
思い出写真クリーニング ―― 写真をとおしてのつながり

5月の終わり、RQ市民災害救援センター(以下、RQ)という市民団体が、南三陸町歌津でおこなっているボランティア活動に参加してきた。
私に割り当てられたのは、「思い出写真クリーニング」という作業で、がれきの中から見つかった写真を洗って乾かし、持ち主に返そうという試みだ。泥かき・片付け班が救出した写真を、写真クリーニング班が手当てする。津波で海水や泥をかぶった写真をそのままにしておくと、さらに損傷がひどくなるため、1枚1枚ていねいにアルバムからはがし、そっと洗って乾かす。簡単そうに聞こえるが、じつはなかなか大変な作業だ。アルバムのビニールカバーが張り付いた写真は、無理にはがそうとすると、画像面もいっしょにはがれてしまう。インクが溶け出し、すでに画像がにじんでしまっているものは、ビニールカバーをはがそうとしただけで、画像が流れて消えてしまう。
でも、そこに写っているものの価値を考えると、どんなにむずかしそうな写真でもできるだけ救いたいと真剣に思う。アルバムのなかにあるのは、結婚式、ハネムーン、子どもの誕生、修学旅行・・・その人にとってはかけがえのない思い出ばかりだから。
忘れられないアルバムがある。1980年と日付の入ったそのアルバムには、結婚式の写真から始まり、新婚旅行、新居への引っ越し、猫を飼い始めるまでと、あるカップルの新生活の歩みが大切そうに収められていた。30年後のいま、その人たちはどうしているだろうか。無事でいるのだろうか・・・。
1冊のアルバムを終えるころには、そこに写っている人たちと、まるでずっと知り合いだったような気がしてくる。
「親戚になったみたい」
「この子いまどうしているのか、会ってみたいね」
私たちボランティアは、直接被災者の人たちと言葉を交わす機会はあまりなかった。ひたすら向き合っていたのは、彼らの写真である。なのに、一度も会ったこともない人たちと、写真をとおして温かい心のつながりが生まれた。
歌津でのフリーマーケット会場で、RQがクリーニングを終えた写真を展示した。見に来た人のなかに、実家を津波で流され、ずっと写真を探しまわっていたという人がいた。なんと彼女が見つけたのは、自分が赤ちゃんだったときのモノクロ写真。 40年以上も前のものだという。彼女は、自分の人生のまさに原点とも言える写真を取り戻したのだ。
何年か前、「スレブレニツァの虐殺」の犠牲者の遺体確認作業を取材したときのことを思い出す。ボスニア・ヘルツェゴビナの町スレブレニツァで、1995年7月、ナチス以来ヨーロッパ最悪と言われる虐殺事件が起こった。モスレム人の男性と少年、約8,000人がセルビア人の軍に殺されたといわれる。
いまもDNA鑑定による遺体確認作業が続けられているが、遺体とともに発見される遺品の多くが写真やアルバムだったことが印象的だった。いまにも敵が攻撃してくるという危機的な状況で、ほんのわずかしか持って逃げられないときに、多くの人は家族の写真やアルバムを選んだのだ。
今回「思い出写真クリーニング」に参加して、あらためて写真の意味や役割を考えさせられた。それまで築き上げてきた生活や大切な人を失った人々がまた立ち上がって生きていく助けになるのなら、また、人と人をつなぐ架け橋となるのなら、写真にかかわる者としてこれほど光栄なことはない。




5月の終わりという言葉で始まる記事を読んで、そういえば私も5月の終わりに南三陸歌津に短いボランティアに行き、大塚さんの丁寧な指導をいただきました。
そして殆ど1ヵ月後の6月25日(土)にまた歌津に瓦礫撤去作業に行った折に写真展を開催されていました。歌津中学で写真を被災者の方々にお見せして、引き取り希望のあるものは被災者の方にお渡しされている大塚さんをまた拝見してご挨拶させていただきました。
長期にわたって関わっておられる事、ほんとうに頭が下がりますが、御身大切に。