
認知症と向き合うディスレクシアのパット
私には、アメリカのシアトル近郊に第2の家族がいる。1996年、たまたま取材を通して知り合った人がこの家族の一員で、取材中家に滞在させてもらっているうちに、すっかり親しくなったのだ。家族の最年長だったエルマおばあさんは、私のことを「13番目の孫」と呼び、かわいがってくれた。そして、エルマおばあさんが多発性骨髄腫で亡くなるまでの1年間を記録し(※)、在宅での看護を手伝うなかで、私にはパット(67歳)という姉もできた。パットはエルマおばあさんと同居していた娘で、おばあさんのケアの中心を担った人だ。
死にゆく人をともにケアするという経験は、パットと私を強く結びつけてくれた。エルマおばあさんが亡くなってからもう11年になるが、いまも毎年家を訪ね、1年に2?3か月ほど滞在する生活をしている。聡明なパットは、私が悩んだり、判断に迷ったときには、いつも相談相手になってくれたものだ。
そのパットが、認知症になってしまった。この数年、少しずつ記憶力が減退していることはわかっていたのだけれど、最近は自分の居場所が分からなくなるようなことも起こり、とうとう車の運転をするのも危険な状況になってしまったのだ。歩いていけるところには何もないアメリカの田舎で、運転ができないというのは、自立を失うことを意味する。いつも周囲から頼られ、人を助けてきた彼女にとって、いまの状況はどんなにつらいだろう。
パットはじつは、ディスレクシアとともに生きてきた。ディスレクシアとは、学習障害の一種で、症状は人によってさまざまだが、パットの場合は、計算ができないのと、文字を見て理解できなくても画像なら理解できる、という現れ方をする。いまでこそ、アメリカでは人口の1割がディスレクシア、と言われるほどよく知られた障害だが、彼女がワシントン大学心理学科の学生だった48年前はそうではなかった。計算がまったくできなかった彼女は、テストに電卓を持ち込む許可を得た最初の学生だったそうだ。
パットはディスレクシアによる不便を克服するため、日常生活にさまざまな工夫をしている。「ブリットル」というきわめて不安定なタイプの糖尿病でもある彼女は、1日に5回血糖値を測り、適切な量のインシュリンを自己注射しなければならないのだが、そのためのビジュアルなシステムを自分で作っている。インシュリンの種類などは、注射の絵に色を付けたもの。色によって、どのインシュリンかを区別している。また、どの血糖値に対してどのくらいの量を注射するか、対照表を別に作り、それを見ながらやっている。彼女を診ている糖尿病の医師が、「むずかしい『ブリットル』を、これほどよく管理している人を他に知らない」と感嘆するのを聞いたことがある。自己管理に失敗すれば命にかかわる『ブリットル』糖尿病と、ディスレクシア。パットは生き延びるためにはクリエイティブでなければならなかったのだ。
彼女が自分でインシュリンの管理ができなくなる日のことを考え、同居する従姉妹のジュリアと私がまずパットの生徒になって、糖尿病管理のレッスンを受けた。彼女が作ったビジュアルなシステムは、誰が見てもわかりやすいので、非常に役に立った。ディスレクシアであること、それを克服する工夫を積み上げてきたことが、まるで認知症という困難に向けての準備だったかのようにさえ思える。
この先パットはどのように認知症に向き合っていくのか。家族はどのように支えていくのか。また折々に書いていきたい。
※大塚さんの写真絵本『さよなら エルマおばあさん』、単行本『わたしは今がいちばん幸せだよ』(ともに小学館)で詳しく語られています。
コメントを送る



