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ハート ネット ピープル

祖父母に教わったバリアフリーの心

[写真] 高校の卒業式に撮ったお気に入りの1枚。おじいちゃん、おばあちゃんがオクラホマ州からコロラドまで来てくれたんだ。
from パックン
バリアフリーは施設や設備だけに限ることではなく、心構えの問題でもある。僕に一番そのバリアフリーの心を教えてくれたのは、祖母と先月亡くなった祖父だった。

祖父は地図に載っていないぐらい小さな町の、貧しい家で生まれ育った。スポーツでがんばって奨学金で大学にいくことができた。ある日、陸上部の監督が「地域大会は遠くの町で行われるため、予算がないから出ないことになった」とチームに報告した。そこで祖父は仲の良い部員3人を集めて「どうにかして行こう!」と提案した。
監督も、自費で行くのなら大学の代表として出ていい、と許可を出した。4人はメンバーの車で行くことにしたという。夜は車中泊で、昼ごはんは食パンだけという、超節約遠足状態で大会に参加した。そしてたったの4人だけで、何倍もの人数でフルチーム参加した他の大学に勝ち、大会優勝を果たした。お金のなさというバリアなんかに負けなかった!

祖母は大恐慌の時代に、11人兄妹という苦しさの中で育ち、チャンスを掴む天才だった。第二次大戦の時のこと。女性は軍に入れなかったが、ある日「無料パイロットレッスン」という広告を見つけた。これは戦争に備えて、パイロットの人数を増やそうというキャンペーンだった。当然「女はだめだ」と言われたが、祖母は「そんなこと広告に書いてないじゃないか!」と押し通した。教官は「どうせ実習の前の学科で落ちこぼれるだろう」と思って入れたのかもしれない。確かに難問だった。厳しい学科をクリアして、さらに筆記試験を合格するのはごく一部の人。しかし、合格どころの話ではない。祖母はなんと首席でパイロットスクールを卒業した。1940年のオクラホマ州では考えられなかった、女性パイロットが誕生した。性別の偏見というバリアなんかに負けなかった!

僕が二人と出会ったのはずっと後のことだった。もう二人は老人だったが、歳を取ってはいても、ちっとも速度を落とさずに人生を突っ走っている二人だった。体力が有り余っている十代の僕と、祖父はいつもレスリングやアメフト、かけっこなどをしてくれた。年齢的にスポーツができなくなっても、トランプやチェスそして、会話、討論、ジョーク大会などの勝負をよく持ちかけてきた。老いなんかに負けなかった!

とはいえ、勝ち負けだけが問題だったのではない。祖父はどんな遊びをしていても、相手のいいところを引き出し、相手をいい気分にするのが巧かった。彼に負けても嫌な気分になったことはない。しかもその姿勢は、誰に対しても変わらなかった。
家族で出かけると祖父は必ずどこかで行方不明になる。そこらへんで出会った人と立ち話をしているのだ。ガソリンスタンドの従業員、駐車場の警備員、道ですれ違う人などなど…。誰とでもすぐに腹を割って言葉を交わし、仲良くなれる男だった。孫の僕に対しても、スーパーのレジで隣に並んでいた初対面の人に対しても、相手の言葉を真摯に受け止める人だったのだ。関わる人全てを受け入れる懐の深さを持っていた。対人の心のバリアなんかにも負けなかった!

そんな祖父がこの間、急性白血病になり、最初の診察からたったの三週間で亡くなったのだ。最後の最後までユーモアを無くさず、周りの人を気楽にさせていたそうだ。生きる手本だった祖父は、死ぬ手本をも見せてくれたのだ。僕ら人間にとっての最後のバリアにすら負けなかった!

おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう!

コメント

こんにちは。パトリックさんには素晴らしい、おじい様がいらしたのですね。発病後すぐにお亡くなりになったとのこと、始めにお悔やみ申し上げます。実は私も一昨年の秋に彼と同じ病名を医師から告げられました。治療は過酷で辛いものですが、もっと辛く感じたのは人間の無知です。感染する、その言葉を耳にした時のせつなさは今も癒えることはありません。
バリアとは?貴方が言われているように人の心の中に潜んでいるのだと感じます。
病気に負ける前に心が折れてしまいそうです。せつなくて、ただせつなくて涙する日々です。

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