中に弟子のお店に顔を出すことを楽しみにしている中村登さん。



第2回の放送「退院後のリハビリ どうすればいい?」で紹介された中村登さんの経験もとても辛いものでした。
登さんは脳出血で重度の麻痺や失語症などが残り、自分自身の生活に大きな障害と戸惑いを余儀なくされた上に、20年間続けてきた店まで失うことになります。若いときから調理の修行をして、やっと開くことができた大切な店です。人生をかけてきたその店まで失うことはさぞかし辛かったことでしょう。そんな彼に奥さんや地域のケアセンターのスタッフが寄り添って進みます。何もする気がおきなかった登さんにケアセンターのスタッフが料理をすることを提案します。やがて、長年培った料理の作業をしようとすることで、登さんは自分を取り戻していきます。自分が自分でいる時間があることで、登さんは元気を得ていくようになりました。以前、登さんの店で働いていて、独立した若い弟子さんがいますが、登さんはその弟子さんの店を訪れては弟子さんを励まします。それも登さん自身の心の支えになりました。そんな経過の中で、登さんは自分でバスにも乗れるようになり、奥さんの手を離れて外出する機会も増え、登さんは登さん自身を取り戻していきます。

「登さん、あなたがいてくれて良かったと周りは感じていますよ」という思いが周囲から伝わったこと、そして、些細なことであっても、「これだったら自分にできる」ということを彼自身が見つけたこと、この二つは彼にとっての何にも勝る元気ぐすりでした。この元気ぐすりをのみながら、登さんは自分らしさを発揮します。何かひとつでも、その人がその人らしさを発揮できるところが見つけられれば、それが生活を展開していく強い力につながっていく。私は登さんを見てそう思いました。
人は人との関わりの中で元気を得ていくものです。自分は独りではない、自分を思う人が周りにいる、そして、相手を思う自分もいる。そんな相互の関わりがリハビリテーションの基盤だと思います。
当番組は、そんな関わりを大切にしてゆける番組として、多くの人たちの元気ぐすりになれたら、と思っています。

*   *   *



リハビリのこととも関係するので、ちょっと私の近況のことをお話したいと思います。
5月末に大正10年生まれの父が他界しました。
父はこの数年、多発性脳梗塞や腰椎疾患などによる歩行障害があり、屋内をやっと歩ける状態でした。それでも囲碁と古本、そしてスーパーへの買い物が趣味で、うまく歩けなくなってからは電動カートに乗って出かけるようになっていました。昨年の夏にスーパーの玄関で転倒し、それが原因だったのでしょう、その後殆ど動けなくなっていました。慢性硬膜下出血で、脳梗塞も併発し、重度の嚥下障害と構音障害(発音が正しくできない症状)と四肢の麻痺を伴い、殆ど寝たきりの状態となりました。そこで福岡市内のリハビリ病院に入院してリハビリを受けるようになりました。障害も重度でしたし、年齢的なこともあって、父はなかなか歩けるようにはなりませんでした。しかし、4ヶ月の訓練で何とか自分で服が着られるようになり、狭い屋内であれば伝い歩きもできるようになり、5月の14日に自宅に帰ってきました。その数日後に私は鹿児島で学会があり、自宅に立ち寄ることができ、久しぶりに父の笑顔に会うことができました。
翌日、私はデイサービスに出かけた父を迎えに行きました。帰る途中でどこか行きたいところがないか? と尋ねますと、父は行きつけのスーパーに行きたい、と言います。車で連れて行きましたら、父は店に置いてある手押しの買い物カートを押しながら、それにすがり付くようにして歩き始めました。元気だったときのように、生活雑貨などを買いはじめました。もう長くは歩けず、数m歩いては腰がくだけましたので、私は買い物カゴを5〜6個重ねてそれをひっくり返して椅子代わりにして、父をそこに何度も座らせました。少し歩いては座り、また少し歩いては座りながら、父は店内を廻りました。
帰る道すがら、私がまだ福岡にいるときに寄ったことのある小さな中華料理店がありましたので、父に「ここで何か食べる?」と聞きますと、「食べる」と答えました。注文したのは、以前と全く変わらず、母が焼きそば、私がチャンポン、そして父は中華丼、そして3人でギョウザを一皿、というものでした。嚥下障害があると言われて、嚥下食しか食べられないと思っていた父でしたが、中華丼一杯をたいらげ、ギョウザも美味しそうに食べていました。その晩は疲れきったのでしょう、父はやや興奮してトイレに10回ほど起きて、3回転倒しました。翌日、私は後ろ髪を引かれる思いのまま、博多を発ちました。その数日後、父は昼食の後、昼寝をしながら、そのまま他界しました。義姉と母が夕食に起こそうとしてもなかなか起きないことでわかったようです。リハビリ病院を退院してからちょうど2週間経った日でした。
父は自宅に帰りたい一心でリハビリし、自宅で亡くなるために頑張ったようなものでした。私が帰省した日に見たスーパーで買い物をする父の姿は、衰えてはいましたが、いつもの父らしくて、忘れられないものになりました。母と私とで何年ぶりかで食べた焼きそばや中華丼。そこで一緒にいられた時間は貴重なものになりました。そして、なによりも、歩けなかった父を根気よくリハビリして自宅に帰してくれた病院のスタッフ、退院後も優しく接してくれたデイサービスのスタッフ、そんな方々の関わりがとてもありがたいものに感じました。

父母は老い 昔をかたる はかたえき 旅情えがく 心のきてき

作/稲川利光
つい先日、三島で開業されている恩師から古い博多駅の写真が送られてきました。それを見て昔、父にボーナスが出た日のこと、兄と私は中州の川端通りに連れて行ってもらって、中華料理を食べさせてもらったときのことを思い出しました。腹いっぱいになり、帰り道、私たち兄弟は父母におんぶしてもらい博多駅まで行きました。そのとき、親の背中越しに見た、博多駅の記憶。上は、そんな昔を思い出しながら詠んだ句です。



■にっぽんリハビリ応援団

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